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第52話 残された手紙
しおりを挟む雫が粉になって消えたあと、俺は抜け殻のようにぼうっと座り、朝を迎えた。
始発の電車で帰っているとき、ようやく雫が消えたことを実感して、泣いた。昨日までは隣りに居たのに――そう思いだすと涙が止まらなかった。
あまりにも泣きすぎて電車内はちょっとした騒ぎになった。おじいさんやおばあさん、女子高生までもが俺を囲み、声を掛けてくれた。何と言われたかまでは覚えてない。
なんとか家まで辿り着いて部屋に入ると、パソコンデスクの上に見慣れない封筒を見つけた。そこには『陽ちゃんへ』と書いてあった。慌てる必要も無いのに、急いでそれを開けて、中の手紙を読んだ。
読みながら、また俺は泣いた。
涙が枯れるんじゃないかと思った。
「絶対に忘れないって……嘘つくなよ……」
冬休み明けの月曜日、俺は久しぶりのキャンパスに足を踏み入れた。4、5か月ぶりだったが、当然その時と景色は何も変わらない。若い男女が行き交い、エネルギーに満ち溢れた、そんな空間だったと思い出した。
俺は自分が履修している教室に行き、隅っこで腰を掛けた。1度も出席していないのだから、当然知っている顔は無い。
『陽太くん。これを読んでいるってことは、もう私は消えちゃったんですね。実はケンカをした日にこの手紙を書いているので、口調がきつかったらごめんなさい。本当はまだまだ陽太くんと居たかったし、お願いしたいこともいっぱいありました。でも、それは叶わないので、お手紙を残すことにします。まず、陽太くんに3つのお願いがあります。まずひとつ、ちゃんと大学に行ってください』
手紙を読んだあと大学はすぐに冬休みに入ってしまったため、年を開けてからの通学となった。その待期期間は果てしなく長く、元旦からでもいいから講義を開けよ、と大学にケチをつけたものだった。
とはいえ久しぶりの講義は頭にも体にも厳しい。4限を迎える頃にはヘトヘトに疲れていた俺は、机に突っ伏して始業のチャイムを待っていた。
その時、頭上から声が振ってきた。
「あの、すんません」
俺じゃないと思った。しかし、
「タイヨーさんですよね?」
「……あ、えっ」
びっくりして顔を上げると、茶髪で今風の好青年がそこに居る……。加えて『タイヨーさん』と言った。だから思い出すことに時間は掛からなかった。
「あ、どうも……」
「覚えてます?」
「サ、サカシタ……」
そう言ったあと、慌てて「さん」と付け加える。
サカシタさんは見る限りひとりだった。そのまま俺の隣りに腰を掛け、カバンを机上に置いた。
「いやあ本当に名和大だったんすね」
「どういう、ことですか?」
サカシタさんは机上にテキストを並べながら喋っている。俺と同じテキストだった。
「大学では見掛けたことなかったんで。まさか同じ学部だなんて思いませんよ」
「あはは……出席、もう足りないかも」
しばらくすると、俺の周りは騒がしくなった。正確にいうとサカシタさんの周りだが。3人、4人、とサカシタさんの仲間が増えていき、彼らはサカシタさんを囲むようにして談笑を始める。俺は席を立とうとしたが、そこでサカシタさんは思い出したように声を出した。
「あっそうそう!」
俺は無関係だと思った。
「ケンタさあ、お前書研だったよな?」
ところが話題の中心になってしまう。
「この人この人。タイヨーさんって言うんだ。プロの書道家なんだぜ」
「え? マジ?」
ちょっと待ってくれ。
「いやいやいやいやプロなんかじゃないです」
「いやめっちゃ否定するやん」
その瞬間、周囲が笑いに包まれた。
「あはは……すんません、じゃあえっと……クリエイターって言うんですかね?」
「いやほんと恐れ多いです」
俺は必死に否定をしているんだけど、どうもサカシタさんは持ち上げようとしているみたいだ。
「とにかく、この人まじプロいから。うちのサークルのデザインこの人にやってもらったんだ」
「え、ちょっと俺にも教えてくださいよ」
「いやほんとに全然、そんなレベルじゃないんで……」
そして話は意外な方向に進んでいった。
「タイヨーさん、書研に遊び行ったらどうですか? ケンタのところ。別に教えるとかじゃなくて普通に」
「そうですよ来てくださいよ。まじなんかめっちゃテンション上がってきたわ」
「いやいや……」
「えってか普通に、今日予定あります? ちょうど月曜活動日なんですよ」
「あ、予定、は無いんですが……えっと……」
悩んでいると、ちょうど始業のチャイムが鳴った。既に登壇していた講師は話しだして辺りは静まる。一気に講義ムードとなったところで俺も気持ちを切り替え、テキストを開いた。
しばらくして、後ろからケンタさんが1枚の紙きれを渡してきた。
『18時、5号館8階 みんなに言っときます!』
どうやら逃げられそうもない。結局俺は、放課後に書研へ参加することとなった。
でも、まさか入会する羽目になるとは思わなかったな。
『私は正直に言うと陽ちゃんが心配です。1か月前の陽ちゃんに戻ってしまうんじゃないかって、それが怖くてたまりません。そこで、ふたつ目のお願いです。一生懸命、生きてください。死ぬ気が無いのなら思いっきり生きてください……ちょっとうざい?』
面接ってどうしてこんなに緊張するんだろうか。
「それで、週に何回ぐらい来れる?」
「あっ……い、いつでも、」
バイトを始めるため派遣会社に申し込んだ。理由は、ハニーパウダーで使い込んだ金をちゃんと返すためだ。
あの時の俺は生きることを諦めていた。
そして今の俺はちゃんと自分の人生を生きようとしている。
つくづく思う。よくぞまあ、こんな大枚をはたいたもんだと。まあ結果的には、結果オーライなんだけども。
「何? 聞こえない」
「あぁ……い、行けます!」
「いつでも良いってこと?」
「は、はい!」
ちなみに俺は、倉庫内作業や工場での軽作業、イベント会場のスタッフや老人ホームのスタッフなど、色々な仕事を取り扱っている派遣会社を受けることにした。ひとつのところに留まるよりは人間関係に翻弄されずに済むと思ったからだ。
「ていうか君、大学生なんだ」
「は、はい」
面接官の人は40代半ば、中肉中背といったところで、普段は何気なくすれ違っているような至って普通のおじさん。それなのに、とんでもなく偉い人間に見える。
強いていうなら、脅威だ。
「うーん。そうだなぁ……」
そんな脅威に、俺はこれまで幾度となく落とされてきた。
「じゃあ、悪いけど、明日から来れる?」
「え?」
だから、予想外過ぎて返事が遅れてしまう。
「来れるの? 来れないの?」
「あ、来れます! 来ます!」
こうしてアルバイト先が見つかった。
ちなみに、その次の日の仕事は重労働でめちゃくちゃきつかった。
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