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第21話 あの頃交わしたふたりの夢
しおりを挟む「うん。だって引っ越してからも陽ちゃんには会いたいなってずうっと思ってたわけだし」
「……そっか」
んふふ、とサクラは俺の顔に向かって微笑んだ。
夕陽よりもずっと眩しい笑顔を直視できずに俯き、俺はそのまま瞼を閉じた。このまま喋っていたらみっともなく目尻を下げて笑ってしまいそうな気がした。
そして俺は密かに願っていた。こんな幸せな時間がずっと続けばいいって。
誰にも、自分にも、バレないように。
「今度は私の番。ちょっと聞いてもいい?」
「……なに?」
瞼を開けると、サクラは笑わないでじっと俺を見つめていた。
「やっぱり、本当に死ぬつもりなの?」
ああ、死ぬつもりだ。
と、言おうとしたのに声が出ない。
「いや……」ハッキリと答えることが出来ない。
今日の今日まで俺は生きることに何も固執をしていなかったのに、むしろ望みを絶ち切れたことに喜びめいたものすら感じていたというのに、まさかこの1日で俺は生きることに寝返ったのだろうか。
「陽ちゃん?」
仮にそうだとしたら、何て浅いんだろうか。俺という人間は……。
「サクラは……その、聞いてもいいか?」
「……なに?」
淡い望みを持って聞いたつもりだった。
「その、サクラは本当に期限が来たら――」
「消えるよ」
しかし、望みは簡単に断ち切られてしまう。
「キレイさっぱり消えて、粉になる。粉は普通ごみで捨てられるから心配いらない」
「ごみって……そんなのあんまりだろ」
「ハニーパウダーは言うなればレプリカだよ。いま私がここで消えても、別のどこかで違う私が生きてる」
サクラの表情には僅かな笑みすら浮かんでいない。さっきまでとはまるで別人だった。そんな彼女のあまりに残酷で毅然とした物言いに、俺は言葉を失った。
「あなたが買った商品は、そういう商品なの」
「そ、それじゃ……こうやって過ごしたことは……」
「無かったことになる」
嫌な脈の打ち方をする。
「私にとっては無かったことになる、だね正確には。購入者にとってハニーパウダーと過ごした日々は、当然記憶がある限り無くなるものじゃないから安心して」
「そういうことじゃねえよ……俺がどうとか、そんなの関係ない」
「あと、念のため言っとく」
今度はなんだ。
俺は耳を塞ぎたい衝動を堪えて、サクラの言葉を待つ。
実際には1秒くらいなんだろうけど、かなり長い間を経て、サクラは新たなハニーパウダーの事実を告げた。
「ハニーパウダーにリピーターは付かない仕組みになってるから、もう私のことは2度と選べなくなる。加えて私の姿も、どこかですれ違っても見えなくなってるから、だから今のうちにやりたいことはやっておくこと」
「そんな……」
「つまり……」サクラは、俺にとって最も残酷なことを言って話を締めくくった。それは俺が最も聞きたくなかった事実だった。
「会いたくても会いたくなくても、私とこうやって接するのはあと2週間ちょっとで終わりだから」
もう俺は何の言葉も絞り出せなかった。
絶望からの希望、からの絶望。ジェットコースターみたいだ。
こんなことなら最初から奇跡の再会なんて果たすべきじゃなかった。好きなはずの隣りの女が、逆に憎くて憎くて仕方ない。とことん灰色だった俺の人生は、かき乱されていろんな色がごちゃ混ぜになった挙句、さらに淀んだ灰色に結局戻ってきた。そんな気分だった。
「はあ」無意識に漏れるため息が、妙に浅い気がして、自分に腹が立つ。
「サクラ、提案があります」
「……なんだよ」
右手を挙げて、目を細くして、歯を見せている。
笑顔だ。ずいぶん久しぶりに見た気がする。
別人のように冷たいサクラは、もう居なくなっていた。一旦は抜かれていた血液が再び注入され、循環しはじめたような顔をしていた。
「せっかく会えたんだしさ、今だからできることをやろうよ」
「今だからできること……?」
「夢、覚えてる?」
サクラは無邪気な笑顔であの頃を振り返った。
「大木公園で『大人になったらやってみたいこと』について語り合ったじゃん。あれ、子どもだったからできなかったけど今ならできること結構あるんじゃない?」
「それって……お菓子の家に住むって言ってた、あれ?」
「ケーキをたらふく食べたいって言ってた、あれかもよ?」
ふふ、と渇いた笑いが漏れる。なんて子どもらしい夢なんだろう。サクラも釣られるようにして「んふふ」と笑い、それから強引に話を進めていった。
「まあ覚えているならよろしい! じゃあ決定ね。まずは陽ちゃんの夢『ケーキをたらふく食べる』から実行開始だー」
「ちょ、待ってよ。そんな急に言われても……」
「ケーキを食べるのに準備が必要?」
別にそういうことじゃない。だが、もうサクラはこちらの意見を聞き入れそうもない。
「せっかく2週間あるんだからさ。有意義に過ごそうじゃん」
「それは、そうだけど……」
こうして俺たちが過ごす2週間の方向性が、半ば勝手に決められてしまった。
正直まだサクラが消えてしまう現実を受け入れられていないし、受け止められる自信もない。そんな状態だから当然、夢をかなえてワクワクしよう! なんて心境にはなれなかった。
とことんついてない自分の人生と、今更ハニーパウダーの雫と俺を出会わせるなんて所業をはたらいた神を、俺はとことん呪い、こみ上げる怒りと悲しみを飲み込むようにして最寄り駅までを眠ることにした。
ふと目が覚めた頃、目の前に座っていた男女は居なくなっていた。
俺も着工したばかりの頃に戻りたいと、切に願った。
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