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十八話
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運が悪かったと今でも思う。
その日、冬真は出張に出掛けていた。
私は四度目のチャレンジに成功したと病院から知らされたばかりで、どこかふわふわと落ち着かない心地だった。
二人に連絡を取ろうかと考えたのだけど、週末にはいつものようにあの家に集まる予定だった。
その時に顔を見て直接話そうと決めた。
なんの問題もなくそれは当たり前のように訪れるものだと、馬鹿みたいに信じ切っていた。
それが叶わないことだとも知らずに。
その電話が鳴った時、不思議なほどの違和感があった。
夜遅く冬真からの電話だった。
そういえば今日帰って来るんだった、と思い出しながら何かあったのかと尋ねた。
「美羽」
その声がぞっとするほど冷え切っていた。
感情の感じられない声だった。
これはただ事ではないと私は冬真の名前を呼んだ。
それに答えず、冬真は淡々と告げた。
「誠が交通事故にあって死んだって」
その瞬間、世界が止まった気がした。
現実とは思えなかった。冗談だと思いたかった。勘違いだと思いたかった。
せめて蝶の夢ならばいいのにと馬鹿なことを考えてしまうほどに、私は狼狽えていた。
でも冬真は私の気持ちなど無視して淡々といっそ冷酷に思えるほどに続けた。
会社に行く途中に居眠り運転に巻き込まれたこと。
亡くなったのは昨日だということ。
亡くなった時の連絡は親にいったということ。
今夜の内に通夜があり、明日葬式だということ。
「誠の家族、俺との仲を疑ってたから連絡くれなかったみたい。家にいないからおかしいと思って、電話しても繋がらないから、嫌な予感がして誠の実家に電話した。さすがに直接知らないふりはできなかったみたいで、教えてくれたよ。友人として葬式に参列するのは許してくれるって」
「冬真、いま家にいるの?」
こんな時に冬真を一人にしておくなんて嫌だった。
いや自分が一人なのが嫌だったのかもしれない。
まだ現実感はないけれどきっとこれは現実なのだろう。
そう思うといてもたってもいられなかった。
「ううん。明日、すぐ行けるように近くのホテルにいる」
「じゃあ、そこに行く」
「今から?もう電車ないよ。危ないし、美羽も明日葬式来るでしょ。その時会えるよ」
冬真が何を言っているのか分からなかった。
明日なんて待てるわけがない。
冬真だってわかっているはずだ。
それなのに冬真は最後までどこにいるのかは教えてくれなかった。
半ば無理やりに通話は切られてしまった。
電源を切っているのだろうか、何度掛け直しても繋がらなかった。
一人にしてと言っているようだった。
その方がいいのだろうかと一瞬思う。
でもこんな時に一人にしていていいのだろうか。分からない。
こんなに冬真のことがわからないのは初めてだった。
次の日、私はほとんど眠れないまま、電車を乗り継いで葬式場へと向かった。
誰も彼も黒い服を着ていて、きっと中学や高校の同級生なんかも居たのだとは思うけど、私の目には入っていなかった。
冬真が何処にいるかはすぐに分かった。
誠が眠っているのであろう棺桶の側で呆然と立っていた。
何度か見たことのある誠の家族はひどく嫌悪感を露わにした顔で冬真を見ていた。
どうしてこの人たちが誠の一番側にいるのだろう。
この人たちが誠の家族だからだろうか。
誠と血が繋がっているからだろうか。
きっとこの人たちは知らないのに。
誠がどんな時に声を上げて笑うかさえ、誠の顔を顰めさせてばかりのこの人たちは知らないのに。
自分に何かあった時より、私と冬真に何かあった時の方が怒ること。
器用なのに案外雑なこと。
慰め方が下手くそなこと。
強がるくせに怖い話が嫌いなこと。
笑う時ひどく優しく笑うこと。
きっと私たちの方が知っている。ずっと知っている。
でもそれは関係ないのだ。誠の人生が終わった後に寄り添えるのは私たちではないのだ。
繋がりがないというただそれだけの理由で。
「冬真」
そう思うとより一層耐えられなくて、私は冬真に駆け寄った。
誠の家族が訝しむ表情を見せたけど、もう気にしなかった。
呆然と立ち尽くしていた冬真が私を見た。
がらんどうの瞳だった。
「美羽?」
どうしてここにいるのかと言いたげな顔だ。
どうして私たちには目に見える繋がりがないのだろう。
こんなにお互いのことを思っているのに。知っているのに。愛しているのに。
冬真の白い蛹のような耳に唇を寄せた。
脳に直接触れさせるように言葉を囁く。
「ねえ、冬真。子どもができたの」
誰にも聞かせてやらない。冬真と誠以外の誰にも。
だって私たちの繋がりだから。
これは私たちが唯一掴み取った繋がりだから。
今は他の誰にも教えてやらない。私たちだけの希望だから。
「ほんと、に?」
冬真の目がみるみるうちに見開かれて、私の言葉を反芻するように、現実を理解するように、瞬きを繰り返した。
それから耐え切れなくなったようにくしゃりと顔を歪めた。
ぽろぽろと冬真の瞳から涙が零れ落ちる。
ごめん、ありがとう。きっとそんなことを言われたのだと思う。うまく聞こえなかったけど。
ああ、どうしてこんな嬉しいことを、三人で待ちわびていたことを、悲しみの中で受け止めなければいけないのだろう。
私は冬真のずっと握り締められていた拳を握った。
もう一つの手が重ねられないことに絶望すら感じながら。
その日、冬真は出張に出掛けていた。
私は四度目のチャレンジに成功したと病院から知らされたばかりで、どこかふわふわと落ち着かない心地だった。
二人に連絡を取ろうかと考えたのだけど、週末にはいつものようにあの家に集まる予定だった。
その時に顔を見て直接話そうと決めた。
なんの問題もなくそれは当たり前のように訪れるものだと、馬鹿みたいに信じ切っていた。
それが叶わないことだとも知らずに。
その電話が鳴った時、不思議なほどの違和感があった。
夜遅く冬真からの電話だった。
そういえば今日帰って来るんだった、と思い出しながら何かあったのかと尋ねた。
「美羽」
その声がぞっとするほど冷え切っていた。
感情の感じられない声だった。
これはただ事ではないと私は冬真の名前を呼んだ。
それに答えず、冬真は淡々と告げた。
「誠が交通事故にあって死んだって」
その瞬間、世界が止まった気がした。
現実とは思えなかった。冗談だと思いたかった。勘違いだと思いたかった。
せめて蝶の夢ならばいいのにと馬鹿なことを考えてしまうほどに、私は狼狽えていた。
でも冬真は私の気持ちなど無視して淡々といっそ冷酷に思えるほどに続けた。
会社に行く途中に居眠り運転に巻き込まれたこと。
亡くなったのは昨日だということ。
亡くなった時の連絡は親にいったということ。
今夜の内に通夜があり、明日葬式だということ。
「誠の家族、俺との仲を疑ってたから連絡くれなかったみたい。家にいないからおかしいと思って、電話しても繋がらないから、嫌な予感がして誠の実家に電話した。さすがに直接知らないふりはできなかったみたいで、教えてくれたよ。友人として葬式に参列するのは許してくれるって」
「冬真、いま家にいるの?」
こんな時に冬真を一人にしておくなんて嫌だった。
いや自分が一人なのが嫌だったのかもしれない。
まだ現実感はないけれどきっとこれは現実なのだろう。
そう思うといてもたってもいられなかった。
「ううん。明日、すぐ行けるように近くのホテルにいる」
「じゃあ、そこに行く」
「今から?もう電車ないよ。危ないし、美羽も明日葬式来るでしょ。その時会えるよ」
冬真が何を言っているのか分からなかった。
明日なんて待てるわけがない。
冬真だってわかっているはずだ。
それなのに冬真は最後までどこにいるのかは教えてくれなかった。
半ば無理やりに通話は切られてしまった。
電源を切っているのだろうか、何度掛け直しても繋がらなかった。
一人にしてと言っているようだった。
その方がいいのだろうかと一瞬思う。
でもこんな時に一人にしていていいのだろうか。分からない。
こんなに冬真のことがわからないのは初めてだった。
次の日、私はほとんど眠れないまま、電車を乗り継いで葬式場へと向かった。
誰も彼も黒い服を着ていて、きっと中学や高校の同級生なんかも居たのだとは思うけど、私の目には入っていなかった。
冬真が何処にいるかはすぐに分かった。
誠が眠っているのであろう棺桶の側で呆然と立っていた。
何度か見たことのある誠の家族はひどく嫌悪感を露わにした顔で冬真を見ていた。
どうしてこの人たちが誠の一番側にいるのだろう。
この人たちが誠の家族だからだろうか。
誠と血が繋がっているからだろうか。
きっとこの人たちは知らないのに。
誠がどんな時に声を上げて笑うかさえ、誠の顔を顰めさせてばかりのこの人たちは知らないのに。
自分に何かあった時より、私と冬真に何かあった時の方が怒ること。
器用なのに案外雑なこと。
慰め方が下手くそなこと。
強がるくせに怖い話が嫌いなこと。
笑う時ひどく優しく笑うこと。
きっと私たちの方が知っている。ずっと知っている。
でもそれは関係ないのだ。誠の人生が終わった後に寄り添えるのは私たちではないのだ。
繋がりがないというただそれだけの理由で。
「冬真」
そう思うとより一層耐えられなくて、私は冬真に駆け寄った。
誠の家族が訝しむ表情を見せたけど、もう気にしなかった。
呆然と立ち尽くしていた冬真が私を見た。
がらんどうの瞳だった。
「美羽?」
どうしてここにいるのかと言いたげな顔だ。
どうして私たちには目に見える繋がりがないのだろう。
こんなにお互いのことを思っているのに。知っているのに。愛しているのに。
冬真の白い蛹のような耳に唇を寄せた。
脳に直接触れさせるように言葉を囁く。
「ねえ、冬真。子どもができたの」
誰にも聞かせてやらない。冬真と誠以外の誰にも。
だって私たちの繋がりだから。
これは私たちが唯一掴み取った繋がりだから。
今は他の誰にも教えてやらない。私たちだけの希望だから。
「ほんと、に?」
冬真の目がみるみるうちに見開かれて、私の言葉を反芻するように、現実を理解するように、瞬きを繰り返した。
それから耐え切れなくなったようにくしゃりと顔を歪めた。
ぽろぽろと冬真の瞳から涙が零れ落ちる。
ごめん、ありがとう。きっとそんなことを言われたのだと思う。うまく聞こえなかったけど。
ああ、どうしてこんな嬉しいことを、三人で待ちわびていたことを、悲しみの中で受け止めなければいけないのだろう。
私は冬真のずっと握り締められていた拳を握った。
もう一つの手が重ねられないことに絶望すら感じながら。
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