証明の終焉(しょうめいのしゅうえん)

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証明の終焉(しょうめいのしゅうえん)

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証明の終焉(しょうめいのしゅうえん)

序章:ゼロ・アワー

20XX年11月6日。午前八時。世界は静止した。

テレビのニュースは沈黙し、スマートフォンの画面は、**「オフライン」と「エラーコード201」**を無機質に繰り返すだけだった。最初は大規模な通信障害だと思われた。しかし、それは違った。

銀行のATMは紙幣を吐き出さず、役場の窓口はシャッターを下ろし、職員たちはパニックに陥っていた。数時間後、政府は機能停止し、世界中のデジタルデータベースが、誰の仕業かもわからぬまま、文字通り蒸発したと判明した。サイバーテロだ。

デジタルは消えた。だが、本当の恐怖はその夜から始まった。

地方自治体の重要文書を収めた物理的な公文書館が、同日未明、一斉に放火されたのだ。焦げた新聞の煤の匂いが街を覆い、戸籍原本は灰塵、土地の登記簿は闇に溶けた。

すべてが消滅した。公的な記録は、この世界から、痕跡も残さず消滅した。

第一幕:紙の信仰者

僕、加賀美 聡(かがみ さとし)は、築40年のアパートの一室で、古いアルミケースを抱えていた。外はパニックだ。街は沈黙と遠くの略奪の叫びに満ちている。

誰もが資産を失った。銀行の残高も、会社の株も、スマホ決済の履歴も、すべてが「ゼロ」に戻った。

僕が20年間、引っ越しの度に律儀に持ち運び、捨てずにいたアルミケース。その中には、三つの「紙切れ」が入っていた。

一つは、穴を開けられても捨てずにいた20年分の旧運転免許証の束。僕はデジタル化という不確かな未来よりも、紙の束が自分の積み重ねた記録だと信じていた。

二つ目は、父から受け継いだ、土地の登記済権利証。それは単なる資産ではなく、父との唯一の絆を示すものだった。

三つ目は、古い卒業証明書。

深夜。向かいの部屋に住む老婦人、山田サチエさんが、壁を叩いて助けを求めてきた。

「加賀美さん…私、本当に私なの。年金、年金はどうなるのかしら」

僕はドア越しに言った。「山田さん、年金記録はもうありません。私も、自分が誰なのか、誰も証明できません」

サチエさんが嗚咽した。「私は、この部屋の所有者よ。この部屋だけは、私に残ってるのよ…!」

僕は悟った。究極の混乱では、真実の主張だけでは足りない。証拠が必要だ。そして、僕のアルミケースが、サチエさんとの会話で居場所を露呈してしまったことを感じた。

第二幕:裏切りの論理

翌朝、アパートの自治会長を名乗る男、タナカが、武装した数人を連れてやってきた。彼の顔には、この無法の世界で「ルール」を提示する者が持つ、歪んだ権力が宿っていた。

「皆さん、聞いてもらおう!このアパートの土地の所有者は、私の祖父だったことが、古い紙の記録で証明された!今後は私の指示に従ってもらう!」

タナカが掲げたのは、燃え残った登記簿の切れ端のようなものだった。

「それは偽造だ。この土地の権利書は私が持っている!」

僕はアルミケースから権利書を取り出した。二つの権利書がテーブルに並べられた。片方は燃え残りの切れ端、もう片方は僕が持つ完全な原本。

タナカは笑った。「その紙切れは、いつ印刷された?国が消えた今、お前の証明書に公印があろうと、それを照会するデータベースがない。偽造かもしれん」

そして、タナカは隣人たちを指さした。 「お前たちは見たか?こいつがこの権利書を持っているのを」

隣人は誰一人として口を開かなかった。全員が、**「証拠の強さ」と「自らの生存」**を天秤にかけて、沈黙という「間」を選んだ。

その瞬間、僕の背後から声が響いた。

「その男は嘘つきだ。私は彼の過去を知っている。彼は私を騙して金を奪った!」

男は、僕が数年前に縁を切ったビジネス上の知人だった。彼は僕と似た顔立ちをしていた。

「見てくれ、この写真。これが、私こそが本当のサトシだという証拠だ!」男は一枚の写真を取り出した。その写真の背景には、僕が住んでいたはずの古い家の入口が写っていた。

彼の目的は、記録が消えたこの世界で、僕の資産と人生を奪い、自己を再構築することだった。

誰もが混乱した。隣人は言うことを変え、誰もが誰もを疑い始めた。**過去の過ちや欺瞞の記録さえ消えた世界で、自分は何者として生き直すべきか?**僕は、真実が欲望という曖昧な証言に塗り替えられる様を目の当たりにした。

第三幕:信頼のシステム

僕はタナカと知人の争いから逃れ、アパートの屋上に駆け上がった。証明書は、何の力も持たなかった。

その時、屋上の隅にサチエさんが座っていた。手に、ボロボロになった自分の家の鍵を握りしめている。

「私ね、加賀美さん。あの人たちが何を言っているかはもうどうでもいいの」サチエさんは静かに言った。

そして彼女は僕を見た。

「でもね、**あなたが、毎朝私に『おはようございます』って挨拶してくれたことは知っているわ。**そして、先週、私が階段で転びそうになった時、あなたが支えてくれたあの手の温もりを、私は知っている」

公的な証明は消えたが、サチエさんの記憶には、**加賀美聡という人間が日々積み重ねてきた「信頼の記録」**だけが、確固として残っていた。それは、紙よりも、公印よりも、確かな証明だった。

僕はアルミケースを開けた。穴の開いた旧免許証の束を、夜空に向かって投げた。紙片は風に乗り、燃え尽きた街へと舞い散った。

「私が誰であるか、証明する必要はない」僕は言った。「あなたが私を信じてくれるなら、それで十分です」

僕はサチエさんの手を握り、屋上を降りた。彼らは、もう互いを証明するための紙もデータも必要としなかった。

記録が終焉した世界で、残されたのは、個人の記憶と、それを信じる他者の存在だった。

彼らは、「エラーコード201」の代わりに「信頼」というシステムを携え、崩壊した街の片隅で、新しい一日を迎えようとしていた。
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