沈黙(アルファポリス版)

玄道

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「三村さん、ちょっと」
 眞衣だ。三村家での事については生徒のいない所で話すことにしていた。


「貴女には伝えとくけど、今日児相とかも一緒に訪問する事になってるから。もう安心して良いわ」
「──────無駄よ」
「またそんな事言う。やっとあの家から離れられるかもしれないのに」
「離れてどうするの?施設?」
「────何なら私が」
「やめて、それこそ本当に懲戒免職よ」
「────それは」
「それに、そうなったらあいつら何処までも追ってくるわ。接近禁止措置なんて守ると思ってんの?そうなったら貴女の生命だって……」
「聞いて、これはちゃんと法律で……」
「法律?笑わせないでよ、三村の家にそんなもの……」

 言いながらスカートをたくし上げる。
 絶句する眞衣。
 新しい、おびただしい傷が付いている。
「どうして……三日前確認した時は無かったのに……。いいえ、これも証拠になるわ。未来」
 眞衣は定期的に虐待の痕を記録してくれていた。二日も痕が増えなかったことを喜んでくれていたのに。
「眞衣」
「?」
「ごめんなさい、今日は早退するわ」
「そうね。放課後またね」
「────お願い、もう来ないで。私に関わるのはもう終わりにして」
「未……三村さん」
「眞衣がここにいられるのは明日までじゃない。こんなどうしようもない事は忘れて普通に暮らして……幸せにね」
「絶対に行くから……安心して待ってて。貴女も幸せにならなきゃ」
「──────お願い……貴女まで殺されるかもしれない」
「──────でも」
「ベスみたいに」
「────!!」
「さよなら」
「絶対に行く!待ってて未来!!」
 ────私は無言で駆け出す。


 奈落に帰る。
 雄鬼が指輪をしていない。
 手にはメリケンサック型スタンガンとカランビットナイフ。
 背筋が凍った。
 雌鬼は両手に大振りのサバイバルナイフ。
 私は諦めた。
 何度も覚悟は決めていたが、改めて死を覚悟した。今日の家庭訪問時に全員──児童相談所の職員も来ると言っていたな──殺す気だ。

 生きようとする本能が反射的に土下座を選択した。この期に及んで『逃げ』だの『反撃』だのは選択肢に無かった。

 もっともそんな選択肢が有ったところで鞄の中の彫刻刀と防犯ブザーではどうしようもない。
 何せこの家の中だ。そして相手は鬼なのだ。
「やめてください!!どうかお願いしますご主人様!私だけ、どうか私だけ殺してください!眞衣には手を出さないで!あと一日なんです!! そうしたら眞衣は日常に帰れるんです!!だからどうかお慈悲を!!」
「るっせえぞ虫けら、どこで慈悲なんて綺麗な単語習った?え、こら」

 ──駄目だ。
 わかってはいたが人間じゃない、会話にならない。
 ────なら私は?この鬼から産まれた私は何なのだろう?自問した。
 鞄の肥後守ひごのかみを固く握る。

「そうかい、やっぱり血ね。こんなに強いなんて爺も喜ぶわ」
 鬼女が嬉しそうに言う。
 その瞬間、ずっと問い続けた答えが出せた。
 私も三村の娘なのだ。気付くのに時間がかかりすぎた。
「────殺してやる」
 私は低く呟く。
 肥後守を握りしめた手が自らの殺意に対する恐怖で震える。
 無理だ、勝てない。
 場数が違いすぎる。
「できんのかよ虫けら」
 もうこうなれば相討ちでも良い、ここでこの二匹を仕留めなければきっとまた何処かの誰かが被害に遭う。

 独りで鬼退治か、そう腹を括る。
 あの日ベスを処理した金庫のレミントンがあれば……。

 その時だった。
 インターホンが鳴る。何故か眞衣だとわかった。
 なんて間の悪い。つくづく私の人生には不運がついて回る。私は不幸しか呼び込まない呪われた子なのだろう。

「三村さん、佐藤です」
「駄目!!逃げて眞衣!!!!」
 腹の底から叫んだ。大声なんて合唱でもそんなに出ないと申し訳なさげに叱られるくらいなのに。
 はっと我に返る。とんだ馬鹿だ、私は。
 どんなに大声で叫んでもこの叫びは誰にも届かないというのに。

「三村さん?三村さーん?………………未来!?どうしたの私よ!開けて!!未来!!」
「三村若菜!警察だ!!裁判所の令状も出てるんだぞ!!」
 警察まで呼んだのか。勝てるかもしれない。
 警察と聞いて無言で二匹の鬼が玄関へ走りだす。無力な虫けらには目もくれずに。
 迂闊。せめて一撃でも。
 こんな時に足が竦む。
 自分の臆病さを呪った。

 そして惨劇は起きた。
 私は声が枯れて悲鳴すらあげられなかった。
 ドアを開けて飛び出した鬼が牙を獲物に突き立てる。正確過ぎる一撃に彼女達は断末魔すらあげることが許されなかった。もう一匹の鬼がスタンガンを警官に突き出す。反射的に拳銃を抜いた警官が発砲する。威嚇などしている状況ではないのは明白だった。
 数回発砲音が響き、鬼退治は終わった。あまりに呆気ない結末に私は愕然とした。
 やはり暴力でしか解決しない問題だったのか。
 景色は血と夕暮れ、そしてパトランプの光で紅く染まっていた。もうすぐ夜が来る。長い夜が。
──私の夜明けはいつ来るのだろう、そんな事をぼんやりと思った。
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