キミ色の空

儀仗空論・紙一重

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キミ色の空

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「この空の色に名前を付けるなら」

 土手沿いの狭い一本道。隣を歩く君は唐突にそう言った。

 いつだって、君の言うことはオレには良くわからなくて、だから、今回だって何も言わずに黙って君の話を聞くことにした。

 昼と夜の狭間。どこか憂いを帯びた色に染まっていく景色。

 いつもの帰り道。いつも君はオレの隣にいた。

 いつまでもこんな時間が続くような気がして、だけど、それは叶わないとわかっているから、今日だけは出来る限りゆっくりと自転車を押す。

 だけど、いくら待っても君は何も言わなかった。

 普段なら気にも留めない、ささやかな虫が鳴く音がリリリリと草原の方から聞こえる。それと、ざりざりと道を歩く君とオレの靴音。ついでみたいに鳴り響く整備不良の自転車のキーキー甲高い抗議の声には、空気読めよ、と心の中で悪態を吐きつつ。

「何か思い付いた?」

「何も」

 案外素っ気なくて笑えてくる。思い付きで話すなんて、君にとってはいつものことだよな。

「で、なんでこの空に名前なんて付けようと思ったんだ?」

「空じゃなくて、空の色に、ね」

「どっちだっていいだろ。で、どうなんだよ」

 君はふっと空を見上げる。遠くを見つめる君のその表情がどこか大人びていて、不覚ながらどきりとしてしまう。いつの間にかキミが、オレなんかが手を伸ばしたって届かない遠い存在になってしまったように思えてしまった。

「だって、この色にはもう出逢えないから」

 どうやらカッコいいことでも言いたい気分だったようだ。今の君は、自分が詩人か何かだとでも思っているに違いない。ま、センスはねえな。

 オレも君につられて空を見てみるけどさ。
 
 どこをどう見たってこんなのは、ただの夕暮れだ。何の代わり映えもしない、いつもの空だ。

 いくらでも呼び方は存在しているだろう。夕焼け、黄昏、暮れ泥む、落日……、その他色々。

「オレは一個思い付いたけどな」

「ほう、私より先に思い付くとはいい度胸じゃないか」

「なんでだよ、忖度しても何も出ないだろうが」

「私を気分良くしてくれたらキスくらいはしてあげるかもよ?」

「やめろ、本気にしちゃうぞ」

 向かいから来た親子のために小走りでオレの先に行く君は、長い黒髪をふわりと翻した。夕に染まってなびく髪に、思わず視線を奪われながらオレも脇に逸れる。

「なんて名前付けたの?」

 親子に会釈しながら横に並んだ君は、オレの顔を覗き込んで悪戯っぽくにやりと笑う。思わず立ち止まる。ぎしり、ブレーキが軋む。

「言わない」

「それじゃ考えてないのと一緒じゃない。それじゃキスはあげられないかなあ」

「別にそういうことじゃなかっただろうが」

 近すぎる距離感に堪えきれずに顔を逸らすけど、君はしっかりと追いかけてくる。

「絶対に教えない」

「ずるーい」

「今度こっちに遊び来た時に教えてやるよ」

「いつの話になっちゃうのよ、それ」

 いつまでもこんな他愛もない日々が続くと思っていたんだ。

 まさか君がこの街から、これからのオレの思い出の中からいなくなるなんて思ってもみなかったんだ。 

「だからさ、オレはこの空の色を忘れないようにするよ」

「ふーん」

 君はくるりんッと軽やかに背を向けた。何なんだ、さっきから。君は寂しくないのか、悲しくないのか。どうしていつもと変わらずに振る舞えるんだ。

 それなら、オレのこの気持ちは何なんだ。

 立ち止まってしまったオレを差し置いて、普段と変わらない速度で前を歩く君の表情は分からない。

「じゃあ、私のは教えてあげよっかな」

 こんな他愛もない会話をこれからもしたかった。今はこんな他愛もない会話をしようと思っていなかった。

 もっともっと話したいことがあったんだ。もっともっと前に素直になれば良かったんだ。

 後悔とやりきれない苛立ちと、そして、約束の希望がマーブルに入り交じって、この中途半端な空の色みたいにオレの心を無様に染めるんだ。

 オレは君みたいに大人にはなれない。スマホがあるとか、いつでも連絡できるとかそういう話じゃないんだ。隣を歩く君はもういないじゃないか。

 君と毎日歩いた道の終わりが、夜を告げる空の色が、刻一刻と近づいてくる。いつまでもこのままと願っても、どう足掻いたって止まらない。

 涙さえ隠してしまいそうな夕暮れの空。そんな色に名前を付ける。そう、この瞬間を忘れないために。

 君はゆっくりと元来た道を戻る。オレはそんな君を見つめることしかできなかった。少し俯いた君の表情は逆光で見えなかった。

 君はその場から動けないオレの目の前でごしごしと目元を乱暴にこすると、真っ赤にした顔を上げて、にししと無理やり笑った。

「この空の色の名前はねーー」
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