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【第2章】帝都にて
【第4話】侵入者は逃げ損ねる
しおりを挟む────物音がした。
ツユリは瞼を上げる。闇の中、息を潜めて周囲を注意深く探る。
『嫌ァな気配だねェ、主ィ』
左耳の蘇芳がケラケラと笑っている。一方の右耳の群青からは、隠しもしない殺気を感じ取る。
未だに二匹を完全に制御できない己の未熟さに、一時だけ落胆してしまう。
────いけない、こんなことで落ち込んでいる場合ではないというのに。
慌てて気を引き締めて、再び警戒のために暗闇に目を凝らし、耳を澄ました。
物音はまだ続いている。一階からだ。
『笑い声を立てないで蘇芳。群青も、心を鎮めて』
『はァい』
『バウ』
念話で牽制すれば簡単に大人しくなる。性質はともかく、主人の命令には従順である。性質はともかく。
両耳からイヤリングを外す。二匹の名を呼び、霊鳥と呪獣の戒めを解放した。
『私は東棟に向かう。群青は西棟から追って、蘇芳は外で逃げ道を塞いで』
『了解ィ! ひゃっはァ! 仕事だ仕事だァ!』
『バウバウ!』
歓声を上げて二匹は持ち場へと向かうべく、瞬時に姿を眩ませた。
大きな溜息を吐きたくなるのを何とか抑えて、ツユリもすぐに足を動かした。
向かう先は言わずもがな────招かれざる客が居る、一階である。
◇ ◆ ◇
この屋敷は、おかしい。
忍び込んだ男は、目的の場所を探しながら首を傾げる。
豪商貴族の屋敷だと聞いたのに、金目の物が一切見当たらない。外観は贅を凝らした、まさしく貴族邸といったものだったというのに。中に入ると質素な内装に出迎えられ、思わず拍子抜けしてしまった。
まあいい、獲物は金ではない。そう自分に言い聞かせ、仕切り直しと屋敷内の探索を始めた。
しかし、探せど探せど目的地に辿り着かない。食堂、物置、空室、空室、空室────。
「ちょっと待て、おかし過ぎるだろ!?」
ついには叫んでしまった。
おかしい、おかし過ぎる。何故────人が一人も居ないのだ。
「確かに人が出入りするところを見た! それなのに、どうして誰も居ねぇんだよ!」
男は頭を掻きむしる。
外から見た屋敷の造りは一階建て。シンプルで探索がしやすそうだと高を括っていた。
無人のはずがない。確かに馬車が屋敷に入るところを見た。数人の人の声を聞いた。
それなのに気配どころか、住んでいる形跡すら見つけられない。
「クソっ、何なんだここは」
気味が悪くなった男は一旦屋敷から逃げることにした。
玄関へと引き返そうと、まずは誰も居ない部屋から出るためにドアノブに手を伸ばすが────。
「……開かない?」
ガチャガチャと何度も回すが、一向に開かない。
鍵は無い。そもそも鍵付きですらない。鍵穴なんて初めから存在しない。
ゾッとして、男は必死に扉を押したり引いたりとしてみたが、まるで鋼鉄の壁でも相手にしているかのように、扉はビクともしなかった。
「な、なんで!」
焦りの余り、開けるのを止めて扉を壊しに掛かる。近場にあった椅子を、扉に向けて投げつけた。
大きな音を立てて椅子が粉砕する。それでも、扉には傷一つすら付けられなかった。
「────そこまでです」
驚き固まる男の真後ろから、凛とした声が上がる。
「侵入だけならまだしも、家財にまで手を出すとは……帝都はやはり危険です。旦那様に、領地への帰還を催促せねばなりません」
「なっ……!」
振り返った先、奇妙な使用人が居た。
シニヨン型に纏められた黒髪に、白花の髪飾り。
狗と禽を半々に象った、顔を覆い隠す面。
そして────両手に握られた、二本の刺股。
「だ、誰だ!」
「それはこちらのセリフです。ここをアヴィメント辺境伯の私邸と知った上での侵入及び器物破損。その身を以て償っていただきます」
冷たく言い放ち、右手の刺股を男に向けて突き出す。
「ひぃ!」
────ガツッ!
間一髪のところで避けるが、すぐにもう一本が繰り出される。
首を狙ったその一撃は、僅かにずれて肩部分を捉えた。服越しに金具部分が食い込む。
「ぐぁっ……!」
「逃げないでください。捕獲用とは言え、当たりどころが悪ければ怪我をしますよ」
「っ、ちくしょう!」
痛みに顔を歪ませながらも、男は肩に食い込んだ刺股を掴んで短く唱えた。
『発焔!』
「……! 短縮詠唱!?」
短縮形式のため威力は弱いが、この場を切り抜けるには十分だ。
男は掌から焔を迸らせ、刺股の柄を焼き折った。
────パキン!
「……っ、く!」
刺股からの圧を無くし、男は使用人から逃れてその後ろへと走る。
その先にあるのは、外に通じる窓だ。
男は迷いなく両手を翳す。
『発破!』
ガラスが砕け散る音が夜闇に響いた。
次いで、背後から使用人の怒りの声が聞こえる。
「一度ならず二度までも……いいや、三度だ! 貴様、よくもお嬢様からの賜り物を────!」
怒り心頭といった使用人の様子に、男は本能的に身の危険を察知した。
ガラスが無くなった窓枠、外に通じるその穴の中へ慌てて飛び込む。
「待てこの下郎!」
声を荒らげて使用人が追いかけてくる。
男は後ろをなるべく見ないように前を見据える。草木の茂るその場所は、どうやら屋敷の裏手のようだった。
『────見っーけたァ!』
しかし駆け出そうとした時、突如として空から羽音と声が降って来た。
「……へ?」
視界が大きく下へとぶれる。
気付けば、目の前には地面が広がっていた。
『やったァ、あーしのいっちばん乗りィ! 群青ゥ、残念でしたァ!』
ケラケラと、頭上で耳障りな笑い声がする。一方で、遠くから獣の唸り声が聞こえた。
硬い何かで、頭と片腕を押さえつけられている。
「でかした蘇芳! 群青、唸ってないで貴方も押さえ込みなさい!」
『バウゥ!』
短縮詠唱を唱える前に、自由の利いていた足にまで別の何かがドッシリとのしかかり、身動きを完全に封じられる。
(お、終わった……)
男は抵抗を止め、身体の力を抜いたのだった。
◇ ◆ ◇
「────で、この人がその侵入者?」
「はい」
夜明けと共に起床したミゼルスの元に、ツユリは侵入者の男を縛り上げた状態で連れて来た。
「なんで一番に私のところに連れて来るかなぁ」
「申し訳ございません。今のお時間ではお嬢様しか起きておりませんでしたので」
「いやそこは家主が起きるのを待ちなよ……ふぁーあぁ」
ミゼルスは欠伸をしながら男を観察する。
茶髪に茶の目。一般的なメースン国民の容姿だ。顔はまあまあ平均的。体つきは男らしくガッシリしている。
当然ながら、初対面だ。
「えーっと、初めまして。私はミゼルス=マイアープ=アヴィメント。このアヴィメント家の一人娘だ。貴方のお名前をお聞きしても?」
「……ノク」
「回答どうも。早速だけどノクさん、貴族の屋敷への不法侵入及び器物破損の罪で、おそらく貴方は明後日には処刑されちゃうかもだけど、どうする?」
サラリと言われた死刑宣告に、ノクは目に見えて怯えた表情をする。大の男が目に涙を溜めて、全身をガタガタと震わせている。
────非常にミゼルス好みの怯えっぷりだった。
「……あー、やだやだ。何この可愛い生き物」
「お嬢様?」
怪訝そうにこちらを見るツユリに、ミゼルスは男を指差して宣った。
「ツユリ。私、これ飼うよ」
「は?」
「殺すの勿体無いからウチで飼う。というワケで、お世話は任せた!」
ミゼルスは眩い笑顔と共に親指をグッと立てる。
「……はぁぁぁぁ!?」
────ツユリの素っ頓狂な叫び声は、早朝のアヴィメント邸全体に響き渡ったという。
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