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エピローグ
帰る場所
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カレンダーも残すところ三枚になり、道行く人々の服装もすっかり秋の装いになった頃、俺は彩人と二人で朱田工務店の事務所を訪れていた。
「いろいろとご面倒おかけしました」
社長のデスクの前に立って俺が頭を下げると、社長の奥さん……実秋さんが近づいてきて、背中をペシっと叩かれた。
「猛くんが頭下げることなんてないでしょ! それより、帰ってきてくれて嬉しいわ」
「……っす。実秋さんにもご心配おかけしました」
「いいのよぉ。もともとはウチの人がややこしいこと言ったのが悪いんだから。この人ね、猛くんが出て行っちゃったあと、美優にずいぶん怒られてしょげてたのよ。だから猛くんが戻って来てくれて本当に良かったって思ってるの」
「おい、余計な事を言うんじゃねえよ」
ケラケラと笑う実秋さんの横で、デスクに座った社長が少し居心地悪そうに言う。誰が置いたのか知らないが、社長が愛用しているペン立ての前に、小さなハロウィンのカボチャが並んでいた。
「まあまあ、細かいことはもういいだろ。猛は明日から復帰すんだよな? 家は? そのまま志条さんのとこに住むのか」
事務所の端っこにある応接スペースから引っ張ってきた丸椅子に座って、ソウさんが執り成すように声を上げる。その膝の上では、サブローが腹を見せてソウさんに甘えていた。箕田村家の一件で拾った猫を世話していると話して以来、ソウさんはずっとサブローに会いたがっていたのだ。
「そうすね。引越しの手続きとかも面倒だし、このままルームシェアって形にするつもりっす。こいつも霊媒師辞めるし、収入的にもアレなんで」
隣で黙って話を聞いている彩人の頭に手を置いて、俺は今の状況を端的に説明した。これからもこいつと二人で暮らす事に決めた理由は、収入面の問題だけではないのだが……まあ、それは今ここで言わなくてもいい事だろう。
「やっぱり、志条さんは今の仕事は辞めちまうんですね……学業に専念てことですか」
少しだけ残念そうな社長の方に、彩人は営業用の笑顔で向き直る。
「というより、いろいろあって前みたいな力技の除霊が出来なくなってしまったので、お仕事として引き受けるのは辞めようと思うんです。霊視だけならまだ出来るので、何か起きた時は前と同じように呼んでください。お金は結構ですから」
「いやいや、そういう訳にはいきませんて。もしお呼びする事がありゃ、そんときは今まで通りにお支払いしますから」
「いいんです……そういうことで生計を立てるのはやめるって、猛さんとも約束したので」
彩人が譲らないのを見て、社長が困ったように頭を搔く。そんな二人を見比べて、実秋さんが何やら楽しげに手を合わせた。
「だったら、そういう時はウチでご飯を食べて行って貰えばいいんじゃない? もちろん猛くんも一緒に」
突然の実秋さんからの提案に、彩人が目を丸くする。
「ご飯……?」
「そうよぉ。お代には足りないかもしれないけど、男の子二人じゃ食費も大変でしょ? なんならお仕事じゃなくても好きな時に来たらいいわ。どうせ美優だって、しょっちゅう友達とか彼氏とか連れてくるんだから」
彼氏という単語を聞いた途端、社長が何とも言えない表情になる。
「美優の彼氏の話はすんじゃねえ」
「あんたまだそんな事言ってるの? あんな良い子の何が気に入らないんだか」
呆れた様子の実秋さんの後ろで、ソウさんが愉快そうに笑う。
「そりゃ兄貴は気に食わねえよなあ。だってホントんとこは、猛に婿に来て欲しかったんだからよお」
悪気のないソウさんの言葉に、今度は俺が顔を引き攣らせる番だった。
「あら、確かにそれはいいわね。美優の彼氏くんも良い子だけど、猛くんがお婿に来てくれるのも素敵だわあ。あと二十歳若ければ、私がお嫁に行きたいくらい」
「おい」
楽しそうなやり取りを聞きながら、俺は一人で冷や汗をかいていた。実秋さん達に悪気がないのはわかっているが、彩人の前で余計な事を言わないで欲しい。最近分かった事だが、こいつはかなりのヤキモチ妬きなのだ。
「あー……やめてくださいよ、そんな……美優ちゃんの彼氏にも社長にも悪いじゃないすか」
「……猛さん」
「んだよ彩人、今俺が喋ってんだから割り込んでくん、な……」
抗議の言葉を、俺は最後まで口にする事が出来なかった。
「…………っ?!」
俺の首にぶら下がるように飛びついてきた彩人が、その唇で強引に俺の口を塞いできたせいだ。
柔らかい唇の感触に飲み込まれて思考停止した俺の横顔に、社長達の呆気に取られたような視線が突き刺さる。数秒ほどそうした後で俺の唇を解放すると、そのまましっかりと俺に抱きつきながら、彩人が社長達の方へ顔を向けた。
「猛さんは僕のお嫁さんになるので、他の人と結婚なんてしません!」
その言葉を聞いた後、ようやく俺は我に返った。
「ひ……人前でなんつうマネしやがんだこのエロガキ!!」
「む。だって、猛さんは僕のお嫁さんになってくれるって」
「お嫁さんとは一言も言ってねえよ! 俺はただ……」
いつもの調子で彩人の頬っぺたを捻りあげようとして、穴が開きそうなくらいに俺の顔を凝視している社長の視線に気がついた。
「あ……いや、これは違うんすよ。いや、違わねえけど違うっつーか……その……」
しどろもどろになって言い訳をする俺をじっと見上げて、社長がタヌキのようなタレ目を瞬く。
「まあ……なんだ。人生いろいろあるわな」
しみじみと吐き出されたその言葉に、ソウさんと実秋さんもウンウンと頷いている。ちくしょう。なんで俺がこんな辱めを受けなきゃいけないんだ。
火を吹いたように顔が熱くなるのを感じながら、もはや何の遠慮もなく抱きついてくる彩人の姿を見下ろす。こうやって散々振り回されても、あまり邪険に出来ない自分が憎い。こうしてまっすぐに求められる事も案外悪くないのだと、すっかり思い知らされてしまったせいだ。
そんな俺達二人を、社長達は何やら微笑ましげに見守っている。バカにしたり、笑ったりなんてしない。
やっぱりみんな良い人だな、ここの人達は。
ああ、本当に……俺は幸せ者だ。
帰るべき場所と、共に歩むべき人。ろくでもない事ばかりだった人生の先で、俺はこんなにもたくさんの大切な物を手に入れた。
この先続いていく時間の中に、再び翳りが差す日が来ても、きっともう迷わずに歩いて行けるだろう。
いつだって、隣を見れば、俺の生きる理由がそこにあるのだから。
「いろいろとご面倒おかけしました」
社長のデスクの前に立って俺が頭を下げると、社長の奥さん……実秋さんが近づいてきて、背中をペシっと叩かれた。
「猛くんが頭下げることなんてないでしょ! それより、帰ってきてくれて嬉しいわ」
「……っす。実秋さんにもご心配おかけしました」
「いいのよぉ。もともとはウチの人がややこしいこと言ったのが悪いんだから。この人ね、猛くんが出て行っちゃったあと、美優にずいぶん怒られてしょげてたのよ。だから猛くんが戻って来てくれて本当に良かったって思ってるの」
「おい、余計な事を言うんじゃねえよ」
ケラケラと笑う実秋さんの横で、デスクに座った社長が少し居心地悪そうに言う。誰が置いたのか知らないが、社長が愛用しているペン立ての前に、小さなハロウィンのカボチャが並んでいた。
「まあまあ、細かいことはもういいだろ。猛は明日から復帰すんだよな? 家は? そのまま志条さんのとこに住むのか」
事務所の端っこにある応接スペースから引っ張ってきた丸椅子に座って、ソウさんが執り成すように声を上げる。その膝の上では、サブローが腹を見せてソウさんに甘えていた。箕田村家の一件で拾った猫を世話していると話して以来、ソウさんはずっとサブローに会いたがっていたのだ。
「そうすね。引越しの手続きとかも面倒だし、このままルームシェアって形にするつもりっす。こいつも霊媒師辞めるし、収入的にもアレなんで」
隣で黙って話を聞いている彩人の頭に手を置いて、俺は今の状況を端的に説明した。これからもこいつと二人で暮らす事に決めた理由は、収入面の問題だけではないのだが……まあ、それは今ここで言わなくてもいい事だろう。
「やっぱり、志条さんは今の仕事は辞めちまうんですね……学業に専念てことですか」
少しだけ残念そうな社長の方に、彩人は営業用の笑顔で向き直る。
「というより、いろいろあって前みたいな力技の除霊が出来なくなってしまったので、お仕事として引き受けるのは辞めようと思うんです。霊視だけならまだ出来るので、何か起きた時は前と同じように呼んでください。お金は結構ですから」
「いやいや、そういう訳にはいきませんて。もしお呼びする事がありゃ、そんときは今まで通りにお支払いしますから」
「いいんです……そういうことで生計を立てるのはやめるって、猛さんとも約束したので」
彩人が譲らないのを見て、社長が困ったように頭を搔く。そんな二人を見比べて、実秋さんが何やら楽しげに手を合わせた。
「だったら、そういう時はウチでご飯を食べて行って貰えばいいんじゃない? もちろん猛くんも一緒に」
突然の実秋さんからの提案に、彩人が目を丸くする。
「ご飯……?」
「そうよぉ。お代には足りないかもしれないけど、男の子二人じゃ食費も大変でしょ? なんならお仕事じゃなくても好きな時に来たらいいわ。どうせ美優だって、しょっちゅう友達とか彼氏とか連れてくるんだから」
彼氏という単語を聞いた途端、社長が何とも言えない表情になる。
「美優の彼氏の話はすんじゃねえ」
「あんたまだそんな事言ってるの? あんな良い子の何が気に入らないんだか」
呆れた様子の実秋さんの後ろで、ソウさんが愉快そうに笑う。
「そりゃ兄貴は気に食わねえよなあ。だってホントんとこは、猛に婿に来て欲しかったんだからよお」
悪気のないソウさんの言葉に、今度は俺が顔を引き攣らせる番だった。
「あら、確かにそれはいいわね。美優の彼氏くんも良い子だけど、猛くんがお婿に来てくれるのも素敵だわあ。あと二十歳若ければ、私がお嫁に行きたいくらい」
「おい」
楽しそうなやり取りを聞きながら、俺は一人で冷や汗をかいていた。実秋さん達に悪気がないのはわかっているが、彩人の前で余計な事を言わないで欲しい。最近分かった事だが、こいつはかなりのヤキモチ妬きなのだ。
「あー……やめてくださいよ、そんな……美優ちゃんの彼氏にも社長にも悪いじゃないすか」
「……猛さん」
「んだよ彩人、今俺が喋ってんだから割り込んでくん、な……」
抗議の言葉を、俺は最後まで口にする事が出来なかった。
「…………っ?!」
俺の首にぶら下がるように飛びついてきた彩人が、その唇で強引に俺の口を塞いできたせいだ。
柔らかい唇の感触に飲み込まれて思考停止した俺の横顔に、社長達の呆気に取られたような視線が突き刺さる。数秒ほどそうした後で俺の唇を解放すると、そのまましっかりと俺に抱きつきながら、彩人が社長達の方へ顔を向けた。
「猛さんは僕のお嫁さんになるので、他の人と結婚なんてしません!」
その言葉を聞いた後、ようやく俺は我に返った。
「ひ……人前でなんつうマネしやがんだこのエロガキ!!」
「む。だって、猛さんは僕のお嫁さんになってくれるって」
「お嫁さんとは一言も言ってねえよ! 俺はただ……」
いつもの調子で彩人の頬っぺたを捻りあげようとして、穴が開きそうなくらいに俺の顔を凝視している社長の視線に気がついた。
「あ……いや、これは違うんすよ。いや、違わねえけど違うっつーか……その……」
しどろもどろになって言い訳をする俺をじっと見上げて、社長がタヌキのようなタレ目を瞬く。
「まあ……なんだ。人生いろいろあるわな」
しみじみと吐き出されたその言葉に、ソウさんと実秋さんもウンウンと頷いている。ちくしょう。なんで俺がこんな辱めを受けなきゃいけないんだ。
火を吹いたように顔が熱くなるのを感じながら、もはや何の遠慮もなく抱きついてくる彩人の姿を見下ろす。こうやって散々振り回されても、あまり邪険に出来ない自分が憎い。こうしてまっすぐに求められる事も案外悪くないのだと、すっかり思い知らされてしまったせいだ。
そんな俺達二人を、社長達は何やら微笑ましげに見守っている。バカにしたり、笑ったりなんてしない。
やっぱりみんな良い人だな、ここの人達は。
ああ、本当に……俺は幸せ者だ。
帰るべき場所と、共に歩むべき人。ろくでもない事ばかりだった人生の先で、俺はこんなにもたくさんの大切な物を手に入れた。
この先続いていく時間の中に、再び翳りが差す日が来ても、きっともう迷わずに歩いて行けるだろう。
いつだって、隣を見れば、俺の生きる理由がそこにあるのだから。
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