秒で諦める、その前に。

六十月菖菊

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番外編

母なる娼婦の話②

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 あるクズ男の話をしよう。
 子爵家の嫡男として生まれ、散々甘やかされて育った結果、自分が望めば何でも手に入ると思い上がっていた。そのあまりの傲慢さに、貴族社会から煙たがられていた程である。


 あるとき、クズ男は一人のメイドに目を留めた。
 メイドは貧困街の生まれだった。出自を疎まれた、屋敷内での彼女の扱いは粗雑に過ぎた。薄汚い服の合間から見える肌の至るところに、その痕は多く見受けられた。
 そんな彼女に、クズ男は恋をした。初恋だったらしい。


 子爵位を継いだばかりだったクズ男には、既に妻と幼い三人の娘がいた。
 それにも関わらず、クズ男はそのメイドを犯した。
 ロクに想いも告げず、一方的にメイドの貞操を奪った。何度も何度も犯した。そうすれば女の全てが手に入るのだと、愚かにも信じ込んでいた。


 当たり前のことだが、そうはならなかった。
 メイドは既に、屋敷内で幾人もの男の手に掛かっており、純潔とは程遠い身体だった。身分の低い彼女は、男たちからは都合の良い慰みものとして扱われ、女たちからは男に媚びる卑しい娼婦だと口汚く蔑まれていた。
 とうの昔に抗うことを諦めた彼女に、心を傾ける相手など一人もいない。ただ生きていくためだけに、その地獄のような日々を受け容れて過ごしていた。

 メイドが受けてきた仕打ちを知りもせず、ただ感情に踊らされて彼女を襲った。
 虚ろな目で自分を見つめ返すメイドに、クズ男は怒り狂ったという。

 ────なぜ俺を愛さない?
 ────なぜ俺以外にも身体を許す?

 自己中心的に犯し尽くした後で、既に誰かに奪われていたメイドの身体に、自分勝手な文句を言って暴力を振るった。
 メイドは抵抗ひとつしなかった。抵抗しても無駄だと、全てを諦め切っていた。
 女の目が死んでいることを、そのときクズ男は初めて知った。

 ────要らない。

 自分のものにならない。自分を愛さない。
 他のもので汚れたこんな女、要らない。



 妻が散財したせいで多額の借金をしていたクズ男は、丁度いいと言わんばかりに女を高級娼館へと売り飛ばしたのだった。





「────アッハハハハハハハ! くっだらねぇ!」

 すっかり日が落ち、煌びやかに光を灯しだした花街の一角で、狂ったように哄笑する。

「勝手に奪って、勝手に失恋して、勝手に捨てたくせにさぁ! 恥知らずにも程があんだろ、このクズ男!」

 常に閉じられていた糸目の瞼が上がり、中から現れた眼が瑠璃色に輝く。
 嘲笑を向ける先には、件のクズ男────レシグナ卿が居る。

「今更返せだって? 冗談がキツいなぁ、レシグナ卿! エバは今やウチの大人気商品なんだぜ? あの頃の何も知らない元メイドじゃあないんだ。あのときの対価そのままで返品できるほど、ウチの娼婦は安くねぇよ!」

 ケラケラ、ゲラゲラ。
 下品に蔑み嗤う私を、クズ男は射殺さんばかりに睨み付ける。

「貴様ぁ……!」
「なんだよ、抱きたいならウチに通えばいいだろ? 大丈夫、元から色んな男に回されてるからな。クズ男のアンタの相手だって、ちゃんとヤれるよ! な! アッハハハハハ!」

 そう。
 レシグナ卿個人としてではなく、ただの客として。

「アンタの欲しがってる愛ってヤツ? アレもちゃんと囁くように言っておいてやるよ。たくさん勉強して、練習もしたからなぁ。前よりもかなり、満足させられると思うぜ?」

 ────娼婦お得意の、仮初の愛ってヤツで。

「返せ! 俺のものだ! アレは、俺だけのものだ……!」

 聞き分けない子どものように喚く。
 なんてみっともない! ずっと見ていたいくらいだ。
 しかし今のコイツはただの営業妨害物である。客が逃げ出してしまうので、早いところ処分しなくてはならない。

「だったら買い取ってみろよ」

 規格外の価格を提示してやると、面白いくらいに顔が青くなった。

「アハッ、なんだよその顔! まさかとは思うが、子爵ともあろう御方がこれっぽっちの金も払えないってか? ……ああそういやアンタ、借金してるんだったなぁ? 散財癖のある妻子を持つと苦労するねぇ。良ければうちからも借りてみるかい? 娼館から金を借りるなんざ、貴族社会が知ったらどうなるんだろうなぁ? なぁ借金子爵サマ!」

 青くなった顔が今度は真っ赤に染まる。忙しいヤツだ。
 可笑しくて可笑しくて、汚く嗤い散らかす。余りの愉快さに、滅多に開かない糸目が完全に見開いてしまっている。
 人を貶めるのは大好きだ。相手がクズ男なら尚更だ。
 絶望で顔から色を落としてやるのも好い。羞恥で顔を真っ赤に染めてやるのも好い。
 特に、憎悪に塗れた醜い顔は、私の大好物である!



 ────レシグナ卿は公衆の面前で手加減なく辱められ、好奇の視線を浴びせられながら花街を出て行った。








「……買い戻したい、だなんて。一体何を考えているのでしょう?」

 一連の騒動を伝え聞いた当の本人は、ただ首を傾げるのみである。

「エバのことが好きだから戻ってきてほしいんだとさ」
「ええ? 冗談ですよねマル様?」

 好きならこんなところへ売り飛ばしたりなんてしませんよね? と、エバは不可解極まりないといった様子である。
 そりゃそうだと、頷いてやる。あのクズ男の肩を持つ気など、サラサラ無い。

「あれから二年も経ったというのに、よくもノコノコと買い戻しに来られたものです」
「ミカあの男きらーい」
「今度来たら内臓ゼリーぶん投げるね~」
「別にいいけど、店の前に臓物ぶちまけて客減ったら減給するからなルビー」
「オーナーさんの鬼! 悪魔! 今夜の献立を鶏肉まみれにするよ~!」
「やめろぉ! 鶏肉だけはやめろぉ!」
「やえろー!」

 わちゃわちゃとしている中、あどけない幼子の声が上がる。
 見てみれば、今年で二歳になるシオンがエバの腕の中でとても楽しそうに、こちらを見て笑っていた。

「なんだよシオン。今の、そんなに面白かったのか?」
「鶏肉を嫌がるママは面白いよね!」
「そうかそうか。ミカは減給されたいんだな?」
「言葉の綾ってヤツだよママー!」
「ままー!」
「シオンのママはエバでしょ~?」
「しょ~?」

 無邪気なシオンの笑い声につられて、周りの娼婦たちも笑い出す。喧しいことこの上ない。

「────ハハッ」

 その中で密やかに、私は嗤う。
 汚れきったこの花街の一角で、身体を売って生きる女どもと一緒になって、嗤った。







 雨がひどく降る日のこと、娼婦たちが泣き喚いて帰ってきた。
 買い出しの最中に、襲われたと言う。

「エバが、シオンが……!」


 ────エバは殺され、シオンは攫われた。


 娼婦たちが泣きながら運んで来たエバの死体を、胸に抱く。雨に濡れて、身体がひどく冷たくなっていた。
 開いたままの瞼を降ろしてやる。エバの虚ろな目を見るのは二年ぶりだった。
 雨でぐしゃぐしゃになった髪を、ペルラが綺麗に整え直した。血と泥で塗れた服を、ミカが清潔な服へ着替えさせた。
 この国は火葬式だが、花街の人間が公的な施設に行くと門前払いされる。
 だから国の火葬場へは連れて行かず、娼館の地下に遺体を運んだ。





「────お待たせ、“人でなし”ちゃん」

 赤いカチューシャを着けた少女が地下へと降りて来る。
 まだ外は雨が降っているらしく、彼女が着ている赤い外套から水が滴っていた。

「……こんな雨の日に悪いね、“知りたがり”ちゃん」
「あはは、“人でなし”ちゃんが謝るだなんて。今回のこと、よっぽどショックだったんだね」

 暗い地下に、場違いな明るい笑い声が響いた。

「いいよ。大切なお友達の頼みだもの」

 そう言って、地下室の中央に横たわる、娼婦たちに囲まれたエバの遺体に目を向けた。



「エバ。あなたの好きなお菓子、たくさん作ったよ」

 ルビーが菓子を遺体の傍に置く。他の娼婦たちも、様々な品を添えていった。

「……別れは済んだか?」

 ひどく離れ難そうにしていたが、それでも辛抱して、ゆっくりとエバから離れて行く。

「それじゃあ始めるね」

 機を見て、“知りたがり”ちゃんが入れ替わるようにしてエバのもとへと近付いた。





『我が符名はリウズ・スキエンティア。権能を起動致します────』

 無機質な詠唱と同時に、その足元から黒い何かが這い出てくる。
 目を凝らしてようやく視認できるそれは────活字である。

『対象確認、識別完了』

 膨大な量の活字が形を成していく。
 エバを囲い、包み隠したそれは、木棺である。

『既存情報を解凍。消費、出力。────《火葬》を実現致します』

 次の瞬間に、木棺が勢い良く燃え上がった。
 娼婦たちが泣き崩れる中、炎の中で焼け朽ちていく棺を、私はただ見ていた。




「……ああ、やっぱり火はダメだな。見ていて不愉快だ」
「……それなら、わざわざ“知りたがり”を呼んでまで焼く必要は無かっただろう」

 ボソリと呟く私の声を拾い上げて、いつの間にかすぐ隣に佇んでいた白銀の男が文句を言う。

「仕方ねぇだろ。死んだら絶対に焼いてくれって、前々から頼まれてたんだよ。普通に焼いても上手く焼いてやれねぇし、私の権能だと辺り一面を火の海にしちまう。だから“知りたがり”ちゃんにお願いしたんだ」
「……報復は、するのか?」

 そこでようやく、男の目を見る。
 白銀の双眸に、僅かながら怒りの色が浮かんでいた。

「……へぇ。人間嫌いのお前でも、今回はさすがに怒るか」
「あの男は下衆だ。生かしておく価値が無い」
「そうだな。それには私も同意見だよ」
「それなら……!」

 激昂寸前の男の口を、顎ごと掴んで無理やり黙らせた。

「吼えるなリュシー。今世の【私】はヒトに慣れ過ぎた。おかげでお荷物がそこら中にあって動きにくい」

 ニッコリと、満面の笑みで吐き捨てる。

「私ひとりなら良かったんだがなぁ? そうすれば、こんな面倒なことにはならなかった。財産が多いと、どうしてもこういった取りこぼしが出てきてしまう」

 私の言葉に、リュシーは驚愕で目を見開いた。

「お前、まさか」
「そのまさかだ。私は他の娼婦どもを、自分の財産を守る。そのために、シオンを犠牲にするという【悪】を選び取るんだ」

 訴えようにも、確たる証拠が無い。
 いくら高級娼館と言えど、所詮は娼婦。貴族相手に、証拠も無しに訴えるのは自殺行為だ。
 全て言い掛かりと決めつけられ、最悪の場合、罪を負わされるのはこちら側だ。そうなると娼館に住まう全ての娼婦たちに危害が及ぶ。
 力無き者は淘汰される。それが、世の理である。


 ────ああ、くっだらねぇ。










「マル様」
「ママ」
「オーナーさん」

 エバの葬儀を終えた翌朝。
 ペルラ、ミカ、ルビーの三人が、私の前に進み出る。
 この娼館の看板娘たちだ。

「エバは殺されました」
「レシグナ卿に殺された」
「どうして?」

 貴女なら理由を知っているはずだと詰め寄られる。
 やはり来たかと嘆息し、それから私は三人に語って聞かせた。

 ────しょうもない恋情と執着が起こした、事の顛末を。






 かつてレシグナ卿はエバに恋情を抱き、想い余って彼女を犯した。
 しかし、自分以外に相手が居ると知るや否や、怒りのまま売り飛ばした。
 時を経て恋情は強い執着心へと変わり、エバを自分の手に再び取り戻そうと考えるようになった。
 そうしていざ見つけてみれば、なんとも幸せそうに子どもを抱きかかえている。


 ────レシグナ卿はおろか、どの相手にも関心を向けたことなど無かったエバが、父親が誰とも知れない幼子を、愛おしそうに見つめている。


 レシグナ卿は嫉妬で怒り狂ったのだろう。

 ────俺を愛さなかったくせに!
 ────その娘は、誰の子どもだ!

 そして、エバを殺してシオンを攫った。
 エバへの復讐心から、彼女がこの世で唯一愛した愛娘を虐げるために。


「……シオンはレシグナ子爵家に、妾の子として迎えられたらしい。あのクズ男のやり場のない怒りを向ける相手として。これから先、あの子は子爵家と貴族社会の両方から酷い扱いを受けることになるだろうな」
「勝手が過ぎます!」
「エバとシオンは何も悪くないじゃん!」
「貴族だからって、こんなことが許されていいの!?」

 怒りを露わにする彼女らに、私から掛ける言葉は無い。



 ────掛けてやる必要が無いからだ。



「マレフィカス・ブルート!」
「悪行を為す、“人でなし”の魔女よ!」
「災厄の権能を持つ、悲しき者よ!」

 娼婦の皮を被っていた女たちは、激昂と共に私へ宣言する。

「貴女から借りた人の姿をお返しする!」
「これより我ら、ただの物言わぬ石塊へと戻ろう!」
「そして新たな契約を、我らが願いを聞き入れよ!」

 その目には、怒り以外に、強い決意の色が現れていた。

「……いいだろう。願いと対価は?」
「我ら自身を対価に、シオンに守護を授けて頂きたい」
「これ以上、あの娘が傷つけられても耐えられるように」
「どのような苦難も乗り越えられるように」

 私の使い魔は報復を望んでいた。あの下衆は生かす価値が無いと。
 しかし、ペルラたちが願ったのは他者への加護だ。おそらくは、報復をした後に残された娘がどうなるかを見越してのことだろう。
 心の底から嘆息する。そして、嗤った。
 一人の人間に降り掛かる、不幸と悪運から起こるであろう悲劇を想像して、可笑しくて嗤った。
 面白い見世物が始まる。それならば、悦んで協力しなければ。

「ああ、全く君らはホントに────」





 ────馬鹿で阿呆で、救いようがないお人好しだ。
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