足音

祐里

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第一章 足音

4.試す方法

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「前里さん、いらっしゃいませ。この間は……」

 年末も帰省予定がない和真と前里は、大晦日の夕方、アルバイト先のミニシアター内で再会した。オーナーがほくほくするくらいの客入りで、人波に紛れて前里が登場したのだが、和真には彼が来たことが足音でわかった。

「こんばんは。和真くんの目元のほくろって、何か色っぽいよね」

「何ですか、突然」

「いいなぁと思って。俺は薄すぎる顔らしいから」

「ち、近い近い……。いらっしゃいませ、一番スクリーンです」

 半券をもぎって返す和真のすぐ目の前まで顔を近付けて食い入るように見つめてくる前里から少し体を離して別の客の半券をもぎるという器用なことをしながら、和真は返答の文句を考える。

「できることなら、こんなほくろ今すぐあげたいですよ。劣化コピーって証拠だし。……いらっしゃいませ、一番スクリーンです」

「劣化コピー?」

「いらっしゃいませ、二番スクリーンです。……前に言われたことがあるんです。兄の劣化コピーだって。うまいこと言うなぁと感心しました。ほら、コピーって何回も重ねてすると黒い点が……」

「誰だよ、そんなこと言ったやつ。そんなつらそうな顔するな。で、今日は何番?」

「え、あ、二番、です」

「そんなこと、二度と言うなよ。いいか?」

「……はい」

 二番スクリーンへと歩いて行く前里の背中を見る余裕もないまま、和真はもぎりを続けた。しかしその間も、頭は別のことを考える。自虐的ではあるが、本当にうまい言い方だと感心し、つらい思いなんて無縁だと思っていた。前里には驚かされてばかりだ。

 それから約二時間後、映画が終わって二番スクリーンから出て来た前里を、今度は和真が驚かせることになった。

「あのさ、ちょっと不思議に思ったんだけど、もしかしてさっき俺が来たってすぐわかった? 一拍も置かずにすぐ挨拶してくれたよね? けっこう人多かったのに」

「ああ、はい。足音でわかります」

「足音? あんなに人がいても?」

「そうですね、人が多くてもわかりました」

「すごいね。絶対音感とかそういう関係?」

 前里はやはり、もぎりで使う小さなカウンター越しに体を前のめりにして尋ねてくる。

「近い近い。そういうのはないですよ」

「じゃあ何で?」

「……兄に、似てるからかな、と」

「……へぇ、そういうこと。お兄さん、ね。あ、今日行ってもいいかな?」

「今日ですか? ……えっと、バイト七時までなんですけど、それでよければ……」

 和真の返答を聞き、前里が「今日もあと三十分くらいだね。待ってるよ」と朗らかに笑って外へ出ていった。


 ◇◇


「会社、あの近くなんですか?」

「うん。だから本当は仕事帰りにも行きたいんだけど、残業がけっこう……」

 自宅への道で雑談をしていると、前里が仕事の話で虚空を見つめ始めた。和真は「お疲れ様です」としか言えなくなる。

「ええと、今日は何食べたいですか?」

「この間のがいい」

「え、またですか? いいですけど」

「おいしかったからさ」

 照れたように笑う前里の仕草がかわいらしく思え、自分まで気恥ずかしさを感じてしまい、和真はそっぽを向いた。

「前里さんはけっこうくるくる表情変わりますね」

「そうか? 意識はしてないんだが。……『前里』って、呼びにくいだろ。拓実でいいよ。俺も図々しく最初から下の名前呼んでるし」

「は、はい」

 和真が肯定の返答をしたあとは、スーパーに寄って買い物をする。今回は自分の財布で食材を買おうと和真は決めていたのだが、結局また前里に押し切られ、和真の財布は用無しになってしまった。

 自宅に着くと、和真は前回とほとんど同じメニューを用意した。違うのはオリーブオイル炒めの具と、サラダに乗せたローストビーフくらいだろうか。

「ああ、やっぱりおいしい。もう外食なんてしなくていいくらい」

「まえ……じゃなくて、拓実さん、褒めすぎです」

「そんなことないよ。和真くんはもっと自分を大事にした方がいい。劣化コピーなんて、聞いてるこっちの胸が痛む」

「……はい……」

「なあ、ところでさ、今日観た映画なんだけど……」

「あ、実は僕、あれ好きなんですよ」

 食事を続けながらも、映画好き同士の会話が始まる。大晦日だけあって深夜まで賑やかなテレビ番組が放映されているが、何となくつけておいたテレビの音声などBGMにしかならず、楽しい会話は遅くまで続いた。

「あ、除夜の鐘だ」

 遠くから響いてきたゴーンという鐘の音に、和真が反応した。

「百八って、煩悩の数なんですよね」

「俺の場合は百八個以上ありそうなんだが。例えば、今度は日本酒に合う和食にしてほしいとか」

「お酒あまり飲まないですけど、がんばります」

「がんばろうとしてくれるの、うれしいなぁ。……お兄さんとは仲いいの?」

 唐突に兄の話になり、和真は何とか頭を切り替えて「いいえ」と答える。

「全然仲良くないです。完全に疎遠な感じで」

「えっ、こんなにかわいい弟なのに?」

「かわい……、まあ、僕は出来も良くな……っと……、相性が悪いんですよ、きっと」

「俺とは相性いいよね」

 そう言うと前里は右手を伸ばし、和真の左目の斜め下にある二つのほくろを親指で触った。指の腹の、温かくつるりとした感触を肌が覚える。

「そう、かもしれませんね。……触っても、あげられませんよ」

「うん」

 前里に見つめられ、ぎゅっと胸が押し潰されそうになる。それと同時に、これ以上近付くなと警告を発する自分がいる。ローテーブルを挟んでいるから大丈夫だと言い聞かせるが、物理的な距離のことなのか、それとも心理的なものなのか、警告はそこまで教えてはくれない。

「俺は、お兄さんじゃないんだよね」

「……わかってます」

「そう? 試してもいい?」

「どうやって……?」

 震えそうになる唇を懸命に動かして問うと、前里は「ごめん、何でもない」と言って手を引っ込めた。

「悪かったよ。夜更かしするなら、コンビニでも行こうか」

「……僕も、かわいい弟なんかじゃない」

 どんどん速くなる胸の鼓動をなだめるのは大変なのに、その原因をさらっと流そうとする前里に軽い苛立ちを感じ、和真は声を落として言う。

「わかってるよ」

「僕は試す方法がわからないから、拓実さんの言葉を信じます」

 和真が言い終えるとすぐ、前里の右手がまた迫り、今度はその親指が和真の唇に触れた。カーテンの向こうの窓の外では、キンと冷えた空気の中で除夜の鐘が鳴り続けている。

「震えてるのに、信じますなんて。今ので俺、完全に落ちちゃったけど、いい?」

 和真がこくりとうなずくのを確認すると、前里は親指をどけて触れるだけのキスをした。

「試すってこういうことだよ」

 少しの間を置き、頬を紅潮させた和真が再びうなずく。

「まいったな。コンビニに行けそうにない」

 ローテーブルを挟んでいても、無駄だった。所詮一人暮らし用の小さいものだ。次の瞬間に訪れた頭が痺れるような感覚で、和真の耳には除夜の鐘の音など届かなくなっていった。
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