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【後編】 バレンタインの午後に
(8)前奏曲
しおりを挟む日枯はその幼い性格と人懐っこさで、部活の垣根を越えて、マンドリン部のメンバーたちと仲良くなっていった。
あるとき、マンドリン部の過去の演奏会のパンフレットを日枯にも見せたことがあったから、彼が千尋の顔と名前を知っていたとしても平田は大きく驚かない。
「先週、マンドリン部に遊びに行った時にたまたま日枯君もいて、そこでいろいろ話したの」
「彼はいつ、どこで千尋さんを見かけたんですか?」
「二週間前、星丘商店街の中だそうよ」
「なるほど。ちょうど千尋さんが消えた頃ですね。でも、それだけなら、特段手がかりになるようには思えないのですが」
千尋も日常生活を送る上で誰かに目撃されることはあるだろう。
そこから、住んでいる場所がおおよそ特定出来たとしても、彼女に接触することはほぼ不可能だ。
「日枯君も、最初は世間話程度で、千尋を目撃したことを大したことではないって思ってたみたい」
「思ってた?」
思う、ではなく、思ってた。その言葉は過去形なのだ。
「そう。でも話をしていくうちに、日枯君の言葉がどんどん抽象的になっていったの」
「曖昧な記憶だったのでは?」
「私にはそう思えなかった。千尋を見た時のことをはっきり記憶していたけど、何か重大なことに気が付いて、あえてぼかし始めたように見えた」
朝木はこめかみをさすった。
これは彼女が考え事をしている時の仕草らしい。
「最初は星丘商店街のカラオケ店の近くで見かけたって言ってたのに、話の途中でドーナッツ屋さんの入り口近くだと思うって言い始めて」
「たしかにあそこの商店街、カラオケとドーナッツ屋では随分と距離がありますもんね」
「それに最初、千尋は誰かと話してたって言ってたのに、私との会話が終わる頃は、千尋はずっと一人だったって言って譲らなかった」
「どうしてあからさまに言うことを変え始めたんでしょうか」
「それが私にはあまり見当がつかなくて」
平田は日枯の顔を思い浮かべた。
彼の笑顔は常に幼く見える。
あの笑顔の下に、打算的な思考があるとは平田にはどうしても思えなかった。
朝木と話している時も、日枯は笑顔だったのだろうか。
もしかしたらその笑顔は鳴りを潜めて、嘘を吐く子供のように真顔を保つのが精一杯だったのかもしれない。
「でも、これだけは確実に言える」
朝木は平田の目を見て言う。
今度は平田も目を逸らさなかった。
「日枯君は、彼は絶対、絶対に何かを知っている」
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