あなたのいない世界であなたと生きる

駄文のヒロ

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第1章 出会い

4、絆の承認

 ミレーナはグラスを置き、軽く首を傾げた。

「少し、席を外してもいいですか?」

 赤いスーツの肩口にかかった光が、バーの照明を反射する。
 完璧な所作だった。
 立ち上がる動きに、無駄が一切ない。

「どうぞ」と桜樹が言うと、彼女は微笑んで頷いた。

「すぐ戻ります」

 そう言って、ミレーナは化粧室の表示が浮かぶ通路へと消えていく。

 桜樹は、ふと気づく。

 ――ここでは、排泄の必要もなければ、化粧が崩れることもない。

 それでも、「席を外す理由」としての化粧室は、この世界にもきちんと用意されている。

 現実の名残。
 あるいは、現実だったという記憶の再現。

「……ああいうの、いいよな」

 山崎がグラスを揺らしながら言った。

「何がだ」
「“ちゃんと人間してる感じ”」

 桜樹は鼻で笑った。

「ここ、仮想空間だぞ」
「分かってるって」

 山崎は肩をすくめる。

「分かってるけどさ。
 それでも、ああいう振る舞いがあるから、俺たちも“ここに居る”気がするんだろ」

 一口飲み、続ける。

「桜樹、お前――
 もう完全に惚れてるだろ」
「は?」
「顔に出てる」

 即答だった。

「やめとけ。
 どうせ一期一会だ」
「それで済ませるなよ」
「完全にやられてる」
「別に……」
「否定が弱い」

 桜樹は苦笑して、氷を転がす。

「……綺麗な人だとは思うけどな」
「“綺麗な人”止まりなら、今すぐフレンド登録しろって言わねえよ」

 山崎は真顔になる。

「なあ、桜樹」
「なんだ」
「ここ、仮想だぞ」
「知ってる」
「だからこそ、だ」

 山崎はグラスを軽く持ち上げた。

「現実よりも、ちゃんと繋がれることもある」

 桜樹は何も言わない。

 山崎はグラスを置き、少し身を乗り出す。

「フレンド登録しろ」
「……唐突だな」
「唐突じゃない。
 この世界じゃ、それが“次”だろ」

 仮想空間では、フレンド登録はただの機能ではない。
 レイヤー内で他のアバターと交流し、友人・知人・同僚・職場関係を築くには、フレンド登録と呼ばれる相互承認プロセスを必要とする。
 フレンド登録は原則として本人同士の合意が必要。
 登録後は、プライベート通信、行動ログの一部共有、同一エリアへの優先配置が可能になる。
 これは、また会えるという意思表示、相手を“この世界に固定する”行為、名前を関係として保存することでもある。
 フレンド登録は、レイヤー社会における信頼の証明であり、人間関係の基盤でもある。
 当然、離婚や人間関係の決裂などで絶縁したい場合は、ブロック機能というのもある。

「迷ってる時点で、もう答え出てる」

 山崎は笑った。

「酒の勢いでもいい。
 ここで何もしなかったら、あとでログ見返して後悔するぞ。
 フレンド登録しとけ」
「……軽いな」
「軽くていいんだよ」

 山崎は笑う。

「現実じゃ、名前聞く前に壁が何枚もあるだろ。
 ここじゃ、ボタン一つだ」

 桜樹はカウンター越しに、さっきミレーナが座っていた席を見る。

 赤いスーツの残像だけが、まだそこにある気がした。

「……嫌がられたらどうする」
「その時は俺が笑ってやる」
「最悪だなお前」
「親友だろ」

 桜樹は、ため息混じりに笑った。

「……戻ってきたら、考える」
「はい逃げた」
「逃げてねえ」
「逃げてる」

 二人の間に、
 少しだけ、軽い空気が戻る。

 桜樹は、ミレーナが消えた通路を見た。

 彼女は、本当に化粧を直しているわけでも、用を足しているわけでもない。
 それでも、「戻ってくる」という約束だけを残して、今はいない。

 ――その距離が、妙に現実的だった。

「……戻ってきたらな」

 桜樹はそう言った。

 山崎は満足そうに頷く。

「それでいい」

 バーの空気が、ほんの少しだけ揺れる。

 化粧室の表示が、一瞬だけ遅れて点灯したことに、二人はまだ気づいていない。

 この夜が、ただの飲み直しで終わらないことを、世界だけが先に知っていた。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ミレーナが席に戻ると、会話は一度、軽くほどけていた。

「遅かったな。鏡、混んでた?」
 山崎が笑いながら言う。

「いいえ。ちょっと、落ち着いてただけ」

 その言葉は嘘ではない。
 ただし、“落ち着かせていたのは感情ではなく、世界の揺れ”だった。

 グラスが置かれ、三人の距離が、元の形に戻る。
 ――そのときだった。

「なあ桜樹」
 山崎が、いつもの調子で言う。
「せっかくなんだしさ、フレンド登録しとけよ」

 一瞬、空気が止まる。

 この世界では、それは軽い行為だ。
 連絡先を交換するようなもの。
 けれど桜樹は、なぜか胸の奥に、わずかな引っかかりを覚えた。

「……今?」
「今じゃなきゃ意味ないだろ」

 山崎は笑っている。
 ミレーナも、穏やかに頷く。

「嫌なら、断ってもいいですよ」

 その言葉が、逆に重かった。

 桜樹は、自分の視界の端に浮かぶ半透明のUIを見る。
 ミレーナの名前――
 いや、“ミレーナ”という識別子。

(名前を固定するだけだ)

 そう理解しているはずなのに、指が動くまでに、ほんの一拍の間があった。

 タップ。

 フレンド申請を送信しますか?

「……送るよ」

 声に出した瞬間、世界が、一段深く息を吸った。

 ミレーナは、自分の意識を“受信”に開く。

 フレンド申請を受諾しますか?

 一瞬だけ、システムの深層で揺らめく。

「――受け取りますね」

 彼女がそう言った瞬間、受諾の信号が返された。

 確定。

 音はしない。
 光も派手に走らない。

 けれど桜樹は、確かに感じた。
 ラウンジの奥行きが、わずかに歪んだことを。

 壁の向こうに、もう一つ壁が重なったような感覚。
 世界が、“彼女を中心に再配置された”感触。

「……今、何か」

 桜樹が言いかけて、言葉を止める。

「気のせいですよ」

 ミレーナは微笑む。

「この世界、たまにラグるから」

 山崎は気にも留めず、グラスを持ち上げた。
「ほら、乾杯続行だな」

 グラスが触れ合う。

 その瞬間、一本の線が新しく引かれた。

 見えないが、切れにくい線。
 観測と記録と、感情が絡み合った線。

 ミレーナは、その線の重さを知っていた。
 桜樹は、まだ知らない。

 このフレンド登録が、――世界の歪みを、決定的なものにしたことを。
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