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ep.28 未来が形になっていく
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この学校は6年生で学校を去っていく生徒は少なくない。フィン先輩のように専門の養成機関に行く生徒がいるからだ。それと悲しいことに聖力が基準値に満たなくなってしまう生徒も一定数出るのだ。数といえば半数が7年生になればいいほどだ。
入学時に聖力が高い生徒でも年齢を重ねていく内に聖力が下がったり、また逆に基準値にギリギリでも聖力がずば抜けて伸びていく生徒もいる。学年が上がった時に行われる聖力の測定だが、僕は入学時から若干上向いて入るが特筆するような変化はないらしい。位置的には学年内で上の中と言ったところのようで、この高い聖力のおかげで僕はこの学校に入学できたのだ。
ともかく慣例として卒業式は7年生だけではなく、6年生も都合上一緒に行われる。7年生はどちらかというと卒業式というよりは叙任式といった側面の方が強い。7年生に進級する生徒も、一応は卒業という形を取りそれぞれの教会へ実習に行く。
卒業式は晴れの日のカウラ神の力が一番強い時間に行うと決まっている。在校生は式に参加する以外、別段何かするわけではないため、卒業式までのわずかな時間に懇意の先輩と最後の別れを惜しんだりしていた。卒業式後は保護者が来ていれば即日、来ていなくても翌日には退寮しなくてはならないため、忙しいのだ。
「部屋はもう片付いたんですか?」
「片付いたも何も、こう見えて案外私物が無いんだ。ほとんどのものは後輩に譲ってしまったし、学校の備品、制服も返却済みだしね。引越しなんかよりも身軽だよ。私物なんて鞄一つで収まってしまったよ」
「そうなんですね。確かにここへ入学してきたときも鞄ひとつでした」
卒業式の会場の準備を慌てふためきながらやっている最中に偶然フィン先輩を見かけることができた。あれだけお別れの言葉を積み重ねたはずなのに、まだ足りないようでその足は自然とフィン先輩に向かった。
その胸にはすでに卒業生の証が飾られていて、本当に彼とは今日でお別れなのだと改めて感じた。
「調停者になれるのは早くて5年、実際はもっとかかるだろうね。もっと楽な人生を歩苦予定だったんだけどな。一応ソスに慣れる予定だったから、ぼちぼち巡礼して、楔の神殿辺りに収まれば良いかなって考えてたんだけどね。結局は自分で決めたことだし仕方ないか」
「応援してます」
「まぁ、僕よりもこの先の人生が大変そうな人が目の前にいることだしね」
「僕ですか?」
「そうだよ。君はこの学校で誰よりも人の役に立たなければいけない。それも誰よりも骨身を削ってね。だって君のその色は万人には簡単に受け入れられない。7年生になって、奉仕派遣に行けばもっと辛い目に合うんだよ」
「覚悟はとうの昔にできています」
「君と同じ色を持つ人達は君を引きずり降ろそうとするし、君と違う色を持つ人達は君を排除しようとしてくるよ。それに耐えうる強い心と体をこの学校にいる内に作るんだ。大丈夫、君なら出来るよ。なんせ君は彼らから逃げなかったからね」
「フィン先輩も存外楽観主義なんですね」
「そうだね。きっとそうだ。君の楽観主義が感染ったんだよ。こんなにも世界は丸やかだなんて、僕は君に出会うまで知らなかったんだ。だから1つ言わせて欲しい」
フィン先輩は僕を抱きしめた。胸につけられら卒業生用の花がくしゃりと音を立てて潰れる。
「ありがとう、ベンヤミン。君がいなかったら僕はずっとヨナスを疎ましく思い、ルカをずっと恐ろしいと思ったままでいたよ。パオルのこともそうだ、彼と穏やかに会話することができるようになった。全て君のお陰だよ、ありがとう」
名残惜しそうに離れようとするフィン先輩を僕は抱きしめ返した。
「僕にも言わせてください。フィン先輩がいてくださらなかったら、きっとこんな良い結果にはなりませんでした。こちらこそありがとうございました」
そして僕らは名残惜しく離れた。
フィン先輩の胸の花はすっかり潰れてしまっていて、それに気づいたフィン先輩は苦笑いをした。
「コレから卒業式だというのに、怒られてしまうね」
昨日から卒業式の準備はバタバタと大変なものだった。
5年生が中心となった新役員体制はまだうまく機能していなくて、6年生や7年生はその様子を見て懐かしそうに微笑んでいた。生徒主体の卒業式になったのは6年生も混ざるようになってかららしい。当時何があったかの詳細は記録にはなかったが、彼らの思いは十二分に理解できた。
司会進行も5年生がメインとなるのだが、領主や市長、トルテルプトーテが軒並みやってくるので少しの失敗も許されるものではない。僕も力及ばずながらあちこち奔走した。そのためか5年の先輩方は死屍累々といった様子で、式の間に見せた涙はもうなんの涙なのか分からない状態だった。有象無象の一般生徒の誘導も役員の仕事だったため、統率がなかなか取れなかったのも要因だろう。
「3人はフィン先輩に会いに行かないんですか?」
「あの人、あれでみんなのフィン先輩だからね。今まで結構構ってもらってたし最後ぐらいは他に譲らないと」
「特に話すことなんかねぇよ」
「そうねぇ。あたしも別に何もないわね」
僕らは卒業式後、早々に自室に引き上げていた。
校内は保護者でごった返していたし、そこら中で繰り広げられる悲喜交々の中に混ざるのは少しだけ遠慮したい気持ちになったからだ。
役員面々は大役を果たしたとばかりに、不釣り合いな晴れ晴れとした顔をして別れを惜しんでいたからというのもある。後片付けは明日の朝行うことになっているので、この時間は体を休める時間に充てられている。
一方ヨナスは有志による演奏会で昨日からずっと歌いっぱなしだった。昨日は朝から聖歌隊のヨナスとしてのお別れ演奏会に始まった。それは盛大で、在校生も多く集まりその歌声に聞き惚れていた。
午後からはドレスを着るヨナスとしてお別れ演奏会が行われた。未だ噂に翻弄される生徒も少なくないが、そうでないその諸先輩方の為にその演奏会は開かれたのだった。こちらは午前中のものとは違い非公式な為、以前のように演劇部の練習場所を借りてのことだった。
もちろんジャデルシャーゼで着るドレスを着て歌った。参加者は大いに喜んで、ヨナスの歌声に聴き入った。僕はその演奏会の準備にも携わったので、本当に疲れ切っていた。来年再来年と、あと2回これをするのかと思うと、気持ちが折れそうになってしまう。
「来年は今年のノウハウ活かせるだろうが、んな顔すんなって」
「来年は主戦力ですよ。あの惨状を見ると自由には動けそうもないですよ」
「来年は俺の卒業式だ。盛大に祝ってくれよ」
「卒業できるの?」
「できるさ…?」
「同じ学年2回ずつするものだと思ってたよ」
「最終的にベンヤミンと同じ学年になって卒業か?」
「じゃあ、あたしの後輩になるのね」
「いやいやいやいや、卒業できるからな。7年生って実質卒業後だろ?」
「でもあたしはきっと7年生にはならないわね」
「そのまま中央神殿に入るんですか?」
「少しでも早く入れたいみたいね。箔を付けるためにトルテルプラドとして仰々しく巡礼させるんですって。今から憂鬱だわ」
「聖水光らせちゃったんだから、仕方なくない?」
「そうなのよ。抜き打ちだなんてせこいこと」
ぷりぷりとヨナスは怒っているが、どことなく誇らしげに見える。それぞれの卒業後がしっかりと見えてきて、また心が空虚になってしまいそうになる。
「なあ、ずっと聞きたかったんだが、ヨナスの、その恋愛対象って男なのか?」
「さあ、どうなのかしら。まだ恋ってしたことないのよ。でもきっとそうなのかなって思うの、だってあたし女の子だもの。そうね、一番最初に好きになるのはベンヤミンがいいわ。あたしのために一生懸命になってくれたもの」
「それを言ったら、僕ら3人に一生懸命だったじゃないか」
「そう?それでもいいのよ。あたしをあたしと認めてくれて、あたしという存在を助けてくれた」
「ヤキモチかルカ?」
「違うよ。僕はヨナスの1番のファンで1番の親友になりたいんだ」
「嬉しいわ。きっとずっとあなたはあたしのそばにいてくれるのね」
「当たり前じゃないか。ヨナスが嫌って言ってもずっとそばで歌を聞いてやるんだから」
「なんだよ。ベンヤミン、ニヤニヤしやがって」
気がつけば口の端しがすっかり上がってしまっている。
「なんだか幸せな光景だと思ったんです。まだ1年も経っていませんが、初日はどうなることかと思ったことがとても懐かしくて、つい。僕は3人が大好きですよ。だから3人が笑っていると嬉しいんです」
「僕も入れておくれ!」
ドアをバンと開けてフィン先輩が入ってきた。
「なに?まだいたの?」
「いるさ!」
「何しにきたんだ?忘れ物か?」
「ある意味そうだね!!」
「まぁ来るわよね」
「そうだよ。ごめんね!!!」
「どうしたんですか?」
「君たちが来ないから僕が直接来たんだよ。寂しいじゃないかお別れだよ?」
僕らは顔を見合わせた。
それぞれがお別れは済んだのにという顔をしていたのだから、笑いしかこみ上げない。
「自分がここまでかわいそうな人になるとは思わなかったよ」
「個別にお別れしたんで、あとはフィン先輩を慕う方々にお譲りしようと思ったんです」
「確かにもみくちゃにされたよ。こんなに自分って慕われてたんだって感動したし、大泣きしたよ」
よく見るとフィン先輩の目元は赤く腫れていた。
「でもそうじゃないよね。君ら一番僕にお世話になったよね?」
「余計なお世話?」
「あたしは特に…ね?」
「なんだ?まだ謝れってのか?」
「そうじゃないよ」
そう言ってフィン先輩は膝から崩れ落ちた。
「わかってからかってるんだろう」
「違いますよ。ご迷惑かと思ったんです。ただでさえ僕らはフィン先輩から可愛がられてる。本当に最後くらいは他の方に譲るべきかと思ったんです。それに、僕らは個人的にお別れをしましたし、手紙を書く約束もしました」
「僕は書くとは言ってないけどね」
「あたしは書かないわね」
「手紙の練習になるなら書くな」
「ほらみろ、殊勝なことを言ってくれるのはベンヤミンだけじゃないか。個別のお別れだって?パオルとベンヤミンとしかまともにしてないよ」
「そうなんですか?やったって言ったじゃないですか」
「認識の相違だよ」
「そうね、あたし一曲歌ったもの」
これで終わりの賑やかな時間、誰がこの賑やかな時間を予測できただろうか。
「もう一曲歌ってやれ」
「じゃあ、邪魔するために僕も歌う」
「それなら、みんなで歌いましょうよ」
「そうしよう、何にしよう」
そうして僕らはフィン先輩を笑って見送った。
確かに僕自身、歌はそんなに得意じゃないと思っていたけれど、人に大笑いをされるほど下手だとは思ったことはなかった。
調和を見出すため全体合唱なんかは口パクだし、授業も音楽は取っていないかった。フィン先輩と一緒に歌った歌はよく歌う賛美歌だったけれど、僕は歌詞を全て覚えておらず覚えている途中から参加した。
一番最初に脱落したのはルカで、1小節も歌わないうちに無表情のまま吹き出して沈没した。パオルは口をあんぐり開けたままこちらを凝視したし、フィン先輩は最後まで歌おうという努力を見せてくれたが、声が上ずり出して最後まで歌えなかった。
ヨナスは怪訝な顔をしながら歌い続けていたが、聞くに耐えなかったか僕の口を塞いで黙らせた。そうしてフィン先輩は何もかも吹っ切れたという顔をして、爽やかに卒業していった。
実は例の調停者は都合を付けて来ていたそうで、フィン先輩のご両親とこれからの専門機関のことやそれにまつわる費用のことなど色々と話し合ったそうだ。
「僕の調停者で後見人なんだけどね」
「これで同じ派遣元なんてことになったら、ルカとフィン先輩の関係は切れませんね、嬉しいですか?」
「まさか、彼はお節介なくせに僕に恐れをなして逃げ出して、君に押し付けたんだよ?」
「押し付けられて寂しかったですか?」
「どうだろう。僕はずっと誰かに捨てられ続けて来たからね」
「でもまた縁は繋がりました。喜んでいいんじゃないですか?ルカはちゃんと逃げたフィン先輩を受け入れもしたんです。それだけでいいと思いますし、そういうものだと思いますよ」
「じゃあ、僕は今、嬉しい、とても。でも受け入れたって今言ったけど、ちょっと違う気がする」
「言い方の問題では?」
「そこが大事、別に僕はフィンを受け入れるとか受け入れないとかって、そんな関係じゃなかったんだよ。彼はいわゆる善人の代表みたいな人だったからね。からかってたら引っ込みがつかなくなったんだ。あの頃に、純粋に損得抜きで僕にかまってくれた唯一だったっていうのもあるよ。だって暴きたくなるじゃないか、僕は今までずっとそう言う目でしか見て来られなかったんだから」
「僕は平気だったんですか?」
「ベンヤミンは僕と同じだと思ったから」
ルカは手を伸ばして僕に触れる。その手はひんやりしていた。
「なんとなくだけどね。でもベンヤミンはちゃんと愛を知ってた。見当違いもいいところで、どう暴いてやろうかと思ったけど、それどころじゃなくなったからね」
「ある意味あのバタバタの日々に救われたんですね」
「僕の心は常にが空虚だったよ。今だって空虚だ。でもね、少しずつそれでいいと思えてきたんだ。誰かを道連れにしてやろうとか、誰かを同じが空虚にしてやろうとか今まで明確に思ったことなんてなかったけど、僕がしてたことってそういうことだったんだって気づいたんだ。そう思うと、僕はそれに気づくことができた今の僕を大事にしなくちゃいけないと思ったんだ」
「もう死にたいって思わなくなりましたか?」
「汚い大人ばかりじゃないって知ってるけど、今も怖いし気持ち悪いよ」
「僕も正直怖いです。両親や兄たちはこの色を越えて僕を見てくれていていましたが、使用人たちはそうじゃなかった。街で怖い目にも遭いましたし、この学校でも疎む目は多かったんです。でもそれは大人も子供も関係ないと思うんです。ただ僕ら子供は、大人の言葉や行動をとても重く感じるだけだと思うんです。子供の世界って狭いですよね、家にいると一番は両親ですし。子供ながらに知らぬ間に、自分への影響力のランク付けがあるんですよ、ルカはたまたま影響力の強いご両親や出会った大人がたまたまそうだっただけなんです。世界は広いんです、沢山のことを一緒に見ていきましょう?」
僕は僕と温度の同化したルカに手を重ねた。
滑らかな白い肌に対比する僕の肌を眺めながら、果たして僕のこの色は心を通わせるのに邪魔なのだろうかと不思議に思った。
「最初から君たちは僕の色に偏見を持ちませんでしたね」
「そんな余裕なかったからじゃないの?」
じっと見つめると、耐えきれなくなったようにルカは目を逸らした。
「嘘、ごめん。フィンから聞いてたんだ。他の二人が聞いていたかは知らないよ。でも僕はどう思うって聞かれたから」
「なんて答えたか聞いてもいいですか?」
「興味ないって答えた」
「ルカらしい」
「僕らしい?」
「僕の思うルカは、どちらかと言うと人を評価するよりも人からの評価を気にするように思えたので」
「そうなのかな?」
「僕の受けた印象なので気にしないでくださいね」
「でも確かに僕を好きって言ってくれるなら、僕と一緒にマハネ神の所に行ってくれるなら誰でもいいと思ってたかも」
「じゃあ良かった。僕は最初から君たちに好意しかなかったんです」
「それこそ不思議だよ、僕のこと知っていたでしょう?」
相変わらずルカは表情というものはこれっぽっちも感じられないが、それでも感情の機微がわかる。僕と同じ温度になった手が少しだけ冷たくなった。
「事実を聞いただけですよ。他は特に何も聞いていません」
「詳しく聞いていい?これが気になるってことは、僕は本当に他人の評価が気になるようだ」
「普通に気になるんじゃないですか?誰だって気になりますよ」
そして自分の言った”誰”が誰でもなかったことに気づいて少しだけ苛立った。失言を気にしていては何も話せなくなると思ったが、今のこればかりは後悔しないといけない失言だった。
「僕は他人の評価を気にしてばかりいました。僕に対する評価は外見ばかりのものでその評価を覆す事ばかり考えていたんです」
「変なの、ここは懺悔室じゃないよ」
「でもルカのことを話す前に言いたかったんです」
僕は手を重ねたまま姿勢を正した。特に意味があったわけではないが、ルカにとって大事な話をするのだと思ったからかもしれない。
「入学早々、当時の6年生数名に可愛がられ、彼らの部屋に頻繁に通っていて、そして彼らは諍いを起こし2名が退学したとありました」
「そんなことがあったね、僕が一番誰が好きかで喧嘩になったんだよ、僕は誰も好きじゃなかった」
「それからすぐに役員の監視下に入っていますね」
「あれは本当に鬱陶しかった、四六時中付きまとわれるんだ」
「その役員は君に夢中になった」
「愛を囁かれた時には正気を疑った」
「そしてその役員は7年生にはなれなかった」
「それは僕の責任じゃない。彼は僕の監視から降ろされてから勉強も役員の仕事もしなくなって、聖力がなくなったんだ」
「それから君は自分への好意を見逃さず、多くの生徒のそれに漬け込んだ」
「その言い方は好きじゃない。僕はきっと人恋しかっただけなんだよ」
「っていうのを先日フィン先輩から頂いた参考資料の間に挟まってました」
「知らなかったの?」
「危険な生徒ってことだけですね。知っていたのは」
「見た通り、噂に疎いんです」
「ルカの話はルカと知り合ってから知ったものばかりですよ」
「驚いていいの?」
「僕に聞かないでください。僕はこの話を頂いた時、最初から好意だけで接しようと決めていたんです。僕自身後ろめたかったんです、先ほども言いましたけど僕の評価を覆すために役員になりたいと、君たちを利用したんですから。それとこのことは秘密ですけど、フィン先輩に感謝してくださいね。色眼鏡で見ないようにって資料を渡さなかったと言っていましたから」
ルカは重ねた手を解いて、今度は指を絡めた。細い指はまるで陶器のような滑らかさだ。
「何も知らないのにあんなこと言ってたんだ」
あんなこと?頭をひねって考えたが、答えは出てこなかった。
「いや、本当に知らないから言えたのか」
ふっとルカが笑った。声を出して、目を細めて、口角をあげて、頬を緩ませて。
「あははははは、おかしい。本当におかしい。僕はまんまとフィンに踊らされていたんだ。でもこんなに愉快なのはいつぶりだろう。もしかして初めてかもしれない。君は本当に素敵だよベンヤミン」
ルカは大きな声で涙を流しながらお腹を抱えて笑っている。
僕は何が何だかよくわからなかったが、ルカが笑えていることが本当に嬉しくなった。
「なんだ?玄関まで聞こえてるぞ」
「ベンヤミン、こいつ笑ってるのか?」
「そうですよ」
「笑っちゃ悪い?もうほんとおかしくて、してやられたんだよ、僕ら。フィンにね」
僕とパオルは顔を見合わせて首を傾けた。
「あら、誰かと思ったらルカが笑ってたのね。いい顔して笑うじゃない。ベンヤミン何かしたの?」
「僕というよりはフィン先輩ですけど、なんでしょう。いつも通りに話をしていただけですが」
「笑い上戸だったのかしら」
ルカはこちらが引くほど笑い続けている。お腹が痛いと言いながら、椅子から転げ落ちそうなほど笑っている。このままではどうにかなってしまうのではないかと心配したが、しばらく様子を見守っているとだんだん落ち着いてきた。
「あれ?ヨナスおかえり」
「さっきからいたわよ。笑ってたわね」
「こんなに笑ったの初めてかもしれない」
「それはよかったわね」
ヨナスはルカの頭を優しく撫でた。
もう夏休みに入っているが、僕たちはまだ学校に残っていた。聖歌隊は数週間後にあるカウラ祭のためにほとんどの生徒が残っていた。
近場の生徒は一度実家に戻り夏至祭り前に戻ってくる生徒もいるようだった。ルカは管理人の手配に戸惑っているらしく、ご両親の与えた別邸でこの夏を過ごすことができるか怪しくなっていた。
でも僕は後見人がルカが一人になる時間を少なくするために、わざともたついているのだと考えている。そんなこんなでルカは暇を持て余しているため、聖歌隊と同じく夏至祭りに参加する演劇部の手伝いをしている。
パオルは予定通りとばかりに補習に参加したり図書室にこもって勉強したりしている。彼は本当に水を得た魚のようにどんどん知識を吸収していっている。
「結局最後までフィンの手のひらの上だったわけか」
「そこはまぁ年齢の差が大きいと思いますよ。それだけ多くの生徒と関わってきていますしね」
「あたしは特に彼と何かあったわけじゃないのよね」
「見えないところでお世話になっていたと思いますよ」
「見えなきゃちゃんと感謝もできないわ」
「感謝が欲しいわけじゃないんですよ。今その姿をフィン先輩はとても喜んでますよ」
「変な人ね」
「違いない」
「でも一番感謝しなくちゃいけないのはパオルだもの、お礼の1つでも言ったの?」
「教えねぇよ」
僕らは感謝しても仕切れないほどフィン先輩にもらったものがいっぱいあった。フィン先輩は僕こそそうだと言ったが、彼は僕を過大評価するきらいがある。フィン先輩は自分ではこの3人は救えないと言ったが、果たして本当にそうだったのかと疑問ばかりが残った。
「でもあたしは1つだけとても感謝してるって伝えたわ。ベンヤミンに巡り会わせてくれたことよ」
にこりと天使の微笑みを向けるヨナスは、ここ最近でまた綺麗になった。声と不釣り合いだった容姿はその声と距離を縮めていたし、これが本来のヨナスなのだと改めて感じた。
街にいる少女のようにドレスを着ればさぞかし似合うだろうと思った。
「光栄です」
「僕もヨナスの人生の一旦に関われたことがとても誇らしい」
「あら、褒め上手」
「本心ですよ。僕はきっと生涯ヨナス以上の歌を知ることはないと思います」
「そうね。確かに加護を持ってるあたし以上の歌を知るのは難しいかもしれないわね」
少しだけ目を細めて悲しい顔をしたヨナスに、僕らは胸を締め付けられる思いがした。ヨナスは僕らの手の届かないところへ一足飛びで上がっていくのだ。
「鐘が鳴るわ」
ヨナスがそう言うと次の瞬間、夕食の予鈴が鳴った。
入学時に聖力が高い生徒でも年齢を重ねていく内に聖力が下がったり、また逆に基準値にギリギリでも聖力がずば抜けて伸びていく生徒もいる。学年が上がった時に行われる聖力の測定だが、僕は入学時から若干上向いて入るが特筆するような変化はないらしい。位置的には学年内で上の中と言ったところのようで、この高い聖力のおかげで僕はこの学校に入学できたのだ。
ともかく慣例として卒業式は7年生だけではなく、6年生も都合上一緒に行われる。7年生はどちらかというと卒業式というよりは叙任式といった側面の方が強い。7年生に進級する生徒も、一応は卒業という形を取りそれぞれの教会へ実習に行く。
卒業式は晴れの日のカウラ神の力が一番強い時間に行うと決まっている。在校生は式に参加する以外、別段何かするわけではないため、卒業式までのわずかな時間に懇意の先輩と最後の別れを惜しんだりしていた。卒業式後は保護者が来ていれば即日、来ていなくても翌日には退寮しなくてはならないため、忙しいのだ。
「部屋はもう片付いたんですか?」
「片付いたも何も、こう見えて案外私物が無いんだ。ほとんどのものは後輩に譲ってしまったし、学校の備品、制服も返却済みだしね。引越しなんかよりも身軽だよ。私物なんて鞄一つで収まってしまったよ」
「そうなんですね。確かにここへ入学してきたときも鞄ひとつでした」
卒業式の会場の準備を慌てふためきながらやっている最中に偶然フィン先輩を見かけることができた。あれだけお別れの言葉を積み重ねたはずなのに、まだ足りないようでその足は自然とフィン先輩に向かった。
その胸にはすでに卒業生の証が飾られていて、本当に彼とは今日でお別れなのだと改めて感じた。
「調停者になれるのは早くて5年、実際はもっとかかるだろうね。もっと楽な人生を歩苦予定だったんだけどな。一応ソスに慣れる予定だったから、ぼちぼち巡礼して、楔の神殿辺りに収まれば良いかなって考えてたんだけどね。結局は自分で決めたことだし仕方ないか」
「応援してます」
「まぁ、僕よりもこの先の人生が大変そうな人が目の前にいることだしね」
「僕ですか?」
「そうだよ。君はこの学校で誰よりも人の役に立たなければいけない。それも誰よりも骨身を削ってね。だって君のその色は万人には簡単に受け入れられない。7年生になって、奉仕派遣に行けばもっと辛い目に合うんだよ」
「覚悟はとうの昔にできています」
「君と同じ色を持つ人達は君を引きずり降ろそうとするし、君と違う色を持つ人達は君を排除しようとしてくるよ。それに耐えうる強い心と体をこの学校にいる内に作るんだ。大丈夫、君なら出来るよ。なんせ君は彼らから逃げなかったからね」
「フィン先輩も存外楽観主義なんですね」
「そうだね。きっとそうだ。君の楽観主義が感染ったんだよ。こんなにも世界は丸やかだなんて、僕は君に出会うまで知らなかったんだ。だから1つ言わせて欲しい」
フィン先輩は僕を抱きしめた。胸につけられら卒業生用の花がくしゃりと音を立てて潰れる。
「ありがとう、ベンヤミン。君がいなかったら僕はずっとヨナスを疎ましく思い、ルカをずっと恐ろしいと思ったままでいたよ。パオルのこともそうだ、彼と穏やかに会話することができるようになった。全て君のお陰だよ、ありがとう」
名残惜しそうに離れようとするフィン先輩を僕は抱きしめ返した。
「僕にも言わせてください。フィン先輩がいてくださらなかったら、きっとこんな良い結果にはなりませんでした。こちらこそありがとうございました」
そして僕らは名残惜しく離れた。
フィン先輩の胸の花はすっかり潰れてしまっていて、それに気づいたフィン先輩は苦笑いをした。
「コレから卒業式だというのに、怒られてしまうね」
昨日から卒業式の準備はバタバタと大変なものだった。
5年生が中心となった新役員体制はまだうまく機能していなくて、6年生や7年生はその様子を見て懐かしそうに微笑んでいた。生徒主体の卒業式になったのは6年生も混ざるようになってかららしい。当時何があったかの詳細は記録にはなかったが、彼らの思いは十二分に理解できた。
司会進行も5年生がメインとなるのだが、領主や市長、トルテルプトーテが軒並みやってくるので少しの失敗も許されるものではない。僕も力及ばずながらあちこち奔走した。そのためか5年の先輩方は死屍累々といった様子で、式の間に見せた涙はもうなんの涙なのか分からない状態だった。有象無象の一般生徒の誘導も役員の仕事だったため、統率がなかなか取れなかったのも要因だろう。
「3人はフィン先輩に会いに行かないんですか?」
「あの人、あれでみんなのフィン先輩だからね。今まで結構構ってもらってたし最後ぐらいは他に譲らないと」
「特に話すことなんかねぇよ」
「そうねぇ。あたしも別に何もないわね」
僕らは卒業式後、早々に自室に引き上げていた。
校内は保護者でごった返していたし、そこら中で繰り広げられる悲喜交々の中に混ざるのは少しだけ遠慮したい気持ちになったからだ。
役員面々は大役を果たしたとばかりに、不釣り合いな晴れ晴れとした顔をして別れを惜しんでいたからというのもある。後片付けは明日の朝行うことになっているので、この時間は体を休める時間に充てられている。
一方ヨナスは有志による演奏会で昨日からずっと歌いっぱなしだった。昨日は朝から聖歌隊のヨナスとしてのお別れ演奏会に始まった。それは盛大で、在校生も多く集まりその歌声に聞き惚れていた。
午後からはドレスを着るヨナスとしてお別れ演奏会が行われた。未だ噂に翻弄される生徒も少なくないが、そうでないその諸先輩方の為にその演奏会は開かれたのだった。こちらは午前中のものとは違い非公式な為、以前のように演劇部の練習場所を借りてのことだった。
もちろんジャデルシャーゼで着るドレスを着て歌った。参加者は大いに喜んで、ヨナスの歌声に聴き入った。僕はその演奏会の準備にも携わったので、本当に疲れ切っていた。来年再来年と、あと2回これをするのかと思うと、気持ちが折れそうになってしまう。
「来年は今年のノウハウ活かせるだろうが、んな顔すんなって」
「来年は主戦力ですよ。あの惨状を見ると自由には動けそうもないですよ」
「来年は俺の卒業式だ。盛大に祝ってくれよ」
「卒業できるの?」
「できるさ…?」
「同じ学年2回ずつするものだと思ってたよ」
「最終的にベンヤミンと同じ学年になって卒業か?」
「じゃあ、あたしの後輩になるのね」
「いやいやいやいや、卒業できるからな。7年生って実質卒業後だろ?」
「でもあたしはきっと7年生にはならないわね」
「そのまま中央神殿に入るんですか?」
「少しでも早く入れたいみたいね。箔を付けるためにトルテルプラドとして仰々しく巡礼させるんですって。今から憂鬱だわ」
「聖水光らせちゃったんだから、仕方なくない?」
「そうなのよ。抜き打ちだなんてせこいこと」
ぷりぷりとヨナスは怒っているが、どことなく誇らしげに見える。それぞれの卒業後がしっかりと見えてきて、また心が空虚になってしまいそうになる。
「なあ、ずっと聞きたかったんだが、ヨナスの、その恋愛対象って男なのか?」
「さあ、どうなのかしら。まだ恋ってしたことないのよ。でもきっとそうなのかなって思うの、だってあたし女の子だもの。そうね、一番最初に好きになるのはベンヤミンがいいわ。あたしのために一生懸命になってくれたもの」
「それを言ったら、僕ら3人に一生懸命だったじゃないか」
「そう?それでもいいのよ。あたしをあたしと認めてくれて、あたしという存在を助けてくれた」
「ヤキモチかルカ?」
「違うよ。僕はヨナスの1番のファンで1番の親友になりたいんだ」
「嬉しいわ。きっとずっとあなたはあたしのそばにいてくれるのね」
「当たり前じゃないか。ヨナスが嫌って言ってもずっとそばで歌を聞いてやるんだから」
「なんだよ。ベンヤミン、ニヤニヤしやがって」
気がつけば口の端しがすっかり上がってしまっている。
「なんだか幸せな光景だと思ったんです。まだ1年も経っていませんが、初日はどうなることかと思ったことがとても懐かしくて、つい。僕は3人が大好きですよ。だから3人が笑っていると嬉しいんです」
「僕も入れておくれ!」
ドアをバンと開けてフィン先輩が入ってきた。
「なに?まだいたの?」
「いるさ!」
「何しにきたんだ?忘れ物か?」
「ある意味そうだね!!」
「まぁ来るわよね」
「そうだよ。ごめんね!!!」
「どうしたんですか?」
「君たちが来ないから僕が直接来たんだよ。寂しいじゃないかお別れだよ?」
僕らは顔を見合わせた。
それぞれがお別れは済んだのにという顔をしていたのだから、笑いしかこみ上げない。
「自分がここまでかわいそうな人になるとは思わなかったよ」
「個別にお別れしたんで、あとはフィン先輩を慕う方々にお譲りしようと思ったんです」
「確かにもみくちゃにされたよ。こんなに自分って慕われてたんだって感動したし、大泣きしたよ」
よく見るとフィン先輩の目元は赤く腫れていた。
「でもそうじゃないよね。君ら一番僕にお世話になったよね?」
「余計なお世話?」
「あたしは特に…ね?」
「なんだ?まだ謝れってのか?」
「そうじゃないよ」
そう言ってフィン先輩は膝から崩れ落ちた。
「わかってからかってるんだろう」
「違いますよ。ご迷惑かと思ったんです。ただでさえ僕らはフィン先輩から可愛がられてる。本当に最後くらいは他の方に譲るべきかと思ったんです。それに、僕らは個人的にお別れをしましたし、手紙を書く約束もしました」
「僕は書くとは言ってないけどね」
「あたしは書かないわね」
「手紙の練習になるなら書くな」
「ほらみろ、殊勝なことを言ってくれるのはベンヤミンだけじゃないか。個別のお別れだって?パオルとベンヤミンとしかまともにしてないよ」
「そうなんですか?やったって言ったじゃないですか」
「認識の相違だよ」
「そうね、あたし一曲歌ったもの」
これで終わりの賑やかな時間、誰がこの賑やかな時間を予測できただろうか。
「もう一曲歌ってやれ」
「じゃあ、邪魔するために僕も歌う」
「それなら、みんなで歌いましょうよ」
「そうしよう、何にしよう」
そうして僕らはフィン先輩を笑って見送った。
確かに僕自身、歌はそんなに得意じゃないと思っていたけれど、人に大笑いをされるほど下手だとは思ったことはなかった。
調和を見出すため全体合唱なんかは口パクだし、授業も音楽は取っていないかった。フィン先輩と一緒に歌った歌はよく歌う賛美歌だったけれど、僕は歌詞を全て覚えておらず覚えている途中から参加した。
一番最初に脱落したのはルカで、1小節も歌わないうちに無表情のまま吹き出して沈没した。パオルは口をあんぐり開けたままこちらを凝視したし、フィン先輩は最後まで歌おうという努力を見せてくれたが、声が上ずり出して最後まで歌えなかった。
ヨナスは怪訝な顔をしながら歌い続けていたが、聞くに耐えなかったか僕の口を塞いで黙らせた。そうしてフィン先輩は何もかも吹っ切れたという顔をして、爽やかに卒業していった。
実は例の調停者は都合を付けて来ていたそうで、フィン先輩のご両親とこれからの専門機関のことやそれにまつわる費用のことなど色々と話し合ったそうだ。
「僕の調停者で後見人なんだけどね」
「これで同じ派遣元なんてことになったら、ルカとフィン先輩の関係は切れませんね、嬉しいですか?」
「まさか、彼はお節介なくせに僕に恐れをなして逃げ出して、君に押し付けたんだよ?」
「押し付けられて寂しかったですか?」
「どうだろう。僕はずっと誰かに捨てられ続けて来たからね」
「でもまた縁は繋がりました。喜んでいいんじゃないですか?ルカはちゃんと逃げたフィン先輩を受け入れもしたんです。それだけでいいと思いますし、そういうものだと思いますよ」
「じゃあ、僕は今、嬉しい、とても。でも受け入れたって今言ったけど、ちょっと違う気がする」
「言い方の問題では?」
「そこが大事、別に僕はフィンを受け入れるとか受け入れないとかって、そんな関係じゃなかったんだよ。彼はいわゆる善人の代表みたいな人だったからね。からかってたら引っ込みがつかなくなったんだ。あの頃に、純粋に損得抜きで僕にかまってくれた唯一だったっていうのもあるよ。だって暴きたくなるじゃないか、僕は今までずっとそう言う目でしか見て来られなかったんだから」
「僕は平気だったんですか?」
「ベンヤミンは僕と同じだと思ったから」
ルカは手を伸ばして僕に触れる。その手はひんやりしていた。
「なんとなくだけどね。でもベンヤミンはちゃんと愛を知ってた。見当違いもいいところで、どう暴いてやろうかと思ったけど、それどころじゃなくなったからね」
「ある意味あのバタバタの日々に救われたんですね」
「僕の心は常にが空虚だったよ。今だって空虚だ。でもね、少しずつそれでいいと思えてきたんだ。誰かを道連れにしてやろうとか、誰かを同じが空虚にしてやろうとか今まで明確に思ったことなんてなかったけど、僕がしてたことってそういうことだったんだって気づいたんだ。そう思うと、僕はそれに気づくことができた今の僕を大事にしなくちゃいけないと思ったんだ」
「もう死にたいって思わなくなりましたか?」
「汚い大人ばかりじゃないって知ってるけど、今も怖いし気持ち悪いよ」
「僕も正直怖いです。両親や兄たちはこの色を越えて僕を見てくれていていましたが、使用人たちはそうじゃなかった。街で怖い目にも遭いましたし、この学校でも疎む目は多かったんです。でもそれは大人も子供も関係ないと思うんです。ただ僕ら子供は、大人の言葉や行動をとても重く感じるだけだと思うんです。子供の世界って狭いですよね、家にいると一番は両親ですし。子供ながらに知らぬ間に、自分への影響力のランク付けがあるんですよ、ルカはたまたま影響力の強いご両親や出会った大人がたまたまそうだっただけなんです。世界は広いんです、沢山のことを一緒に見ていきましょう?」
僕は僕と温度の同化したルカに手を重ねた。
滑らかな白い肌に対比する僕の肌を眺めながら、果たして僕のこの色は心を通わせるのに邪魔なのだろうかと不思議に思った。
「最初から君たちは僕の色に偏見を持ちませんでしたね」
「そんな余裕なかったからじゃないの?」
じっと見つめると、耐えきれなくなったようにルカは目を逸らした。
「嘘、ごめん。フィンから聞いてたんだ。他の二人が聞いていたかは知らないよ。でも僕はどう思うって聞かれたから」
「なんて答えたか聞いてもいいですか?」
「興味ないって答えた」
「ルカらしい」
「僕らしい?」
「僕の思うルカは、どちらかと言うと人を評価するよりも人からの評価を気にするように思えたので」
「そうなのかな?」
「僕の受けた印象なので気にしないでくださいね」
「でも確かに僕を好きって言ってくれるなら、僕と一緒にマハネ神の所に行ってくれるなら誰でもいいと思ってたかも」
「じゃあ良かった。僕は最初から君たちに好意しかなかったんです」
「それこそ不思議だよ、僕のこと知っていたでしょう?」
相変わらずルカは表情というものはこれっぽっちも感じられないが、それでも感情の機微がわかる。僕と同じ温度になった手が少しだけ冷たくなった。
「事実を聞いただけですよ。他は特に何も聞いていません」
「詳しく聞いていい?これが気になるってことは、僕は本当に他人の評価が気になるようだ」
「普通に気になるんじゃないですか?誰だって気になりますよ」
そして自分の言った”誰”が誰でもなかったことに気づいて少しだけ苛立った。失言を気にしていては何も話せなくなると思ったが、今のこればかりは後悔しないといけない失言だった。
「僕は他人の評価を気にしてばかりいました。僕に対する評価は外見ばかりのものでその評価を覆す事ばかり考えていたんです」
「変なの、ここは懺悔室じゃないよ」
「でもルカのことを話す前に言いたかったんです」
僕は手を重ねたまま姿勢を正した。特に意味があったわけではないが、ルカにとって大事な話をするのだと思ったからかもしれない。
「入学早々、当時の6年生数名に可愛がられ、彼らの部屋に頻繁に通っていて、そして彼らは諍いを起こし2名が退学したとありました」
「そんなことがあったね、僕が一番誰が好きかで喧嘩になったんだよ、僕は誰も好きじゃなかった」
「それからすぐに役員の監視下に入っていますね」
「あれは本当に鬱陶しかった、四六時中付きまとわれるんだ」
「その役員は君に夢中になった」
「愛を囁かれた時には正気を疑った」
「そしてその役員は7年生にはなれなかった」
「それは僕の責任じゃない。彼は僕の監視から降ろされてから勉強も役員の仕事もしなくなって、聖力がなくなったんだ」
「それから君は自分への好意を見逃さず、多くの生徒のそれに漬け込んだ」
「その言い方は好きじゃない。僕はきっと人恋しかっただけなんだよ」
「っていうのを先日フィン先輩から頂いた参考資料の間に挟まってました」
「知らなかったの?」
「危険な生徒ってことだけですね。知っていたのは」
「見た通り、噂に疎いんです」
「ルカの話はルカと知り合ってから知ったものばかりですよ」
「驚いていいの?」
「僕に聞かないでください。僕はこの話を頂いた時、最初から好意だけで接しようと決めていたんです。僕自身後ろめたかったんです、先ほども言いましたけど僕の評価を覆すために役員になりたいと、君たちを利用したんですから。それとこのことは秘密ですけど、フィン先輩に感謝してくださいね。色眼鏡で見ないようにって資料を渡さなかったと言っていましたから」
ルカは重ねた手を解いて、今度は指を絡めた。細い指はまるで陶器のような滑らかさだ。
「何も知らないのにあんなこと言ってたんだ」
あんなこと?頭をひねって考えたが、答えは出てこなかった。
「いや、本当に知らないから言えたのか」
ふっとルカが笑った。声を出して、目を細めて、口角をあげて、頬を緩ませて。
「あははははは、おかしい。本当におかしい。僕はまんまとフィンに踊らされていたんだ。でもこんなに愉快なのはいつぶりだろう。もしかして初めてかもしれない。君は本当に素敵だよベンヤミン」
ルカは大きな声で涙を流しながらお腹を抱えて笑っている。
僕は何が何だかよくわからなかったが、ルカが笑えていることが本当に嬉しくなった。
「なんだ?玄関まで聞こえてるぞ」
「ベンヤミン、こいつ笑ってるのか?」
「そうですよ」
「笑っちゃ悪い?もうほんとおかしくて、してやられたんだよ、僕ら。フィンにね」
僕とパオルは顔を見合わせて首を傾けた。
「あら、誰かと思ったらルカが笑ってたのね。いい顔して笑うじゃない。ベンヤミン何かしたの?」
「僕というよりはフィン先輩ですけど、なんでしょう。いつも通りに話をしていただけですが」
「笑い上戸だったのかしら」
ルカはこちらが引くほど笑い続けている。お腹が痛いと言いながら、椅子から転げ落ちそうなほど笑っている。このままではどうにかなってしまうのではないかと心配したが、しばらく様子を見守っているとだんだん落ち着いてきた。
「あれ?ヨナスおかえり」
「さっきからいたわよ。笑ってたわね」
「こんなに笑ったの初めてかもしれない」
「それはよかったわね」
ヨナスはルカの頭を優しく撫でた。
もう夏休みに入っているが、僕たちはまだ学校に残っていた。聖歌隊は数週間後にあるカウラ祭のためにほとんどの生徒が残っていた。
近場の生徒は一度実家に戻り夏至祭り前に戻ってくる生徒もいるようだった。ルカは管理人の手配に戸惑っているらしく、ご両親の与えた別邸でこの夏を過ごすことができるか怪しくなっていた。
でも僕は後見人がルカが一人になる時間を少なくするために、わざともたついているのだと考えている。そんなこんなでルカは暇を持て余しているため、聖歌隊と同じく夏至祭りに参加する演劇部の手伝いをしている。
パオルは予定通りとばかりに補習に参加したり図書室にこもって勉強したりしている。彼は本当に水を得た魚のようにどんどん知識を吸収していっている。
「結局最後までフィンの手のひらの上だったわけか」
「そこはまぁ年齢の差が大きいと思いますよ。それだけ多くの生徒と関わってきていますしね」
「あたしは特に彼と何かあったわけじゃないのよね」
「見えないところでお世話になっていたと思いますよ」
「見えなきゃちゃんと感謝もできないわ」
「感謝が欲しいわけじゃないんですよ。今その姿をフィン先輩はとても喜んでますよ」
「変な人ね」
「違いない」
「でも一番感謝しなくちゃいけないのはパオルだもの、お礼の1つでも言ったの?」
「教えねぇよ」
僕らは感謝しても仕切れないほどフィン先輩にもらったものがいっぱいあった。フィン先輩は僕こそそうだと言ったが、彼は僕を過大評価するきらいがある。フィン先輩は自分ではこの3人は救えないと言ったが、果たして本当にそうだったのかと疑問ばかりが残った。
「でもあたしは1つだけとても感謝してるって伝えたわ。ベンヤミンに巡り会わせてくれたことよ」
にこりと天使の微笑みを向けるヨナスは、ここ最近でまた綺麗になった。声と不釣り合いだった容姿はその声と距離を縮めていたし、これが本来のヨナスなのだと改めて感じた。
街にいる少女のようにドレスを着ればさぞかし似合うだろうと思った。
「光栄です」
「僕もヨナスの人生の一旦に関われたことがとても誇らしい」
「あら、褒め上手」
「本心ですよ。僕はきっと生涯ヨナス以上の歌を知ることはないと思います」
「そうね。確かに加護を持ってるあたし以上の歌を知るのは難しいかもしれないわね」
少しだけ目を細めて悲しい顔をしたヨナスに、僕らは胸を締め付けられる思いがした。ヨナスは僕らの手の届かないところへ一足飛びで上がっていくのだ。
「鐘が鳴るわ」
ヨナスがそう言うと次の瞬間、夕食の予鈴が鳴った。
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