The Doomsday

Sagami

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Sparks

0:過ぎ去りし日の記憶 水無月先代の場合

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ゆっくりと心の臓を貫く鉄の感触、鼓動が徐々に弱くなって行くのを感じる。今更ながらに思い出すは過去のこと、走馬灯のように記憶が流れてゆく。



少女が父親とともに実家を出たのは10歳の頃だった。月のない宵闇の中、古びた日本家屋を出る。その細腕を父親に手を引かれ駆けてゆく。

「ねえ、御父さん、どうしたの」

少女は父親が何に追われているのかを知らない。父親は少女に何も伝えては居ない。父親の足が一瞬止まる、振り返ると息を切らした娘と、実家の影がある。

「ごめんな、後で説明するから、父さんにおぶさられてくれないか」

父親は困ったような笑みを浮かべ、背を少女に向ける。少女の重い身が背に背中越しに感じられる。

「代行様、御当主を連れてどこに行かれるおつもりですか」

暗い影の中から、口元を隠した女が姿を表す。

「緋月か」

父親が奥歯を噛み締める。三月家の護衛を勤める1家の名、三月家の血が途絶えたときの予備の血脈の1つ。

「代行様といえ、御当主様に害を成すようならば見逃すわけには行きません」

護衛の中でも最強の一角である緋月の言葉は冷たい。

「今日、母親の葬式の日に、三月家はこの子に何をしようとした」

それは、今まで親子を影に日向に護ってきていた、護衛者への情への訴え。

「何を、ですか。御当主様にはお役目通り次代を紡いで頂くだけの事です」

それが正しいことだと、護衛者は淡々と断じる。

「この子はまだ10歳だぞ」

「昔ならいざ知らず、医術は発展しております。お命には別状ないかと」

父親は辺りを見回す。幸い、他の護衛は葬式会場にいるように思える。

1人なら

そんな、甘い考えが脳裏に浮かぶ。

「代行様、貴方様は人を殺したことがお在りですか?」

鈴の音のような、澄んだ声。緋月の放ったナイフが父親の頬を横一文字に裂く、薄皮一枚を裂いたそれは赤い筋となる。

「ない・・・が、娘のためならば」

ポケットに手を入れ、葬式会場からくすねた小さな酒瓶を緋月に投げつける。緋月はそれを手にもつナイフの柄で叩き落す。緋月の足元に小さな水溜りが出来た。

「残念です、貴方様には代わりがいますので、排除させていただきます」

淡々と告げる緋月に感情の動きはまるで見られない。親子を見守っていた時の穏やかな笑みは影を潜め、変わらぬ済んだ声だけが間違いなく同一人物であると示している。

「代わりだと、息子を代わりに使うつもりか」

父親の叫びに、緋月は応えない。先の言葉で既に決別した相手に、敢えて返す言葉などはない。

「御父さん?」

少女が背で心配そうな声をかけてくる。

「大丈夫だよ、でも、ちょっと待っててな」

父親は貼り付けたような笑みを浮かべ、少女を近くの木のそばに連れてゆく。緋月もまた、少女を傷つける意思は無いのかその邪魔を行う様子は無い。

「今から、ちょっと緋月お姉さんとお話してくるから、良いって言うまでこの木の陰で反対側を向いて目を閉じて耳を押さえておくんだ」

少女の小さな手を、少女の耳に移動させ、安心させるように笑みを浮かべる。

「待っててくれるなんて、律儀だね」

「当主様に傷をつける訳には行きませんから」

「そう・・・かい、水よ」

緋月の足元の水溜りから水の槍が緋月を襲う、緋月はそれを軽く避け父親は大きく溜息をつく。

「そりゃ、気づくか」

ポケットの中のものを手で弄びつつ、ゆっくりと覚悟を決めてゆく。

「代行とはいえ、水無月の主家の御方、水を警戒しないなど出来ようもありません」

「それは正解だが、ちょっと娘を持つ父親の覚悟と対峙するには足りない」

自虐的な笑みを浮かべ、ポケットの中の物を外に出す。ちょうど、雲の合間から月明かりがそれを照らし出す。『EL』と刻まれた赤いカプセル剤が幾つか。

「表情が変わったか、これが何か君は知ってるようだね」

「貴方こそ本当に知っているのか」

緋月の手がカプセル剤に伸びるが、そのカプセル剤は父親の口内に消えていく。

「5つは、あったか、混ざり物ありとしても明らかに許容量を超えている」

緋月は舌打ちをし、変容する嘗ての護衛対象を見て決意を固める。

当主を害することだけは防がないと・・・と。



少女は闇の中、父親を待っていた。時折、大気が振るえ覆った手を超えて何かの音が聞こえる。心の中で反芻するのは、いつも見守ってくれていた優しいお姉さんと、尊敬する父親の言い争い。その理由はわからない。病弱だった母が弟を産むのと引き換えに死んで僅かに数日。思い出すのは葬式の場で会った、湖月の親子の姿。

「君が水無月の当主になるんだ」

湖月の当主代行の言葉、その足元には、同じ年頃の湖月の家の娘、少女と同じく当主である少女が居た。

「ねえ、貴女、自分がどういう人生送るか興味ない?」

娘は少女に無邪気な笑みを浮かべ尋ねてきた。少女は意味もわからず首を横に振ると、娘はその笑みを深めていく。

「そう、残念。10年後、気が変わってたら今の言葉思い出して」

まるで、本当にこの後どうなるかあの娘はわかっていたのだろうかと少女は思う。私は半日後の、こんな状況さえ想像もつかなかったっていうのに。

手を触れる、暖かい手の感触、耳からゆっくりと手が剥がされてゆく。

「もう大丈夫だよ」

聞きなれた父親の声、薄っすらと目をあけると、まったく知らない表情をした父親の顔が眼前にあった



それからの数年の記憶は無い



父とは違う男性の手に引かれ、訪れたのは小さなアパートの部屋。どこか芯の強そうな女性に、男性は頭を下げている。女性と男性の言い争いに気づいたのか、同じ年頃の少年が私の手を引き部屋へと招き入れてくれる。

「暖かい」

思わず口に出る。季節は冬、父と過ごして居たあの部屋には暖房の1つも無かった。少年はブランケットを私に手渡し、暖房器具の前の椅子に私を座らせる。

「ほら、お前、手が冷たかったからさ」

どこか気恥ずかしそうに少年が告げる。自身の手を見ると、骨と皮だけのような手がある。

「母さん小言始まると長いんだ、何か食べるか?」

少年の言葉にどう答えようかと迷っていると、少年の頭が女性によって叩かれる。

「馬鹿ね、今その子にあんたが食べてるようなもの食べさせたら、吐くに決まってるでしょ」

恨みがましそうな視線を少年が女性に向けているが、女性はどこ吹く風のように見える。
「あなた、平井さんの家から貰ったリンゴまだあったわよね」

「ああ」

罰の悪そうに男性が答え、ダンボール箱からリンゴを1つ投げて渡す。

「サチちゃんに何か食べさせたいなら、これでリンゴジュース造りなさい、あ、そのままじゃダメよお湯でしっかり薄めてね」

女性の言葉に、少年は部屋の奥へと駆けて行った。

「まずは、お久しぶりかしらサチちゃん」

女性は、身体を下げて私に視線の高さを合わせてくる。

「だれ・・・です?」

只でさえ曖昧な記憶の中に女性の姿は無かった。

「そうね、お母さんのお葬式覚えてるかな?私も参列していたんだけど」

父母の実家で行われた母の葬式、水無月家当主である母の死に三月家の関係者が多数参加していたと聞いたのは、大分後の話だった。

「ごめん・・・なさい」

ゆっくりと私は言葉を返す、久々に言葉を喋るのに時間が掛かったが、女性は急かすことなく話しきるのを待っていてくれる。

「いいの、いいの、私も付き合いで出て、さっさと帰った口だから」

「いいのかお前、そんな適当で」

「いいのよ、どうせ居ても腫れ物に触るような扱いなんだから」

男性の抗議にも女性は気にする様子も無い。

「私やこいつじゃ、サチちゃんのお母さんにもお父さんにもなれないけど、遠い親戚みたいなものだから、あんまり気を張らないでね。私達も疲れちゃうし」

「さっきあれだけ小言を言った癖に」

「女の子が来るのよ、準備があるんだから前もって教えてくれないから」

男性の抗議に、女性が返す。視界の片隅で手製のリンゴジュースを手に駆けて来る少年の姿が映る。

「はい、どうぞ」

差し出された、甘い香りのする液体。女性を見上げると、小さく頷いている。

「甘い」

それは、私の中でもっとも幸せだった1年間の記憶の始まり



「姉さん、いい加減、こっちに戻ってきてよ」

弟からの電話を受け、私は小さくため息をつく。あれから色んなことがあって、私は水無月の当主に納まった、聞いた話によると父が私を連れて出奔したあの日からずっと当主は私だったという話だけど正直実感は無い。むしろ、今でも当主だなんて実感は無い。

「ごめんね、私、あっちは苦手で」

本家で産まれてからずっと過ごしている弟と違って、本家での生活はどうも私には気が重い。

「苦手って、祭事以外寄り付きもしないじゃないか、三月家の定例会だって、一回も出てないだろ!」

湖月もだから良いんじゃない、そんな言葉が出そうで止める。私が本家から離れて、双凪市で好きに生活しているのは、その湖月の当主と代行の協力があってのものだ、恩人に泥をかける訳にもいかない。

「サチさん、電話中?」

男の声、青白い顔をした青年、私の初恋の相手で、今の同棲相手。

「うん、実家から、今終わったところだけどね」

電話先からは何か弟が叫んでいるけど、気にせず電話を止める。彼はどこか虚ろな瞳で、1枚の写真を見ている。彼と彼の両親、そして私の写った1枚の写真。1年だけの家族ごっこ。至福の記憶。

「父さんも母さんも若いな」

久しく見てなかった彼の笑みに心が締め付けられる。

「お父さんとは、会ってないの?」

「また世界のどこかで馬鹿やってると思うよ。まあ・・・こんな状況だし、双凪市に帰ってきてるかもしれないけど」

窓の外を見ると雨が降っている。雨雲の中に巨大な影が見える。雷鳴が鳴り、明かりが落ちて、私達は欠けたものを補うかのように互いを求めた。



その数日後、全てが終わった。その日の事を私は覚えていない。



湖月と御月の当主、そして、彼が死に、私は本家へと連れ帰された。住処は座敷牢。彼が居なくなった事に絶望した私は、発作的に自殺を試みたようだ。それを防ぐための座敷牢だという。

「こんな強い香を使って、姉さんは大丈夫なのか」

まどろむ意識の中、弟の声が聞こえる。口元にマスクをして、瞳だけが心配そうな色を浮かべている。

大丈夫

声は出ず、口だけが動く。だらしなく出た涎を弟が愛おしそうにふき取ってくれる。よく出来た弟だと思う。

「こんな状態で姉さんと儀式をしろと・・・必要は無い?姉さんに子供が」

弟の絶望に満ちた声、再びこちらを向いた弟の目には狂気が宿っているように見えた。父さんと同じ、彼と同じ、私と同じ狂気を宿した目。私はどこかおかしくて、笑みを浮かべる。

「堕ろすのは?・・・もう安定期か、予備にはなる父親は」

どこか遠くから聞こえてくるような弟の声。私は無意識にお腹を撫でる。彼と私の子が此処にいると思えば、まだ生きる理由がるように思えた。



そして、今

黒髪の少年が研ぎ澄まされた鉄の塊を手に私の前に立っている。無駄の無い一撃、最短距離で刀身をぶれさす事もなく貫かれた一撃は私の心の臓を貫いた。

「これで、満足でしょうか」

少年は感情の篭っていない声で私に尋ねる。

「ありがとう」

子の育つ姿を見たいがためだけに生きながらえてきた命。私は子供を愛し続けることは出来ないけれど、深い傷となって貴方と伴にありましょう。

「何か妹に伝言は」

私は首を振る、少年を生かすために交わした契約、その結果生まれたもう一人の子に愛はない。

「私はお父さんのところに行くから、しっかり生きたら貴方も私達の所にきてね」

口の中に鉄の味が広がってゆく。

「僕はどう生きれば」

少年の絶望に満ちた声、母の願いのためにその命を奪う事となった哀れな息子。彼が生きていれば、3人で過ごす未来さえあったのかもしれない。

「出来れば幸せに、どうしても無理なら、1つだけ生きる例を示してあげるわ」

それは、小さな思い付き。息子が少しでも生きる可能性をあげるための呪いを私は紡ぐ。
「貴方が憎むあの子、あなたの妹を護りなさい」

霞んだ私の目に、息子の表情は見て取れなかった。
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