あなたがそう仰るなら ~我慢強い令嬢の行く末~

星名こころ

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2.最低な婚約者と公爵子息オスカー


 そのひと月後。
 相変わらずパーティーで放置されているエレインは、嘲りと憐みの視線から逃れるかのようにバルコニーへと足を踏み入れた。
 だが、すぐにそれを後悔する。
 誰もいないと思っていたそこには、オスカー・ブライトウェルがいたから。

「ご休憩中に大変失礼いたしました。誰もいないものだとばかり。私はすぐに去りますので」

「そう避けられると切ないですね。女性たちから逃げてきてここで休憩しているところですが、エレイン嬢も少しここで休んでいかれませんか?」

「いいえ、それならよけいにここにいるわけにはいきません。失礼いたします」

 そう言って踵を返し、ぎくりとした。
 大きなガラス扉の向こうに、ニコラスの姿が見えたから。
 彼が最も嫌う男と一緒のところを見られたくないと焦るエレインの手を、オスカーが引いた。

「静かに。私と一緒のところを見られたくないのでしょう。手をつないだまま、声を出さないでください。認識阻害の魔道具の指輪をつけていますから、気づかれません」

 そう言う彼の手元を見ると、彼は赤い石がついた指輪をしていた。
 今出て行っても鉢合わせるだけだし、もう彼の言うとおりにするしかない。
 そっと手をつないでくる彼の手の大きさと手のひらの硬さに驚いた。
 扉の横の壁際に彼と共に移動すると同時に、ニコラスと二人の男友達がバルコニーへと入ってくる。
 女性ではなく男性と一緒とは珍しい、とエレインは思う。
 三人は酔っているようで、バルコニーで風にあたりながらとりとめもない話をしていた。

「それにしても、お前の婚約者のエレイン嬢」

 突然自分の話題になり、エレインがぴくりと肩を揺らす。

「見た目は地味だが、うらやましいよなぁ。浮気しても文句を言わない婚約者なんて。妻にするには理想的じゃないか」

「それはそうだし、そういうつもりで躾けてきたんだが。やりすぎたのか、ちょっと鬱陶しいんだよな。僕に嫌われたくないとビクビクした態度なのも気に入らない」

「贅沢言うなよ。気に入った女は愛人にすればいいだけだ。気の強い女と結婚した男は悲惨だぞ?」

「まったくだ。浮気は許さないなんて女よりよほどいいじゃないか」

「だが愛の手紙だの手縫いのシャツだの、重いんだよ。例えば結婚後僕が帰るのが遅くなったら、食事もとらず灯かりすらつけずに待っていそうな不気味さがあるだろう!?」

 そこでどっと笑いが起きる。
 どこまでも失礼な彼らを、エレインは微動だにせず見ていた。
 オスカーの手に、わずかに力が入る。

「じゃあ、『我慢強い令嬢』である彼女がどこまで耐えられるか、賭けようじゃないか」

「賭ける?」

「ああ。彼女をデートに誘うんだ。そして――」


 後日、友人の提案どおり、ニコラスはエレインをデートに誘った。
 誘ってくれるのは本当に久しぶりだと、エレインが満面の笑みを浮かべる。
 そうして待ち合わせの時間。
 ニコラスは、やってこなかった。一時間待っても、二時間待っても。
 エレインは公園のベンチで、ただ静かに待ち続けた。
 やがて、雨が降ってくる。春の終わりの雨は冷たく、エレインの体温を奪っていった。
 ガタガタと震える彼女の背後から、そっと傘が差しだされる。それがニコラスではないことを知っているエレインは、振り返らない。
 冷たい雨は傘に遮られたが、エレインの震えが止まることはなかった。

「もうじゅうぶんですよ」

 雨音に混じる、男性の声。
 エレインは振り返らない。

「ニコラス卿がつい先ほど遠くからあなたの姿を確認し、帰っていきました。だからもうじゅうぶんです」

「そうですか……」

「お送りします」

「いいえ、結構です。お気遣いありがとうございます」

 声の主――オスカーが小さくため息をつく。

「では、この傘はお持ちください。返却も不要です。私は馬車に乗ってきましたので」

「……ありがとうございます」

 差し出されている傘を受け取り、立ち上がって振り返る。
 オスカーの姿を見て、エレインはぎょっとした。
 彼がエレインと同じくらいびしょびしょに濡れていたから。

「馬車で来たのに、なぜそんなにびしょ濡れなんですか?」

「さあ? 水も滴るいい男だからでしょうか」

 そう言って、彼は水を含んで重くなった前髪をかき上げる。
 その仕草や額があらわになった顔に、思わず見入ってしまった。

「では、私はこれで。家に戻ったら体を温めてくださいね」

 オスカーがエレインに背を向ける。

「傘……ありがとうございます」

 もう一度礼を言うと、彼は軽く手を上げて去っていった。
 

 その日の夜、エレインは熱を出した。
 翌日の午後になっても熱は引かず、エレインの父が濡れたタオルを額にのせたり消化の良い食べ物を用意したりとかいがいしく世話をする。

「お父様。ニコラス様に、私が風邪を引いたことは……?」

「ああ、もちろん伝えてあるよ。大丈夫だ、心配ない」

 そう言ってエレインの頭を優しく撫でる。
 娘を見る父の瞳は、悲しげだった。

「そういえば、ブライトウェル公爵家から見舞いと称して花と高価な風邪薬が届いてな。『もし風邪を引いていたらご使用ください』と。公爵家と何かあったのか?」

「……そういうわけではないんです」

「そうか。それについては何も聞くまい。だがエレイン、あまり無茶をするな。お前は私の大事な娘なんだ。お前に何かあれば、私の最愛の妻リリーネも天の国で悲しむだろう」

「はい、お父様……」

 もう一度、エレインの頭を父が撫でる。
 結局、ニコラスが見舞いに来ることはなかった。

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