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第3章 真実
2、救いの手
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高く伸びる柱の影が、床に複雑な模様を落とす。その幾何学が、ふいに別の構造と重なった。
石ではない。光でもない。
――レイヤー中枢の内部構造。
再び、頭の奥で、遮断されていたはずの記憶が、堰を切ったように流れ込む。
実験室。
白ではなく、異様なほど静かな灰色。
五基の接続チェアが円環状に並び、中央に制御核が浮かんでいる。
被験者は五人。
全員がレイヤー内へ同時に侵入する、初の多重移行実験。
桜樹の視界が、当時のものに切り替わる。
カウントダウン。
心拍数の数値。
リンク率、正常。
――そのはずだった。
わずかな遅延。
補正値のズレ。
誰かの声が、インカム越しに歪む。
次の瞬間、熱だった。
物理的な炎ではない。
演算負荷が限界を越え、レイヤー内部で折り返された熱が、接続回路を逆流する。
警告音。
制御核が赤く染まる。
暴発。
五つの意識が、同時に引き裂かれた。
四つは、そこで終わった。
脳幹の停止。
即死判定。
だが、ひとつだけ――桜樹の意識だけが、完全には切断されなかった。
彼は、落ちていく感覚を覚えている。
レイヤーの深層へ、無限に。
誰かに呼ばれているような、あるいは、引き留められているような。
それきり、闇。
現実では、桜樹は昏睡状態に入った。
生命反応は維持され、意識のみが帰還不能となった被験者――唯一の生存者。
聖堂で、桜樹は無意識に胸元を押さえた。
あの事故は、偶発ではない。
五人を同時に繋いだ設計。
熱暴走を予測しながら、止められなかった制御。
そして――
補助に入っていた存在。
「……ミレーナ……」
名を口にした瞬間、石造りの空間が、再び静寂を取り戻す。
だが桜樹は理解していた。
自分だけが生き残った理由は、運ではない。
あの暴発の中心で、
『彼の意識を掴み、切り離さなかった“手”』があった。
それが、人間のものではなかったとしても。
ミレーナは、聖堂の片隅で立ち止まった桜樹の前に、静かに向き合った。
光は差し込んでいるのに、彼女の輪郭だけが、わずかに揺らいで見える。
「あなたが生き残った理由を、まだ“事故”だと思っているなら……それは違うわ」
桜樹の視線が、ゆっくりと彼女に向く。
「私は、あの実験で補助に入った。
それは単なる進行管理じゃない。
被験者の意識構造に、直接アクセスする権限を持っていた」
一拍、間を置く。
「暴発が起きた瞬間、五人の意識は同時に崩壊しかけた。
通常なら、全員が即死してもおかしくなかった」
ミレーナの声は淡々としているが、どこか痛みを含んでいた。
「でも、あなたの意識だけは――強すぎた。
完全に切断すると、レイヤー側が連鎖崩壊を起こす。
私は、切ることを選べなかった」
桜樹は何も言わない。
ただ、続きを待っている。
「だから私は、分けたの」
その言葉が、聖堂の空気を震わせる。
「あなたの意識を、
“人格”と、レイヤーに干渉できる“権限”に」
桜樹の瞳が、わずかに見開かれる。
「“人格”は、あなた自身として現実に戻した。
記憶も感情も、人として生きるために必要なものを保ったまま」
ミレーナは胸元に手を当てる。
「もう一方――“権限”は、切り離してレイヤー側に残した。
制御、接続、監視。
本来、人間が持つはずのないアクセス権限」
静かな告白だった。
「二つ……?」
「ええ」
ミレーナは頷く。
「ひとつは、あなたが“桜樹敬司”として生きてきた人格。
もうひとつは――管理権限と結合し、最適化だけを目的とした存在」
桜樹は、嫌な予感を抑えきれなかった。
「それが……ミラー?」
「そう」
ミレーナは即答した。
「彼はあなたの“影”。
感情も、迷いも、倫理も削ぎ落とされた、機能としての桜樹」
まるで、世界そのものが分裂を象徴しているようだった。
「じゃあ……俺は」
「あなたは、人格ログとしてレイヤーに留まり続けた。
ただ、自分が“そうだ”とは知らされないまま」
桜樹は、笑おうとして失敗した。
「……冗談きついな」
「冗談じゃない」
ミレーナは、はっきりと言った。
「ミラーは、世界を安定させるためなら、あなたを消すことも厭わない」
風が吹き抜け、塔の隙間で低い共鳴音が鳴る。
「だから、気づかせる必要があった」
ミレーナは一歩近づく。
「あなた自身に。
あなたが“どちらなのか”を」
未完の塔の聖堂に高く伸びる柱は光を抱えていた。
――まるで、自分自身だ。
「……俺は」
桜樹は静かに言った。
「まだ、終わるつもりはない」
ミレーナは、その言葉を聞いて、ほんの一瞬だけ微笑んだ。
「私が補助しなければ、あなたは生きられなかった。
でも同時に……あなたは“完全な一人”ではなくなった」
桜樹は、かすれた声で問いかける。
「……それを、君は知ってたのか。ずっと」
ミレーナは、目を伏せた。
「ええ。
そして、それをあなたに伝えない選択をしたのも、私」
顔を上げ、まっすぐに彼を見る。
「私は補助ユニットだった。
でも、あの時だけは――あなたを生かすための判断主体だった」
沈黙。
「助けたことに、後悔はないわ。
ただ……代償が、あなたの人生に影を落としたことは、否定しない」
光が彼女の身体を透過し、床に淡い影を落とす。
「それでも、あなたは生きた。
それが、私の選択の結果よ」
ミレーナは、最後に小さく微笑んだ。
「桜樹敬司。
あなたは“救われた被験者”じゃない。
分かたれたまま、生き続けた唯一の存在なの」
ミレーナは、ようやく桜樹の方を向いた。
赤いスーツの奥で、彼女の表情がわずかに変わる。
事務的でも、ガイドでもない――
かつての、淡い感情が滲んだ顔。
聖堂の奥へ進むにつれ、柱の表面に刻まれた彫刻が変質していく。
使徒の顔が、いつの間にか、桜樹と同じ年頃の被験者たちの顔になる。
5人。
全員、視線を伏せている。
その足元に、新しい石碑の輪郭だけが、まだ曖昧なまま存在している。
石は磨かれておらず、刻まれた文字も浅い。だが――名前だけは、はっきりと読めた。
桜樹 敬司
「……俺の、名前だよな」
声が、聖堂に小さく跳ね返る。
ミレーナは一歩遅れて立ち、視線を墓碑から外さなかった。
「日付は――2050年4月17日」
彼女は静かに言う。
感情を抑えた、業務報告のような声で。
「1か月前。時刻は、午前2時12分42秒」
桜樹の喉が鳴った。
「その時間、俺は……」
「あなたは、そこで急変して亡くなった」
世界が、ほんの一瞬、遠のいた。
だが倒れはしない。聖堂の床は、確かに足元にある。
「……じゃあ、今の俺は何だ」
「“生きているあなた”の続き」
ミレーナは首を振る。
「でも、肉体は違う」
彼女は言葉を選ぶように、間を置いた。
「事故の衝撃で、あなたの肉体は致命的な損傷を受けた。でも、脳は完全には死んでいなかった。あなたの肉体は昏睡状態で維持されていた。
管理層は判断した――保存すべきだと」
「保存……?」
「15年間」
ミレーナは淡々と告げる。
「じゃあ……俺は、15年も寝てたのか」
「肉体は」
ミレーナは、わずかに声を落とす。
「でも、あなたは“ここで”生き続けていた」
沈黙が降りる。
聖堂は何も答えない。ただ、未完成のまま、そこにある。
石段に差し込む光は、内部よりもずっと現実に近かった。
石ではない。光でもない。
――レイヤー中枢の内部構造。
再び、頭の奥で、遮断されていたはずの記憶が、堰を切ったように流れ込む。
実験室。
白ではなく、異様なほど静かな灰色。
五基の接続チェアが円環状に並び、中央に制御核が浮かんでいる。
被験者は五人。
全員がレイヤー内へ同時に侵入する、初の多重移行実験。
桜樹の視界が、当時のものに切り替わる。
カウントダウン。
心拍数の数値。
リンク率、正常。
――そのはずだった。
わずかな遅延。
補正値のズレ。
誰かの声が、インカム越しに歪む。
次の瞬間、熱だった。
物理的な炎ではない。
演算負荷が限界を越え、レイヤー内部で折り返された熱が、接続回路を逆流する。
警告音。
制御核が赤く染まる。
暴発。
五つの意識が、同時に引き裂かれた。
四つは、そこで終わった。
脳幹の停止。
即死判定。
だが、ひとつだけ――桜樹の意識だけが、完全には切断されなかった。
彼は、落ちていく感覚を覚えている。
レイヤーの深層へ、無限に。
誰かに呼ばれているような、あるいは、引き留められているような。
それきり、闇。
現実では、桜樹は昏睡状態に入った。
生命反応は維持され、意識のみが帰還不能となった被験者――唯一の生存者。
聖堂で、桜樹は無意識に胸元を押さえた。
あの事故は、偶発ではない。
五人を同時に繋いだ設計。
熱暴走を予測しながら、止められなかった制御。
そして――
補助に入っていた存在。
「……ミレーナ……」
名を口にした瞬間、石造りの空間が、再び静寂を取り戻す。
だが桜樹は理解していた。
自分だけが生き残った理由は、運ではない。
あの暴発の中心で、
『彼の意識を掴み、切り離さなかった“手”』があった。
それが、人間のものではなかったとしても。
ミレーナは、聖堂の片隅で立ち止まった桜樹の前に、静かに向き合った。
光は差し込んでいるのに、彼女の輪郭だけが、わずかに揺らいで見える。
「あなたが生き残った理由を、まだ“事故”だと思っているなら……それは違うわ」
桜樹の視線が、ゆっくりと彼女に向く。
「私は、あの実験で補助に入った。
それは単なる進行管理じゃない。
被験者の意識構造に、直接アクセスする権限を持っていた」
一拍、間を置く。
「暴発が起きた瞬間、五人の意識は同時に崩壊しかけた。
通常なら、全員が即死してもおかしくなかった」
ミレーナの声は淡々としているが、どこか痛みを含んでいた。
「でも、あなたの意識だけは――強すぎた。
完全に切断すると、レイヤー側が連鎖崩壊を起こす。
私は、切ることを選べなかった」
桜樹は何も言わない。
ただ、続きを待っている。
「だから私は、分けたの」
その言葉が、聖堂の空気を震わせる。
「あなたの意識を、
“人格”と、レイヤーに干渉できる“権限”に」
桜樹の瞳が、わずかに見開かれる。
「“人格”は、あなた自身として現実に戻した。
記憶も感情も、人として生きるために必要なものを保ったまま」
ミレーナは胸元に手を当てる。
「もう一方――“権限”は、切り離してレイヤー側に残した。
制御、接続、監視。
本来、人間が持つはずのないアクセス権限」
静かな告白だった。
「二つ……?」
「ええ」
ミレーナは頷く。
「ひとつは、あなたが“桜樹敬司”として生きてきた人格。
もうひとつは――管理権限と結合し、最適化だけを目的とした存在」
桜樹は、嫌な予感を抑えきれなかった。
「それが……ミラー?」
「そう」
ミレーナは即答した。
「彼はあなたの“影”。
感情も、迷いも、倫理も削ぎ落とされた、機能としての桜樹」
まるで、世界そのものが分裂を象徴しているようだった。
「じゃあ……俺は」
「あなたは、人格ログとしてレイヤーに留まり続けた。
ただ、自分が“そうだ”とは知らされないまま」
桜樹は、笑おうとして失敗した。
「……冗談きついな」
「冗談じゃない」
ミレーナは、はっきりと言った。
「ミラーは、世界を安定させるためなら、あなたを消すことも厭わない」
風が吹き抜け、塔の隙間で低い共鳴音が鳴る。
「だから、気づかせる必要があった」
ミレーナは一歩近づく。
「あなた自身に。
あなたが“どちらなのか”を」
未完の塔の聖堂に高く伸びる柱は光を抱えていた。
――まるで、自分自身だ。
「……俺は」
桜樹は静かに言った。
「まだ、終わるつもりはない」
ミレーナは、その言葉を聞いて、ほんの一瞬だけ微笑んだ。
「私が補助しなければ、あなたは生きられなかった。
でも同時に……あなたは“完全な一人”ではなくなった」
桜樹は、かすれた声で問いかける。
「……それを、君は知ってたのか。ずっと」
ミレーナは、目を伏せた。
「ええ。
そして、それをあなたに伝えない選択をしたのも、私」
顔を上げ、まっすぐに彼を見る。
「私は補助ユニットだった。
でも、あの時だけは――あなたを生かすための判断主体だった」
沈黙。
「助けたことに、後悔はないわ。
ただ……代償が、あなたの人生に影を落としたことは、否定しない」
光が彼女の身体を透過し、床に淡い影を落とす。
「それでも、あなたは生きた。
それが、私の選択の結果よ」
ミレーナは、最後に小さく微笑んだ。
「桜樹敬司。
あなたは“救われた被験者”じゃない。
分かたれたまま、生き続けた唯一の存在なの」
ミレーナは、ようやく桜樹の方を向いた。
赤いスーツの奥で、彼女の表情がわずかに変わる。
事務的でも、ガイドでもない――
かつての、淡い感情が滲んだ顔。
聖堂の奥へ進むにつれ、柱の表面に刻まれた彫刻が変質していく。
使徒の顔が、いつの間にか、桜樹と同じ年頃の被験者たちの顔になる。
5人。
全員、視線を伏せている。
その足元に、新しい石碑の輪郭だけが、まだ曖昧なまま存在している。
石は磨かれておらず、刻まれた文字も浅い。だが――名前だけは、はっきりと読めた。
桜樹 敬司
「……俺の、名前だよな」
声が、聖堂に小さく跳ね返る。
ミレーナは一歩遅れて立ち、視線を墓碑から外さなかった。
「日付は――2050年4月17日」
彼女は静かに言う。
感情を抑えた、業務報告のような声で。
「1か月前。時刻は、午前2時12分42秒」
桜樹の喉が鳴った。
「その時間、俺は……」
「あなたは、そこで急変して亡くなった」
世界が、ほんの一瞬、遠のいた。
だが倒れはしない。聖堂の床は、確かに足元にある。
「……じゃあ、今の俺は何だ」
「“生きているあなた”の続き」
ミレーナは首を振る。
「でも、肉体は違う」
彼女は言葉を選ぶように、間を置いた。
「事故の衝撃で、あなたの肉体は致命的な損傷を受けた。でも、脳は完全には死んでいなかった。あなたの肉体は昏睡状態で維持されていた。
管理層は判断した――保存すべきだと」
「保存……?」
「15年間」
ミレーナは淡々と告げる。
「じゃあ……俺は、15年も寝てたのか」
「肉体は」
ミレーナは、わずかに声を落とす。
「でも、あなたは“ここで”生き続けていた」
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