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003話 椎名と老人と人見知り
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目を覚ましたシーナの前には、薄暗い天井が見えていた。
「知らない天井だ……」
天井には黒っぽい木材が使われており、隅の方には白い蜘蛛の巣が張っているのが見える。
いまどき天井に梁が見えている建物なんて、ログハウスかおしゃれ住宅くらいのものだろう。長年アパートで独り暮らしをしていた椎名には、まごうことなき知らない天井であった。
起き抜けに定番のセリフを呟いた椎名は、ゆっくりと上半身を起こした。すると、身体の上にかけてあった何かがずり落ちる。
「ん?」
どうやら椅子をベッド代わりにして寝ていたようだ。起き上がったせいで、身体の上にかけられていた毛布が落ちてしまっている。
「あ、あぁ……そうか、あの女の子に泊めてもらったんだっけ」
ゆっくりと覚醒していく頭で、昨夜の少女との邂逅を思い出していた。
男の名前は椎名誠人。
見た目も中身も生粋の日本人である。
朝はパンよりご飯派であり、目玉焼きには醤油をかける派であり、こしあんよりつぶあん派な、どこにでもいるような日本のサラリーマンであった。
そう、ついひと月程前までは……。
「ふぁぁあ……っと」
椅子の上で伸びをした後、椎名は部屋の中を見回した。
部屋の壁は白(ちょっと黄ばんでいるが)の漆喰で塗り固められており、所々に埋め込まれたように木の柱が立っている。床は石と煉瓦が敷き詰められているが、一部は踏み固められた土のような地面が見え隠れしていた。
中世ヨーロッパの民家といった感じだろうか? まぁ、椎名は海外の古い家など実際に見たことはないのだが……ファンタジーといえば中世ヨーロッパだろう。
そう! この世界はファンタジー世界なのだ!!
人々は科学の代わりに魔法を発展させ、神殿では神官が神に祈って奇跡を起こし、町の外ではモンスターや盗賊が馬車や旅人を襲ったりしているのだ。
ここはまさに、剣と魔法と危険が溢れる、中世ヨーロッパ風ファンタジーなのだ!
しかし三十路過ぎのおじさんである椎名誠人は、化学が発展した便利な現代日本の生活から、火打石で火を起こすようなレトロでロハスな生活への急な変化に、なかなか馴染めずにいた。
「はぁ~、ベッドが硬くて体が痛い」
ベッド代わりにしていた長椅子から立ち上がると、ゆっくりと肩や首を回して寝ている間に固まっていた筋肉を伸ばしていく。
「あし、つめた……」
寝ている間は靴を脱いでいたので、今は素足で床に立っている。あたりを見回して脱いでおいた靴と靴下を探すと、暖炉のまえに吊るしてあるそれらを見つけた。
どうやら長屋の大家さん――リコットちゃんが、寝る前まで火を入れてあった暖炉で、濡れた靴と靴下を乾かしてくれていた様だ。確認すると両方ともしっかりと乾いていた。
「おぉ、気が利く娘だなぁ」
再度椅子に座り直した椎名は、足の裏についた土埃を払い、干してあった靴下を履いていく。
両方の靴下を履き終わり、続けて靴を履いている途中で背後に視線を感じて振り向くと……そこには、部屋の入り口から顔を半分覗かせたおじいさんがいた。
「…………」
「…………えっと」
「…………」
「お、おはよう……ござい……ます?」
「…………ぉぅ」
椎名は勇気を振り絞り、不気味な老人の顔左半分に挨拶をしてみたのだが……おじいさんはそのままの体勢で動かず、小声で何か返事をしている。
これは、どういう状況なのであろうか? 薄暗い部屋の中で見つめあう男と老人。気まずい空気が部屋の中に漂っていた。
(なんだこの状況は? 誰か他にいないのか?)
助けを求めるように、きょろきょろと辺りを見回し他の人間を探す椎名を見て、おじいさんもなぜか辺りを見回している。
どうやら誰もいない様だ。仕方がないのでおじいさんとなんとかコミュニケーションを図ろうとする。
「あ、えぇ~っと、大家さんは……」
「……」
「あのぉ……」
「……居らん」
「そ、そうですか……あの、すいません」
別に、何も悪くはないのに謝ってしまう。相手のそっけない態度で、会話は強制終了させられてしまう。もう、何を話せばいいのかわからなくなってきた。
そんなやり取りで、彼のメンタルが限界を迎えようとしていたそのとき、静寂を破って外から部屋の中へと飛び込んでくる声があった。
「ただいま~! いや~、疲れた疲れた……麦の刈り入れ時期に嵐が来るなんてさぁ、まったくついてなかったよ」
その声の主は、椎名よりもいくらか年下だと思われる妙齢の女性だった。
彼女はこげ茶色の髪の毛を揺らしながら、大きな袋を両手で抱えて部屋に入ってきた。
「あら、お客さんかい? どーも、こんにちは」
「あ、こんにちは」
どうやらこの人は話が通じそうだと、内心でほっとする椎名。
「おや、アーロンさんじゃないか? こんな時間に部屋から出てるなんて珍しいねぇ。この人、アーロンさんのお客さん……なわけないね、リコちゃんのお客さんかしらね」
そう言って抱えていた袋を地面に下ろすと、椎名の方に向かって歩いてくる。
「私は”アンナ”ここの長屋の住人さ、よろしくね」
「どうも、椎名です。大家さんのご厚意で一晩こちらに泊めてもらってたんですけど、起きたら大家さんがいないみたいで……」
アンナと名乗った女性に、椎名は自己紹介と軽い状況説明をする。
「そうかい、このじいさんはアーロンさん……ひきこもりの人見知りだから、初対面の人とは話が続かないんだよ。二人っきりじゃあ大変だったろうねぇ」
――身内には無駄に沢山喋るくらいなんだけどねぇ。
そう言ってケラケラと笑うアンナ。それを見てアーロンと紹介されたおじいさんはムスっとした顔をしている。
「それで、リコちゃんはいないのかい?」
「……嬢ちゃんは森に薬草採取じゃな」
どうやらアーロンはアンナとは平気しゃべれるようで、普通に受け答えをしている。
「へぇ~、相変わらず働き者だねぇ……あれ、なんだか良い匂いがするじゃあない」
「ああ、嬢ちゃんがそこの男の朝飯をつくってから出てったんじゃよ。アンナさん、アンタの分もあるぞ」
そう言い残してアーロンは奥の方へと戻っていく。それを見たアンナは地面に置いていた袋を担ぐと、アーロンを追いかけて隣の部屋へと入って行った。
「さっすがリコちゃんだね、わかってるわ! あ、この袋は仕事先で現物支給された小麦だよ。今月の家賃のかわりね」
「今月の家賃ってアンタ、先月も払っとらんじゃろうに」
「え~? これだけあったら二か月分にならないかねぇ?」
「じゃが、これ精麦(外皮を取り除くこと)されとらんじゃろ。小麦粉にまでしたら大した量にはならんじゃろうに……それに、これは大麦じゃぞ」
「なにぃ~~あたしゃ騙されたのかい!? くっそ~いやに太っ腹だと思ったら……」
「いやいや、刈り取りを数日手伝った程度ならこんなもんじゃろ」
そんな賑やかなやり取りが隣の部屋から聞こえてくる。なんだか一人取り残されたような状態で、楽しそうな声を聞きながら微妙な気分で立ちすくむ椎名に、隣から戻ってきたアンナが声をかけてきた。
「ちょっとちょっと、なにぼーっとしてんだい! アンタの分もあるからこっちにきてご飯を食べなよ。いまアーロンさんが温め直してるからさぁ」
どうやら向こうは台所になっているようで、いい匂いはあちらからしてくるようだ。
「いえ、そこまでお世話になるわけには……」
「なにいってんの、もう準備してあるんだからさ。人の好意は素直に受けるもんだよ」
「まぁ、アンタはなんにもしとらんがな」
さも自分の好意を受けなさいというアンナの態度に、アーロンのツッコミが入る。一度は遠慮してみたものの、昨日何も食べていなかった椎名の胃は空っぽの状態であり、アンナの誘いに簡単に屈してしまう。
「そ、それじゃあ……遠慮なくいただきます」
「ほら、こっちに来て座りなよ。リコちゃんとの関係も聞きたいしねぇ」
「はぁ……関係ですか?」
なんのことか分からない椎名は、首をかしげながらも隣の部屋へと歩いていく。台所ではアーロンがかまどの火をいじりながら声をあげる。
「そうじゃな、嬢ちゃんは恥ずかしがって否定しとったが、やっぱりワシは怪しいと思っとるんじゃ」
どうやら知り合いがいると人見知りも多少緩和されるらしく、アーロンは椎名にリコットとの関係ついて言及してきた。
「コヤツはきっと嬢ちゃんのコレなんじゃろうよ」
そう言って親指を突き立ててぴこぴこさせるアーロン。
どうやらこのへんのジェスチャーは日本と同じらしい。そして、何やら壮大な勘違いが発生しているようだ。
「知らない天井だ……」
天井には黒っぽい木材が使われており、隅の方には白い蜘蛛の巣が張っているのが見える。
いまどき天井に梁が見えている建物なんて、ログハウスかおしゃれ住宅くらいのものだろう。長年アパートで独り暮らしをしていた椎名には、まごうことなき知らない天井であった。
起き抜けに定番のセリフを呟いた椎名は、ゆっくりと上半身を起こした。すると、身体の上にかけてあった何かがずり落ちる。
「ん?」
どうやら椅子をベッド代わりにして寝ていたようだ。起き上がったせいで、身体の上にかけられていた毛布が落ちてしまっている。
「あ、あぁ……そうか、あの女の子に泊めてもらったんだっけ」
ゆっくりと覚醒していく頭で、昨夜の少女との邂逅を思い出していた。
男の名前は椎名誠人。
見た目も中身も生粋の日本人である。
朝はパンよりご飯派であり、目玉焼きには醤油をかける派であり、こしあんよりつぶあん派な、どこにでもいるような日本のサラリーマンであった。
そう、ついひと月程前までは……。
「ふぁぁあ……っと」
椅子の上で伸びをした後、椎名は部屋の中を見回した。
部屋の壁は白(ちょっと黄ばんでいるが)の漆喰で塗り固められており、所々に埋め込まれたように木の柱が立っている。床は石と煉瓦が敷き詰められているが、一部は踏み固められた土のような地面が見え隠れしていた。
中世ヨーロッパの民家といった感じだろうか? まぁ、椎名は海外の古い家など実際に見たことはないのだが……ファンタジーといえば中世ヨーロッパだろう。
そう! この世界はファンタジー世界なのだ!!
人々は科学の代わりに魔法を発展させ、神殿では神官が神に祈って奇跡を起こし、町の外ではモンスターや盗賊が馬車や旅人を襲ったりしているのだ。
ここはまさに、剣と魔法と危険が溢れる、中世ヨーロッパ風ファンタジーなのだ!
しかし三十路過ぎのおじさんである椎名誠人は、化学が発展した便利な現代日本の生活から、火打石で火を起こすようなレトロでロハスな生活への急な変化に、なかなか馴染めずにいた。
「はぁ~、ベッドが硬くて体が痛い」
ベッド代わりにしていた長椅子から立ち上がると、ゆっくりと肩や首を回して寝ている間に固まっていた筋肉を伸ばしていく。
「あし、つめた……」
寝ている間は靴を脱いでいたので、今は素足で床に立っている。あたりを見回して脱いでおいた靴と靴下を探すと、暖炉のまえに吊るしてあるそれらを見つけた。
どうやら長屋の大家さん――リコットちゃんが、寝る前まで火を入れてあった暖炉で、濡れた靴と靴下を乾かしてくれていた様だ。確認すると両方ともしっかりと乾いていた。
「おぉ、気が利く娘だなぁ」
再度椅子に座り直した椎名は、足の裏についた土埃を払い、干してあった靴下を履いていく。
両方の靴下を履き終わり、続けて靴を履いている途中で背後に視線を感じて振り向くと……そこには、部屋の入り口から顔を半分覗かせたおじいさんがいた。
「…………」
「…………えっと」
「…………」
「お、おはよう……ござい……ます?」
「…………ぉぅ」
椎名は勇気を振り絞り、不気味な老人の顔左半分に挨拶をしてみたのだが……おじいさんはそのままの体勢で動かず、小声で何か返事をしている。
これは、どういう状況なのであろうか? 薄暗い部屋の中で見つめあう男と老人。気まずい空気が部屋の中に漂っていた。
(なんだこの状況は? 誰か他にいないのか?)
助けを求めるように、きょろきょろと辺りを見回し他の人間を探す椎名を見て、おじいさんもなぜか辺りを見回している。
どうやら誰もいない様だ。仕方がないのでおじいさんとなんとかコミュニケーションを図ろうとする。
「あ、えぇ~っと、大家さんは……」
「……」
「あのぉ……」
「……居らん」
「そ、そうですか……あの、すいません」
別に、何も悪くはないのに謝ってしまう。相手のそっけない態度で、会話は強制終了させられてしまう。もう、何を話せばいいのかわからなくなってきた。
そんなやり取りで、彼のメンタルが限界を迎えようとしていたそのとき、静寂を破って外から部屋の中へと飛び込んでくる声があった。
「ただいま~! いや~、疲れた疲れた……麦の刈り入れ時期に嵐が来るなんてさぁ、まったくついてなかったよ」
その声の主は、椎名よりもいくらか年下だと思われる妙齢の女性だった。
彼女はこげ茶色の髪の毛を揺らしながら、大きな袋を両手で抱えて部屋に入ってきた。
「あら、お客さんかい? どーも、こんにちは」
「あ、こんにちは」
どうやらこの人は話が通じそうだと、内心でほっとする椎名。
「おや、アーロンさんじゃないか? こんな時間に部屋から出てるなんて珍しいねぇ。この人、アーロンさんのお客さん……なわけないね、リコちゃんのお客さんかしらね」
そう言って抱えていた袋を地面に下ろすと、椎名の方に向かって歩いてくる。
「私は”アンナ”ここの長屋の住人さ、よろしくね」
「どうも、椎名です。大家さんのご厚意で一晩こちらに泊めてもらってたんですけど、起きたら大家さんがいないみたいで……」
アンナと名乗った女性に、椎名は自己紹介と軽い状況説明をする。
「そうかい、このじいさんはアーロンさん……ひきこもりの人見知りだから、初対面の人とは話が続かないんだよ。二人っきりじゃあ大変だったろうねぇ」
――身内には無駄に沢山喋るくらいなんだけどねぇ。
そう言ってケラケラと笑うアンナ。それを見てアーロンと紹介されたおじいさんはムスっとした顔をしている。
「それで、リコちゃんはいないのかい?」
「……嬢ちゃんは森に薬草採取じゃな」
どうやらアーロンはアンナとは平気しゃべれるようで、普通に受け答えをしている。
「へぇ~、相変わらず働き者だねぇ……あれ、なんだか良い匂いがするじゃあない」
「ああ、嬢ちゃんがそこの男の朝飯をつくってから出てったんじゃよ。アンナさん、アンタの分もあるぞ」
そう言い残してアーロンは奥の方へと戻っていく。それを見たアンナは地面に置いていた袋を担ぐと、アーロンを追いかけて隣の部屋へと入って行った。
「さっすがリコちゃんだね、わかってるわ! あ、この袋は仕事先で現物支給された小麦だよ。今月の家賃のかわりね」
「今月の家賃ってアンタ、先月も払っとらんじゃろうに」
「え~? これだけあったら二か月分にならないかねぇ?」
「じゃが、これ精麦(外皮を取り除くこと)されとらんじゃろ。小麦粉にまでしたら大した量にはならんじゃろうに……それに、これは大麦じゃぞ」
「なにぃ~~あたしゃ騙されたのかい!? くっそ~いやに太っ腹だと思ったら……」
「いやいや、刈り取りを数日手伝った程度ならこんなもんじゃろ」
そんな賑やかなやり取りが隣の部屋から聞こえてくる。なんだか一人取り残されたような状態で、楽しそうな声を聞きながら微妙な気分で立ちすくむ椎名に、隣から戻ってきたアンナが声をかけてきた。
「ちょっとちょっと、なにぼーっとしてんだい! アンタの分もあるからこっちにきてご飯を食べなよ。いまアーロンさんが温め直してるからさぁ」
どうやら向こうは台所になっているようで、いい匂いはあちらからしてくるようだ。
「いえ、そこまでお世話になるわけには……」
「なにいってんの、もう準備してあるんだからさ。人の好意は素直に受けるもんだよ」
「まぁ、アンタはなんにもしとらんがな」
さも自分の好意を受けなさいというアンナの態度に、アーロンのツッコミが入る。一度は遠慮してみたものの、昨日何も食べていなかった椎名の胃は空っぽの状態であり、アンナの誘いに簡単に屈してしまう。
「そ、それじゃあ……遠慮なくいただきます」
「ほら、こっちに来て座りなよ。リコちゃんとの関係も聞きたいしねぇ」
「はぁ……関係ですか?」
なんのことか分からない椎名は、首をかしげながらも隣の部屋へと歩いていく。台所ではアーロンがかまどの火をいじりながら声をあげる。
「そうじゃな、嬢ちゃんは恥ずかしがって否定しとったが、やっぱりワシは怪しいと思っとるんじゃ」
どうやら知り合いがいると人見知りも多少緩和されるらしく、アーロンは椎名にリコットとの関係ついて言及してきた。
「コヤツはきっと嬢ちゃんのコレなんじゃろうよ」
そう言って親指を突き立ててぴこぴこさせるアーロン。
どうやらこのへんのジェスチャーは日本と同じらしい。そして、何やら壮大な勘違いが発生しているようだ。
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