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Seam
4:幕間 過ぎ去りし日の記憶 とある獣人の記憶
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宵闇の中、荷馬車が走っている。格子の嵌った天窓は閉じられ、陽の光も月の光さえも荷馬車の中には差し込みはしない。私は膝を抱えて座っている。首に手を当てると金属の冷たい感触が、否が応でも私の立場を思い出させる。夜目の効く私はなんとか薄暗い荷馬車の中でも、周りの様子を見ることが出来る。
「帰りたい」
同じように膝を抱えた子供の小さな声。その子供にも同じような金属の首輪が付けられている。車輪が石を踏んだのか大きく馬車が跳ねる。すし詰めにされている私達は極力声を出さないように、ぐっと我慢する。声を上げれば殴られ、食事を抜かれ、場合によっては処分される。
(この首輪さえなければ)
思わず奥歯を噛みしめる。どういう仕組みか、私達が獣化しようとするとこの首輪は熱を持つ。目の前で脱走を試みた男は、完全に獣化する前に真っ黒な炭になってしまった。
(どうしてこうなったんだろう)
暗い荷馬車の天井を見上げる。野山を駆け、集落の皆と笑いあったのが遙か昔に思える。今頃、父母は私を探しているのだろうか。狩にでも失敗したんだろうと、一晩泣いて明日には忘れているのだろうか。思わず手を強く握る。獣化さえしなければ、体の動きに影響はないように思う。
(チャンスはそう多くない)
逃げるのに失敗すれば、その分警戒される。同じことを思っているのか、目の前の男も口には出さないがいつでも動けるように準備をしている。視界の片隅で痩せた小男がガクガクと震えている。見目のいい若い女子供と、屈強な男たちばかりの荷台で小男の姿は不釣り合いに思う。
馬車が一度大きく揺れ、止まる。
「出ろ」
狩人達の声が外からする。荷馬車の扉の枷がはずされ、扉が開く。彼らに大して特別な悪意はない。私達が生きるために野山の獣を狩るように彼らは日々の生活のために、私達『獣人』を狩るだけの事なのだろう。
(けれど、野山の獣とて最後まで抗うもの)
男と目線を合わせる。男が力任せに扉を開き、狩人達に躍りかかる。荷馬車の中で小男が笛を吹いた。思わぬ音に、私は飛び出すタイミングを失った。
「他には、いますか?」
柔らかな女性の声。転がる先に飛び出した男の首。返り血に染まった女性は自ら切り飛ばした男の首を拾い、他の狩人達に投げて渡す。
「あんまり挑発しないでくだせぇや。これ以上商品が減っちゃ、あんたに渡す礼金も減っちまいますぜ」
狩人の1人が顔をひきつらせながら女をたしなめ、女性は興味なさそうに荷馬車の中を覗き込む。視線が合う、心臓が早鐘のように鳴る。獣化しようとしていないなのに、僅かに首輪が熱を持つ。今動けば殺される、濃厚な死の匂い。何十年、何百年と死を集め凝縮したような死の感触。女の華奢な手が私の顎をもちあげる。
「そろそろ仕分けをしたいんですがねぇ」
狩人の声に、女の手が離れる。男たちは労働力、女と見目のいい男の子は愛玩用にと私たちは商人に引き渡されてゆく。帰りたいと言っていた少年と私、そして、同年代の女たちはある男に引き取られた。ドブのような匂いのする男だった。
「私を見て殺そうとしないなんて、獣人の名折れですね」
去り際の女の言葉だけが、記憶に残った。
獣人は一般に人より丈夫で子を作るのに適齢期が長く、また、人との間に子を成しにくい。結果として、見目の良い女子供は愛玩用として愛用者が多い。
「だからこう云う羽目になる」
紫煙を吐き出しながら、姉御と呼ばれる年長の女が心得を語っている。
「死にたくなければ、主人によく仕えるんだよ。辛ければいいな、忘れる薬をやるからさ」
女性もまた薬で濁った目をしている。私自身も薬を主人による品定めの際に既に体験した。体を裂かれる痛みと暴れる私に無理やり飲まされた苦い薬。その後は、思い出したくもない。自身のものとは思えない嬌声をあげ一心不乱に自ら動いていた。全てが終わった後には、自身と相手の体液で汚れた床に転がり、嫌悪感と僅かに体の芯に残った熱だけが現実だと告げていた。
「元は家畜の交配用の薬って話だけどね。だから、安い上に私らにも効果抜群で涙が出てくるってもんさ」
そう、それも私達が愛玩用に選ばれる理由の1つ。人間の女用の薬は高いが、獣人用のそれならば安く済む。集落の家畜に使ったことはなかったが、そういう薬があるということは知識としては知っていた。
「けどね、癖になるから程々にね。そこの娘見てみな、薬のせいで半分壊れちまってる」
可愛らしい少女が後ろ手に手錠をされ、口から涎を出している。首輪から伸びた鎖は柱に繋がれ、柱にもたれ掛かるように座っている。
「姉さん、次の仕事はいつ」
思いの外しっかりとした言葉と、言葉と裏腹に狂気の宿った瞳に一歩距離をおいてしまう。
「昨日の夜したばっかりだろう。そんなに薬が欲しいのかい」
後に聞いた話だと、少女はあまりに薬と行為に嵌りすぎてそれなしでは生きていけなくなっているという。
「だって、あの薬があれば全て忘れれるでしょう?」
愉しそうに笑う。少女の笑いを意に介すること無く女性は少女を見下ろしている。いつからか少女の足元には小さな水たまりが出来ている。その意味を、私は考えないようにした。
女たちの取りまとめをしている関係もあり、姉御には個室が割り当てられていた。
「あれでもね、来た時は聡明な子だったんだよ」
椅子に座り、姉御はため息をつく。濁った瞳に、僅かに母性のようなものが浮かんでいるように見える。書きものをしているのか、テーブルの上には手紙のようなものがある。
「これかい、聡明で馬鹿なあの子の手紙さ。獣人の混じり子なんて真面目に身請けしようって馬鹿いるわけないのにね」
月に一度、女性は少女の家族に手紙を送っているという。とても今の少女が手紙を書けるようには見えない。
「貴女が代筆されて」
「まあね、稼ぎ頭の頼みさ。叶えない理由もないしね」
薬と行為に狂う前の少女の願い。女性は淡々と少女について語りだす。
母親も娼婦で、娼館で産まれたこと
家族に対して大きな秘密があって、それを隠し続けるのが辛かったこと
身請けと騙されて売られたこと
そして、半獣人であること
「半獣人」
獣人からも人からも忌み嫌われる混血。少女がそうであることを私に告げる意味を考える。
「そう、そして、あんたには夜の仕事以外に少女の世話もしてもらうよ」
この日から、私はこの獣人専門の娼館で娼婦として、そして、名も知らない少女の世話係として過ごすこととなった。
少女の世話係となって半年が経った。少女の狂気は徐々に酷くなっていくように思えた。
「食べる?」
「うん」
少女が艶っぽい笑みを浮かべ頷き、夜の仕事に慣れた私でも一瞬頬が染まるのが分かる。女の私でもこうなのだから、固定の男性客が多いのも分かる気がする。木のスプーンで粥を掬い、少女の口へと運ぶ。かつては健康的だっただろうその身体も、今では薬によって衰弱し、固形物を受け付けなくなって久しい。
「美味しい?」
「うん」
少女の言葉に素直に笑みを返す。作った料理を美味しいと言って食べてくれる事が素直に嬉しい。娼婦たちに共通で配られる食事を受け付けれなくなってから、特例として少女の食事は私が作っていた。香と薬の蔓延する娼婦たちの控室にあって、時折匂いに惹かれて同僚たちが相伴に預かりに来る。この日も、同僚の一人が匂いに釣られてやってきた。
「な、うちにも一口」
「はいはい」
無言で木のスプーンを押し付け同僚が咀嚼する。少女が不満げにその様子を見ている。
「そういえば、あんたにさ熱心な客いたよな」
「ええ」
この1月ほど日を置かず私を指名する客がいる。本人曰く、#惚れた_・__#らしいが獣人の商売女、しかも、ここは非合法の奴隷専門店、その発言を聞いたときには何を言ってるんだかと思わず苦笑してしまった。
「薬の匂いがしないのが良いらしいですよ、貴女も薬断ちしたらどうです」
「無理無理、その子ほどじゃないけど、あんたと違ってわたしら皆薬漬けさ、今更無い生活なんて耐えられないね」
実際、高額で身請けされた後に薬を求めて戻ってくる娼婦も多いという。それだけ中毒性が高い薬なのだ、私でさえ初めを含めての数度、無理矢理飲まされただけだというのに、それを思い出すと体の中が熱くなってくるのを感じる。
「この子が薬を断つ事って出来ると思う」
「太陽が落ちてきても無理、それに例え薬そのものを断っても、やることやったら思い出すんじゃない。ま、やらなきゃやらなかったで疼くんだろうけどさ」
懐かしいエヴィンルクの言い回しとあからさまな言葉遣いに、苦笑で返す。
「まあいいや、薬なんかより、そのお客さんの事だけど。今、姉御のところに来てるらしいよ。」
店でなく、娼婦の統括者のもとに。その意味を考え、頭を振る。
「もしかすると、身請け話かもね。あんたなら薬にも漬かってないし案外外でも上手くやれるんじゃないかい」
ありえない単語に思わず力が抜け木のスプーンを落としてしまう、木のスプーンは音も立てず地面を跳ねる。身請けの単語に、少女が一度震えた。その縋るような視線をまっすぐ受け止めることはできなかった。
あれからどれだけの時がたったのだろう。あの時と同じ粥を私は作っている。食べさせるのは年端もいかない男の子。宿で借りた厨房でいつかのように料理を進める。
「食べれる?」
「うん」
熱にうなされながら、男の子は頷く。心配そうに男の子の父親、私を身請けした男がこちらの様子を見ている。銀のスプーンで粥をすくい口に運ぶ。
「美味しい?」
「うん」
男の子の言葉に僅かに笑みを浮かべると、男の子も笑みを返してくる。香も薬の匂いもしない部屋、窓から風が入ってくる。穏やかな陽気。窓から外を見ると神殿都市の町並みが広がっている。
「久々のこの街だが、その、大丈夫かね?」
身請けされた後に知った話だが、あの娼館は神殿都市の地下にあったという。新しい主人は必要以上に私を気にかけてくれ、嫌なことを思い出してないか気にかけてくれているようだ。今回、主人の息子の洗礼のためという理由がなければ、住処であるバーサッドを出て、神殿都市を訪れることは無かったと思う。
「護衛を兼ねた使用人が、主人に付き従わない理由がございません」
風を浴びながら答える。私を縛っていた首輪はもう無い。特別な理由はないが、結局のところこの主人に情が湧いてしまったのだろう、今更故郷に帰る気もなかった。
「そうか、なら良い」
主人はそうとだけ言って、愛息子の頭を撫で男の子は罰が悪そうにしている。後妻にという誘いもあったが断った。主人そのものは嫌いではないが、人間そのものを好きなれる気はしなかったし、その歯車の中に入る気は毛頭なかった。月に何度か夜の相手はするが、結局それぐらいのものだ。
「あそこは君が居なくなってすぐ潰されたそうだよ」
暫く前に床で主人が言った言葉。あそこに居た娼婦たちは今は何をしているのだろう。薬が切れて狂ってしまった者も多いのではないかと思う。窓から半身を乗り出し、知った顔が居ないか探してしまう。
街行く人々の1人と視線が合う。気づくと私は宿から駆け出していた。私があまりに急に動くので、銀のスプーンが地面におちて音を立てる。
黒いお揃いのチョーカーをした2人の少女は、突然の来訪者に足を止める。私は視線をそのうち1人に向けている。女もまた視線を真っ直ぐに返してくる。
「お久しぶりです」
よく知っている少女の顔
見たことのない穏やかな表情
私はこの日、過去の亡霊と対峙することとなった。
「帰りたい」
同じように膝を抱えた子供の小さな声。その子供にも同じような金属の首輪が付けられている。車輪が石を踏んだのか大きく馬車が跳ねる。すし詰めにされている私達は極力声を出さないように、ぐっと我慢する。声を上げれば殴られ、食事を抜かれ、場合によっては処分される。
(この首輪さえなければ)
思わず奥歯を噛みしめる。どういう仕組みか、私達が獣化しようとするとこの首輪は熱を持つ。目の前で脱走を試みた男は、完全に獣化する前に真っ黒な炭になってしまった。
(どうしてこうなったんだろう)
暗い荷馬車の天井を見上げる。野山を駆け、集落の皆と笑いあったのが遙か昔に思える。今頃、父母は私を探しているのだろうか。狩にでも失敗したんだろうと、一晩泣いて明日には忘れているのだろうか。思わず手を強く握る。獣化さえしなければ、体の動きに影響はないように思う。
(チャンスはそう多くない)
逃げるのに失敗すれば、その分警戒される。同じことを思っているのか、目の前の男も口には出さないがいつでも動けるように準備をしている。視界の片隅で痩せた小男がガクガクと震えている。見目のいい若い女子供と、屈強な男たちばかりの荷台で小男の姿は不釣り合いに思う。
馬車が一度大きく揺れ、止まる。
「出ろ」
狩人達の声が外からする。荷馬車の扉の枷がはずされ、扉が開く。彼らに大して特別な悪意はない。私達が生きるために野山の獣を狩るように彼らは日々の生活のために、私達『獣人』を狩るだけの事なのだろう。
(けれど、野山の獣とて最後まで抗うもの)
男と目線を合わせる。男が力任せに扉を開き、狩人達に躍りかかる。荷馬車の中で小男が笛を吹いた。思わぬ音に、私は飛び出すタイミングを失った。
「他には、いますか?」
柔らかな女性の声。転がる先に飛び出した男の首。返り血に染まった女性は自ら切り飛ばした男の首を拾い、他の狩人達に投げて渡す。
「あんまり挑発しないでくだせぇや。これ以上商品が減っちゃ、あんたに渡す礼金も減っちまいますぜ」
狩人の1人が顔をひきつらせながら女をたしなめ、女性は興味なさそうに荷馬車の中を覗き込む。視線が合う、心臓が早鐘のように鳴る。獣化しようとしていないなのに、僅かに首輪が熱を持つ。今動けば殺される、濃厚な死の匂い。何十年、何百年と死を集め凝縮したような死の感触。女の華奢な手が私の顎をもちあげる。
「そろそろ仕分けをしたいんですがねぇ」
狩人の声に、女の手が離れる。男たちは労働力、女と見目のいい男の子は愛玩用にと私たちは商人に引き渡されてゆく。帰りたいと言っていた少年と私、そして、同年代の女たちはある男に引き取られた。ドブのような匂いのする男だった。
「私を見て殺そうとしないなんて、獣人の名折れですね」
去り際の女の言葉だけが、記憶に残った。
獣人は一般に人より丈夫で子を作るのに適齢期が長く、また、人との間に子を成しにくい。結果として、見目の良い女子供は愛玩用として愛用者が多い。
「だからこう云う羽目になる」
紫煙を吐き出しながら、姉御と呼ばれる年長の女が心得を語っている。
「死にたくなければ、主人によく仕えるんだよ。辛ければいいな、忘れる薬をやるからさ」
女性もまた薬で濁った目をしている。私自身も薬を主人による品定めの際に既に体験した。体を裂かれる痛みと暴れる私に無理やり飲まされた苦い薬。その後は、思い出したくもない。自身のものとは思えない嬌声をあげ一心不乱に自ら動いていた。全てが終わった後には、自身と相手の体液で汚れた床に転がり、嫌悪感と僅かに体の芯に残った熱だけが現実だと告げていた。
「元は家畜の交配用の薬って話だけどね。だから、安い上に私らにも効果抜群で涙が出てくるってもんさ」
そう、それも私達が愛玩用に選ばれる理由の1つ。人間の女用の薬は高いが、獣人用のそれならば安く済む。集落の家畜に使ったことはなかったが、そういう薬があるということは知識としては知っていた。
「けどね、癖になるから程々にね。そこの娘見てみな、薬のせいで半分壊れちまってる」
可愛らしい少女が後ろ手に手錠をされ、口から涎を出している。首輪から伸びた鎖は柱に繋がれ、柱にもたれ掛かるように座っている。
「姉さん、次の仕事はいつ」
思いの外しっかりとした言葉と、言葉と裏腹に狂気の宿った瞳に一歩距離をおいてしまう。
「昨日の夜したばっかりだろう。そんなに薬が欲しいのかい」
後に聞いた話だと、少女はあまりに薬と行為に嵌りすぎてそれなしでは生きていけなくなっているという。
「だって、あの薬があれば全て忘れれるでしょう?」
愉しそうに笑う。少女の笑いを意に介すること無く女性は少女を見下ろしている。いつからか少女の足元には小さな水たまりが出来ている。その意味を、私は考えないようにした。
女たちの取りまとめをしている関係もあり、姉御には個室が割り当てられていた。
「あれでもね、来た時は聡明な子だったんだよ」
椅子に座り、姉御はため息をつく。濁った瞳に、僅かに母性のようなものが浮かんでいるように見える。書きものをしているのか、テーブルの上には手紙のようなものがある。
「これかい、聡明で馬鹿なあの子の手紙さ。獣人の混じり子なんて真面目に身請けしようって馬鹿いるわけないのにね」
月に一度、女性は少女の家族に手紙を送っているという。とても今の少女が手紙を書けるようには見えない。
「貴女が代筆されて」
「まあね、稼ぎ頭の頼みさ。叶えない理由もないしね」
薬と行為に狂う前の少女の願い。女性は淡々と少女について語りだす。
母親も娼婦で、娼館で産まれたこと
家族に対して大きな秘密があって、それを隠し続けるのが辛かったこと
身請けと騙されて売られたこと
そして、半獣人であること
「半獣人」
獣人からも人からも忌み嫌われる混血。少女がそうであることを私に告げる意味を考える。
「そう、そして、あんたには夜の仕事以外に少女の世話もしてもらうよ」
この日から、私はこの獣人専門の娼館で娼婦として、そして、名も知らない少女の世話係として過ごすこととなった。
少女の世話係となって半年が経った。少女の狂気は徐々に酷くなっていくように思えた。
「食べる?」
「うん」
少女が艶っぽい笑みを浮かべ頷き、夜の仕事に慣れた私でも一瞬頬が染まるのが分かる。女の私でもこうなのだから、固定の男性客が多いのも分かる気がする。木のスプーンで粥を掬い、少女の口へと運ぶ。かつては健康的だっただろうその身体も、今では薬によって衰弱し、固形物を受け付けなくなって久しい。
「美味しい?」
「うん」
少女の言葉に素直に笑みを返す。作った料理を美味しいと言って食べてくれる事が素直に嬉しい。娼婦たちに共通で配られる食事を受け付けれなくなってから、特例として少女の食事は私が作っていた。香と薬の蔓延する娼婦たちの控室にあって、時折匂いに惹かれて同僚たちが相伴に預かりに来る。この日も、同僚の一人が匂いに釣られてやってきた。
「な、うちにも一口」
「はいはい」
無言で木のスプーンを押し付け同僚が咀嚼する。少女が不満げにその様子を見ている。
「そういえば、あんたにさ熱心な客いたよな」
「ええ」
この1月ほど日を置かず私を指名する客がいる。本人曰く、#惚れた_・__#らしいが獣人の商売女、しかも、ここは非合法の奴隷専門店、その発言を聞いたときには何を言ってるんだかと思わず苦笑してしまった。
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「無理無理、その子ほどじゃないけど、あんたと違ってわたしら皆薬漬けさ、今更無い生活なんて耐えられないね」
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「まあいいや、薬なんかより、そのお客さんの事だけど。今、姉御のところに来てるらしいよ。」
店でなく、娼婦の統括者のもとに。その意味を考え、頭を振る。
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ありえない単語に思わず力が抜け木のスプーンを落としてしまう、木のスプーンは音も立てず地面を跳ねる。身請けの単語に、少女が一度震えた。その縋るような視線をまっすぐ受け止めることはできなかった。
あれからどれだけの時がたったのだろう。あの時と同じ粥を私は作っている。食べさせるのは年端もいかない男の子。宿で借りた厨房でいつかのように料理を進める。
「食べれる?」
「うん」
熱にうなされながら、男の子は頷く。心配そうに男の子の父親、私を身請けした男がこちらの様子を見ている。銀のスプーンで粥をすくい口に運ぶ。
「美味しい?」
「うん」
男の子の言葉に僅かに笑みを浮かべると、男の子も笑みを返してくる。香も薬の匂いもしない部屋、窓から風が入ってくる。穏やかな陽気。窓から外を見ると神殿都市の町並みが広がっている。
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身請けされた後に知った話だが、あの娼館は神殿都市の地下にあったという。新しい主人は必要以上に私を気にかけてくれ、嫌なことを思い出してないか気にかけてくれているようだ。今回、主人の息子の洗礼のためという理由がなければ、住処であるバーサッドを出て、神殿都市を訪れることは無かったと思う。
「護衛を兼ねた使用人が、主人に付き従わない理由がございません」
風を浴びながら答える。私を縛っていた首輪はもう無い。特別な理由はないが、結局のところこの主人に情が湧いてしまったのだろう、今更故郷に帰る気もなかった。
「そうか、なら良い」
主人はそうとだけ言って、愛息子の頭を撫で男の子は罰が悪そうにしている。後妻にという誘いもあったが断った。主人そのものは嫌いではないが、人間そのものを好きなれる気はしなかったし、その歯車の中に入る気は毛頭なかった。月に何度か夜の相手はするが、結局それぐらいのものだ。
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暫く前に床で主人が言った言葉。あそこに居た娼婦たちは今は何をしているのだろう。薬が切れて狂ってしまった者も多いのではないかと思う。窓から半身を乗り出し、知った顔が居ないか探してしまう。
街行く人々の1人と視線が合う。気づくと私は宿から駆け出していた。私があまりに急に動くので、銀のスプーンが地面におちて音を立てる。
黒いお揃いのチョーカーをした2人の少女は、突然の来訪者に足を止める。私は視線をそのうち1人に向けている。女もまた視線を真っ直ぐに返してくる。
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