スレイヴ・ドール

月宮 憂陽

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家庭教師 ギル=アルベルト

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 ガチャン、と玄関の開く音がした。が、俺は部屋から出る気もしない。お出迎えするほど犬じゃない。
 相も変わらず椅子に座って、ぼんやりと外を眺めていると、部屋に近づく足音が聞こえた。

「…………?」

 零斗のものと思われる足音と、もう一つ、聞き慣れない人間の足音が一つ。

 ライアは察した。
先日零斗が言っていた、「勉強を教える人間」を雇うと。
 恐らく、その人物だろう。

 トントン、というノック音がして、間もなく、零斗の声が聞こえた。

「ライア、入るぞ」

 返事はしない。しなくても勝手に入ってくる。

 音を立てて開かれたドアの向こうには、零斗と、見知らぬ男が立っていた。

 金色のショートヘア、紺色のカーディガンを羽織り、ジーンズを履いたカジュアルな服装で、瞳は澄んだ青色をしている、25歳前後の青年。

 零斗はその男をライアの前に連れていく。

「ライア。こちらが、ギル=アルベルトさんだ。今日から、君に勉強を教えてくれる人だよ」

 零斗の説明の後に、1歩、ライアに近づいて、微笑みながら話し出す、ギルという名の男。

「キミがライア君ですね?改めて、キミの家庭教師を努めさせていただきます、ギル=アルベルトです。以後、宜しくお願い致します」

 友好の意を示すように、ライアにすっと手を差し伸べる。

しかしライアは

「……何、この手……言っておくけど、お前と仲良くする気なんか無いんだけど……?」

 半分呆れたような眼差しでギルを見つめると、フイ、と背を向けるライア。

「ライア、」

「仕方ないから勉強は付き合うよ……けど、それ以外はどうでもいい訳だしさ…握手なんかする必要ないでしょ……。話は終わり。……で?何時から? 」

「今は朝の11時ですので……昼食を召し上がられたら、早速」

 嫌味に屈することなく、ギルは微笑んだままそう返答する。

「……分かった。じゃあ、出ていって」

 ライアは背を向けたまま冷たくそう言った。

「はい。ええと……では、零斗様、僕は何処へ行けばいいでしょうか?」

「ああ、すまない。じゃあ、客室があるからそこに案内しよう」

 零斗はギルを連れてライアの部屋を出た。







 そして昼食を食べた後、ライアは部屋のベッドに座って待っていた。

 ノックの音が聞こえて、失礼致します、と声が聞こえる。
 そしてドアを開いてギルが入ってきた。

 部屋に置いてある明らかに一人用では無い机に教材を置くと、椅子を引いて、どうぞ、と声を掛ける。
 ライアが引かれた椅子に座ると、ギルはその向かいの椅子に座った。

「では、早速お勉強をしましょうか。まずはライア君がどこまで分かるかのテストですね。分からないところは埋めなくてもいいですよ」

 そう言ってライアの目の前に筆記用具と問題の書かれた紙を出した。
 ライアは問題用紙を手に取って、ぱらぱらとめくって見るが、間もなくして用紙を閉じて机に置くとため息をついた。

「…これ、日本語でしょ…全部読めない。だから解けるわけない…」

「そうだと思いました。喋るのを覚えるのは早いのに、読み書きは苦手なんですね」

「………………」

 からかうようなギルの言葉。
 ライアは数ヶ国の言葉なら話すことが出来る。読み書きは拙いが。
 何故なら、あの劣悪な環境の中で何ヶ国からもの奴隷達がいたから、そこにいるうちに覚えてしまったり、暇潰しに教えて貰ったりしていたからだ。
 しかし奴隷に勉学の教育など必要ない。故に教える側にも限界はあった。なにせ、紙切れ一枚、白い軽石ひとつすら無いのだ。文字を教える事など漫録に叶わない。

「何語だったら読めますか?」

「……アルファベットが読めるだけじゃ、読めるって言わないでしょ……お前が言った通り、話すことは出来ても、俺は何語も読めないし、書けない」

 ギルはくすくすと笑い出した。

「……何?馬鹿にしてるの…?」

「いいえ。これは失敬…、そうですねぇ……教育しがいがありそうで、つい」

「………ふぅん…」

「……零斗様から少しは話を聞いていましたが、実際、キミのような人を相手にするのは初めてですからね。……では、最初は日本語から覚えていきましょうか」

 そう言うとギルは持ってきた鞄の中から少し集めの本を取り出した。小学生向けの教科書だ。

「……言っとくけど、解けないから」

 また、問題用紙の類だと思い、そう言うライアを見て、ギルはまたくすくすと笑い出した。

「……あぁ、失敬。これは問題用紙ではありませんよ。教科書と言うものです。勉強をする時に必要なものですよ」

「…………へぇ、」

「では、早速始めましょうか」

 そう言って同じ教科書をライアに手渡した。

「……数字は分かりますか?5ページを開いてください」

「……計算以外なら、ね…」

 これも1から100を唱えるのがせいぜいかとギルは察して、一応ページ数を指定してみると、ぱら、とライアは指定された数字のページを開いた。

「……あ、そうそう。言い忘れていたことが」

「……何、」

「僕はこの家に住まわせてもらうことになりました。よろしくお願い致します」

「…………は?」

 ライアは思わず教科書を眺めるのをやめて、ギルの方向を向く。

「僕の住処は此処から遠いんですよね。だからキミの家庭教師を努めさせていただく間は、零斗様のこの家に住まわせてもらうことになりました」

「……ふぅん」

 ライアは少し困惑しかけたが、事情は分かった。しかしなんというか、不愉快だった。
 今までの生活にはなかった、違う異物が入り込んで来たような感覚がして。
 それでも自分もこの家に住まわせてもらっている身。拒否権などないのだ。

「……まぁ、あいつが決めたことなら…ね」
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