あなたのいない世界であなたと生きる

駄文のヒロ

文字の大きさ
13 / 30
第2章 逃避行

7、影の襲来

しおりを挟む
 ロンドンの街は、相変わらず曇っていた。
 石畳に落ちる足音が柔らかく反響し、古い街灯があわい橙色の輪をつくっている。

 桜樹とミレーナは、並んで歩いていた。
 追われている最中だというのに、不思議と時間はゆっくり流れている。

「……ロンドンって、こんな匂いだったか?」

 桜樹が言うと、ミレーナは小さく首をかしげた。

「石と、湿った空気と、少しの油ですね。
 それから――記憶」
「最後のは、今つけ足しただろ」
「はい。サービスです」

 くすりと笑う。
 その瞬間だけは、逃走者でも、死人でもなかった。

 ミレーナが立ち止まる。
 何気ない仕草で、桜樹の袖に触れた。

「少しだけ、いいですか」
「何を――」

 答える前に、視界の端が一瞬だけ暗転した。

 警告も、エラー音もない。
 ただ、世界が静かになる感覚。

「……今、何をした?」
「桜樹さんのログを、外部監視から切りました」
「切った?」
「正確には、“存在しているけれど観測できない状態”です」

 桜樹は眉をひそめる。

「そんなこと、管理層が許すはずがない」
「許してはいません。
 だから、長くは持ちません」

 歩き出す。
 街の喧騒が戻ってくるが、どこか膜一枚へだてられたようだった。

 桜樹はふと、別の違和感に気づく。

「……なあ、ミレーナ」
「はい」
「俺のログは切ったのに、あんたの痕跡がどこにも残ってない」

 足を止めたのは、今度はミレーナだった。

「不思議ですか?」
「正直に言うと、かなり」

 ミレーナは、少しだけ視線を逸らした。

「わたしは、最初から
 “管理層の監視対象として存在していない”んです」
「それってどういう意味……」
「今は、まだ」

 そう言って、話題を切る。

 そのときだった。

「――桜樹!」

 聞き慣れた声が、霧の向こうから飛んできた。

 振り返ると、地下鉄の出口付近に山崎隼が立っていた。
 息を切らし、周囲を警戒しながら、二人に駆け寄ってくる。

「山崎……!? どうしてここに」
「後で説明する。
 それより――」

 声を落とす。

「お前、追われてる」
「管理層なら、さっき――」
「違う」

 山崎は、ちらりと背後を見た。

 街灯の影が、不自然に伸びている。
 人の形をしているのに、どこか輪郭が合わない。

「お前からメッセージがあった後に検知したんだ。
 お前と同じIDの反応があった。
 ログ構造が……お前と、完全に一致してる」

 桜樹の喉が、ひくりと鳴った。

「まだ距離はある」

 山崎が言う。

「でも、確実に追ってきてる。
 あれは――ただのバグじゃない」

 ミレーナは、静かに一歩前に出た。

 赤いスーツが、街灯の下で鮮やかに浮かび上がる。

「桜樹さん。
 ここから先は、急ぎましょう」
「どこへ?」
「あなたが、本当のことを思い出せる場所へ」

 遠くで、時計の鐘が鳴った。

 その音に合わせるように、影――が、確かに一歩、近づいた。
 街灯の明かりが、ふっと揺らいだ。

 霧の中から伸びていた影が、三人の前で足を止める。
 影は、まるでこちらを待っていたかのように、静かに立ちはだかった。

「マジか……来たな」

 山崎が低く呟く。

 街灯の光が、その輪郭をゆっくりと切り取っていく。
 最初はゆがんだ人影だったものが、数秒の遅延を挟み――形を得る。

 次の瞬間――
 桜樹は、思わず息を呑んだ。

 そこに立っていたのは、
 自分と同じ顔、同じ背丈、同じ視線。

「……俺?」

 影は、薄く笑った。

 その笑みの角度まで、完璧に一致している。

 ミレーナが、はっきりとした声で言う。

「……ミラー」

 その名に、空気が一段冷える。

「ミラー?」

 桜樹が聞き返すと、

「あなたの“反射”です」

 ミレーナの声は冷静だった。
 感情を挟まない、業務報告の口調。

「人格ログと権限ログが分離した際に生まれた、管理用の桜樹敬司」

 影――ミラーは、首をわずかに傾けた。

「……君の“もう一つの結果”だ」

 山崎が歯を食いしばる。

「……管理層の、代行人格か。
 冗談じゃない。
 ログの自己参照が、人格まで持つなんて……」

 ミラーは、三人を順に見渡した。
 最後に視線を止めたのは、ミレーナだった。

「まだ一緒にいるのか」
「あなたには関係ありません」

 ミレーナが即答する。

 その瞬間、
 ミラーの表情から、微かな感情が消えた。

「……時間切れだ」

 空気が、きしむ。

 ミレーナが桜樹の腕を掴んだ。

「走ります!」
「どこへ!?」
「ロンドンラウンジの外へ。
 ここに留まれば、サーバーごと封鎖される」

「封鎖って……!」

 説明する暇はなかった。

 ロンドンラウンジの天井が、低い唸り声をあげた。
 最初は地鳴りのような振動だったが、次の瞬間、照明が一斉に揺れ、壁に走った亀裂から白い粉塵が噴き出した。

「なんだ?!」
 誰かの叫びが、ざわめきに飲み込まれる。

 床が不自然に傾き、ガラス張りの外壁が悲鳴を上げるように軋んだ。
 柱の一本が耐えきれずに崩れ、金属音とともに床へ落下する。

「街が崩れる!」
 住人たちの顔色が一気に変わった。

 次々と崩れ落ちる内装、非常灯が赤く点滅し、視界は舞い上がる埃で霞む。
 人々は互いにぶつかりながら、出口を求めて走り出した。

「逃げろー!」

 誰かが叫ぶと、それが合図のように恐怖が連鎖する。
 ラウンジ全体がきしみ、建物そのものが限界を迎えたかのように大きく沈み込んだ。

 崩壊は、もう止まらなかった。

「桜樹!」

 山崎が叫ぶ。

「ラウンジ間ブリッジだ!
 テムズの上にある!」

 三人は一斉に駆け出した。
 建物の影を縫い、崩れ落ちる外壁を避けながら、街の最奥――

 背後では、空間が剥離はくりする音が響く。
 足音は一つなのに、なぜか複数に聞こえた。

 石畳を抜け、広場を横切り、仮想の風を切って走る。
 建物は途中で切断され、空は幾何学的な亀裂を走らせ、
 石畳だったはずの地面は、データの断層となってがれ落ちていく。

 


「次のラウンジに繋がるブリッジ、今なら――」

 言葉の途中で、橋が視界に入る。

 宙に浮かぶ半透明の構造体。
 その向こう側に、出口となる転送ゲートが揺らめいていた。

「行くわよ!」

 ミレーナの声に、三人は一斉に走り出す。

 橋に足を踏み入れた瞬間、足元から不吉な振動が伝わってきた。

「……まずい」

 次の瞬間。

 橋の中央が、音もなく消失した。

「っ!」

 桜樹とミレーナは、勢いのまま前方へ転がり、出口側の床に倒れ込む。

 振り返った時には――
 山崎は、すでに反対側に立っていた。

 二人と、数メートルの空白。
 その下は、削除空間。

「山崎!」

 桜樹が叫ぶ。

「いいから行け!」
「何言ってるんだ! 街が――」
「お前はお前のやるべきことをやれ!」

 次の瞬間、山崎はきびすを返し、ロンドンラウンジの奥へと走り出した。

「山崎!」

 桜樹の声は、崩壊音にかき消される。

 ミレーナが、静かに桜樹の隣に立った。

「……時間よ」

 出口のゲートが、不安定に明滅している。

 桜樹は、最後にもう一度だけ振り返った。
 崩れゆく街の中に、山崎の姿は、もう見えなかった。

 光が、二人を包む。

 背後で、ロンドンラウンジが――完全に崩壊した。

 転送完了。

 桜樹は、膝をついた。

「……山崎……」

 名前を呼んでも、返事はない。

 ミレーナは、少しだけ目を伏せた。

「ロンドンラウンジからの反応は……ありません」

 それが、何を意味するか。桜樹には、痛いほど分かっていた。

 街は消えた。
 そして――
 彼も、消えた。

 だが、その選択だけは、確かに“残って”いた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

あなたのいない世界に私は生まれた

駄文のヒロ
SF
 西暦2051年12月上旬。  レイヤー聖台高等学校2年生の横澤穂花は、母である智美と穏やかな日々を送りながらも、心のどこかで言いようのない違和感を抱いていた。  優しく、何不自由なく育ててくれたはずの母――  けれど穂花は、『この人だけじゃない』という感覚を拭えずにいる。  自分を見守っている“もう一人の誰か”。  声も姿も思い出せないのに、確かに存在している気配。  それが母なのか、記憶なのか、あるいはただの思春期の錯覚なのか――  穂花自身にも分からない。  そんなある日、学校で囁かれている都市伝説を耳にする。  “世界を見守る守り神”  人知れずこの世界を監視し、迷える者の問いに応える存在がいるという噂。  真実を知りたい。  自分が感じているこの違和感の正体を確かめたい。  穂花は、誰にも打ち明けられない想いを胸に、その“守り神”に会いに行くことを決意する。  ――その選択が、世界の秘密と、彼女自身の出生の真実を揺るがすことになるとも知らずに。  人々のそれぞれの愛情を紡ぐ『あな生き』シリーズ最終章、始動!

あなたのいない世界でバージンロードを歩く

駄文のヒロ
SF
 西暦2051年6月上旬。  一年前の「ロンドン崩壊事件」を経て、レイヤー世界は表向きの安定を取り戻していた。  だが人々の心には、「世界は壊れうる」という不安が、静かに残り続けている。  東京レイヤー総合管理塔で働く研究員・朝霧結奈(24)は、レイヤー創成期の移行実験中に亡くなった父・朝霧雅人の死亡記録に、説明のつかない違和感を覚えていた。  公式には「実験中の突然死」と処理されたその記録に、近年になって管理層による不可解な参照痕跡が残されていたのだ。  個人研究として調査を進める結奈は、父の死が単なる事故ではなかった可能性と、レイヤー世界の深層に隠された過去に触れていく。  やがて彼女は、この世界を裏側から支える存在と静かに交錯する。  それは、レイヤーの中枢に関わる、名を持たぬ“誰か”だった。  その交錯で、知られていない16年前のレイヤー移行実験暴発事故の真相が明らかになる。  これは、あなたのいない世界で、それでもあなたと歩くための物語。 『あなたのいない世界であなたと生きる』第2弾開幕!

忘却の艦隊

KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。 大型輸送艦は工作艦を兼ねた。 総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。 残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。 輸送任務の最先任士官は大佐。 新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。 本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。    他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。 公安に近い監査だった。 しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。 そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。 機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。 完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。 意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。 恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。 なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。 しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。 艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。 そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。 果たして彼らは帰還できるのか? 帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

(学園 + アイドル ÷ 未成年)× オッサン ≠ いちゃらぶ生活

まみ夜
キャラ文芸
年の差ラブコメ X 学園モノ X オッサン頭脳 様々な分野の専門家、様々な年齢を集め、それぞれ一芸をもっている学生が講師も務めて教え合う教育特区の学園へ出向した五十歳オッサンが、十七歳現役アイドルと同級生に。 子役出身の女優、芸能事務所社長、元セクシー女優なども登場し、学園の日常はハーレム展開? 第二巻は、ホラー風味です。 【ご注意ください】 ※物語のキーワードとして、摂食障害が出てきます ※ヒロインの少女には、ストーカー気質があります ※主人公はいい年してるくせに、ぐちぐち悩みます 第二巻「夏は、夜」の改定版が完結いたしました。 この後、第三巻へ続くかはわかりませんが、万が一開始したときのために、「お気に入り」登録すると忘れたころに始まって、通知が意外とウザいと思われます。 表紙イラストはAI作成です。 (セミロング女性アイドルが彼氏の腕を抱く 茶色ブレザー制服 アニメ) 題名が「(同級生+アイドル÷未成年)×オッサン≠いちゃらぶ」から変更されております

未来への転送

廣瀬純七
SF
未来に転送された男女の体が入れ替わる話

花鳥見聞録

木野もくば
ファンタジー
花の妖精のルイは、メジロのモクの背中に乗って旅をしています。ルイは記憶喪失でした。自分が花の妖精だったことしか思い出せません。失くした記憶を探すため、さまざまな世界を冒険します。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

処理中です...