大正浪漫奇譚 -世界は二人の外で、静かに遠ざかる-

絹ごし豆腐と麦わら猫

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第十一章 蒼く染まりゆく、かの道小道

其の三:蒼く染まりゆく、かの道小道

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 ***(荻窪の日常)


 拒絶しないで、というかすかな寝言は、荻窪の耳にもしっかりと届いた。
 拒絶をしているつもりはなかったが、距離を取ろうとしていたことは明白だったから、否定はできない。
 だが、いまは拒絶することなど、どうしてできるだろうか。

「ああ、高梨くん、……きみを拒まない。だから、安心して寝なさい。」

 ほんの少し彼の背中に回した手のひらに、力を込める。拒絶しない、というよりも、拒絶できなかった。
 高梨は、あまりに無防備だった。
 彼の瞳に宿る熱情に、荻窪が気が付かないはずがなかった。

 それでも拒絶できなかったのは、高梨が持つ柔らかさと根気強さに、惹かれていたからなのかもしれない。それらは、荻窪にはないものだから。

 高梨が荻窪の前で強がることも、透けて見えていた。からかいを交えている間に、逃げてくれればよかったのに、とはいまも思う。

 自分自身はいままでと何ら変わらぬ生活をするだろうし、きっとできるだろうと確信があった。
 それでもなお、高梨を手放せなかったのは、自分自身のエゴだ──。

 この温もりを知ってしまったが故の。
 いまならまだ手放せるのか? それとももう遅いのか? 荻窪は自問自答する。
 しかし、答えなど出るはずがない。

 高梨の手を取ってしまった時点でもう、引き返せないことは分かっていたからだ。

 知らず知らずに高梨を抱きしめる腕に力が篭もる。
  雄二郎の身体は、骨ばった節々が当たる無骨な手触りであったが、高梨は、指が沈み込むようなしなやかさを纏っている。そのあまりの違いに、荻窪は目眩(めまい)に似た驚きを禁じ得なかった。
 比べるつもりはなかったが、腕の中に抱くその手触りが違いすぎて、荻窪は驚いてしまう。

 だからといって、貧弱な身体つきをしているわけではない高梨の、猫のように柔らかい手触りを堪能したくなる。
 するりと背骨に沿って指を伸ばす。脊椎の節が、指に伝わるほどに痩身だった。
 滑らかな骨の節はまるで、猫と同じだと思う。
 くすぐったかったのか、高梨がより一層荻窪に身を寄せた。

 ──まずい。

「んん……、先生、寒くありませんか?」

 夢現な朧気(おぼろげ)な声がかすかに響く。
 変に触り過ぎて起こしてしまっただろうかと、慌てて顔を覗き込めば、高梨の瞳は閉じたままだ。

 寝言か?

 そう思った瞬間、高梨は隙間がないほどに荻窪に密着してきた。
 思わず高梨の肩を掴んで引き剥がそうとし──その手を止めた。
 僅かに開いた隙間から、薄闇に浮かんで見える高梨の白い肌。その胸元に視線が張り付いた。
 見てはならないという気持ちと、荻窪の男としての興味がせめぎ合う。

 貸した寝間着は、『僕には少し大きいようで……、』と言っていただけに、思ったよりもはだけてしまっていた。
 誘惑に負けて、ちらりと少しだけ視線を下に向ける。見えた景色に「見てはならないものを見た」、そんな気持ちにさせられた。
『日に焼けないんですよ』と言っていた色白さは全体的なものなのだ、とその時に改めて思い知らされる。髪の色も黒というよりは茶に近いし、瞳の色も薄めの茶だ。普段は服の中に隠れている部分も、淡い色合いをしていた。
 荻窪は見なければ良かった、と心の奥からそうはっきりと思った。脳裏に焼き付いて離れなくなってしまう。

「ん……、先生? 寒いですよ。」

 薄らと瞳を開けた高梨がぼんやりとした声で、そうつぶやく。起こしてしまったか、と掴んでいた肩を離すと、もう一度そっと抱き寄せた。こうしたほうが見ないで済む、とどこかで密かに安堵する。

「まだ早いからもう一度寝なさい。寒いならこうしててあげるから。」

 本来ならちびのほうが湯たんぽに向いているのだが、そう思いながら、高梨が寝ていた側の布団を見れば、仰向けで熟睡している姿が目に入った。
 ちびが一人(一匹)で一組の布団を使い、人間は二人で一組の布団を使う──滑稽だ。

 もそり、暖を取るためだろう、高梨の手が動く。
 暖かみを求めて荻窪にくっ付き、脚がさらに絡み合う。

 無意識の高梨の行動があまりにも煽情的で、荻窪の喉がごくりと鳴る。こうして高梨を抱きしめるだけでも贅沢だというのに、まださらに求めようというのか。
 いまはただ、高梨の睡眠を邪魔しないように努めるのが精一杯だ。

 しかし、それも悪くない。

 荻窪は小さく笑みを浮かべて、柔らかな高梨の髪に唇を埋めた。



 ***(荻窪の過去──親友の話)



「香世、お前、店の手伝いはいいのか?」

 そう雄二郎に声をかけられた香世は、ぽてっとした唇をむっと突き出し「おだまりよ」と反論した。
 小さな頃から一緒に育ってきた二人は、同じ年の兄妹のように見える。

「あんたがさ、荻窪さんと仲良くなったって聞いたから、確かめに来たんじゃないか。」

 確かに、初対面のあれを見ていた香世が疑うのも無理はない。
 ほぼ喧嘩腰に話しかけた雄二郎と、それに反発する荻窪をまざまざと覚えている。

「嘘じゃないって。康路は俺と友達になったんだよ。お前が心配するほどのことでもねえだろう。」

 こつり、軽く頭にげんこつを落とされた。
 心配してるわけじゃないけどさ、と口の中で言い訳するも、もし、荻窪のような大男が雄二郎に向かって本気でかかって行ったなら、雄二郎が勝てるはずもない。

 噂に聞く限りだと、荻窪という男は、寡黙で騒がしいのが好きではなく、よく本を読んでいるような、そんな男だということだ。

「お前も、康路が気になるのか?」

 高下駄をかつんと鳴らした雄二郎が、香世をのぞき込んだ。
 そういうことじゃないだろ、と否定したくなったが雄二郎と荻窪がどんなふうに会話をしているのか興味はあった。

 あの荻窪が、あのきゃんきゃんうるさい雄二郎と話すなんて、どんな風の吹き回しだろう、そう思えてならない。だから、荻窪と会う約束があると聞いて付いてきた香世は、いつ荻窪が姿を見せるのか、期待していた。その時、香世の背後が急に暗く影を落とした。何事かと驚くのとほぼ同時に、低い声が聞こえてくる。

「なんだ、定食屋の娘もおたのか。雄二郎、こんなところに呼び出してなんの用だ。」

 急に背後から現れた荻窪の圧は、香世にとって驚きでしかなかった。
 びくりと肩を震わせて、ものすごい速さで振り返る。大きな壁が一枚立っているかのような威圧感。

「定食屋の娘、じゃなくて、私の名前は香世っていうんだ、覚えておくれよ。」

 小さな頃から母の手伝いをしているせいか、口調も母のそれに似てしまう。
 強く言い返したはいいけれど、怒鳴られたらどうしよう、という恐怖はあった。

「そうか、香世さんか。すまなかったな。」

 静かな声で香世に話しかける荻窪は、噂通り穏やかだ。薄く笑うその仕草は、雄二郎にはもったいないとさえ思う。本当に同じ歳なのだろうかと疑うほど、落ち着いている。
 切れ長の黒い瞳だけがやたらと鋭さを感じるものの、殴り合いの喧嘩になるような人ではないと、香世は察した。

「香世って呼び捨てでいいだろ、さん付けなんてもったいないぞ。」

「雄二郎、あんた、それは香世さんに失礼だろう。」

 たしなめる声。
 それに反発するかのように、荻窪の肩に無理やり手を回す雄二郎の、いたずらっ子のような笑み。
 面倒臭そうになにも言わず、肩の高さを合わせるように身体をかがめ、荻窪はやれやれというように首を振った。

 対等な友人同士、というよりは──どこか雄二郎のほうが嬉しそうにも見える二人を見ながら、香世は心の中で荻窪に感謝する。

 雄二郎は豪胆で言葉も悪いけど、心根は悪いやつじゃないんだ、と。
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