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終章──呪縛
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翌日 東京 S総合病院・精神科診察室
髪をヘアゴムでまとめた、日焼け気味の、若い女医と私は、向かい合って座っている。まだ新人の彼女とは日が浅い。
スタッフが二人、外で待機している。
「狩野さん、お姉さんのことは……」
「姉なんていません、何回目ですかそれ?」
それどころか、父も昨年、全身を蝕んだ癌で世を去った。
母も、脳出血により、その後を追った。
「……この写真は?」
「大橋理紗さんです、亡くなった写真家の」
「あなたが、記憶を無くす前に撮ったものだと、ご主人から聞いています」
「そんな筈ないです。こんな…………化け物」
目から、一筋の涙が流れる。
「利奈……そんなこと」
「利奈さん? 彼女は、あなたの」
「止めてください!! 姉じゃない!! 名前が似てるだけ!! もう私は大橋じゃないし会ったこともない!!」
叫ぶ私は、白のブラウスに黒いアームカバー、黒のフレアスカート姿だ。露出は首から上しかない。私の総身は、正視に耐えない自傷痕で覆われている。
「利奈……ね、呼吸して」
晴夫が、私の背を撫でようとする。
「あああああああ!!」
その手を払い除ける。
待機していたスタッフと晴夫、三人がかりで私を抑え込み、筋肉注射を打つ。
医師は、目で告げていた。
『大橋理紗そのものだ』と。
私の目には、時折奇妙な幻覚が映る。
無数の、人の手足で組まれた三角形のオブジェが、世界を覆い尽くしていく様が、私──狩野利奈には見えている。
それらは"デルタコープス"と言うのだと、何故か知っている。
◆◆◆◆
二週間後 診察終了時
「先生、話変わるんですけど」
「はい?」
「ずっと気になってたんです、その……鉢植え」
「これが、ですか」
「できれば、隠していただけると……その、ありがたいです。何故か……葉の形が、怖いんです。怖いのに、目を逸らせないんです」
それは、オキザリスの一種──オキザリストライアングラリスだった。
紫の、三角形の葉が、空調の風に微かに揺れている。
「そうですか」
手近なウェットティッシュで、医師は鉢植えを覆う。
◆◆◆◆
S総合病院 玄関ロビー
産科を退院するのだろう親子連れと、私達は一緒にドアをくぐる。
どうしても、若い母の抱く赤子が、可愛いと思えない。
耳元で、目覚めてからずっと、誰かの声がする。揺り篭の中で聞かされる、子守唄のように。
──産まれてきたくなかった。産まれてきたくなかった。産まれてきたくなかった……。
新しい命の前で、叫ぶわけにもいかない。
ただ、黙って病院を後にする。
明るい都会の道路上に、たくさんの死骸が見える。全てデルタコープスだ。
今日も、私の目に映る世界には、触ることもできない死骸が、打ち捨てられている。
夫の運転するクーペは、それを意に介さずに走り続ける。
「利奈」
「わかってる……デルタコープスなんて、存在しない」
耳元で幻聴が囁く。
『ある……デルタコープスは在る……聖なる三角の死体が、世界中に』
無視していると、いつもの話を始める。
『私よ……理沙よ』
聞こえない。誰も、何も言っていない。
『忘れるのね……あなたに看取られた私の事まで』
「ひっ」
フロントガラスに張り付いたのは、大橋理沙のデルタコープスだった。それは、あろうことか言葉を発した。
『利奈、忘れるのね、忘れるのね忘れるのね忘れるのね忘れるのねわすれるのねわすれ』
──私はもう、大橋理沙と刺し違えよう。
殺さなければ。
大橋理沙を。
あの怪物を、地獄に送り返してやる。
腹を決めた私は、晴夫のハンドルに手を伸ばし、限界まで右に切る。大型トラックが、横目に見えていた。
<了>
参考図書
『崩壊概論』E.M.シオラン(著)/有田忠郎(訳)筑摩書房
『工場夜景』工場ナイトクルーズ(編) 二見書房
『数と図形について知っておきたいすべてのこと』デビット・マコーレイ(著)/松野陽一郎(監修)東京書籍
※ユグノー宗教戦争については、以下のネット資料を参考にしました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%81%AE%E8%99%90%E6%AE%BA
https://www.y-history.net/appendix/wh0904-074.html
髪をヘアゴムでまとめた、日焼け気味の、若い女医と私は、向かい合って座っている。まだ新人の彼女とは日が浅い。
スタッフが二人、外で待機している。
「狩野さん、お姉さんのことは……」
「姉なんていません、何回目ですかそれ?」
それどころか、父も昨年、全身を蝕んだ癌で世を去った。
母も、脳出血により、その後を追った。
「……この写真は?」
「大橋理紗さんです、亡くなった写真家の」
「あなたが、記憶を無くす前に撮ったものだと、ご主人から聞いています」
「そんな筈ないです。こんな…………化け物」
目から、一筋の涙が流れる。
「利奈……そんなこと」
「利奈さん? 彼女は、あなたの」
「止めてください!! 姉じゃない!! 名前が似てるだけ!! もう私は大橋じゃないし会ったこともない!!」
叫ぶ私は、白のブラウスに黒いアームカバー、黒のフレアスカート姿だ。露出は首から上しかない。私の総身は、正視に耐えない自傷痕で覆われている。
「利奈……ね、呼吸して」
晴夫が、私の背を撫でようとする。
「あああああああ!!」
その手を払い除ける。
待機していたスタッフと晴夫、三人がかりで私を抑え込み、筋肉注射を打つ。
医師は、目で告げていた。
『大橋理紗そのものだ』と。
私の目には、時折奇妙な幻覚が映る。
無数の、人の手足で組まれた三角形のオブジェが、世界を覆い尽くしていく様が、私──狩野利奈には見えている。
それらは"デルタコープス"と言うのだと、何故か知っている。
◆◆◆◆
二週間後 診察終了時
「先生、話変わるんですけど」
「はい?」
「ずっと気になってたんです、その……鉢植え」
「これが、ですか」
「できれば、隠していただけると……その、ありがたいです。何故か……葉の形が、怖いんです。怖いのに、目を逸らせないんです」
それは、オキザリスの一種──オキザリストライアングラリスだった。
紫の、三角形の葉が、空調の風に微かに揺れている。
「そうですか」
手近なウェットティッシュで、医師は鉢植えを覆う。
◆◆◆◆
S総合病院 玄関ロビー
産科を退院するのだろう親子連れと、私達は一緒にドアをくぐる。
どうしても、若い母の抱く赤子が、可愛いと思えない。
耳元で、目覚めてからずっと、誰かの声がする。揺り篭の中で聞かされる、子守唄のように。
──産まれてきたくなかった。産まれてきたくなかった。産まれてきたくなかった……。
新しい命の前で、叫ぶわけにもいかない。
ただ、黙って病院を後にする。
明るい都会の道路上に、たくさんの死骸が見える。全てデルタコープスだ。
今日も、私の目に映る世界には、触ることもできない死骸が、打ち捨てられている。
夫の運転するクーペは、それを意に介さずに走り続ける。
「利奈」
「わかってる……デルタコープスなんて、存在しない」
耳元で幻聴が囁く。
『ある……デルタコープスは在る……聖なる三角の死体が、世界中に』
無視していると、いつもの話を始める。
『私よ……理沙よ』
聞こえない。誰も、何も言っていない。
『忘れるのね……あなたに看取られた私の事まで』
「ひっ」
フロントガラスに張り付いたのは、大橋理沙のデルタコープスだった。それは、あろうことか言葉を発した。
『利奈、忘れるのね、忘れるのね忘れるのね忘れるのね忘れるのねわすれるのねわすれ』
──私はもう、大橋理沙と刺し違えよう。
殺さなければ。
大橋理沙を。
あの怪物を、地獄に送り返してやる。
腹を決めた私は、晴夫のハンドルに手を伸ばし、限界まで右に切る。大型トラックが、横目に見えていた。
<了>
参考図書
『崩壊概論』E.M.シオラン(著)/有田忠郎(訳)筑摩書房
『工場夜景』工場ナイトクルーズ(編) 二見書房
『数と図形について知っておきたいすべてのこと』デビット・マコーレイ(著)/松野陽一郎(監修)東京書籍
※ユグノー宗教戦争については、以下のネット資料を参考にしました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%81%AE%E8%99%90%E6%AE%BA
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