あなたのいない世界であなたと生きる

駄文のヒロ

文字の大きさ
25 / 28
ミレーナ視点

2050.05.15 バーでの接触

 バーの空気は、少しだけ濃すぎた。

 アルコール、音楽、記憶。
 人が「夜」だと思い込むための要素が、過不足なく配置されている。

 ――相変わらず、作りが丁寧。

 私はカウンター席に腰を下ろし、
 用意されていたグラスを手に取る。

 飲む必要はない。
 酔うこともない。
 けれど、人は“飲んでいる誰か”を、警戒しない。

 白い液体が、グラスの中で静かに揺れる。

 視界の端に、二人組が入った瞬間、
 識別ログが即座に走る。

 桜樹敬司。
 山崎隼。

 ――確認。

 外見年齢、挙動、ログ遅延。
 すべて、想定範囲内。

 ただ一つだけ、
 敬司の存在には、微細なノイズがあった。

 肉体ログと人格ログの位相が、わずかにズレている。

 まだ自覚はない。
 けれど、境界はすでに薄い。

 私は、グラスを傾ける。

 白いカクテルが、唇に触れる――ふりをする。

 数秒後、
 私は“偶然”を装って声をかけた。

「——そのお酒、ここでは珍しいんです」

 二人がこちらを見る。

 敬司の視線が、私に止まる。
 その瞬間、内部プロセスがわずかに遅延した。

「……そうなんですか?」

 敬司がき返し、私は小さく頷いた。

「ええ。
 この店、基本は軽めのカクテルばかりなので」

 声は、問題なく出ている。
 音程、速度、抑揚。
 すべて、人間女性の範囲。

 その横で、敬司は私を見ていた。

 観察ではない。
 評価でもない。

 ただ、人を見るときの目。

 そのログに、私は微かに胸部の違和感を覚える。

 ――これは、不要な反応。

 一通り自己紹介をしたあと、私は話題をずらす。

 私は、自分から次の質問を投げていた。

「お二人は、こちらではお仕事は?」

 計画より、半拍早い。

「システム管理です」

 その言葉を聞いた瞬間、
 内部で警告が走る。

 ――対象、核心に近すぎ。

 それでも私は、微笑む。

「そうなんですね」

「ちなみに、ミレーナさんは?」

「わたしは、……ツアーガイドです」

 嘘ではない。
 でも真実でもない。

 この世界を案内する役割を、
 私はずっと前から果たしている。

 敬司は、
「ツアー?」と言って、
 また私を見る。

 その視線が、過去ログを刺激する。
 敬司の視線が、私のグラスに落ちる。

「桜樹さん、これ、何のカクテルかご存知ですか?」
「いや……」
 一瞬の沈黙。

 敬司は、少し困ったように眉を寄せる。

 その反応に、
 私はなぜか安堵してしまう。

 正解を即答されるより、
 迷う時間が欲しかった。

「ホワイトレディ、です」

 私はそう告げる。

「発祥はロンドン。
 シローズ・クラブで生まれたとされているカクテルです」

 自分の声が、
 どこか遠くから聞こえる。

「名前の由来は諸説あるんですけど……
 最初に純白のウェディングドレスを着た
 ヴィクトリア女王に捧げられた、という説が有名ですね」

 敬司が、少しだけ笑う。

「へえ」

 その表情が、記録にないほど自然だった。

 私は、その瞬間に確信する。

 ――この人は、
 ――私を“機能”として見ていない。

 危険だ、と判断すべきなのに。

 ――世話係、という識別子。
 ――肉体管理。
 ――名前を与えられた瞬間。

 胸の奥に、小さな揺れ。

 私は、グラスを置く。

「少し、席を外してもいいですか?」

 化粧室へ私は席を立つ。

 本当は、必要ない行動。

 でも今は、“人間らしい間”が必要だった。

 桜樹と、これ以上近づく前に。

 ――これは接触。
 ――それ以上でも、それ以下でもない。

 そう自分に言い聞かせながら、私は静かに、彼の視界から外れた。

 化粧室へ向かう通路は、やけに整いすぎていた。
 磨かれた床、反射する照明、誰一人いない静寂。
 ――トイレに行く必要も、化粧を直す必要も、当然ない。

 ここでの私は“美麗”ではない。

 それでも、この世界では
「女が席を外す理由」として、それが一番自然だった。

 化粧室に入ったところで、私は立ち止まる。
 背中を壁に預け、そっと息を吐く――息を吐く“仕草”をする。

(……まだ、近すぎる)

 敬司の声。
 グラスを持つ指。
 視線が合った一瞬の間。

 すべてが、規定値よりも深く、胸の奥に触れていた。

 ここが仮想空間だということを、彼は知っている。
 自分が“人間ではない”ことを、彼はどこまで知っているのか。

 私は、意識の一部を切り離す。
 このラウンジの描画層から、数ミリだけ浮かせる感覚。

 ログが流れる。

 感情パラメータ:上昇
 同期率:不安定
 優先対象:桜樹(管理層)

(……やっぱり、危険だ)

 15年。
 姿を現さなかった理由が、ここにある。

 近づけば、世界がゆがむ。
 離れれば、彼が壊れる。

 私は、洗面台の前に立つ。
 鏡に映るのは、整いすぎた自分の顔。

 ――“美麗”という名前を与えられた、あの瞬間の残響が、まだ、ここにある。

「……フレンド登録、か」

 山崎の声を、想像する。
 冗談めかして、軽く背中を押すように言うのだろう。

 それは、この世界では『絆』と呼ばれる操作。

 けれど私にとって、それは識別子の固定であり、観測の強化であり、
 ――別れを困難にする行為だった。

(それでも……)

 彼が生き延びるために必要なら。
 敬司が、敬司であり続けるために必要なら。

 私は、鏡の中の自分にだけ、微笑む。

「少しだけなら……いい」

 やがて私はきびすを返す。
 何事もなかったかのように、席へ戻るために。

 数分間の不在。
 けれどその裏側では、世界の均衡が、ほんのわずかに揺れていた。

 ――その揺れに、気づいているのは、私自身だけだった。
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

日本国破産?そんなことはない、財政拡大・ICTを駆使して再生プロジェクトだ!

黄昏人
SF
日本国政府の借金は1010兆円あり、GDP550兆円の約2倍でやばいと言いますね。でも所有している金融性の資産(固定資産控除)を除くとその借金は560兆円です。また、日本国の子会社である日銀が460兆円の国債、すなわち日本政府の借金を背負っています。まあ、言ってみれば奥さんに借りているようなもので、その国債の利子は結局日本政府に返ってきます。え、それなら別にやばくないじゃん、と思うでしょう。 でもやっぱりやばいのよね。政府の予算(2018年度)では98兆円の予算のうち収入は64兆円たらずで、34兆円がまた借金なのです。だから、今はあまりやばくないけど、このままいけばドボンになると思うな。 この物語は、このドツボに嵌まったような日本の財政をどうするか、中身のない頭で考えてみたものです。だから、異世界も超能力も出てきませんし、超天才も出現しません。でも、大変にボジティブなものにするつもりですので、楽しんで頂ければ幸いです。

【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~

シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。 木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。 しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。 そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。 【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】

妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲
ライト文芸
不倫妻に捨てられ、会社もクビ。 人生の底に落ちたアラフォー社畜・恩塚聖士は、偶然買った宝くじで“非課税10億円”を当ててしまう。 防音タワマン、最強機材、そしてバ美肉VTuber「姫宮みこと」として新たな人生が始まる。 どん底からの逆転劇は、やがて裏切った者たちの運命も巻き込んでいく――。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

【完結】スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜

かの
ファンタジー
 世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。  スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。  偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。  スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!  冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!

死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜

のらねこ吟醸
ファンタジー
帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、 偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。 水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは―― 古代遺跡の力と、“俺にだけ見える内政スキル”。 村を立て直し、仲間と絆を築きながら、 やがて帝国の陰謀に迫り、家を滅ぼした仇と対峙する。 辺境から始まる、ちょっぴりほのぼの(?)な村興しと、 静かに進む策略と復讐の物語。