弱肉強食

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弱肉強食
 冷え切ったコンクリートの上、体から体温が流れ出ていくのを感じながら俺はこんなはずじゃなかった...と悪態をついた。最も、口から出たのは空気が抜けていく音だけだったが。
 今日のような青空の見えない灰色の雲が立ち込めるあの日、俺は路地裏で一人震えていた。あの頃の俺は真っ当に生きていれば幸せが訪れると信じて疑わない世間知らずなガキだった。周りの奴らに盗みの誘いを受けても絶対にのらなかったし、暴力だってふるわないようにしていた。空腹を紛らわすために公園の水飲み場で水を飲み、かろうじて誰にも奪われなかった菓子パンをかじるような日々、そう信じていないと気が狂ってしまいそうだった。
 その日の俺は、水を飲んでいることをよく思わない奴らに追い払われて弱りきっていた。
きっと「あの人」に拾われなかったなら、次の日にはボロ雑巾みたいになって転がっていただろう。実際、そういうやつを何度も見たことがあった。
 「あの人」は世間知らずで夢見がちな俺にこの世の摂理を教えてくれた。弱いものは強いものに奪われる。弱いのだから文句は言えない。嫌なら強くなるしかない。そんな当たり前で、でも理解していなかったそれを、明確に言葉にして。生まれ変わったような気分だった。
 それからは、「あの人」の役に立とうと必死だった。拾ってくれた恩もそうだが、何より自分がそうしたかった。俺がそう言うと「あの人」はたくさんの知識を、武器を与えてくれた。
背も高く力も強くなった俺は、あの人に言われたとおりに振る舞った。入れ墨を入れ、タバコを吸い、横暴な言動を取るようにした。文句を言うやつには暴力を。そうすれば誰も俺に逆らわなくなった。奪われる側から奪う側に、弱者から強者に、震えているしかなかったあのときの俺はもうどこにもいなかった。
 そんなときに見つけた、ボロボロのガキ。昔の自分を見ているようで気分が悪かった。使える部下が欲しかったとか、「あの人」とあった記念日だからとか色んな理由はあったが、とにかく俺はそいつを拾って連れ帰った。俺はそいつに弱肉強食のルールを教え、たくさんの知識を、武器を与えた。そうしてそいつが成長していくのが面白かった。今思えば、俺はただ、そいつと自分を重ねて昔の自分を救ってやった気になっていたのかもしれない。
 そんなある日の夜、そいつが見せたいものがあるから。というから、目隠しを付け、おもちゃの手錠をかけて、手を引かれていった。最近勝手に財布の中身が減っていたりしたから、きっとサプライズでもあるんだろうと、柄にもなく楽しみにしていた。
 徒歩5分の海辺の倉庫まで歩き、言われるがままに中へ入る。静寂。目隠しをしているせいか、数秒のようにも、数時間のようにも思えた。突然腹部に鋭い痛みが走る。あいつが倉庫から出て、鍵を閉める音がしたとき、ようやく自分の身に何が起こったのかを理解した。なぜ。疑問が頭の中に浮かびすぐにかき消えた。考えるまでもない。
俺は「あの人」にはなれないし、あいつは俺ではない。
あいつはもう、いや、最初から弱者などではなかった。手錠も目隠しもすべてが俺を殺すための罠だった。逃げることなどできるはずもなく、助けを呼んでも誰も来るはずがない。指先の感覚がなくなり、頭に靄がかかっていく。最後に「あの人」の声が聞こえた気がした。
『弱いものは強いものに奪われる』
どうやら、俺は最後まで弱いままらしい。
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