銀河皇帝のいない八月

沙月Q

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第四章

14. 夏の終わり(最終回)

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 夏の終わりの陽光が、大きく傾いていた。

 浜辺に腰を下ろし、遠藤空里は穏やかに打ち寄せる波が足を洗うにまかせていた。

 学校跡の爆心地は、まるで彼女が飛び立った日そのままに、時が進んでいないように見える。だが、スター・コルベットで帰って来た時、ここは政府、マスコミ、そのほか有象無象のさまざまな人間たちでいっぱいだったのだ。

 ネープの命令で、ジューベーをはじめとするゴンドロウワたちは彼らを半径五キロ圏の外へすべて追い出した。大騒ぎではあったが、誰一人傷つけるなという空里の指示もジューベーは厳守した。
 その上でネープはどうやってか日本政府と交渉し、爆心地周辺を〈即位の儀〉のための治外法権区域に設定した。帝国軍がやったことを考えれば、日本列島をよこせと言われても政府は断れなかったろう。
 そして執り行われた〈即位の儀〉は、〈青砂〉での儀式にもまして簡潔であっさりしたものだった。
 元老ミ=クニ・クアンタの手で皇冠《クラウン》があらためて空里の頭にかぶせられ、それを見届けたネープが即位の宣言をした。
 それで終わり。
 ドロメックはその周りをゆっくり漂いながら、一部始終を銀河帝国に伝えた。

 誰か、見ているのかしら? 

 ドロメックの送った映像がどれだけの衝撃を帝国中に与えたかなど、空里には知る由もなかった。
 銀河帝国という巨大国家の君主の座についたにもかかわらず、本人にはまったく実感が無い……

 おまけに、即位してからさっそくの挫折が二つもあった。
 一つは、〈白い嵐〉による被害を帝国の力でなんとかしたいという計画の頓挫だった。ネープによれば、帝国のリソースを使って惑星上の文明に関与するためには、まず空里が地球を銀河帝国領であると宣言する必要があったのだ。
 それは、空里が銀河帝国のみならず、地球の君主としても君臨することを意味していた。まだほとんど見も知らぬ宇宙帝国の主にはなれても、故郷である星で君主の顔をすることは、空里にはどうにも抵抗がぬぐえなかった。結局、空里はこの地球上では、一介の女子高生でしかなく、その立場で何かを成すことと、銀河皇帝であることは両立し得ないのだった。

 銀河皇帝である限り、もはやこの惑星に自分の居場所は無い……
 悲しい結論を悟った空里が、今後のことを相談したいと仲間たちをコルベットの下へ集めた時、もう一つの挫折が起きた。

 ケイト・ティプトリーが、何故か半壊した部室棟の方から現れやって来ると、ネープがショックスピアーを彼女に突きつけ……
「それ以上、近づくな」
 ……と、制止したのだ。
「今、あそこ部室棟から持って来たものを出してもらおうか」
 ティプトリーは苦笑しながら、スラックスの背中側に差していた小型のオートマチック拳銃を取り出し、ネープに放ってよこした。
「さすがね、ミスター・ネープ。最高のボディーガードだわ」
 事態が飲み込めない空里に、ネープが説明した。
「彼女は刺客だったのです。恐らく自分の国の政府のエージェントでしょう」
 空里は映画で、米国にそういう仕事をする組織があることを知っていた。
「C……IA……?」
「ごめんね、隠してて……でも、CNNの方も本当なのよ」
 ネープの言葉がうつろに響く。
「はじめから他の仕事に就いていて、命令があったらその通りに動く諜報員《スリーパー》です。我々に付いてきたのも、出発直前の混乱に紛れて誰かにそう指示されたのでしょう。そして、帰ってきた時も何者かが接触して、指示とともにその武器を残していった……」
「あたしを……殺すために……?」
 ティプトリーは教え子を諭す教師のように言った。
「すべて嘘ならよかったんだけどね……本当にあなたが銀河皇帝になってしまったら……こうしろっていう話だったのよ。わかるでしょ? いきなり世界で一番強い力を持っている人間が現れたら、偉い人たちにはとても都合が悪いわけ」
 聞いている間に、ティプトリーの姿は涙ににじんできた。
「言い訳はしないわ。どうするか決めるのはあなた? ミスター・ネープ?」
 空里はすがるような目でネープの方を振り返った。
「決めるのはアサトです。私が提案できるオプションは二つ。処刑か追放です。この治外法権区……つまりアサトのそばからの……」
 空里はうつむき、泣きじゃくりながらつぶやいた。
「……追放……で……」

 ネープはジューベーを呼ぶと、ティプトリーに付き添い爆心地の外へ送るよう命じた。
 ジューベーは涙する空里の姿に足を止めるとネープに聞いた。
「この女のせいなのですか?」
「そうだ。だが、アサトが処断した。済んだことだ。丁重に送り出して来い」
「はい……」
「あ、そうだアサト……」
 歩き出したティプトリーが振り返って言った。
「ひとつアドバイス……今度、誰かのインタビューに答える時は『そうですね』をやめた方がいいわ。それだけで、賢い銀河皇帝に見えるわよ」

 それがつい、数時間前のことだった。

 泣きながらこの浜辺に座り込み、何も考えられないままこうしていたが、涙は乾いていた。
 そっとしておいてくれているのか、誰も近づいて来ない……だがついに、完全人間の少年が砂を踏み締めてやってくる音が聞こえた。

「アサト……」
 顔を上げると、ネープは何かのトレイを持って立っていた。
「召し上がってください。何も食べないと、身体に毒です」
 差し出されたトレイには、どこから手に入れたのかコンビニのおにぎりとペットボトルのお茶がのっていた。
 空里はしばらくの間、じっとそれを見つめてから手に取って包装をむいた。久しぶりに味わうシャケの塩味を飲みくだしながらネープに聞く。
「どうして、ケイトが殺し屋だってわかったの?」
「人間の動きは、その意志に左右されます。あの建物からやって来た彼女の歩き方には明確に危険な意志があり、それはアサトの方を向いていました。そこからすべての結論が導かれたのです」
「完全人間には、なんでもお見通しなのね」
「そんなことはありません……」
 意外にも、ネープの声からいつもの自信に満ちた冷たさが消え、低く弱い呟きになった。
「私にもわからないことがあります。アサトの心が……」
 言い淀むネープに驚いた空里は、少年の瞳を真っ直ぐ見返した。
「……アサトの心が深く傷ついたことはわかります。しかし、それをどうしたら治すことが出来るかわからない……」
 少年は目をそらすと、遥かな水平線の方を見つめて言葉を継いだ。
「ネープは自分の望みを口にすることは滅多にありません。でも、いま私ははっきり望んでいることを感じます。あなたの心の傷を治したい。そのために……あなたの心に触れたいのです……」
 空里はその言葉に、心臓が見えない手に包まれたような不思議な感覚を覚えた。

「あの約束……覚えてる?」
「一瞬たりとも、忘れたことはありません」
 空里は立ち上がって砂を払い落とした。
「それなら、大丈夫。ずっとそばにいてくれれば、きっと心に触れる時も来るわ。私も、あなたの心がどこにあるのか探したい。だから……」
 ネープも立ち上がった。
 あら、彼、いつの間にか背が伸びたみたい。あまり自分と目線の高さが変わらないような……

「おーい……」
 クアンタとシェンガがこちらへ歩いて来た。
 ネープを先にやって様子を見ていたのかしら……とにかく、気にかけてくれているとしたら素直にうれしい……

「大丈夫かね? 皇帝陛下」
 クアンタが聞いた。
「ええ、すみません。相談したいって言ってたのに、放っておいてしまって」
「こっちにも相談があるらしいぜ」
 シェンガが、クアンタを指差して言った。
「うむ……そうなのだ。あんたは文句なく銀河皇帝になったわけだが、その立場を確たるものとするためには、ひとつ足りないものがある。公家の存在だ」
「公家……家《いえ》?」
「残念だが、あんたにはもう家族がない。だが〈法典《ガラクオド》〉は銀河皇帝は公家とともにあることを定めているのだ。そして、自分でそれを興す権利も認めている。まあ、いきなり家族を作るというのも無理な話なのはわかっているが……出来るだけ早く解決した方がいい問題だ」
 顎に手をあてて元老の言葉を聞いていた空里は、出し抜けに笑い出した。
 浜辺を走り出し、砂に手をついて勢いよく横転して見せる。残された者たちは呆気に取られて顔を見合わせた。
「〈法典《ガラクオド》〉っておかしなことばかり書いてあるのね!」
 砂浜にどっと身を投げ、空里は笑い続けた。

 どこかでひぐらしが鳴いている。
 虚無と化した浜辺のどこかで。
 どうやって生き延びたのか……いや、どこかから流れてきたのかもしれない。

 その寂しげな声は、空里に時の流れを思い出させた。

 夏も終わる。
 この夏の間に、どれだけのことが起こったことか……

 とにかく、いま銀河系宇宙のすべては空里の手中にある。その強大な支配の力をどう使うか、彼女にはまだ分からなかった。
 だが、そのうち思いつくだろう。

 空里は目をつぶった。
 すると、何故かまぶたの向こうに星百合《スターリリィ》の姿が見えた。時間と空間に深く根付いた謎の存在……これがなければ、銀河皇帝もネープもやって来ることはなく、空里の運命が大きく変わることもなかったはずだ。

 そして〈法典《ガラクオド》〉……

 なぜ、銀河帝国の人々はかたくなにその定めに従うのか……そして、なぜレディ・ユリイラだけが平気でその定めを破ろうとするのか……

 そもそも、一体誰がそれを記したのか……

 その疑問の先に、触れてはならない恐ろしい事実が隠れてる気がする……きっとそこへの探索が、銀河皇帝としての自分の大きな仕事になる……気がする……
 怖い……だが、ネープの助けがあればなんとかなる。
 自分の心に触れたいと言ってくれた、完全人間の少年。いつか彼の心にも近づけるに違いない。

 この夏の。
 この八月の空の下で、それは一層強く感じられるのだ。

 遠藤空里はやめることにした。
 怖れに立ち止まることを。
 立ち上がった空里の視界の隅で、完全人間とミン・ガンと帝国元老が問題について話し合っている。
 空里は決めた。

「わかった。解決しましょう。家族が必要だというなら、方法はあります。もう決めました。ネープ……」
 振り向いた空里に、少年は一歩近づいた。

「私たち、結婚しましょう」


                          銀河皇帝のいない八月
                                          完
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