君と君の好きな子の幸せ

くんくん

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16話・UPSET

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いすから転げ落ちた仁を強引に保健室へ連れて行った虎は、保険医の“心配ない”と言う言葉を聞いて僅かに表情を緩めて、小さな溜息を漏らした。

その読み取り辛い些細な反応は、仁の身の安全を確信出来て安堵したからだと感じて、俺も少しだけ安心したのだけれど。

その後虎はベッドで頭を冷やす仁に声を掛ける事もなく、俺にメモを渡して“放課後仁とここに行け”と一言だけ言って、そのまま教室に戻り…
その後授業が終わっても“携帯会社にスマホを持って行く”という理由で、さっさと先に帰ってしまった。

俺が言うのも可笑しいのだけれど、何故か仁に対する虎の様子がおかしいと思う。
椅子から転げ落ちた仁に対してもリアクションが薄かったし、保健室での様子も…いつもと違って見えた。

それだけなら体調がおかしいのかな?とか、機嫌が悪いだけ、とも思えたのだけれど。

決定打となったのが、このメモを俺に渡した事だ。
あの時はなんのメモだと不思議に思ったけれど、メモを後々よく見たら、とある住所と山懸という名前だけが書かれていた。

その住所をネットで検索したら、遺伝子生物学を専門にしている国立の研究所、山懸という名前はその研究所内にある研究室だという事が判明した。

…と、言う事は恐らく虎は、仁のお兄さんの居場所を知っていたということになる。
知っていたのに何故、仁に直接渡してあげないのか…そもそも話を振られた時に、ここに居る事をどうして教えてあげなかったのか…。

節々に感じる虎の違和感は、もしかしたらとても些細な物なのかもしれない。
タイミングの悪さが重なって、ほんの何ミリズレた事で生まれた小さな解れだったのかも。

だけどそんな微かな解れに、実際仁も気付いていたようで、俺が虎からお兄さん確保のヒントを受け取った事を伝えると、お兄さんの居場所が判明した事に喜ぶよりも先に、酷く傷付いたような顔をしていた。

俺はそんな仁を見て、何とも言い難い複雑な気持ちになってしまった。
一方は親友三人組の一人として、少し様子のおかしい虎と仁の胸中を心配し、一方は仁の恋人として、俺以外の人間によって仁の心が激しく揺すぶられる事に腹が立った。

『俺って…こんなに心の狭い人間だったっけ…。』

そしてその二つの感情を三人称視点で見る俺が、激しく自分に嫌悪する。
虎も仁も俺にとっては大切で唯一無二だ。その事は変わりないはずなのに、どうしてこんなに感情が渋滞を起こすんだろう。

「…遺伝子なんたら山懸ラボ…なんたら研究所…ここだっ!」

目の前にそそり立つ立派な建物の案内板と、虎から受け取ったメモを何度も見比べながら仁が嬉しそうに声色を上げる。

漢字が乱立した長ったらしい案内板の文字を、仁がでたらめに読むので少し面白い。

「なんたら、じゃなくて“国立遺伝子生物学研究所 遺伝子微生物病研究室山懸ラボ”だからね?」

だからクスクスと迫り上がる笑みを零しながら、やんわりとそれを訂正する。
それでも仁は、少し頭が混乱したのか頭の上にハテナをいっぱい浮かべて苦笑している。

「あぇっ?…あははっ。」

そんな所も子供みたいで可愛いな、なんて思ってしまう俺は、仁に愛されているこの現実に陶酔しているだけなのかな、なんて思ったり。

「ここで間違いないね、じゃあお兄さんを確保しよう。」

「…お、おうっ!」

仁にそう言ってはみたものの、こんなに立派な研究所へ簡単に入れるのか?と不安だったけれど、受付から山懸ラボにアポを取ってもらうと意外にも簡単に俺達を通してくれた。

「…よっ、よく来たなぁ。」

山懸ラボと書かかれたドアを開くと、すぐ目の前には俺達の事を待ち受けていたであろう白衣の男性が立っていた。

「よっ!じゃねぇよっ!バカ兄貴、この二日間何処で何してたんだよぉっ!」

「あっ…仁っ!」

その姿を見るや否や、仁は弾かれたような勢いでお兄さんに飛び掛って行く。
咄嗟にそれを止めようとしたが、恐ろしく俊敏な仁の走り出しに全く付いていけず伸ばした手が空を切った。


「あははっ、すまんすまん。」

「笑い事じゃねぇんだよっ!!」


怒り狂う仁を尻目に、当のお兄さんは顔を綻ばせながら取っ組み合おうとする仁をいなしている。
素直に謝罪の言葉を口にしているけど…ちっとも悪いと思っていないように見える。 

『仁のお兄さんって…こんな人だったっけ?』

俺はそんな光景を目にしながら、少し呆気に取られてしまった。
幼い俺が何度か顔を合わせていたあの頃のお兄さんとは…大分雰囲気が違う気がするせいだ。

「大人には色々あんだよぉ、解ってくれよぉ~可愛い弟ぉ。」

「だっ、抱きついて誤魔化すなぁーっ!!」

二人の様子はまるでじゃれ合っているように見える。
一見微笑ましくも思うのだけど…そんな風に錯覚させるのもお兄さんの態度のせいなんだろう。

「感動の再会シーンを邪魔して悪いけど…ちょっといいかなぁ?」

そんなあぁでもないこうでもないとじゃれ合いを続けている二人の横に現れた男性は、言葉とは裏腹によく通る声で言う。

「あっ、山懸先輩。」

「恩君、応接間にお茶を持たすからお客様をお通ししなさい。」

すると仁の頭を無理矢理撫でていたお兄さんが振り返る。
山懸先輩って事は…あの男性はラボの室長なんだろうか。

『その割には若く見えるなぁ…。』

「すみませんねぇ、うちのバカな弟がうるさくって!」

「…元気が何よりさ。しかし積もる話もあるだろう。…さ、応接間へ。」

「じゃあ遠慮なく…そっちの美人さんはカイルだろ?お前もついてこいよ。」

「…へっ?は、ひゃいっ。」

室長と思われる男性とお兄さんの会話を何となく無意識で耳に入れていた俺は、突然自分の名前を言われて思わず頓狂声を上げてしまう。

そんな俺の事に構うこと無く仁を小脇に抱えたお兄さんは、パソコンとデスクの並んだ部屋を通り過ぎ、どんどん足を進めた。

その背中を必死に追いかけながら、俺は物珍しいラボの様子に、目を右へ左へ忙しなく動かしてた。


「…さっ、好きな所に座れ。」


通された部屋は先程までの白くて無機質なイメージとは違って、応接間と呼ぶに相応しい雰囲気のある部屋だった。

控えめな気品を漂わせる調度品に、上品で重厚なソファ…まるで校長室みたいな威厳さがある。

『なんだか感想が子供っぽい…。』

自分の幼稚な発想力を心の中で恥じ、それを悟られないように一度小さく咳払いをすると、俺は仁が腰を下ろしたその横に座る。

「…仁も少しは落ち着いたみてぇだし、改めて言うけど。…ようこそいらっしゃい。」

俺たちが座った事を確認したお兄さんは、俺たちの向かいに腰を据え満面の笑みを湛えて言う。 

「あっ…。」

「…ん?」

その笑顔が仁の笑顔とそっくりで、俺は思わず感嘆の声を上げてしまう。
抜かりなく俺の声に反応するお兄さんが不思議そうに俺を見つめるので、俺は何とも言えない気持ちになり、慌てて笑って誤魔化す。

「あっ、いえっ!こちらこそ、お邪魔してますっ…ぅぅ。」

誤魔化したつもりが途中で自分でも何を言っているのか解らない程に尻萎みしてしまう。
だって、お兄さんの笑顔が仁と被ったなんて、恥ずかしくて言えないし…。

「何だよぉ、カイル。そんな緊張しなくっても、オッサン取って食ったりしねぇからっ。」

俺の心中を知ってか知らずか、お兄さんは一層明るい声でそう言って笑う。
この距離の近さも、仁に本当そっくりだ。

「あのなぁ、カイルは緊張してんじゃねぇんだよ。兄貴の体たらくっぷりにショック受けてんだよっ!」

仁は尚も不機嫌そうにお兄さんを睨みつけそう言うけど…お兄さんは至って平然としている。
こういう所は…仁とは全く真逆みたい。

「あははっ、まぁ俺だって何も考えてない訳じゃねぇんだよ?これでも。」

「…だったら今日こそは帰ってもらうからな。兄貴だって母ちゃんが話したがってる事、分かってんだろ?」

「…んー、まぁ…分かっちゃいるんだけどなぁ。…まぁ、今日こそは帰るよ。」

「本当だろうな?俺と一緒に帰るんだからな?後でお前だけ帰れって言うなよ!?」

「分かった、分かった。皆まで言うなっ。」

こうやってやり取りをしている所を見ていても、その性格が全く真逆に見えて面白い。
顔はそっくりで勿論笑顔もそっくりで、馴れ馴れしいというか他人との距離をいきなり縮めてくる所は一緒なのに。

「…帰る事は決まったけど、まだ他に兄貴には聞きたいことがあんだ。」

「何?」

俺が二人の不思議な共通点に和んでいると、仁はまだ表情を強ばらせたまま神妙に口を開く。
それに気のない返事を返すお兄さんは、用意されていたお茶を啜る。
仁はその動きを鋭い視線で見つめて、少しの間押し黙った。

物音がしない応接間を肌を劈くような緊張感が侵食していくようで、俺は堪らず呼吸を止めてしまった。

「…なんで兄貴の居場所を虎が知ってんの?」

どれ位そんな静寂が続いたのか、俺にも正確な事は分からなかった。
永遠にも思えたし、ほんの数秒の事だったのかもしれない。 

それ程に重厚な緊張感が張り詰めていて、仁が口を開いた瞬間、漸く俺も酸素を受け入れる事が出来た。

「…そりゃお前、プログレスに行った時に話したんだよ。アイツに。」

目の前に座ったお兄さんは、仁の疑問に対して事も無い風に言ってみせる。
だけど少し離れて座る仁の体から、熱のような殺気を感じる気がしてその姿を横目に入れる。

「じゃあ何で俺が兄貴の居場所を聞いた時、何で虎は…知らねぇフリしたんだよっ!」

『あ…またこの顔…っ。』

悲痛な面持ちで、まるでお兄さんに八つ当たりをしている様な仁。
その表情は虎からメモを預かったと話した時に、仁が見せたあの傷付いた顔と同じだった。

『…っっ。』

そんな仁を見ていると、胸の中がぐちゃぐちゃに掻き回されて、臓器が甚振られるみたいに痛く苦しくなる。
息が止まってしまう程喉がひりついて、俺は現実を拒否するように仁から目を背けた。

「…なんで、なんで俺には知らねぇって突っ返したくせにっ…本当は知ってたくせにっ…!」

仁は声を上擦らせながら、お兄さんに食ってかかるように責め立てる。
お兄さんは何故だか、そんな仁に黙って耳を貸しているように黙っている。

「てか…っ、ちげぇ…っ!そんな事言いたいわけじゃ…!」

「そうじゃなくて…っ!そんな事、兄貴に聞いたって…っ、解るわけねぇっ!」

「だめだ…っ、頭が混乱するっ。」

仁は居た堪れない程、しゃくり上げながら必死に自分の気持ちを伝えようとしている。

だけど混乱し処理能力が落ちた脳は、検討外れな疑問を投げかける。
その疑問はこの状況に至って検討外れだとしても、今の仁の心を大きく占めている疑問なんだと思った。

疑問?…いや、違う。
目の前に居るのがお兄さんだったから、それは疑問に思えたけれど、これは疑問じゃなく。

『…不安だ。』

俺はそんな仁の気持ちとは違った意味で泣きそうになっていた。
胸が痛くて苦しくて、仁が必死になればなる程、その口を閉じてやりたいと憎らしさまで感じてしまう。

「…虎之助となんかあったのか?」

自分の中に沸き立つ憎らしさを必死に噛み殺していると、お兄さんはこの場に似合わない穏やかなトーンで仁に問う。

その姿を何気なく視界に入れると、口元は薄ら笑みを浮かべたまま…対照的に八の字に眉を下げている。
きっと殆ど無意識に言葉を発し、表情が互い違いになってる事に気づいてない。
…心底仁を心配してるんだと思う。

『仁がこんなになってるのに…俺は慰める事すら出来ない…っ。』

そんなお兄さんの事を思うと、自分の醜さが嫌でも身に沁みる。
慰めるどころか、仁の事を憎らしく思うなんて…俺は至極最低な奴だ。

「解んねぇけどっ、なんかムカつくんだよ…!兄貴も、虎もっ!」

まるで子供のように声を張り上げて泣く恋人の横で、俺は何も出来ないまま黙りこくっていた。

虎の見せる違和感に、仁がこれ程心を掻き乱すとは思わなかった。
確かに俺も虎が何となくよそよそしい気はしたし、お兄さんの居場所を直接伝えない事にも疑問が浮かんだ。

でもだからって、こんな風に泣きじゃくってお兄さんに八つ当たりする程、混乱してしまうなんて考えもしなかった。

何時からか、仁の心を占めるのは自分の専売特許だと思っていたからかも知れない。

「…ごめん、ごめんな仁。」

未だしゃくり上げる仁に、お兄さんが然も痛ましそうに顔を歪めて呟く。

少し体を乗り出し、大きな手で仁の頭を撫でて、それから仁が泣き止むまでの間、ずっとそうやって謝り続けていた。

仁が泣き止んで落ち着きを取り戻した後、お兄さんは席を外して途中になっていた仕事を締め、俺達と一緒に家へ帰ることにした。

その道中、仁が泣き腫らした目を伏せるようにして俺に言う。

「カイル…ごめんな、今日は。」

「俺こそ、なんかごめん。」

俺が罪悪感に苛まれて漏らした言葉に、仁は驚いた様子で大きな声を上げた。

「えっ?いやいや、カイル何もしてねぇし!何で謝るんだよっ?」

「…何も出来なかったから。…だからごめん。」

そう口に出して言ってしまうと、既の所で堪えていた悔し涙が溢れてしまいそうだ。
俺は涙を堪えるのに必死で、自らの唇を
噛んでしまった。

だけど鋭い痛みは訪れず、それよりもずっと痛いのは…胸の方だった。

「そうじゃないよっ!…だから、悪いのは俺と虎であって…カイルは違うからっ。」

きっと仁は俺を気遣って言ってくれてる。
その事は理解出来るのに、ツキツキと意地の悪い痛みが胸の奥を襲う。
やっぱり仁の心を占めているのは、虎なんだと気付かされる。何度も、何度も。

「…あ、あぁだめだ…上手く出来ねぇ。」

その心情が外からも読み取れてしまったのか、仁は少し苛ついたように言う。
それは俺にも言える事で、不器用な俺達は上手く言葉を紡げずにいた。

「…カイルはここでお別れだったかな?」

そのまま黙ったまま歩いていると、少し離れた場所からお兄さんが言う。
はっと思って頭を擡げると、そこは自分の家と仁の家を分ける丁字路だった。

「えっ、よく知ってますね…。」

「そりゃ知ってるさ。朱鷺家はあの頃でも有名な白亜の宮殿だったからなぁ。」

意外なお兄さんの発言に驚いた俺がそう言うと、お兄さんは少しふざけたみたいに笑いながら返す。

「もう…帰るん、だよな。」

仁は目線を俺から背けるみたいに俯いたまま、それでも縋るように言った。
まるで別れを惜しんでるみたいで少し擽ったい気持ちにもなるけど…。

「…うん。また、明日ね。」

俺は強く奥歯を噛み締めて、無けなしの強がりで別れを告げた。
精一杯の笑顔を作ったけれど、仁にその嘘が伝わっていなきゃいいな、と思う。

「じゃあカイル、またな。」

「…っ、カイルっ!」

まだ仁は何かを言いたそうに俺の名前を呼んだけれど、俺が左手を軽く振るとお兄さんが仁を促すようにして…暫くすると歩き出してしまった。

時計の長針と短針みたいな二人の後ろ姿を少し霞む視界に収めて、その後ゆっくりと反対方向へ歩みを進めた。

この心中の醜さから目を背けるようにして、その歩みは徐々に速度を増していき…それから気付くといつの間にか走り出してしまっていた。

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