没落令嬢の華麗なる狂詩曲 〜奴隷堕ちした令嬢がハーレムを築くまでの軌跡〜

中原星道

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第二幕 変転のコリンヴェルト

第7話 没落令嬢の頼み事

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「おや? お二人ともこのようなところでお会いするとは思いませんでしたよ」

 その時、ミゲルという団子鼻の男が建てたという娼館の中からヤンが現れ、ララたちの姿を見て驚きの声を上げる。

 ララは当初の目的を思い出し、

「ヤン殿。お願いしたいことがございまして参りました」

 そう告げると、

「ミゲルさん。情報をいただきありがとうございました」

 今度は団子鼻の男に礼を述べる。

「いいよ、別に。それより二人とも、気が向いたらウチで働いてよね」

 その男の言葉に反応を示したヤンが、

「お二人とも娼婦をやられるのですか?」

 そう問うと、

「やりませんッ!!」
「やらないよッ!!」

 鋭い眼光を向けて同時に否定するのだった。



 表通りに戻ったララとミレーヌとヤンの三人。

「ヤン殿がわたくしを軽くあしらったという技、それを伝授願えないでしょうか?」

 時刻はちょうど昼下がりということでひとまず食事処に入りパンを食した後、ララは深々と頭を下げて本題を切り出す。

 それに対してヤンは、黙したまま少女を見下ろす。
 長い沈黙が続くが、二人はそのまま微動だにしない。

「ヤン殿、アタシからもお願いするよ! いいや、アタシにも教えて欲しい!!」

 まるで我慢比べのような状況の中、今度はミレーヌが同じように頭を下げて請う。

 ヤンはひとつ大きなため息を吐いてから、ようやく口を開いた。

「私があの時使った技。あれは発勁と呼ばれるもので、私の母国で古より伝わる武術に用いられるもので、力を発する技術のことを言います。私は長い年月修練を積み重ね、石をひとつひとつ積み上げていくような苦心惨澹くしんさんたんの思いで磨いて参りました」

 ここでひとつ深呼吸を置いてから、彼は再び淡々とした口調で語り出す。

「それは先人たちが築き上げたものを脈々と受け継ぎ、研鑽を重ねた結果の賜物であり、私が会得したものなどそのほんのひと握りに過ぎません。それだけ武術というものは道が長く奥の深いものなのです」

 そしてヤンはここから少し語気を強め、

「それを貴女は会得したいとおっしゃられる。果たしてそれはいかほどのお覚悟なのでしょうか? 長い年月を私と共に過ごされるおつもりでしょうか? それを会得して、貴女は一体何を成すおつもりなのでしょうか?」

 とがめるでもなく、言いくるめるでもなく、因果を含めたような口調で言うのだった。

「わたくしは……」

 途端に言葉に窮する。

 たしかに彼女たちの要望は、あまりにも軽薄であり礼を欠くものだったかもしれない。

 しかし、それでも退く訳にはいかなかった。
 たとえ呆れられたとしても、相手を怒らせることになったとしても、恥を忍んで前に進まなければならないのだから。

「失礼なことは重々承知しております。アナタが血の滲むような思いで習得したものを、このような小娘に教えろと言っているのですから。ですが、わたくしは強くなりたいのです! もう二度と負けないために。大切なものを失わないために……。どうか、わたくしに力をお与えくださいませッ!!」

 ララは思いの丈を叫び、再び頭を下げる。

「アタシもだよ! アタシはララより強くはないから足手まといになりたくない。いや、ララを助けられるくらい強くなりたいんだ!!」

 それに倣うようにミレーヌも秘めたる思いを叫び、頭を下げる。

 ヤンは再び黙していたが、

「少し格好つけ過ぎてしまったみたいですね」

 そう言って破顔する。

 首をかしげながら二人は顔を上げる。

「偉そうに語って脅すようなことをしてしまいましたが、詰まるところ理由など何でも良いのです。私とて、自分を見下した者たちに復讐したいという愚昧ぐまいな理由で武術を学んだのですから」
「それでは……」

 ヤンはコクリとうなずき、

「お二人の熱意は受け取りました。出来る限り協力させていただきます」

 胸の前で左手のひらに右拳を重ね合わせて言うのだった。
 


 ガレヌ川は隣国エスペラント王国に発しアルセイシア王国南西部を流れる大河である。
 その大河は長さ六百キロメートル以上にも及び、このコリンヴェルトの町を縦断して海へと合流する。

 そして、ララとミレーヌはヤンの後について歩き、コリンヴェルト北部にあるガレヌ川と海が合流する河口へとやって来た。
 発勁の伝授を願った二人は、なぜヤンがこんなところまで連れて来たのかまるで見当がつかなかった。

「ここならよく見えるでしょう」

 河口の高台に立ち、ヤンは満足げにうなずく。

「あの、ヤン殿。ここに一体何が――」

 ララの問いに答えるようにヤンが河口を指差し、

「面白いものが見れますよ」

 ただひとこと告げるのだった。

 首をかしげながらも、二人は言われた通り河口に目を向ける。

 そしてそのまま待ち続けて数分が経過した時だった――

 突然、河口に入る潮波が垂直壁となって押し寄せ、轟音と共に河川を逆流し始める。
 その大波は軽々と陸地へと流れ込み、ララたちが立つ高台のすぐ真下にまで迫って来るのだった。
 同じように河口付近にいた人たちは歓声を上げてその不思議な現象を楽しんでおり、中にはその波に飲まれて
遠くまで流されてしまう者もいた。

 ララとミレーヌは呆気に取られた面持ちで初めて目撃するその現象を見送り、言葉を失うのだった。

「い、今のは一体何なんですの?」
海嘯かいしょうですよ」
海嘯かいしょう?」
「月に二度、大潮の満潮時に河口に入る潮が波となって押し寄せ川が逆流する現象です」

 ヤンは淡々とした口調で説明する。

「いやぁ、驚いたよ。人があんな簡単に流されちまうなんてね」
「自然の前では人など塵にも等しい存在でしかありません」
「たしかにそうですわね。ですがヤン殿。わたくしたちにそれを見せたのは、一体どのような意図があってのことなんですの?」
「アナタたちには自然を感じ、自然と一体になっていただきます」

 ヤンは二人の方へ向き直り、涼やかな声で告げた。

「自然と……一体に?」

 そのあまりにも抽象的な文言に、二人はより戸惑いを深めるばかりだった。

「ええ。先ほどの海嘯かいしょうをご覧いただいた通り、普段は起こり得ない現象が生じたのは、大潮という満潮と干潮の潮位差が一番大きくなる時期と満潮というタイミングが重なり合ったからです。つまり、干潮時にエネルギーを最大限まで溜めこみ、それを満潮時に一気に解き放った訳です」
「それはもしかして、ヤン殿がおっしゃられた力を発する技術――発勁の原理と同じ、ということですのね?」

 そう察したララが答えると、ヤンは満足げにコクリとうなずいた。

「発勁は決して超常的なものではありません。発生させた運動量を対象に作用させるだけの単純なものであり、要はいかに効率よく最大限の力を発することができるかで、その効果が決まるのです。私どもの武術ではよく『気』という言葉を使いますが、これは体の伸筋の力、張る力、重心移動の力などを指し、いかに無駄なく力を伝達する道を開くかが肝要なのです」

 初めて耳朶じだに触れる言葉の目白押しだが、ララたちはそれを一言たりとも漏らすまいと真剣な眼差しで耳をかたむける。

「そして、この『気』の流れ――すなわち力を伝達するための道筋を自身で認識するために、自然を感じ、自然と一体化することが必要となるのです。要は、エネルギーが体の中をどう循環しているのか。それをどうすればコントロール出来るか。それを知っていただきたいのです」
「なるほど、自然と一体になるというは、そのためのものだったのですね」

 その玄妙げんみょうたる理を理解したララたちは、思わず感嘆を漏らすのだった。

「理解が早くて助かります」

 ヤンはそう言うと、近くにあった倒壊した四阿ガゼボの前に立ち、

「すみません。この石柱、壊してしまっても構いませんか?」

 近くにいた老人に問う。

「ああ、その四阿ガゼボはこの前の海嘯かいしょうで崩れてしまってな。いずれ撤去しなければならんと思ってたところじゃ。壊してくれるなら逆にありがたい」
「了解しました」

 老人の返答を受け、ヤンは一本の太い石柱に手を触れると、

「お二人とも、よく見ていてください」

 そう言って大きく深呼吸をしながらおもむろに腰を落とす。

 折れているとはいえ、ヤンの身長よりも高く、直径三十センチ以上はあろうかという重厚な石柱だ。
 一体何をするのだろうと、ララやミレーヌだけでなく、そこを通りかかる者も思わずそちらに視線を向ける。

ぁぁぁぁぁ……」

 腹の底からり出すように声を発し、ゆっくりと左手を引きながら同時に腰を捻る。
 そして、前に突き出した右手と引いた左手が石柱に対して一直線となったところで静止し、

ッッッ!!!」

 腹から弾け出すような気合いの声を発し、ヤンは腰の捻りと共に左手の掌底を一気に押し出して石柱を突くと、

 ドゴオォォォォォッッッ!!!

 轟音を上げながら、堅硬なはずの石柱がまるで砂塵のごとく粉々に粉砕されてしまう。

 とても人間業とは思えないその芸当に、ララたちは思わずぽかんと開口してしまう。

「とりあえずお二人にはこれが出来るようになっていただきます」

 まるで片手間程度の軽い仕事だ、と言わんばかりのその口調にララとミレーヌはブンブンと首を横に振り、無理だ、と主張した。

「時間はたくさんあります。気負わずに頑張ってみてください」

 ヤンはそう言うと小さく笑い、服の袖をひるがえして踵を返す。

 その時、裾の先に見たことのない不思議な紋が刺繍されているのを、ララは垣間見るのだった。

 
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