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まさかの凶弾
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真理ちゃんガン無視事件が起きた後、まだ俺はその傷を引きずっていた。
当然メンタルの問題は顧客と対峙した時に出る。ホス狂いのコがネガティブになると励ましてやらないといけないところだが、この日は仲良く一緒に落ち込んでしまう。こんな状態で人を救えるはずがない。
切り替えないといけないのは分かっている。だが、それだけ真理ちゃんからの予告なき拒絶はショックが大きかった。
あまりにボロボロというか、全く手ごたえのない時間が続いたため、適当な理由をつけてカウンセリングを切り上げた。俺の事情でそのような対応をするのは非常に申し訳ないが、この精神状態でいくら続けたところで、お互いにとって時間の無駄になるだけだった。
「どうしたんだ、おい。今日はいつにも増してポンコツだぞ」
狩野が心配そうに声をかける。気遣っているのか責めているのかは俺でも分からない。
さすがに今までにない不調に気付いたか。隠しても仕方がないだろうと、俺は昼間の仕事であったことを素直に話した。
文句の一つでも言われるかと思ったが、存外に狩野は真剣に俺の話を聞いていた。
「なるほど。そりゃたしかに分からないな。あくまでお前の話を聞いているだけの範囲だが」
「ああ。俺もほとほと困っている。わざとワガママを言って振り回す客はいたが、まだ俺たちはそういう関係じゃない。だからこそ、余計に分からない」
俺が言っているのはホスト時代に出会った女のことだ。彼女たちは故意にこちらの気を引くために傷付けるような発言をしたり、自殺を仄めかしたりする。それが彼女たちの他者をコントロールする方法だからだ。
だが、真理ちゃんはそういうタイプの女性ではない。彼女は心優しきシングルマザーで、どちらかと言えば悪意のある人間に翻弄されてきた側の人間だ。
ここで俺は狩野が真理ちゃんの素行調査をすると言っていたことを思い出した。
「そういえば、彼女の素行調査で何か分かったことはないのか?」
「え? ああ、あれか? ……もしかして、本気にしてたか?」
「お前……」
「まあまあ、そう怒るなって。こっちだって色々と忙しいんだからよ」
狩野は慌てふためいて抑える仕草をする。きっと忘れていただけだろう。それともあの時はからかわれていただけか。
「あの後すぐに『素行調査なんかしてもしょうがないか』と思っていたけどよ、お前がそこまでやられているんだったら考えを変えないといけないな」
俺は怒りを押し殺し、黙って狩野の話を聞いていた。次に言う内容によっては必殺の右ストレートが炸裂する。
「よし、じゃあ彼女の調査をもうちょっと強化するからよ、その間はなんとか耐えてくれ。とは言っても彼女について調べるだけだから、余計なことを言って不仲を悪化させるなよ」
「ああ」
その調査の強化とやらがどれだけ信用に足るものなのか怪しいところだが、今の俺が彼女にいくら話しかけても上手くいかないばかりか、より一層状況が悪化しそうな感じしかない。こういう時は冷却期間を置いて、冷静に話し合えるその時にまで情報を集めておく方が賢明だ。
「だからよ、明日からもっと元気だしてくれ。誰も死体みたいな奴にカウンセリングなんかされても嬉しかないだろ」
狩野が励ましながらもチクリと釘を刺す。たしかにあの出来は酷かった。あの調子で同じ仕事をやっていれば、今まで担当した顧客全員から返金要求がなされるだろう。そうなれば俺たちはあっという間に破滅だ。
「ちょっとタバコでも吸ってくる」
少し落ち着いたこともあり、あらためて一服しに事務所を出る。事務所一階の脇には共同の喫煙所がある。いつもタバコは室内で吸うことが多いが、少しの時間だけ一人になりたかった。
深夜に紫煙を吐き出していると、遠くに人影のようなものが見えた。背は低く、フードらしきものをかぶっている。若い女性か、やたらと細い足をしている。暗いから微妙なところだが。
あれがオカマでなければ家出少女か、それとも寝付けない風俗嬢が深夜徘徊しているだけか。知ったこっちゃないが、この街ではどれも珍しい生き物ではない。こちらを見ているように見えるが、訳の分からない奴に愛想を振りまこうとは思わない。どうせろくな奴じゃない。
万が一顧客候補であったとしても、今日は店じまいだ。明日にも昼間の仕事がある。もし客であればアポイントだけ取って、今日は帰ってもらおう。
それとなしに様子を窺いながら、彼女の様相を観察する。暗くて表情は不明だが、少女はカカシのように暗い夜道に突っ立って風景と同化している。
何も言われなければ分からないようにも見えるが、その場の空気から浮いているせいか、少なくとも俺にははっきりと認識出来る。
「なんだろうな」
誰にともなくひとりごちる。不気味な存在ではあるが、いちいち構っていられるほどヒマでもない。
タバコを吸い潰した。名残惜しいが、吸い過ぎは健康にも財政にも良くない。灰皿に吸い殻を押し付けると、事務所へ戻ろうとした。
ちらりと目を遣ると、例のフードを被った女がこちらを指さしているように見えた。
その姿が不気味で、思わず振り返る。
女が無表情で、こちらを指さしている。いや――
「何か持っている?」
指さす女。その手には何かが握られている。暗闇に溶け込んだ黒い何か。
刹那――
轟音――瞬時にその音を理解した俺は、思わず地面を転がる。
「うおおおおお!」
意識せずとも大声が出る。溺れたように、転げ回って手足をバタつかせた。
深夜の街に響いた轟音――間違いない。銃声だった。
何だ? 何が起こった?
完全なる混乱状態だが、のんびりと状況を整理している場合でもない。俺はコケた状態からようやく立ち上がると、壁際へと隠れて身を低くした。
銃声が響く。何度も、何度も。
弾が切れたのか、銃声が止む。耳にじんじんと残る鼓膜の痛み。想像以上に大きな音だった。
「なんだってんだ……」
俺は這うように事務所の前へと出てくる。出てきた瞬間にヘッドショットをされぬよう、最大限の警戒を怠らず。
フードを被った女はまだ立っていた。銃を構えたまま、深夜の夜道に佇んでいる。
「何なんだよ、お前は……」
まず相手に聞こえないであろう音量で抗議する。女は作り物のように、そこで立ち続けている。
ひとまずは警察を――
そう思ってスマホで110番しようとすると、女がフードを下ろした。隠れていた顔があらわになる。
「……!」
俺は声を失う。というのも、女の顔は明らかに知っている顔だったからだ。
「嘘だろ……」
女は答えない。暗い眼で、俺をただじっと見つめるだけ。
「真理、さん……?」
こちらを見つめる冷たい視線。その先にあるのは、目下話題の織田真理……さんだった。いや、本人かは分からない。だが他人のそら似では済まされないほど見た目の特徴が一致している。
いや、バカな。そんなことが……。
俺の中に動揺が広がる。無理もない。いくら今日の出来事があったとはいえ、仲の良かった同僚から銃撃される筋合いはない。
なんでだよ――
悲痛な抗議は俺の口から発せられることはない。そこにあるのはひたすら現実感のない衝撃だった。
銃を構えたままその場に立つ真理ちゃんは、暗い一瞥を残してその場を去っていった。彼女を追うこともなく、俺はその姿を呆然と眺めていた。
「おい、なんかやべえ音が聞こえなかったか?」
俺の意識が現実へと引き戻される。狩野が銃声に驚いて外へ出てきた。
「ああ、何でもない……」
どうしてか、誰でも分かるような嘘を吐いた。理由は自分でも分からない。
「いや、お前、明らかに今のは……」
狩野が口を噤む。誰だって身の回りで銃撃事件が起きたなんて信じたくない。
「俺は疲れた。帰って寝る」
それだけ言うと、俺は事務所を後にした。表情は見えないが、狩野は後ろであっけに取られた表情でもしているだろう。だが、今は彼を気遣っているほどの余裕もない。
真理ちゃんに銃撃された。いや、あれは本当に真理ちゃんなのか……?
分からない。色々と情報が多過ぎる。ここは歌舞伎町。ヤクザがいて、不良外国人がいて、犯罪者や狂人も腐るほどいる。どんなことでも起こり得る街。いちいち気にしていては身が持たない。
今日はきっと疲れていたんだ。そうだ、そうに違いない。
帰ってゆっくりと寝よう。十分な睡眠をとるだけで、精神面の安定にはかなり良い効果をもたらす。
しかしあの女は誰だったのか。第一印象の通り、織田真理だったのか。
分からない。今の俺には何も分からない。
ひとまずは休まないと。一晩寝れば、溢れんばかりの混乱もいくらかは収まるだろうから。
当然メンタルの問題は顧客と対峙した時に出る。ホス狂いのコがネガティブになると励ましてやらないといけないところだが、この日は仲良く一緒に落ち込んでしまう。こんな状態で人を救えるはずがない。
切り替えないといけないのは分かっている。だが、それだけ真理ちゃんからの予告なき拒絶はショックが大きかった。
あまりにボロボロというか、全く手ごたえのない時間が続いたため、適当な理由をつけてカウンセリングを切り上げた。俺の事情でそのような対応をするのは非常に申し訳ないが、この精神状態でいくら続けたところで、お互いにとって時間の無駄になるだけだった。
「どうしたんだ、おい。今日はいつにも増してポンコツだぞ」
狩野が心配そうに声をかける。気遣っているのか責めているのかは俺でも分からない。
さすがに今までにない不調に気付いたか。隠しても仕方がないだろうと、俺は昼間の仕事であったことを素直に話した。
文句の一つでも言われるかと思ったが、存外に狩野は真剣に俺の話を聞いていた。
「なるほど。そりゃたしかに分からないな。あくまでお前の話を聞いているだけの範囲だが」
「ああ。俺もほとほと困っている。わざとワガママを言って振り回す客はいたが、まだ俺たちはそういう関係じゃない。だからこそ、余計に分からない」
俺が言っているのはホスト時代に出会った女のことだ。彼女たちは故意にこちらの気を引くために傷付けるような発言をしたり、自殺を仄めかしたりする。それが彼女たちの他者をコントロールする方法だからだ。
だが、真理ちゃんはそういうタイプの女性ではない。彼女は心優しきシングルマザーで、どちらかと言えば悪意のある人間に翻弄されてきた側の人間だ。
ここで俺は狩野が真理ちゃんの素行調査をすると言っていたことを思い出した。
「そういえば、彼女の素行調査で何か分かったことはないのか?」
「え? ああ、あれか? ……もしかして、本気にしてたか?」
「お前……」
「まあまあ、そう怒るなって。こっちだって色々と忙しいんだからよ」
狩野は慌てふためいて抑える仕草をする。きっと忘れていただけだろう。それともあの時はからかわれていただけか。
「あの後すぐに『素行調査なんかしてもしょうがないか』と思っていたけどよ、お前がそこまでやられているんだったら考えを変えないといけないな」
俺は怒りを押し殺し、黙って狩野の話を聞いていた。次に言う内容によっては必殺の右ストレートが炸裂する。
「よし、じゃあ彼女の調査をもうちょっと強化するからよ、その間はなんとか耐えてくれ。とは言っても彼女について調べるだけだから、余計なことを言って不仲を悪化させるなよ」
「ああ」
その調査の強化とやらがどれだけ信用に足るものなのか怪しいところだが、今の俺が彼女にいくら話しかけても上手くいかないばかりか、より一層状況が悪化しそうな感じしかない。こういう時は冷却期間を置いて、冷静に話し合えるその時にまで情報を集めておく方が賢明だ。
「だからよ、明日からもっと元気だしてくれ。誰も死体みたいな奴にカウンセリングなんかされても嬉しかないだろ」
狩野が励ましながらもチクリと釘を刺す。たしかにあの出来は酷かった。あの調子で同じ仕事をやっていれば、今まで担当した顧客全員から返金要求がなされるだろう。そうなれば俺たちはあっという間に破滅だ。
「ちょっとタバコでも吸ってくる」
少し落ち着いたこともあり、あらためて一服しに事務所を出る。事務所一階の脇には共同の喫煙所がある。いつもタバコは室内で吸うことが多いが、少しの時間だけ一人になりたかった。
深夜に紫煙を吐き出していると、遠くに人影のようなものが見えた。背は低く、フードらしきものをかぶっている。若い女性か、やたらと細い足をしている。暗いから微妙なところだが。
あれがオカマでなければ家出少女か、それとも寝付けない風俗嬢が深夜徘徊しているだけか。知ったこっちゃないが、この街ではどれも珍しい生き物ではない。こちらを見ているように見えるが、訳の分からない奴に愛想を振りまこうとは思わない。どうせろくな奴じゃない。
万が一顧客候補であったとしても、今日は店じまいだ。明日にも昼間の仕事がある。もし客であればアポイントだけ取って、今日は帰ってもらおう。
それとなしに様子を窺いながら、彼女の様相を観察する。暗くて表情は不明だが、少女はカカシのように暗い夜道に突っ立って風景と同化している。
何も言われなければ分からないようにも見えるが、その場の空気から浮いているせいか、少なくとも俺にははっきりと認識出来る。
「なんだろうな」
誰にともなくひとりごちる。不気味な存在ではあるが、いちいち構っていられるほどヒマでもない。
タバコを吸い潰した。名残惜しいが、吸い過ぎは健康にも財政にも良くない。灰皿に吸い殻を押し付けると、事務所へ戻ろうとした。
ちらりと目を遣ると、例のフードを被った女がこちらを指さしているように見えた。
その姿が不気味で、思わず振り返る。
女が無表情で、こちらを指さしている。いや――
「何か持っている?」
指さす女。その手には何かが握られている。暗闇に溶け込んだ黒い何か。
刹那――
轟音――瞬時にその音を理解した俺は、思わず地面を転がる。
「うおおおおお!」
意識せずとも大声が出る。溺れたように、転げ回って手足をバタつかせた。
深夜の街に響いた轟音――間違いない。銃声だった。
何だ? 何が起こった?
完全なる混乱状態だが、のんびりと状況を整理している場合でもない。俺はコケた状態からようやく立ち上がると、壁際へと隠れて身を低くした。
銃声が響く。何度も、何度も。
弾が切れたのか、銃声が止む。耳にじんじんと残る鼓膜の痛み。想像以上に大きな音だった。
「なんだってんだ……」
俺は這うように事務所の前へと出てくる。出てきた瞬間にヘッドショットをされぬよう、最大限の警戒を怠らず。
フードを被った女はまだ立っていた。銃を構えたまま、深夜の夜道に佇んでいる。
「何なんだよ、お前は……」
まず相手に聞こえないであろう音量で抗議する。女は作り物のように、そこで立ち続けている。
ひとまずは警察を――
そう思ってスマホで110番しようとすると、女がフードを下ろした。隠れていた顔があらわになる。
「……!」
俺は声を失う。というのも、女の顔は明らかに知っている顔だったからだ。
「嘘だろ……」
女は答えない。暗い眼で、俺をただじっと見つめるだけ。
「真理、さん……?」
こちらを見つめる冷たい視線。その先にあるのは、目下話題の織田真理……さんだった。いや、本人かは分からない。だが他人のそら似では済まされないほど見た目の特徴が一致している。
いや、バカな。そんなことが……。
俺の中に動揺が広がる。無理もない。いくら今日の出来事があったとはいえ、仲の良かった同僚から銃撃される筋合いはない。
なんでだよ――
悲痛な抗議は俺の口から発せられることはない。そこにあるのはひたすら現実感のない衝撃だった。
銃を構えたままその場に立つ真理ちゃんは、暗い一瞥を残してその場を去っていった。彼女を追うこともなく、俺はその姿を呆然と眺めていた。
「おい、なんかやべえ音が聞こえなかったか?」
俺の意識が現実へと引き戻される。狩野が銃声に驚いて外へ出てきた。
「ああ、何でもない……」
どうしてか、誰でも分かるような嘘を吐いた。理由は自分でも分からない。
「いや、お前、明らかに今のは……」
狩野が口を噤む。誰だって身の回りで銃撃事件が起きたなんて信じたくない。
「俺は疲れた。帰って寝る」
それだけ言うと、俺は事務所を後にした。表情は見えないが、狩野は後ろであっけに取られた表情でもしているだろう。だが、今は彼を気遣っているほどの余裕もない。
真理ちゃんに銃撃された。いや、あれは本当に真理ちゃんなのか……?
分からない。色々と情報が多過ぎる。ここは歌舞伎町。ヤクザがいて、不良外国人がいて、犯罪者や狂人も腐るほどいる。どんなことでも起こり得る街。いちいち気にしていては身が持たない。
今日はきっと疲れていたんだ。そうだ、そうに違いない。
帰ってゆっくりと寝よう。十分な睡眠をとるだけで、精神面の安定にはかなり良い効果をもたらす。
しかしあの女は誰だったのか。第一印象の通り、織田真理だったのか。
分からない。今の俺には何も分からない。
ひとまずは休まないと。一晩寝れば、溢れんばかりの混乱もいくらかは収まるだろうから。
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