たとえるならばそれは嵐

karon

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惨劇の夜

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「あれ?」
 元が怪訝そうにつぶやく。
「貴妃側の奴の姿が見えない」
「まさかさぼってんのか?」
 李恩が気色ばむ。
 貴妃は皇帝の寵愛こそ深いが、後ろ盾がほとんど存在しない。そのためその立場は不安定だ。
 だから、貴妃付きになりたがる人間はあまりいないし、なったとしても不真面目な連中が多い。
「だからと言って、五人全員見えないってあるか?」
 がさっと誰かが草を踏み分ける音がした。
「あ、あれ」
 茫然と呟き、小刻みに震えだす。
 それは最近入ってきたばかりの新兵だ。年頃は同じくらいだが、元や李恩のように若いを通り越して幼いといってもいい年齢から軍役についていないので、実務経験はほとんどない。
 それが、指さしているのは、自分たちと同じ軍装をして倒れている誰かだ。
 元がその身体を確認してみようと顔を近づける。
 排泄物のにおいがした。そして、首の周りに赤黒いあざがぐるりと回っている。
「絞殺だな」
 元がそういうと、新兵は引きつった悲鳴を上げる。
「まさか、貴妃についている連中、皆殺しか?」
「わからんが、音もなく一人ひとり仕留めて言った感じだな」
 遺体をのぞき込みながらそう答える。
 腰を抜かしそうになっている新兵を軽く小突いた。
「おたおたしてると、次はお前だぞ」
 喉の奥からかすれた悲鳴が聞こえた。
 貴妃と賢妃は建物のそれぞれ反対側の棟を使っている。
 二人ともさして親しくないので、というより妃達は親しくしている相手などいないというほうが正しい。そのため交流など全くと言っていいほどない。
 当然、部屋の行き来などあるはずもないので、賢妃側は何も気づいていないとして、貴妃側は異常に気付いているのだろうか。
「ちょっとあっちに行ってくる」
「ちょっと、て、敵がいるかもしれないんですよ」
 新兵がオタついているが、それは無視して進む。
 敵がいるとわかっているならそれ相応の対応をすればいいんだ。
 神経をとがらせながら、進んでいくと、きな臭い匂いがした。
 火を点けている。
 なんてことをしてやがると、元の頭に一気に血が上った。
 火は元の心の傷だ。小さな、それでもたくさんの人が住んでいた御町内が丸ごと焼き払われた日の記憶はどれほどぬぐおうと消えることはない。
 無言で、剣を引き抜いた。
 無雑作に肩にかけて、斬り下した。
 兵装の肩と骨に当たる鈍い音がした。
 甲高い悲鳴など上がらなかった。押し殺したうめき声だけだ。
 甲高い悲鳴は背後で上がった。
 李恩が、腕一本だけを切り離していた。
 元が斬ったほうは動かないが、もう一人は地面にのたうって暴れている。
「こいつ、もともと貴妃付きの護衛兵だ」
 李恩が冷たくつぶやいた。

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