「お先に地獄へどうぞ」と言った悪役令嬢ですが、道連れにされそうなのですけれど

藤咲エミ

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 帝都拘置塔は法務区の地下深く、雨水も陽光も届かぬ玄武岩の胴体を横たえていた。裁判前夜。鎖風車の低いうなりだけが夜を刻む。  
 独房三十七号。鉄扉の小窓から差す青白い監視灯を背に、カミラは簡素な寝台に腰掛け、右腕の黒刻印を見つめていた。冥示を閉ざしても刻印は炎のように疼く――呪詛契約の進行。意識を逸らすように写本の暗誦を試みるが、閉塞した空気は思考を濁らせる。

 カチャリ、と微かな金属音。鉄格子の下隙間へ灰色の羽根がひらりと滑り込んだ。続いて影が壁を這い、床面に人影を象る。  
 「地獄の前室は静かだね、令嬢殿」  
 囁きと同時、影が抜け殻めいて立体を得る。ノクス=フェルメイア。灰銀髪、黒眼帯、灰外套。その手には薄い帳簿が挟まれていた。  

 「看守は?」カミラは声量を抑えたまま問う。  
 「影紋睡符で二分ほど夢見心地。商売の時間は短い」  
 ノクスは帳簿を格子越しに滑らせる。頁には青インクの細字、誓律法廷事務局の支出欄。その横へ走る赤い補助線。  
 「影紋インク仕入れ――担当書記官“L・M・S”…頭文字が三つ。改竄元が中にいる」  
 灰羽市場の帳面を奪ったミーナの名残香がページに染み、カミラは冥示の瞳を開いた。インクの波長は黒檀列車で嗅いだ血誓臭と一致、更に指先で頁を撫でると微細な魔力指紋が浮く。  
 「法廷記録官の手……字体を偽装しても魔力はごまかせない」  
 記憶に刻む。後の証人喚問で照合するため、魔力線の軌跡を網膜裏へ焼き付ける。

 「取引を続けよう、冥示の姫君。君は無罪を欲し、私は地獄を覗く望遠鏡を欲する」  
 ノクスが外套裏から二枚の影紋札を取り出す。一枚は〈互恵〉、もう一枚は〈裏切り禁止〉。札を格子に挟み、カミラへ押し当てる。  
 「裏切れば舌が黒羽になる、灰羽流簡易契約」  
 カミラは躊躇なく指を傷つけ、血を札へ押印。冥示の黒煙が札を包み、二人の間で赤い鎖が瞬時に現れ消えた。契約成立。

 外廊下で看守の寝息が変わる気配。ノクスは影へ戻りながら片目で笑った。  
 「影紋を笑うのは簡単さ。問題は笑った次の瞬間、誰が泣くか――では地獄で」  
 灰羽の羽根だけが残り、影は壁の縫い目へ溶け込む。看守の靴音が戻り、閉ざされた鉄扉には何事も無かったように静寂が張りつく。

 カミラは帳簿を寝台の下へ隠し、深く息をついた。閉塞は興味で破れ、興味は交渉を生み、交渉は今しがた連帯へ変わった。だが連帯の鎖の先には、更なる深淵と裁定が待つ。  
 冥示の光を瞼裏で燃やし、彼女は囁く。  
 「舌が黒羽になる前に、嘘を白日に晒してみせる――」

 拘置塔の夜は再び無音に沈んだが、独房三十七号の闇だけは密やかに笑っていた。
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