幼き英雄の紡ぐ英雄譚

稲二十郎

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第一章 夢か現か幻か

神々しい威厳

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「渡すわけがなかろう」

「「「奪い取る」」」

どでかい柴犬がとんでもなく気の強そうな女性の声で人の言葉まで話し出した現状を健一郎は整理することなどできるわけもなく、まるで時の流れがゆったりしているかのような感覚の中、事の成り行きをただただ眺めた。

そして、三人の鎧武者がそれぞれ異なる方向から挟むようにして柴犬に飛び掛かっていく。

柴犬は鎧武者達が近くに来るまで微動だにせず、彼らが刀を振り下ろした瞬間、それを素早く避け、右手にいる鎧武者にその鋭い牙を剥いた。

【うまい。囲ってくる敵を寸前まで引き付け、一点を突破した】

「ぐぁっ」


噛みついた勢いを更に利用し、宙で体を捻り、そして、強烈な足蹴りをもう一人の鎧武者にくらわせた。
それにより、吹っ飛んでいく鎧武者はもう一人を巻き込み四~五m程先の水路に落ちた。
ほんの一瞬である。ほんの一瞬で鎧武者たちの攻撃は退けられた。

「憎しみに囚われし亡者の魂を清め祓わん」

柴犬がそう述べた瞬間、健一郎が見たあの夢と同様に柴犬の牙に火が纏われ始め、彼らが言う亡者は健一郎が見たそれと同様、立ち昇っていく蒸気のように彼が持つ刀ごと消え去った。
それと同時に牙に纏われた火も消えていく。




「「そいつをこちらに渡せ」」

「先ほどから口を開けば渡せ、奪い取るばかり。憎しみに囚われた者の末路は哀しいものだな。我を忘れておる。そんな哀れな亡者の魂を清め祓わん」

 何もすることなく突っ立っている健一郎は自分に唯一できることに集中する。
現状をよく観察し始めたのだ。

そして、またしても柴犬が行う所作が夢の中で武者がしていたものに似ていることに気が付く。
先ほどと同じような言葉を述べる時、あの武者と同様、目を閉じているのだ。

【きっと、また火を纏う】

健一郎の推測通り、柴犬は火を纏い始めた。
今度は牙ではなく、凄まじい脚力を持ったその足に。
薄暗い景色の中に照らし出された柴犬の姿は、神々しく、その表情は威厳に満ち溢れていた。
今、そのように見惚れている場合ではない。そんな状況ではないということは重々承知している健一郎であったが、威厳の中にある優美さから目を離せなかった。

柴犬は前傾姿勢になったかと思えば、今度は柴犬の方から鎧武者に攻撃を仕掛ける。

決着はすぐついた。
凄まじい敏捷さで鎧武者の攻撃を避け、背後を取ったかと思えば二人を地に伏させたのだ。

そして、鎧武者たちは先ほどの者と同じように蒸気の如く消散した。

すると、先ほどまで立ち籠めていた暗い霧が嘘のように晴れていく。

「退けたか」

そう呟くと、柴犬はその場に静かに倒れた。
それを見ていた健一郎は歩道を飛び越え、柴犬が倒れ込んだ場所へと向かって行き、水路を覗き込んだ。

「えっ……今度は小さくなってる」

健一郎はまたしても驚いた。
先ほどまで、大き過ぎるほど大きかった柴犬が豆柴のような体長に変わっていたのである。
次から次に起きる驚きの現象に健一郎は半ば呆れながらも、水路に飛び降り、急いで柴犬を抱き上げた。

そして、ハンカチを取り出し丁寧に体を拭いていく。

【大丈夫、呼吸はしてるな。あ……やっぱり雌なのか】

拭くという作業をこなして、呼吸の有無を見ていくうえで、雄に付いているようなものがない事を知ってしまった健一郎。
先ほどの女性のような声からして、雌だとする単純すぎる推測が当たっていたことを確認した彼は、落ちないように柴犬を服の中に入れた。

そして、服の中で安らかに息を立てる柴犬をしばし眺めた後、健一郎は考え込む。

【この箱と、刀、薙刀どうしよ……これ絶対大切な物だよな。うわ、この箱よく見たら鎧櫃(よろいびつ)】

先ほどの奴らが狙っていたのはおそらくこれだろうと思いながらも、とんでもなく重量がありそうなこれらをどうやって運ぶか思案する健一郎。

【運べそうになかったら父さん呼ぶか】

健一郎は自身の体格には到底合わない背負い紐が付いた鎧櫃はその背負い紐の長さを利用し上から持ち上げることにし、薙刀と刀をまずは上に運んだ。
そして、柴犬を草むらに置き寝かせ、水路の上から縄を引くように背負い紐を引いて、鎧櫃を持ち上げていく。
健一郎はガリガリと削れる鎧櫃に謝りながら、なんとか水路から持ち上げることに成功した。
しかし、その後は結局、家までの距離を運ぶことが出来ず、健一郎は父に取って付けた説明をし、車で家まで運んでもらうのだった。
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