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魂を狩る死霊
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日の光など微塵も無い、暗く暗い狂おしいほどの陰湿。
腐敗の激しい木々が生い茂る樹海の真ん中で、崩れ落ちる様に俯せになった。
地面は滑りと粘り気があり、気色が悪い。
普通なら見ただけで心臓が飛び跳ねそうになる、グロテスクな害虫や寄生虫が、夥しい量、身の回りを這っているに違いない。
されど、身体の疲労がピークに達し、最早動くことが叶わなかった。
ここはどこだ、私は誰だ。
古今東西あらゆる手段を用いて、奴から逃げてきた。
何日、何十日、何百日、逃避生活を続けてきたかわからない。
もうここが南米かアフリカ大陸かも定かでない。
いつからか、作戦を考える思考力さえ欠落していった。
あれが、何者かという冷静な見解も、推量も、いつの間にかなくなっていたカバンとともに消滅した。
後は、本能で逃げているだけだ。
場所も体裁も、人間としての日常生活全般も、生理現象さえ、勘定に入れている場合ではなかった。
逃亡しているだけだった。
ともすれば、私は、ただ逃げ続けているだけの物体だった。
人間らしい部分は既に死んでいた。
実際のところ、もう、これ程までに物象と化した人生になんの価値があるのだろう。
死んで天国か地獄にでも行く方が、まだ救いがあるのではないか。
そう思いつつも、なぜ、私の身体は、五感は、逃げることを、先生から与えられた計算ドリルの宿題のように継続しているのだろう。
あるいは、どこかで思っているのか。
また、元のありふれた生活に戻れると。
逃げて逃げて逃げ延びた先に、いつかあいつが諦めてくれるとでも。
しかし心の奥底で確信があった。
無理だ、と。
死ぬと。
私が血反吐を撒き散らしながらも、狂い悶えながらも、奴から逃避を続けるたびに、延長されていく死までの時間。
それが、それだけが。たったそれだけが。ただただ私に享受される。
無理であるとともに、思った。もう、無駄なんじゃないかと。
ギブアップ。観念。
本能がもはやそれを目指し始めていた。
ここまで奇跡的に無事を貫いた陸上部で鍛えた足。その効き足である右足が言うことをきかなくなった。
昨晩見た際、知らない間に尋常ではなく濃い紫色になっていた。人間の肌色には見えなかった。まるでどこそこのファンタジーに出てくる魔物のような色をしていた。「はははははははは」。私はそれがとても可笑しくて笑ってしまった。誰もそばに居ないのにひとりでに、独りで高く高く、笑ってしまった。
拠り所とするものは、実は何でも構わないのかもしれない。
他者にとっては何の変哲でもない石ころでも、自分がそれを神の加護授かりし魔法の石だと思えば、それを糧に大業を成すことも不可能ではないように思う。
私にとってみれば、青春の思い出とともに残る自身の両輪、足こそが唯一、逃避生活での不思議なエネルギーをもたらしていたのかもしれない。
そうでなければ、むしろ私が今日まで生き残れるはずがなかっただろう。
だが、私は果てた。
あるいは別の誰かならば、見事大団円を迎えることができたかもしれない。
しかしながら、どうやら私はここまでのようだ。
樹海は、奇妙な衣擦れのような擦れる音が断続的に響いている。
蝙蝠だか毒ガエルだか何かの獣だか定かではない、不快で不安になるような鳴き声が当たり前のように耳に入る。
締め付ける。心を何度も何度も締め付けてくる。
全身のそこかしこで、感触がある。虫が、這っているのだろう。
だが、何よりもましてその。
馬の蹄が、樹海の地面を踏み、ヌメリ、グシャリと、一歩一歩、着実に近づいてくる音が聞こえてくると、もう自動的に停止の案内を通知されていたはずの心臓が、また高鳴り始めた。
グショ。グシャ。たかだかそれだけの音。本来の人間たる五感であれば、聞こえないだろう小音。
だけれど、私にはそれが聞こえるのだった。
ここに住まうどんな野生生物の発達した聴覚よりも、凄まじく、私はそれを感じ取れるのだった。
程なくして、それは眼前に現れた。
黒馬に跨り、実体か虚像か明瞭でないような、ゆらりとくゆる濃紺のマント。空洞であるのに、どう見ても私を愛しの誰かであるかのように、熱い眼差しを向けているようにしか見えない骸骨の頭部。
まさに、映えるのだった。
これがハリウッド映画の撮影ならば、間違いなくその年のスターになれるのは私だろう。
そのぐらい、神秘的だった。
何の変哲もない一般人の最期の舞台とするには、背景の樹海は演出が過ぎた。
ドクドクと脈打つ私。
されば、と、しかとその巨釜を構える目の前の死霊。
だが、途端。やっぱりいやだと思った。
死にたくないと思った。
「え、これで? 終わらなければいけないの? なんで? なんで私が」
途方もなく誰かに、責任を擦り付けたくなるぐらい、私は酷く腹が立った。
だが、目の前の現実は改善の見込みがまるでないのだった。
全てが予定調和でしかないといった調子で、目の前の死霊は、その巨釜を勢いよく、振りかぶった。
腐敗の激しい木々が生い茂る樹海の真ん中で、崩れ落ちる様に俯せになった。
地面は滑りと粘り気があり、気色が悪い。
普通なら見ただけで心臓が飛び跳ねそうになる、グロテスクな害虫や寄生虫が、夥しい量、身の回りを這っているに違いない。
されど、身体の疲労がピークに達し、最早動くことが叶わなかった。
ここはどこだ、私は誰だ。
古今東西あらゆる手段を用いて、奴から逃げてきた。
何日、何十日、何百日、逃避生活を続けてきたかわからない。
もうここが南米かアフリカ大陸かも定かでない。
いつからか、作戦を考える思考力さえ欠落していった。
あれが、何者かという冷静な見解も、推量も、いつの間にかなくなっていたカバンとともに消滅した。
後は、本能で逃げているだけだ。
場所も体裁も、人間としての日常生活全般も、生理現象さえ、勘定に入れている場合ではなかった。
逃亡しているだけだった。
ともすれば、私は、ただ逃げ続けているだけの物体だった。
人間らしい部分は既に死んでいた。
実際のところ、もう、これ程までに物象と化した人生になんの価値があるのだろう。
死んで天国か地獄にでも行く方が、まだ救いがあるのではないか。
そう思いつつも、なぜ、私の身体は、五感は、逃げることを、先生から与えられた計算ドリルの宿題のように継続しているのだろう。
あるいは、どこかで思っているのか。
また、元のありふれた生活に戻れると。
逃げて逃げて逃げ延びた先に、いつかあいつが諦めてくれるとでも。
しかし心の奥底で確信があった。
無理だ、と。
死ぬと。
私が血反吐を撒き散らしながらも、狂い悶えながらも、奴から逃避を続けるたびに、延長されていく死までの時間。
それが、それだけが。たったそれだけが。ただただ私に享受される。
無理であるとともに、思った。もう、無駄なんじゃないかと。
ギブアップ。観念。
本能がもはやそれを目指し始めていた。
ここまで奇跡的に無事を貫いた陸上部で鍛えた足。その効き足である右足が言うことをきかなくなった。
昨晩見た際、知らない間に尋常ではなく濃い紫色になっていた。人間の肌色には見えなかった。まるでどこそこのファンタジーに出てくる魔物のような色をしていた。「はははははははは」。私はそれがとても可笑しくて笑ってしまった。誰もそばに居ないのにひとりでに、独りで高く高く、笑ってしまった。
拠り所とするものは、実は何でも構わないのかもしれない。
他者にとっては何の変哲でもない石ころでも、自分がそれを神の加護授かりし魔法の石だと思えば、それを糧に大業を成すことも不可能ではないように思う。
私にとってみれば、青春の思い出とともに残る自身の両輪、足こそが唯一、逃避生活での不思議なエネルギーをもたらしていたのかもしれない。
そうでなければ、むしろ私が今日まで生き残れるはずがなかっただろう。
だが、私は果てた。
あるいは別の誰かならば、見事大団円を迎えることができたかもしれない。
しかしながら、どうやら私はここまでのようだ。
樹海は、奇妙な衣擦れのような擦れる音が断続的に響いている。
蝙蝠だか毒ガエルだか何かの獣だか定かではない、不快で不安になるような鳴き声が当たり前のように耳に入る。
締め付ける。心を何度も何度も締め付けてくる。
全身のそこかしこで、感触がある。虫が、這っているのだろう。
だが、何よりもましてその。
馬の蹄が、樹海の地面を踏み、ヌメリ、グシャリと、一歩一歩、着実に近づいてくる音が聞こえてくると、もう自動的に停止の案内を通知されていたはずの心臓が、また高鳴り始めた。
グショ。グシャ。たかだかそれだけの音。本来の人間たる五感であれば、聞こえないだろう小音。
だけれど、私にはそれが聞こえるのだった。
ここに住まうどんな野生生物の発達した聴覚よりも、凄まじく、私はそれを感じ取れるのだった。
程なくして、それは眼前に現れた。
黒馬に跨り、実体か虚像か明瞭でないような、ゆらりとくゆる濃紺のマント。空洞であるのに、どう見ても私を愛しの誰かであるかのように、熱い眼差しを向けているようにしか見えない骸骨の頭部。
まさに、映えるのだった。
これがハリウッド映画の撮影ならば、間違いなくその年のスターになれるのは私だろう。
そのぐらい、神秘的だった。
何の変哲もない一般人の最期の舞台とするには、背景の樹海は演出が過ぎた。
ドクドクと脈打つ私。
されば、と、しかとその巨釜を構える目の前の死霊。
だが、途端。やっぱりいやだと思った。
死にたくないと思った。
「え、これで? 終わらなければいけないの? なんで? なんで私が」
途方もなく誰かに、責任を擦り付けたくなるぐらい、私は酷く腹が立った。
だが、目の前の現実は改善の見込みがまるでないのだった。
全てが予定調和でしかないといった調子で、目の前の死霊は、その巨釜を勢いよく、振りかぶった。
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