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洒落たカフェの昼下がり〜理屈で愛を語らう恋人たち〜
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一人暮らしをしていて良いことは、食パンに塗るジャムの量を一々指示されないことだ。
我ながらいい考えだと自負しながら、頼んでそのままにしてしまっていたコーヒーに口をつけた。
ここのカフェのコーヒーは相も変わらずとても美味しい。この時間帯だと人が少ないのも嬉しいポイントだ。
「つまり今のは断り文句だって受け取っていいのかな?」
向かい側に座る、私の恋人である彼がそう尋ねてきた。
頭のいい彼にしては珍しく少し困惑しているように見える。
「ええ、そうよ」
私は彼にはっきりとそう告げた。彼は非常に難しそうな顔をしてコーヒーをちびちびと飲み始めた。彼は猫舌なのだ。
いつものデート中に彼がそろそろ同棲を始めてみないかと提案してきたのが事の始まりだった。
だから私は素直な気持ちを打ち明けた。私にとって自分のパンに塗るジャムの量を自分の判断で変えられるというのは、とても重要なことなのだ、ということはきっと伝わったに違いない。
「つまり君は、僕がパンのジャムの量に口を挟むんじゃないかと危惧しているわけだね?」
「有り体に言えば、そうね」
「それは全くの杞憂ってものだよ」
彼が寝癖のついたままの髪がぶんぶんと揺れるくらいに勢いよく首を振りながら言った。
「僕は君のジャムに口を出したりはしないよ。いま、誓ったっていい」
「どれだけたくさん乗せても?」
「ああ、もちろん。君もいい大人だ。自分で加減くらい考えられる。そうだろ?」
もちろん加減くらい出来る。糖分の取り過ぎは健康によくない。もちろん多少ならいいけれど。
彼がそうだろう、そうだろうと、ようやく落ち着いたようにズレた丸眼鏡を掛け直している。
「百歩譲って貴方がジャムに口を出さないとするわね」
「ああ、出さないとも」
「それ以外のことで口を挟まない保証がないわ」
きょとんと彼の大きな目が瞬いた。
私はあくまで落ち着いて真剣に伝える。
「例えば、私は何もない土曜日の朝は遅くまで寝て朝昼兼用のご飯を食べるわ。逆に日曜日はそこそこ早く起きるの。贅沢に時間を使いたいからね」
「なるほど。僕は平日も休日も同じ時間に起きて同じ時間に寝ることを心がけている。土曜の朝に僕より長く寝ている君に、まだ起きないの? とこれから一生言わないという約束は難しそうだ」
「そうでしょう?」
分かってくれると思っていたわ、と私は笑ってコーヒーを飲み切った。
彼はまだちびちびと舐めるように飲んでいる。アイスコーヒーにしたらいいのに、とは思うけど口には出さない。彼の自由だからだ。
「価値観の問題だね。なるべくお互い口を出さないと約束しても、つい言ってしまうことはあるかもしれない」
そう、その通りだ。私だってもう少し寝ていたら? と言ってしまうかもしれない。それはとても不本意なことだ。お互いにとって。
「私の母は、私のやることになんでも口を挟む人だったわ」
ようやく普通に飲めるようになったらしい彼がコーヒーに口をつけたまま静かに頷いてくれた。
それこそパンのジャムの量にまで口を挟む人だった。
「それはよくないね。あんまり小さい頃は仕方ないとして、自主性を重んじるべきだよ」
「そうよ、子どもにも人格ってものがあるわ」
「そうだね、繊細な機微というものがある」
これだから彼と話すのは楽なのだ。打って響く会話とはこのことだと思う。
でも少し不思議に思ったことがあるから、素直に尋ねてみた。
「でも、どうしていきなり同棲なんて言い出したの? 貴方も人と一緒に暮らすのは好きではないタイプだと思っていたわ」
「確かに僕はあまり協調性のない人間だと自負しているよ」
くい、と眼鏡を上げた彼は、自信に満ちた顔をしている。
「昨日のことなんだけどね、とても素敵な本を見つけたんだ」
「あら、そう。後で貸してちょうだい」
「もちろん。持って来てあるんだ。後で渡すよ」
彼の本を選ぶセンスが私の琴線に触れなかった試しがないので楽しみだ。
それでね、と彼の口調にますます熱が入る。
「その本をね、すぐに君に読んでもらえたらどんなに素敵だろうと思ったんだ。でもそうもいかない。電車に乗って三駅向こうに君は住んでいて、夜遅くに行ったら迷惑だ。そうだろう?」
「そうね、確かに」
「でも、一緒に住んでいたらすぐに読んでもらえる。そして感想も言い合える」
確かにそれは、少し、いやかなり魅力的だ。
「君と話して大変なことがたくさんありそうなのはよく分かったよ。でもね」
「でも?」
「それでも、君がうんと近くにいる生活ってきっとすごく素敵だろうと思うんだ」
ふわりと彼が優しく笑う。その時の気持ちを何と表せばいいだろう。的確な表現を私は知らない。
でも、なにかも吹っ飛ばして、一緒に住んでもいいかもしれないと思う程度には、暴力的なまでの魅力だった。
それでも私の理性的な部分がもっと素敵な解を導きだす。
「隣の部屋を借りればいいんじゃないかしら」
「君って、天才だよ!」
我ながらいい考えだと自負しながら、頼んでそのままにしてしまっていたコーヒーに口をつけた。
ここのカフェのコーヒーは相も変わらずとても美味しい。この時間帯だと人が少ないのも嬉しいポイントだ。
「つまり今のは断り文句だって受け取っていいのかな?」
向かい側に座る、私の恋人である彼がそう尋ねてきた。
頭のいい彼にしては珍しく少し困惑しているように見える。
「ええ、そうよ」
私は彼にはっきりとそう告げた。彼は非常に難しそうな顔をしてコーヒーをちびちびと飲み始めた。彼は猫舌なのだ。
いつものデート中に彼がそろそろ同棲を始めてみないかと提案してきたのが事の始まりだった。
だから私は素直な気持ちを打ち明けた。私にとって自分のパンに塗るジャムの量を自分の判断で変えられるというのは、とても重要なことなのだ、ということはきっと伝わったに違いない。
「つまり君は、僕がパンのジャムの量に口を挟むんじゃないかと危惧しているわけだね?」
「有り体に言えば、そうね」
「それは全くの杞憂ってものだよ」
彼が寝癖のついたままの髪がぶんぶんと揺れるくらいに勢いよく首を振りながら言った。
「僕は君のジャムに口を出したりはしないよ。いま、誓ったっていい」
「どれだけたくさん乗せても?」
「ああ、もちろん。君もいい大人だ。自分で加減くらい考えられる。そうだろ?」
もちろん加減くらい出来る。糖分の取り過ぎは健康によくない。もちろん多少ならいいけれど。
彼がそうだろう、そうだろうと、ようやく落ち着いたようにズレた丸眼鏡を掛け直している。
「百歩譲って貴方がジャムに口を出さないとするわね」
「ああ、出さないとも」
「それ以外のことで口を挟まない保証がないわ」
きょとんと彼の大きな目が瞬いた。
私はあくまで落ち着いて真剣に伝える。
「例えば、私は何もない土曜日の朝は遅くまで寝て朝昼兼用のご飯を食べるわ。逆に日曜日はそこそこ早く起きるの。贅沢に時間を使いたいからね」
「なるほど。僕は平日も休日も同じ時間に起きて同じ時間に寝ることを心がけている。土曜の朝に僕より長く寝ている君に、まだ起きないの? とこれから一生言わないという約束は難しそうだ」
「そうでしょう?」
分かってくれると思っていたわ、と私は笑ってコーヒーを飲み切った。
彼はまだちびちびと舐めるように飲んでいる。アイスコーヒーにしたらいいのに、とは思うけど口には出さない。彼の自由だからだ。
「価値観の問題だね。なるべくお互い口を出さないと約束しても、つい言ってしまうことはあるかもしれない」
そう、その通りだ。私だってもう少し寝ていたら? と言ってしまうかもしれない。それはとても不本意なことだ。お互いにとって。
「私の母は、私のやることになんでも口を挟む人だったわ」
ようやく普通に飲めるようになったらしい彼がコーヒーに口をつけたまま静かに頷いてくれた。
それこそパンのジャムの量にまで口を挟む人だった。
「それはよくないね。あんまり小さい頃は仕方ないとして、自主性を重んじるべきだよ」
「そうよ、子どもにも人格ってものがあるわ」
「そうだね、繊細な機微というものがある」
これだから彼と話すのは楽なのだ。打って響く会話とはこのことだと思う。
でも少し不思議に思ったことがあるから、素直に尋ねてみた。
「でも、どうしていきなり同棲なんて言い出したの? 貴方も人と一緒に暮らすのは好きではないタイプだと思っていたわ」
「確かに僕はあまり協調性のない人間だと自負しているよ」
くい、と眼鏡を上げた彼は、自信に満ちた顔をしている。
「昨日のことなんだけどね、とても素敵な本を見つけたんだ」
「あら、そう。後で貸してちょうだい」
「もちろん。持って来てあるんだ。後で渡すよ」
彼の本を選ぶセンスが私の琴線に触れなかった試しがないので楽しみだ。
それでね、と彼の口調にますます熱が入る。
「その本をね、すぐに君に読んでもらえたらどんなに素敵だろうと思ったんだ。でもそうもいかない。電車に乗って三駅向こうに君は住んでいて、夜遅くに行ったら迷惑だ。そうだろう?」
「そうね、確かに」
「でも、一緒に住んでいたらすぐに読んでもらえる。そして感想も言い合える」
確かにそれは、少し、いやかなり魅力的だ。
「君と話して大変なことがたくさんありそうなのはよく分かったよ。でもね」
「でも?」
「それでも、君がうんと近くにいる生活ってきっとすごく素敵だろうと思うんだ」
ふわりと彼が優しく笑う。その時の気持ちを何と表せばいいだろう。的確な表現を私は知らない。
でも、なにかも吹っ飛ばして、一緒に住んでもいいかもしれないと思う程度には、暴力的なまでの魅力だった。
それでも私の理性的な部分がもっと素敵な解を導きだす。
「隣の部屋を借りればいいんじゃないかしら」
「君って、天才だよ!」
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