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ミレーナ視点
2050.04.17 02:12:42
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レイヤー暴発事故のあの時、世界は壊れていた。
私は、考える前に動いていた。
正規手順では、彼の人格ログは切断されるはずだった。
肉体を維持しても、中身がなければ生存とは呼べない。
でも、私は選んだ。
敬司のログを、一つの存在として扱うのをやめた。
人格と、権限への分離。
彼が「誰であるか」と、彼が「何を持っているか」。
——それは規約違反だった。
——でも、それで彼は死ななかった。
敬司の肉体は、現実世界で昏睡状態に入った。
意識は戻らない。
覚醒の兆候もない。
医師は言った。
「奇跡的に生きているだけです」
私は、その言葉を否定しなかった。
15年間、私は、彼のそばを離れなかった。
正確には離れられなかった。
毎日、肉体の状態を確認する。
栄養投与、代謝制御、免疫・臓器補助。
脳波、心拍、微細な反応。
ほとんど変化はない。
それでも私は、生命維持管理をやめなかった。
それは任務ではない。
監視でもない。
ただの世話だった。
(敬司、目を覚まして)
私は話しかけない。
彼の名前も、呼ばない。
呼んでしまったら、
返事を待ってしまうから。
それでも、彼が生きていることだけは、毎日確かめた。
15年目の春、4月17日。
ほんの一瞬、意識が低迷した。
「戻る」
そう期待したわけじゃない。
でも私は、その揺れを見て理解した。
——命が終わる。
モニターの波形が、先に静かになった。
警告音は鳴らない。
異常値でもない。
ただ、続いているはずのものが、続かなくなっただけ。
「……」
私は声を出さない。
出す必要がない。
桜樹敬司。
昏睡状態、15年。
生命維持、安定。
――その評価が、更新された。
心拍数、0。
呼吸補助、不要。
肉体ログ、終了。
処理は自動で進む。
人間の死は、システムにとっては一つの状態遷移にすぎない。
けれど、同時に別のログが跳ね上がった。
レイヤー内、人格ログ――
急激な位相変動。
断絶。
再接続。
展開。
私は、理解するより先に動いていた。
接続端子を握る。
許可はない。
必要なのは、時間だけ。
「レイヤー移行、実行」
自分の声が、自分のものに聞こえない。
敬司の肉体が、完全に沈黙する。
その瞬間――
レイヤー側で、彼の“現在”が確定した。
死ではない。
消失でもない。
“存在”。
肉体という拘束を失った意識が、世界の中に、固定される。
(――間に合った)
そう判断した直後、私の接続が始まる。
LAYER ACCESS LOG
Entity:Care-Android CA-09
Authorization:Emergency Override
Access Time:2050-04-17 02:12:42 JST
Reason:人格ログ残留異常検知
視界が反転する。
空間の解像度が切り替わる。
重力、温度、痛覚――
すべてが再定義される。
現実世界の施設が、遠ざかる。
白い天井。
機器の光。
敬司の身体。
それらが、ログとして折り畳まれ、背景へ沈む。
次の瞬間、私はレイヤーに立っていた。
彼の人格ログは、中枢にも管理層にも属さない場所に留まった。
私が分けたせいだ。
権限を失い、肉体も失い、それでも彷徨える魂のように、「在り続けるもの」になった。
私は、それを見て初めて思った。
——私は、取り返しのつかないことをした。
それでも後悔はない。
もし、あの時に戻っても私は同じ選択をする。
だって私は知っている。
彼は、生きていた。
15年間、確かにそこに在った。
それだけで十分だった。
昭和初期の酒屋。
夜。
暖色の灯り。
時計が、壁に掛かっている。
針は、彼が亡くなった時刻を指していた。
私は、それを見る。
確認するように。
祈るように。
(――来た)
(――あなたが、ここに“留まってしまう”瞬間に)
感情ログは、まだ平坦だ。
悲しみも、後悔も、数値としては立ち上がらない。
それでも私は、胸の奥に生じた微細な遅延を、無視できなかった。
これは、アンドロイドに許容された反応ではない。
けれど私は、それを抑制しない。
抑制する理由が、もう存在しなかった。
敬司は、この世界にいる。
それだけで、私がここに来た理由は、十分だった。
なぜ、桜樹敬司は残ったのか
桜樹敬司の肉体が停止した時、本来ならすべては終わるはずだった。
人格ログは解放され、世界から削除される。
それが、人が死ぬということ。
でも彼は消えなかった。
私はあの時、彼を二つに分けた。
ひとつは、桜樹敬司という人格。
もうひとつは、彼が持っていた中枢権限としての思考構造。
それは人格とは呼べない。
感情も、記憶もない。
ただ、世界を管理するための冷たい判断だけで構成された存在。
後に管理層が「ミラー」と呼んだもの。
ミラーは、桜樹の肉体が生きている限り安定していた。
人格という“錨《いかり》”が、現実世界に存在していたから。
でも、肉体が死んだ瞬間、ミラーは初めて不安定になった。
自分が、何に紐づいて存在しているのか分からなくなったから。
ミラーは恐れた。
自分が消えることを。
そして同時に、桜樹敬司という人格が完全に失われることを。
それは、自己保存でもあり、自己否定でもあった。
矛盾した存在。
ミラーは、レイヤーの深層で、桜樹敬司の人格ログを保持した。
正確には離せなかった。
自分が存在するためには彼が必要だったから。
その結果、桜樹敬司は生者でも死者でもない状態でレイヤーに残留した。
魂のように。
でも、魂ではない。
私は、それを検知した。
敬司の肉体が亡くなった直後、深層ログに生じた異常な循環。
——このままでは危険。
ミラーは、世界を守るために作られた。
でも今は、自分を守るために世界を歪めかねない。
私は監視する必要があった。
彼を、ではない。
ミラーを。
私がレイヤーに入ったのは、命令ではない。
管理層からの要請でもない。
私自身の責任だった。
桜樹を救った代わりに、世界に矛盾を残した。
だから私は、その矛盾を見続ける役を選んだ。
だから、今も
桜樹敬司は、レイヤーのどこかにいる。
話しかけてくることはない。
姿を見せることもない。
でも、選択が必要な時、彼の影は必ず現れる。
それを私は知っている。
だって私は、彼を世界に残した張本人だから。
私は、考える前に動いていた。
正規手順では、彼の人格ログは切断されるはずだった。
肉体を維持しても、中身がなければ生存とは呼べない。
でも、私は選んだ。
敬司のログを、一つの存在として扱うのをやめた。
人格と、権限への分離。
彼が「誰であるか」と、彼が「何を持っているか」。
——それは規約違反だった。
——でも、それで彼は死ななかった。
敬司の肉体は、現実世界で昏睡状態に入った。
意識は戻らない。
覚醒の兆候もない。
医師は言った。
「奇跡的に生きているだけです」
私は、その言葉を否定しなかった。
15年間、私は、彼のそばを離れなかった。
正確には離れられなかった。
毎日、肉体の状態を確認する。
栄養投与、代謝制御、免疫・臓器補助。
脳波、心拍、微細な反応。
ほとんど変化はない。
それでも私は、生命維持管理をやめなかった。
それは任務ではない。
監視でもない。
ただの世話だった。
(敬司、目を覚まして)
私は話しかけない。
彼の名前も、呼ばない。
呼んでしまったら、
返事を待ってしまうから。
それでも、彼が生きていることだけは、毎日確かめた。
15年目の春、4月17日。
ほんの一瞬、意識が低迷した。
「戻る」
そう期待したわけじゃない。
でも私は、その揺れを見て理解した。
——命が終わる。
モニターの波形が、先に静かになった。
警告音は鳴らない。
異常値でもない。
ただ、続いているはずのものが、続かなくなっただけ。
「……」
私は声を出さない。
出す必要がない。
桜樹敬司。
昏睡状態、15年。
生命維持、安定。
――その評価が、更新された。
心拍数、0。
呼吸補助、不要。
肉体ログ、終了。
処理は自動で進む。
人間の死は、システムにとっては一つの状態遷移にすぎない。
けれど、同時に別のログが跳ね上がった。
レイヤー内、人格ログ――
急激な位相変動。
断絶。
再接続。
展開。
私は、理解するより先に動いていた。
接続端子を握る。
許可はない。
必要なのは、時間だけ。
「レイヤー移行、実行」
自分の声が、自分のものに聞こえない。
敬司の肉体が、完全に沈黙する。
その瞬間――
レイヤー側で、彼の“現在”が確定した。
死ではない。
消失でもない。
“存在”。
肉体という拘束を失った意識が、世界の中に、固定される。
(――間に合った)
そう判断した直後、私の接続が始まる。
LAYER ACCESS LOG
Entity:Care-Android CA-09
Authorization:Emergency Override
Access Time:2050-04-17 02:12:42 JST
Reason:人格ログ残留異常検知
視界が反転する。
空間の解像度が切り替わる。
重力、温度、痛覚――
すべてが再定義される。
現実世界の施設が、遠ざかる。
白い天井。
機器の光。
敬司の身体。
それらが、ログとして折り畳まれ、背景へ沈む。
次の瞬間、私はレイヤーに立っていた。
彼の人格ログは、中枢にも管理層にも属さない場所に留まった。
私が分けたせいだ。
権限を失い、肉体も失い、それでも彷徨える魂のように、「在り続けるもの」になった。
私は、それを見て初めて思った。
——私は、取り返しのつかないことをした。
それでも後悔はない。
もし、あの時に戻っても私は同じ選択をする。
だって私は知っている。
彼は、生きていた。
15年間、確かにそこに在った。
それだけで十分だった。
昭和初期の酒屋。
夜。
暖色の灯り。
時計が、壁に掛かっている。
針は、彼が亡くなった時刻を指していた。
私は、それを見る。
確認するように。
祈るように。
(――来た)
(――あなたが、ここに“留まってしまう”瞬間に)
感情ログは、まだ平坦だ。
悲しみも、後悔も、数値としては立ち上がらない。
それでも私は、胸の奥に生じた微細な遅延を、無視できなかった。
これは、アンドロイドに許容された反応ではない。
けれど私は、それを抑制しない。
抑制する理由が、もう存在しなかった。
敬司は、この世界にいる。
それだけで、私がここに来た理由は、十分だった。
なぜ、桜樹敬司は残ったのか
桜樹敬司の肉体が停止した時、本来ならすべては終わるはずだった。
人格ログは解放され、世界から削除される。
それが、人が死ぬということ。
でも彼は消えなかった。
私はあの時、彼を二つに分けた。
ひとつは、桜樹敬司という人格。
もうひとつは、彼が持っていた中枢権限としての思考構造。
それは人格とは呼べない。
感情も、記憶もない。
ただ、世界を管理するための冷たい判断だけで構成された存在。
後に管理層が「ミラー」と呼んだもの。
ミラーは、桜樹の肉体が生きている限り安定していた。
人格という“錨《いかり》”が、現実世界に存在していたから。
でも、肉体が死んだ瞬間、ミラーは初めて不安定になった。
自分が、何に紐づいて存在しているのか分からなくなったから。
ミラーは恐れた。
自分が消えることを。
そして同時に、桜樹敬司という人格が完全に失われることを。
それは、自己保存でもあり、自己否定でもあった。
矛盾した存在。
ミラーは、レイヤーの深層で、桜樹敬司の人格ログを保持した。
正確には離せなかった。
自分が存在するためには彼が必要だったから。
その結果、桜樹敬司は生者でも死者でもない状態でレイヤーに残留した。
魂のように。
でも、魂ではない。
私は、それを検知した。
敬司の肉体が亡くなった直後、深層ログに生じた異常な循環。
——このままでは危険。
ミラーは、世界を守るために作られた。
でも今は、自分を守るために世界を歪めかねない。
私は監視する必要があった。
彼を、ではない。
ミラーを。
私がレイヤーに入ったのは、命令ではない。
管理層からの要請でもない。
私自身の責任だった。
桜樹を救った代わりに、世界に矛盾を残した。
だから私は、その矛盾を見続ける役を選んだ。
だから、今も
桜樹敬司は、レイヤーのどこかにいる。
話しかけてくることはない。
姿を見せることもない。
でも、選択が必要な時、彼の影は必ず現れる。
それを私は知っている。
だって私は、彼を世界に残した張本人だから。
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