臆病勇者 ~私に世界は救えない~

悠理

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目覚め

3-2

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―――

「うっ……ああ~」

マイは椅子に座ったまま、こわばった体をぐっと伸ばしてほぐす。視界が一瞬暗転し、すぐに光を取り戻すと、さかさまになった景色が見える。そのまま時計を見ると、もうすぐ午後に差し掛かろうとしていた。

彼女の前にある机には何枚もの紙の束が乱雑に置かれており、その奥に見えるガラス張りの向こうに部屋がある。部屋には昨日の鳥の魔物の死体があった。死体の周りには種人が数体おり、彼らはマイの指示の下、様々な方法で魔物を調べていた。

マイはそれらをまとめる他、過去の研究資料を調べたり、類似の魔物の生態と比べたりとした結果、徹夜してしまったようだ。森の研究所にいた時は、種人に時間の管理を任せ、ある程度区切っていたのだが、ここでは改めて設定するのが面倒で省いていた。

姿勢を正し、マイは紙の束を手に取る。パラパラと中身を見て、これまでの成果を確認した。

魔物を調べた時、とある変化が見えた。マイが相対した時に見えた、翼に刻まれていた月の紋章がなくなっていたのだ。

「原因として考えられるのは死んだからか、それともあの時の光のせいか……」

魔物が息絶えた時、そしてクーの右手が光を吸収した時に確認しておけば、どちらによるものかわかったのだが、過ぎてしまった事を悔やんでも仕方がない。

だが、この段階でもわかることはある。それは、紋章そのものが力の源だという事だ。そしてその紋章の力は、生物に特異な力を与える。

今回の魔物の場合、それはあの氷の魔法だ。というのも、鳥の魔物は体内にある「属性袋」と呼ばれる器官でダークを変性し、四属性のいずれかの魔法を扱う。すなわち、外部の空間へダークを働きかける事が、魔物学上できないのだ。

そして昨日の植物の様子から、紋章の力はダークに由来する事もわかった。そこから考えられるのは、

「クーには、クーが本来持っているダークと、紋章のダークの二つがあるってこと?」

しかしそれにも、疑問が残る。ページを捲ると、クーの体内のダークを調べたグラフがあった。あの騒動の後にクーが魔石に込めたものと、昨日の昼間のものが比較するように並んでいる。その結果を見ると、体内のダークにとりわけ変化は見られなかった。確かに魔石は体内のダークを調べる手段だが、外部にあるダークの源である紋章が、なんの影響も与えていないというのは、大きな違和感だった。

「普段紋章の力は眠っていて、光を放った時に力を発揮するってとこかな」

そうなると、クーの紋章を調べるには、まず紋章が光らせる必要がある。その条件について、マイには仮説が一つあった。

前提として、クーの勇者の力が魔物を引き寄せていると仮定する。魔物を誘引するだけなら、それはただの災厄でしかない。だがそれこそが、クーの紋章が光る条件であり、またクーの紋章の力だと考えた。

「クーの勇者の力は、紋章を持つ月の魔物の力を奪うもの」

昨日、クーが魔物の光を吸収したことで、あの紋章が消えたとすれば、そう考えるのが自然だった。

「でも、クーに力を使ってもらうっていうのもなぁ……」

研究を進めるには、当事者に実践してもらうのが近道だというのはわかっている。だがこれまで戦ったこともないような少女に、いきなり力を使えと言って使えるものではないだろう。そうでなくても、マイはクーに力を使わせるのには躊躇いがあった。

クー自身にも伝えたが、彼女は被害者だ。欲しくもない力を得て、日常から非日常に送り出されて、はっきり言ってかわいそうに思えた。

少しでも慰めになればと、昨日は町へと繰り出した。だがそれも魔物のせいでめちゃくちゃになった。今日もまた魔物が来る可能性も否定できないが、それも考えてアカネに護衛をお願いした。

平穏に過ごしていてほしいと願い、マイは読んでいた紙の束を机の上に戻した。その時くぅと、空腹を訴える音が鳴った。思えばここまで、何も食べていなかった。

「……ご飯いこ」

席を立つと、手洗い場へと向かう。顔を洗い、最低限の身だしなみを整えるためだ。ミーミル騎士団第八部隊隊長の妹として、騎士団の目の多いここでは、あまりみっともない姿でいるわけにはいかなかった。

―――


外に出ると、高くから降り注ぐ日差しに目を眩ませる。マイは右手で顔の前に影を作りながら食堂を目指した。

表にある研究所を通り過ぎた時、タイミングよく扉が開かれる。そこからくせ毛の少年が姿を見せ、マイを見かけるや、ぱあっと明るい笑みを浮かべた。

「先輩! お久しぶりです!」

声を掛けられたマイは、声の主へ顔を向ける。

「ハーヴェイ。あんたも帰ってきてたんだ」

「はい! 昨日の夜に戻ってきました!」

快活明朗に答えるハーヴェイは、マイと同じ研究所に勤める研究者の一人だ。歳はマイよりも上の十五だが、マイが彼よりも先に研究所にいた事とこれまでの研究成果への尊敬から、彼女を先輩と呼び慕っていた。

「これから昼食ですか? ご一緒してもいいですか?」

「別に構わないけど」

「ありがとうございます!」

マイの了承を得ると、ハーヴェイは彼女と共に食堂を目指した。

「でも先輩が帰ってきてる時に戻ってこれたなんて、運が良かったなぁ」

「別に。用があったから戻ってきただけで、すぐにまた出てくけど」

「そうなんですか? 残念だなぁ」

「……そういえばあんた、たしか魔物の魔法研究でフリエに行ってたんだっけ?」

「はい。あそこの魔物は魔法を扱う種が多くて、なかなか面白いデータが取れました! 特に気になるのは、デスマジシャンの使う魔法で、これは人類がかつて使っていたとされる古代魔法の術式によく似ていて」

「待って。それは今度聞く。それより質問」

興奮気味に話す後輩を制すと、マイは歩きながら続きを口にした。

「魔物のものと全く同じ魔法を、人類が使う事は可能?」

「それは術式やダークの構成も、すべて一緒って意味ですか?」

ハーヴェイの問いに、マイは首を縦に振った。

「不可能ですね。先輩も知っていると思いますけど、魔物が扱う魔法には特有のダークがありますから」

一般に、人類の魔法よりも、魔物が扱う魔法の方が同レベルの魔法でも強いとされている。その理由が、ダークの質だ。

魔物のダークは、人類を始めとした生物のどれよりも純粋なものとされている。研究の中では、魔法は本来魔物のみが使えた力と結論づけ、人類はそれを真似た「模造魔法」を扱っているとするものもあった。そしてその純粋なダークは、どうあがいても人類が手にすることは出来ないとも言われていた。

しかし、クーの持つ力はどうだろう。もし仮説通り、魔物の力を奪うのであれば、クーは魔物の純粋なダークを扱えるようになるのではないか。とすれば、それはまさに魔王に対抗する勇者の力とも言えよう。

「……先輩?」

すっかり黙ってしまったマイの顔を、ハーヴェイがのぞき込む。年上ながら、まだあどけない様子を見せる顔を、マイは手で押しのけた。

「答えてくれてありがと。お礼に食堂、おごってあげる」

「ほんとですか⁉ ありがとうございます!」

威勢の良い返事をしたハーヴェイは、浮足立った様子でマイの前を行く。マイはあきれたように肩をすくめ、その背中をゆっくりと追った。
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