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第3部303号室×201号室 頼れる建築士×マイペースなピアニスト編
303×201 9-2
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◇
「絢さんが作ったご飯食べてみたいな」
絃凪からそんな要求をされたのは週の半ばのことだった。出勤時間が絃凪と重なったので、いつもの様に職場まで送る車内の中で交わされた会話がきっかけだ。
「絃くん今日は夜も仕事?」
「ううん、今日は椿さんとご飯食べる」
「そうなんだ。どっか行くの?」
「椿さんの部屋。椿さんのご飯美味しいから」
絃凪と椿は付き合いも長くて、仲もいい。時折2人で出掛けることもある。だから椿の部屋で夕飯を食べることを珍しいとは思わない。椿は去年まで料理教室に通っていたのもあり、料理の腕前は中々と聞いている。その流れで絢世自身も料理をするのは嫌いじゃないと話したところ先程の言葉を絃凪は紡いだ。
好きな人からのちょと甘えるような声での要求。叶えない選択肢はない。絃凪から誘われるのは嬉しいし、また2人の時間を過せると考えるだけで気持ちがソワソワしてくる。
「じゃあ今度御馳走するよ。週末の予定は?」
「土曜日仕事夕方までだから、土曜日の夜がいい」
「わかった。じゃあ土曜日ね」
そうして交わされた約束。
――そして今日がその土曜日だ。
絃凪に振る舞う料理を何にするか絢世は昨夜からずっと考えていた。和食より洋食の方が得意だし、折角だからワインも用意してみよう。いや、オレンジジュースの方が絃凪は喜ぶだろうか。ベッドの中でぐるぐると考えて眠れないなんて小学生の遠足前夜みたいだったが、それは朝起きても変わらなかった。
絃凪が仕事に出ている間にスーパーで色々吟味した結果、メインは魚介をたっぷり使ったブイヤベースに決定した。ライバル意識を持ったり、対抗しているわけではないが先日椿の家では肉料理だったと聞いたのもメインに魚介料理を選んだ理由のひとつだ。
ブイヤベースをメインにバケットを用意し、副菜にはほうれん草とハムを使った小さなオムレツ。それから生ハムを使ったサラダ。食事に合わせるワインは白ワイン。絢世が好きなすっきりとした味わいのものを用意している。念の為、オレンジジュースも用意したのは言うまでもない。
「いらっしゃい絃くん」
「お邪魔します」
仕事終えた絃凪が絢世の部屋にやって来たのは午後7時まであと少しというところだった。インターフォンの音が鳴るのを待っていた絢世がすぐにドアを開けると、驚くことにまだ髪が少し濡れた状態の絃凪がそこに立っていた。
「あれ? お風呂入ってきたの?」
「うん。お腹いっぱいになったら眠たくなるし、すぐ寝てもいいように」
「絃くんらしいね」
黒のルームウエア姿を見て少し驚いたが理由を聞けば実に絃凪らしい。今日は朝からホテルでの演奏の仕事だったので疲れもあるのだろう。部屋に入るように促せば、ほんのりとシャンプーの香りが近くなる。ほんのりと肌が赤いのは風呂上りのせいだろう。
正直なところ、絃凪に恋する絢世からすればなんとも無防備な姿に見える。一度頭の中で「落ち着け」と言い聞かせたのもまた浮かれている自分を落ち着かせる為だ。
「髪まだ濡れてる。ドライヤー貸そうか?」
「平気。いつもだから」
それもまた絃凪らしい。下手すれば朝寝ぐせすら直してない日もある絃凪が毎日ドライヤーで髪をきちんと乾かしているのは想像出来ない。だけどその綺麗な黒髪を自然乾燥している姿は簡単に想像出来た。
考えてみればこうやって誰かを部屋に招くのは初めてだ。引っ越しの日に新と椿に手伝ってもらったが、あれは招いたにはカウントされない。
絃凪をリビングのソファに座るように促し、キッチンに向かった絢世は皿やカトラリーなどを準備。
「椿さんの部屋と全然違う」
「そう? やっぱり椿くんの部屋は本がいっぱいあるの?」
「うん、ここにおっきい本棚がある」
絃凪が座っているソファの後ろを指差し、それからもう一度部屋を見渡す。なんだか観察されてるみたいで少しソワソワする。元々ゴミは放置しないし、使ったものは元の位置にちゃんと戻す主義なので部屋は片付いていることが多い。今日も朝から掃除をしたので見られて困るものはない。
暫く部屋を眺めた絃凪は絢世の部屋を「絢さんの部屋って感じ」と称した。
「なんだろう。絢さんみたいに落ち着いてる感じ?」
「そう?」
「うん、なんだか落ち着く」
ソファに深く座り直した絃凪が微かに口元を緩めた。客人がリラックスできているのなら部屋作りはうまくいっている証拠だろう。
全体的にモノトーンカラーでまとめたモダンテイスト部屋は、前住んでいた部屋とはかなり違う。以前は元恋人の好みに合わせたカラーコーディネートをしていたので、明るい色が沢山あった。住んでいた時には何も思わなかったが、こうやって自分好みの部屋にすると、やっぱりしっくりする。
食事の準備を整え、ダイニングテーブルに作った料理を並べる。味見は念入りにしたのできっと味には問題ないはずだ。
「絃くんワイン飲める?」
「うん、ちょっとだけ飲みたい。すごいね、お店みたい」
「そんなことないよ。ほら、座って」
テーブルに並んだ料理を見た絃凪の声は驚きの声を零すが、それでも「おいしそう」と笑ってくれたので一安心。ワイングラスに用意したワインを注けば、夕飯のスタートで「お疲れ様」と絢世は改めて絃凪の仕事を労った。
「絢さんも一週間お疲れ様」
「ありがとう」
ワイングラスを傾け、絃凪が持つグラスと重ねる。グラス同士がぶつかり合った軽い音の乾杯を済ませれば絢世はまずワインを味わった。絃凪はというと何から手を付けて良いかわからないみたいだ。並ぶ料理を眺めていて「どうしよう」と真剣に考えている様子がちょっと面白い。
「ゆっくりでいいよ。沢山作ったから食べたいのだけ食べたらいいよ」
元々明日も食べられるように多めに作っている。時間も今日はたっぷりある。なのでゆっくり食事を楽しもう。そう提案すると絃凪はようやく「いただきます」と両手を合わせた。
「絢さんが作ったご飯食べてみたいな」
絃凪からそんな要求をされたのは週の半ばのことだった。出勤時間が絃凪と重なったので、いつもの様に職場まで送る車内の中で交わされた会話がきっかけだ。
「絃くん今日は夜も仕事?」
「ううん、今日は椿さんとご飯食べる」
「そうなんだ。どっか行くの?」
「椿さんの部屋。椿さんのご飯美味しいから」
絃凪と椿は付き合いも長くて、仲もいい。時折2人で出掛けることもある。だから椿の部屋で夕飯を食べることを珍しいとは思わない。椿は去年まで料理教室に通っていたのもあり、料理の腕前は中々と聞いている。その流れで絢世自身も料理をするのは嫌いじゃないと話したところ先程の言葉を絃凪は紡いだ。
好きな人からのちょと甘えるような声での要求。叶えない選択肢はない。絃凪から誘われるのは嬉しいし、また2人の時間を過せると考えるだけで気持ちがソワソワしてくる。
「じゃあ今度御馳走するよ。週末の予定は?」
「土曜日仕事夕方までだから、土曜日の夜がいい」
「わかった。じゃあ土曜日ね」
そうして交わされた約束。
――そして今日がその土曜日だ。
絃凪に振る舞う料理を何にするか絢世は昨夜からずっと考えていた。和食より洋食の方が得意だし、折角だからワインも用意してみよう。いや、オレンジジュースの方が絃凪は喜ぶだろうか。ベッドの中でぐるぐると考えて眠れないなんて小学生の遠足前夜みたいだったが、それは朝起きても変わらなかった。
絃凪が仕事に出ている間にスーパーで色々吟味した結果、メインは魚介をたっぷり使ったブイヤベースに決定した。ライバル意識を持ったり、対抗しているわけではないが先日椿の家では肉料理だったと聞いたのもメインに魚介料理を選んだ理由のひとつだ。
ブイヤベースをメインにバケットを用意し、副菜にはほうれん草とハムを使った小さなオムレツ。それから生ハムを使ったサラダ。食事に合わせるワインは白ワイン。絢世が好きなすっきりとした味わいのものを用意している。念の為、オレンジジュースも用意したのは言うまでもない。
「いらっしゃい絃くん」
「お邪魔します」
仕事終えた絃凪が絢世の部屋にやって来たのは午後7時まであと少しというところだった。インターフォンの音が鳴るのを待っていた絢世がすぐにドアを開けると、驚くことにまだ髪が少し濡れた状態の絃凪がそこに立っていた。
「あれ? お風呂入ってきたの?」
「うん。お腹いっぱいになったら眠たくなるし、すぐ寝てもいいように」
「絃くんらしいね」
黒のルームウエア姿を見て少し驚いたが理由を聞けば実に絃凪らしい。今日は朝からホテルでの演奏の仕事だったので疲れもあるのだろう。部屋に入るように促せば、ほんのりとシャンプーの香りが近くなる。ほんのりと肌が赤いのは風呂上りのせいだろう。
正直なところ、絃凪に恋する絢世からすればなんとも無防備な姿に見える。一度頭の中で「落ち着け」と言い聞かせたのもまた浮かれている自分を落ち着かせる為だ。
「髪まだ濡れてる。ドライヤー貸そうか?」
「平気。いつもだから」
それもまた絃凪らしい。下手すれば朝寝ぐせすら直してない日もある絃凪が毎日ドライヤーで髪をきちんと乾かしているのは想像出来ない。だけどその綺麗な黒髪を自然乾燥している姿は簡単に想像出来た。
考えてみればこうやって誰かを部屋に招くのは初めてだ。引っ越しの日に新と椿に手伝ってもらったが、あれは招いたにはカウントされない。
絃凪をリビングのソファに座るように促し、キッチンに向かった絢世は皿やカトラリーなどを準備。
「椿さんの部屋と全然違う」
「そう? やっぱり椿くんの部屋は本がいっぱいあるの?」
「うん、ここにおっきい本棚がある」
絃凪が座っているソファの後ろを指差し、それからもう一度部屋を見渡す。なんだか観察されてるみたいで少しソワソワする。元々ゴミは放置しないし、使ったものは元の位置にちゃんと戻す主義なので部屋は片付いていることが多い。今日も朝から掃除をしたので見られて困るものはない。
暫く部屋を眺めた絃凪は絢世の部屋を「絢さんの部屋って感じ」と称した。
「なんだろう。絢さんみたいに落ち着いてる感じ?」
「そう?」
「うん、なんだか落ち着く」
ソファに深く座り直した絃凪が微かに口元を緩めた。客人がリラックスできているのなら部屋作りはうまくいっている証拠だろう。
全体的にモノトーンカラーでまとめたモダンテイスト部屋は、前住んでいた部屋とはかなり違う。以前は元恋人の好みに合わせたカラーコーディネートをしていたので、明るい色が沢山あった。住んでいた時には何も思わなかったが、こうやって自分好みの部屋にすると、やっぱりしっくりする。
食事の準備を整え、ダイニングテーブルに作った料理を並べる。味見は念入りにしたのできっと味には問題ないはずだ。
「絃くんワイン飲める?」
「うん、ちょっとだけ飲みたい。すごいね、お店みたい」
「そんなことないよ。ほら、座って」
テーブルに並んだ料理を見た絃凪の声は驚きの声を零すが、それでも「おいしそう」と笑ってくれたので一安心。ワイングラスに用意したワインを注けば、夕飯のスタートで「お疲れ様」と絢世は改めて絃凪の仕事を労った。
「絢さんも一週間お疲れ様」
「ありがとう」
ワイングラスを傾け、絃凪が持つグラスと重ねる。グラス同士がぶつかり合った軽い音の乾杯を済ませれば絢世はまずワインを味わった。絃凪はというと何から手を付けて良いかわからないみたいだ。並ぶ料理を眺めていて「どうしよう」と真剣に考えている様子がちょっと面白い。
「ゆっくりでいいよ。沢山作ったから食べたいのだけ食べたらいいよ」
元々明日も食べられるように多めに作っている。時間も今日はたっぷりある。なのでゆっくり食事を楽しもう。そう提案すると絃凪はようやく「いただきます」と両手を合わせた。
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