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7話
しおりを挟むそれから益子は今まで以上に仕事に打ち込んだ。毎日毎日必死に働いて何度も四季が通り過ぎ、気が付けばいつの間にか役職までついていた。しばらくはこないだろうと思っていたとおり、郡山を想って撫でた手紙を最後に、あれから一度も届いていない。新人を卒業し、しかし中堅とまではいかない頃に届いた最後の手紙。今は開くことのなくなった引き出し。それでも益子の心の奥底にはいつも郡山がいた。
今、郡山とのことが、いい思い出になったかどうかは実のところまだ分からない。思い出せば切なく胸が痛み、眠れば口付けをした頃の夢を見る。あの時、郡山はどんな気持ちでキスをしたのか今となっては聞くこともできない。夢を見た朝、目が覚めた益子は必ず自分の唇を指でなぞる。この気持ちを抱えて何年になるのか。否、何年どころの話ではないか、と益子は小さく笑う。
高校を卒業してから一度も会っていない。益子の中の郡山は今でもあの頃のまま。黒い髪に黒い瞳、手足が長く身長も高かった。おまけに顔も整っていてカッコよかった。最初はきっとそれが羨ましかっただけで。それが一緒にいるうちにいつの間にか好きになっていた。
郡山はもう結婚もして、きっと子供もいるのだろう。優しいパパになっているに違いない。早いうちに結婚したのだろうか、それとも割と遅めの結婚だったのだろうか。手紙にはそういうことは一切書かれていなかった。
ずっと郡山を想っている益子には辛いこともあったが、それでも郡山は幸せにくらしているのだろうと思うと、少し心が温かくなった気がした。きっと幸せに暮らしてる。益子は幸せにほほ笑む郡山を想像して穏やかな気持ちになると、ベッドを抜け出し朝食の準備を始めた。
***
「うぅ……今日は冷えるな……早く帰ろう」
暖房の効いた会社から一歩出ると、肌を刺すような冷たい空気が頬を掠めていく。益子は身震いすると首に巻いたマフラーで口元を覆い、足早に家路を急いだ。会社から家までは徒歩で30分。敢えて毎日歩いている。昔と違い、食べるとすぐ肉が付くようになった。なんとなくそれが嫌で、運動がてら歩くことにしていた。
こういう寒い日は、なんとなく寂しい気持ちになって、どうしても恋心が顔を出してしまう。それでも最近は胸の苦しさが少し落ち着いたような気がしている。思い出すことはあっても、鼻の奥が痛くなることも少なくなった。結局はそれが寂しくもあるのだが、いい加減見切りをつけなくてはいけないのではないかと思い始めているのだ。
そんなことを思いながら辿り着いた我が家の玄関で立ち止まる。郵便受けを見るのはあの頃からの癖になっていた。
「……あ……」
いつものように開けた郵便受け。いつものように何も入っていないものだと思っていたのに。見覚えのある封筒に、鼓動が早くなる。封筒に伸びた手が震えているのは、寒さのせいだけじゃないことは自分が一番よくわかっていた。
益子は封筒を手に取ると逸る気持ちを抑え、ポケットから鍵を取り出そうとした。しかし、鍵は震える指から零れ落ちチャリン、と音を立てて地面に落ちた。
「……」
どうしても震えてしまう。益子は鍵を拾い上げ鍵穴に差し込もうとするが、どうにも上手くいかない。毎日開け閉めしているというのに。それでもようやく鍵を差し込み玄関を開けて中に入ると崩れ落ちそうになるのを必死にこらえ、自室に急いだ。
鞄をソファーに放り投げ、震える手で封を切る。見間違えるはずがない。いつも同じ封筒。同じ筆跡の宛名。益子は緊張した面持ちで差出人を確認した。
「……っ、こ、りやま……っ」
そこには思った通りの想い人の名前。落ち着いてきたと思っていた恋心は一気に溢れ出し、封筒に書かれた文字が滲み出す。
益子は丁寧に、ゆっくりと便箋を引き出した。送られてきた手紙は辛くなるからと、途中から見ることもなくなった。しかし、今、この十数年ぶりともいえる手紙を開けないという、読まないという選択肢はなかった。
――益子、元気ですか。この手紙が無事に益子の元に届いているといいけど……住所、変わってないといいけど。ずっと、手紙送れずにごめん。早く一人前になりたくて、こんなに時間がかかってしまった。日本に、思い出のこの町に、帰ってきたよ。本当は家まで行こうと思ったけど、なかなか勇気が出ないから手紙にした。なぁ益子。今更かもしれないけど、会いたい。もう、待っていてくれてるなんて思わないけど……許してくれるなら、会ってほしい。あの夏祭りの公園の前にある喫茶店に、毎日いるから来てほしい。待ってるから。益子……会いたいよ――
手紙を読んで、益子の目からとうとう涙が零れ落ちた。開いた便箋に、ポタリ、ポタリ、と落ち文字が滲んでいく。夢じゃないのか、こんなことが本当にあるのか。益子は何度も何度も涙で滲んだ文字を読み返す。そして時計を見るが、とっくに閉店している時間だった。幸いにも明日は土曜日で会社は休み。益子は涙を拭くと、すぐにシャワーを浴びて食事もとらずに手紙を手に取るとベッドへ潜り込んだ。
電気を消して、ベッドサイドの電気をつける。そして手紙を見つめた。信じられない、郡山から手紙がくるなんて。そう思うが、結局家を引っ越さなかったのも郡山から手紙がくるかもしれないという期待があったからだ。来ないかもしれない、でも来るかもしれない。そう思うと引っ越すことなどできなかったのだ。最後の手紙から、何年も何年も経った。引っ越そうかと思ったこともあった。益子は初めて、引っ越さなくてよかったと思った。
益子は手紙を大切に胸に抱いて涙を流しながら、いつの間にか眠っていた。
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