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王国近衛隊白書 1.近衛隊の人材不足について
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―これは、近衛隊が魔王の城に赴いた、二年程前の話である。
ここは人間界。魔界からは日本とオーストラリア程の距離(陸地換算)があり、人間達が豊かな自然に囲まれて暮らしている。現在は一つの大きな国となっており、それぞれの地域を領主が治め、国全体を国王が統治している。その国王の手足となって民を守るのが、近衛隊と呼ばれる兵士達である。中でも王都で近衛隊の中核を担っている精鋭達は、王国近衛隊と呼ばれていた。日本の警察で言うところの警視庁みたいなものである。
執務室と居室が一緒になった寮の一部屋で、薄い冊子を見ながら溜息を吐く人物が居た。
王国近衛隊隊長・カマンベールである。標準規格の机に小柄な体で向かっているカマンベールは、部下から渡された兵士の一覧に目を通していた。
「随分と減ったものだな・・・」
ここ数年、王国を守る兵士の数が減っている。理由は様々ではあるが、やはり魔物の影響が大きいだろうとカマンベールは考えている。
不特定の場所に、突然現れては村や町を襲う魔物達。その討伐も近衛隊の仕事である為、カマンベールは毎度駆り出されている。そして、多くの部下達が傷つけられていくのを何度も見て来た。毎日鍛錬を行っている部下達が弱いとはカマンベールは思わないが、魔物に対して非力であるのは認めざるを得ないと思っている。人間同士の戦いよりも遥かに傷付く人数が多い為、近衛隊全体を通しての人数が減ってしまっているのだ。今のところ、戦闘での死者は出ていないが、兵士として働くのは無理な傷を負った者達は少なくない。
「カマンベール様、そろそろ始まります」
「今行く」
カマンベールは薄い冊子を机に置くと、傍らに立てかけていた剣を腰に差した。
これより、兵士の選抜試験が始まるのである。
カマンベールが訓練場を見渡す二階の監督席に辿り着くと、既に座っている人物が居た。
「おーう、遅いぞ、ベル」
人間界の国の王様である。ちなみにカマンベールのことは「ベル」と愛称で呼んでいる。
「陛下、ご覧になるんですか」
「おう。気になるからな」
国王というよりは街でナンパしてる色男のような見た目だが、純然たる王は笑った。
「にしても、結構集まったよな。全員採用でよくね?」
「基本的には採用致しますが、適性を見る為の試験でもあります。後に振り分ける参考にもなりますし、時折無法者が腕試しに来たりもしますから」
「へー、あーいうやつ?」
王は長い指で訓練場の一角を指差した。カマンベールがそちらに視線を遣ると、やたらと土埃が立っている場所がある。小手調べとして兵士と一対一で打ち合いをしている筈であるが、何故かそこだけ多勢に無勢になっていた。
「お、強そうじゃん」
王はウキウキと砂埃が晴れていくのを見て言った。
砂埃から現れたのは、標準規格よりも大きな剣を持った、長身で体格のいい青年である。短い髪にバンダナを巻き、右耳の上辺りで結んでいる。その周りには、打ち合いでやられたと思しき兵士たちが腰を抜かしている。
「ヒュー♪やるねえ」
青年は周りの兵士達が掛かって来ないのを見ると、きょろきょろと辺りを見回した。そして気が付いたように上を見て、二階にある監督席に気が付いた。
「あーーーーっ!!!」
青年は大声を上げると、上を見たまま監督席のある壁の方へと歩き出した。手前まで来て立ち止まると、持っていた剣を持ち上げ、ピタリと監督席に向けた。
「てめえ、降りて来やがれ!」
「えっ、俺?」
王がきょとんとした顔で自分を指差すと、青年は声を荒げた。
「そこのチビ野郎!てめーだてめー!!」
自分のことじゃなかったらしい王は、隣に立っているカマンベールを見た。二人しか居なくて自分でないのなら、青年が指名しているのはカマンベールである。
「お知り合いさん?」
「いえ、全く」
首を振るカマンベールに、青年は尚も怒鳴る。
「俺と勝負しろカマンベール!!」
王は再びカマンベールを見た。
「めっちゃ名前呼んでますやん」
「いえ、知らぬ者です。うるさいので取り押さえましょう」
カマンベールが指を鳴らすと、打ち合いをしていた兵士達がこぞって青年を取り押さえに掛かった。大人数が突然後ろから押しかけて来た為、流石の青年も取り押さえられた。
「てめっ、ふざけんな!放せ!カマンベール!降りて来いっ!!」
地面にうつ伏せにされながらも、青年は上を向いて喚く。
「よっぽどお前に会いたいみたいだぞ、あいつ。降りてってあげれば?」
「致し方ないですね」
カマンベールは窓枠のレンガに足を掛けると、そのまま地上へ飛び降りた。
「ヒュー♪相変らずな身のこなし」
王は監督席から立つと、下へと続く階段へと歩き出した。三十路手前の王は無理をしない主義である。
「カマンベール様!」
「そのままでいい」
部下達が縄に掛けようとするのを制し、カマンベールはうつ伏せになっている青年と目が合う距離まで近づいた。
「カマンベール!俺と勝負しやがれ!」
「貴様は誰だ」
「えっ」
青年はキョトーンとした顔をした。
「まさか・・・覚えてねえ・・・とか」
青年が若干蒼褪めたように見えたので、カマンベールは今一度青年の顔を見た。一応記憶のネットワークに検索を掛けてみるが、ヒットどころか「もしかして:」も出て来ない。
「全く記憶にないが」
カマンベールが首を傾げると、青年はガクッと首を落とした。
「俺は・・・ずっとてめーを探してたっつーのに、・・・」
青年は地面と仲良くなりながらぶつくさと言って顔を上げた。
ふと、青年を押さえていた隊士の一人が声を上げた。
「あっ!隊長、こいつ、お尋ね者のオルヴァルですよ!盗賊の!」
隊士の言葉にカマンベールは数度瞬きをした。
「・・・投降しにきたのか?」
「ちげーよ!!!お前と勝負する為に来たの!!」
ぎゃーぎゃーと喚くオルヴァルにカマンベールが首を傾げていると、王が到着した。
「なになにー、お尋ね者?」
「陛下」
うきうきとした顔でやって来る王を一瞬目で諌め、カマンベールは立っていた場所から一歩引いた。オルヴァルの正面に、王が立つ。王は更に近づくと、しゃがみ込んでオルヴァルと目線を合わせた。
「オルヴァルだっけ?お前強そうだから兵士になんない?」
「ああ?」
王のにこやかなスカウトに、オルヴァルはそっぽを向いた。
「俺は国の飼い犬なんてごめんだぜ」
「貴様っ、陛下に何という口をっ・・・!」
激昂した兵士を片手を上げて諌め、王は立ち上がってカマンベールに向き直った。
「フラれちゃったー」
王はくるりと背を向けると、数歩下がってオルヴァルから離れた。カマンベールはオルヴァルを見た。正直お縄でいい気がした。しかし後ろの方から王の期待の眼差しがすごく刺さってくる。
「貴様に選択肢をやろう」
オルヴァルはカマンベールを見た。
「一つは、このまま捕縛され牢に入ること。それが嫌ならば、兵士として近衛隊に入れ」
カマンベールは一歩、オルヴァルに近づいた。視線を合わせたまま、見下ろして告げる。
「国の飼い犬が嫌なら、私の飼い犬になれ。私を満足させる武勲を立てられたならば、望み通り貴様と手合せしてやろう」
ただし、とカマンベールは付け加えた。
「私の命に背いた時は、その場で斬り捨てる」
オルヴァルは、カマンベールが自分を見下ろしているのを、数秒の間じっと睨んだ。
「・・・兵士になって手柄を立てれば、アンタと勝負出来るってわけだな」
「そうだ」
カマンベールはオルヴァルが睨んでくる視線を、微動だにせずに受け止めている。
「・・・いいぜ、」
オルヴァルは僅かに顎を引いた。
「やってやるよ。飼い犬だろうがなんだろうが、何だって」
と、いうやり取りを経て、王国近衛隊隊長・カマンベール直属の部下になったオルヴァル。
「―で」
ただいま、牢屋に繋がれていた。
「なんっで俺が投獄されてんだ!!!説明しやがれカマンベール!!!!!」
牢屋の柵を持ってぎゃーぎゃーと暴れるオルヴァルに目を遣り、入り口に立っているカマンベールはオルヴァルの方を向いた。
「騒ぐな喧しい。今、貴様の部屋を考えているところだ」
「部屋だぁ?」
オルヴァルはカマンベールをジト目で見た。
「そうだ。兵士は基本的に二人部屋だが、お尋ね者の貴様と同じ部屋になりたがる奴がいるかどうか」
「ぐっ」
「居なければ貴様の部屋は物置だ」
「何イ!?」
「牢でないだけ有り難いと思え」
牢の方が有り難いかもしれないとオルヴァルは思った。物置ってどのレベルの物置だ。寝られる幅あるのか。
「もうすぐ聞き込みも終わるだろう。大人しくしていろ」
カマンベールはオルヴァルから視線を離すと、手に持っていた書類を眺め始めた。オルヴァル納得いかない。
(大体てめーが試験もちゃんと合格して来いとか言うからトップで通過してやったのに、それについては何にも無しかよ!)
ドヤ顔で報告に行ったところ、そうかと言われただけだった。王様には褒められた。ちょっと嬉しかった。
(今だってこんなに近くにいるのに、ちっとも俺のこと見やがらねえ・・・)
オルヴァルがぎりぎりと歯ぎしりをしつつ恨めしそうな顔でカマンベールを見ていると、入り口の戸を叩く音がした。
「カマンベール様!リコッタです!」
「リコか。入れ」
カマンベールがドアから身を引くと、控え目に扉が開かれて、明るい茶髪の女性が顔を覗かせた。
「誰だそのおかっぱ」
オルヴァルが素朴な疑問を口にすると、リコと呼ばれた女性に物凄く汚いものを見るような目で見下ろされた。
「リコ、どうだった」
そしてカマンベールにもスルーされた。
「はい!ベル様」
虫でも見るような顔をしていたリコッタは、カマンベールにとろけるような笑顔で答えた。オルヴァル納得いかない。
「そこのけだも・・・オルヴァルと同室になってもいいという若者がいましたので、部屋を交換しておきました」
ケダモノって言い掛けた。今絶対言い掛けた。
「そうか。ではリコ、部屋まで連れて行ってやれ」
「「えっ」」
オルヴァルとリコッタは同時に声を上げた。
「お考え直しくださいカマンベール様!本当にこんなケダモノを近衛隊に入れるつもりなのですか!?」
「てめー、そこのおかっぱ女!さっきから聞いてりゃ好き勝手言いやがって!誰がケダモノだコラア!!!」
「お黙りなさい!!」
リコッタはオルヴァルに振り向くと怒鳴りつけた。
「いい?!このケダモノ!もしもベル様に何かしたらアンタの(自主規制)を(自主規制)して、(自主規制)してやるからね!!!」
「発言が過激だぞ、リコ」
「やだ私ったらはしたないっ・・・!」
きゃっと言いながらリコッタは自分の口元に指を添えた。
オルヴァルはリコッタの発言内容が怖すぎて怯んだ。ガタガタと震えながら股間を押さえている。
「では頼んだぞ、リコ」
「はいっ、ベル様!」
にこにことカマンベールを見送ると、リコッタはオルヴァルに振り返った。般若の顔をしていた。
「さっさと出て来なさいよこのケダモノ」
「鍵かかってんだよ!見て解れ!」
「ちっ、面倒くさいわね」
リコッタは入り口の机に置いてある鍵をとると、カチャリと回してオルヴァルの牢を開けた。
「着いてきなさい」
リコッタがさっさと行ってしまうので、オルヴァルは大股で歩いて距離を詰めた。
「ちょっと、あんまり近寄らないでくれる。ケダモノの臭いが移るから」
「あんだとてめー、さっきからケダモノケダモノ言いやがって!」
「アンタなんてケダモノで十分よ!どうしてベル様はこんな奴近衛隊に入れるのかしら」
ぶつぶつと文句を垂れるリコッタに、オルヴァルは口を尖らせた。
「選抜試験通ったんだから文句ねーだろーが」
「はあ?あのぐらい私だって出来るわよ。ぜんっぜん大したことないわ」
ぜんっぜん、の部分に力を入れつつ、リコッタは左右に首を振った。その力の入れようにオルヴァルは若干イラッと来た。
リコッタは通路を歩きつつ、曲がり角で足を止めた。視線の先には、先ほどの選抜試験で使用した丸太を縦に置いた柱が立っている。
「あれ切るだけでしょ。近衛隊なら誰でも出来るし、ベル様だったら一振りで十本以上切るわよ。アンタ何本切ったっけ?ああごめん、三本だったわね」
「知ってんなら訊くなよ!!」
心底馬鹿にした顔で鼻で笑われて、オルヴァルは些か凹んだ。剣術は専門ではないにしろ、強さにはそれなりに自信があったのだ。体格もいい方だし、力もあるほうだ。けれど、そんなものは全く関係ないのだと思い知らされた。
あの日見た小柄な姿を、今でも鮮明に覚えている。そして今再び、格の違いを思い知らされている。
「くそっ、カマンベールめ・・・」
「ベル様の悪口言うと夕飯抜きにするわよ」
リコッタにわき腹を容赦なくどつかれて、オルヴァルは若干むせた。げほげほとさせた張本人はさっさと宿舎のほうへと歩いていく。
(なんて女だ・・・)
カマンベールに対してはうっとりととろけそうな笑顔を向けるくせに、オルヴァルを見るときはまるでゴミでも見るかのような顔をする。オルヴァル納得いかない。
(カマンベールはちっとも俺のこと見やがらねえし、気に入らねえ!)
オルヴァルはわき腹を押さえつつ、振り向きもしないリコッタを追いかけた。
「ここがアンタの部屋よ」
宿舎の二階にある、端っこの部屋。日当たりが物凄く悪そうな部屋だった。
「ルームメイトはもう居る筈だから、問題起こすんじゃないわよ」
「わーってるよ。俺だってカマンベールと勝負するまでは追い出されるわけにはいかねえんだ」
「ベル様を呼び捨てにしたからアンタ今日ご飯抜きね」
「あぁ?」
「アンタねえ、ベル様をどなたと心得てるの?国王陛下直属の近衛隊の隊長様なのよ?間違ってもアンタみたいなけだ・・・一兵卒が呼び捨てになんかしていいお方じゃないのよ。そんなこと許されるのは陛下と王女様ぐらいだわ」
やれやれとため息を吐くリコッタに、オルヴァルは眉間に皺を寄せた。
「関係ねえよ。カマンベールはカマンベールだ。あいつが何処の誰だろうが、俺はあいつに勝つだけだ」
「二回呼び捨てにしたから明日の昼食まで抜きね」
「てめえ・・・」
「いいこと。これだけは言っておくけれど、ベル様の下に付いたからには、ベル様の評価を落とすようなことだけはするんじゃないわよ。アンタは陛下とベル様のご厚意によって首の皮一枚で繋がってるだけなんだからね。もしもご迷惑をお掛けするようなことがあったら」
リコは右手を体の前に出し、グワッシャアッ!と握った。
「握り潰すわよ」
顔があまりに本気だったので、オルヴァルは股間を押さえてガタガタと震えた。
「じゃ。細かいことは後で説明があると思うから。問題起こすんじゃないわよ」
ひらひらと手を振って歩いていくリコッタをジト目で見送ると、オルヴァルは目の前のドアをゆっくりと開けた。
中に居たのは、小柄というよりは貧弱な体の、眼鏡を掛けた気の弱そうな少年だった。少年はオルヴァルを見ると、びっくりしたように体を反らせた。
「うっ、わああああ」
その驚きっぷりに、逆にオルヴァルまで驚いた。少年は体を反らせすぎて後ろにてーんと倒れた。
「大丈夫かお前」
「う、うん。ごめんね。びっくりしちゃって・・・」
えへへ、と笑いながら、少年はずれた眼鏡を片手で直した。
「僕はペコリーノ。君はオルヴァル君だよね」
「ああ」
オルヴァルが手を貸すと、ペコリーノはその手を取って立ち上がった。
「僕、ずっと君にお礼が言いたかったんだ」
「お礼?」
「うん!」
ペコリーノは掴んだままのオルヴァルの手をぎゅっと握った。
「僕は、ハッカ村っていうところの出身なんだけど、オルヴァル君のおかげで、僕のお母さんは助かったんだ。本当にありがとう」
「ハッカ村・・・」
オルヴァルは首を傾げた。
「あ!小さい村だから!覚えてないかもしれないけどっ、」
「ああ、全く記憶にねえな」
「だよね・・・」
オルヴァルのさらりとした解答に、ペコリーノは目に見えてしょぼくれた。
「五年前、僕のお母さんは病気になったんだ。だけど、家も村も貧しくて、お医者さんに見せるどころか、薬を買うことも出来なかった。そんな時、妹がお金の入った袋を持ってきたんだ。義賊のオルヴァルがくれたって」
オルヴァルは黙ってペコリーノの話を聞いている。
「そのお金で、お医者さんに診せることが出来て、お母さんの病気は治ったんだ。だから、ずっとお礼が言いたくて」
ペコリーノはオルヴァルを見た。
「本当にありがとう。世間は盗賊だなんて言うけど、僕はオルヴァル君が、評判のよくないお金持ちから盗んだお金を貧しい人達に配ってるの知ってるよ!だから義賊だって、皆言ってるんだ」
「・・・俺は、そんな上等なもんじゃねえよ。ただのコソドロだ」
「そんなこと、」
「お前がそう言ってくれるのはありがてえが、世間じゃ鼻つまみもんだ。盗賊だろうが義賊だろうが、やってることは変わんねえよ」
「オルヴァル君・・・」
「けど、お前が俺と同じ部屋でいいっつってくれたから、俺は物置で寝なくて済んだ。ありがとな」
オルヴァルはニッと笑った。ペコリーノも、頷いて笑い返した。
「うん!これからよろしくね、オルヴァル君!」
「おう」
二人は握手を交わすと、ペコリーノが掻い摘んで近衛隊の説明をした。オルヴァルが牢に居て受けられなかった説明である。
「王様直属って言うけど、実際に指揮をしているのはカマンベール隊長なんだ。民が困っていたり、争いが起きていたりすると、いち早く情報を集めて向かうんだ。最近は魔物が街を襲うことがあるから、その時にも近衛隊が討伐していて、年中忙しいらしい。それで、今回の募集が行われたんだって」
「へえ。人手不足なわけか」
「そう。だから今回は、僕みたいな弱いやつでも雇って貰えたんだ。僕、運動はあまり得意じゃなくって・・・」
「何で近衛隊に入ったんだよ」
「近衛隊にも、事務的な仕事があって、僕はそっちの方面で役に立てたらいいなって思って入隊を希望したんだ。計算はちょっと自信があるから・・・」
「そんなこともやってんのか・・・」
「オルヴァル君は、カマンベール隊長と勝負したいんだよね。前にも勝負したことがあるの?」
「・・・いや、勝負って程でもねえ」
オルヴァルは苦々しいものを吐き出すように言った。
「俺が一方的に挑んで、一方的に負けたんだ」
オルヴァルの拳が僅かに震えているのを見て、ペコリーノは深入りし過ぎたかもと反省した。
「俺がまだ盗みをやってた時、王都に運ぶ荷台を襲ったことがあったんだ。それの護衛をしてたのがあの野郎だった」
「そうだったんだ・・・」
ペコリーノは納得したように頷いた。そこで恐らく圧倒的な力を見せつけられて、リベンジしたくなったのだろう。ペコリーノはそう解釈した。
「あ、そうだオルヴァル君。訓練は明日からだけど、施設は今日から使えるんだって!温泉があるらしいよ、行ってみない?」
ペコリーノはこれ以上触れないほうがいいと判断し、話題を切り替えた。
「・・・いや、俺はもっと遅くなってから行くぜ。一応お尋ね者だからな。誰もいない時間を狙っていくさ」
「そっか・・・」
「お前は行って来いよ。どんなんだったか聞かせてくれ」
「うん!じゃあ、ちょっと行ってくるね!」
ペコリーノがいそいそと風呂支度をして出ていくのを見送ると、オルヴァルは二つあるベッドの内、部屋の右側にあるベッドに横になった。
目を閉じると、あの日の光景が蘇る。
―カマンベール様、こいつお尋ね者ですよ。盗賊の。いかがいたしましょう
俺も終わりかと思った、あの瞬間。
『捨て置け。賊などに構っている暇はない』
自分を一閃で薙払った小柄な人間は、こちらに目をくれることも無く馬に乗って走り去っていった。
誇りが、あったのだ。
自分は盗賊であっても、己の欲望のままに盗みを働く奴等とは違うと。貧しい人々の役に立っているという自負があったのだ。
義賊だなんて呼ばれて、自惚れていたのだ。
賊だと切り捨てたそいつは、こちらを見もしなかった。
己がしていることは、所詮窃盗なのだと、そこらの盗賊達と変わらないのだと、思い知らされた。
人の役に立っていると思っていた自分が、取るに足らない存在だと、捕まえる価値も無いと、見向きもされなかったことで、ちっぽけな誇りは粉々に砕け散った。
絶望のような、落胆のような感情は、やがて全身の血が沸騰するような、激しい感情に変わった。
カマンベール。
その名を魂に刻み込んだ。
絶対に、俺のことをお前に認めさせてやるー・・・!!!!!
オルヴァルは目を開け、使い古された兵舎の天井を見据えた。
(ようやく、ここまで来たぜ)
探し続けていたあの背中が、手に届く位置まで来た。
(見てろよ、カマンベール・・・!)
オルヴァルは天井へと手を伸ばし、グッと拳を握った。
ここは人間界。魔界からは日本とオーストラリア程の距離(陸地換算)があり、人間達が豊かな自然に囲まれて暮らしている。現在は一つの大きな国となっており、それぞれの地域を領主が治め、国全体を国王が統治している。その国王の手足となって民を守るのが、近衛隊と呼ばれる兵士達である。中でも王都で近衛隊の中核を担っている精鋭達は、王国近衛隊と呼ばれていた。日本の警察で言うところの警視庁みたいなものである。
執務室と居室が一緒になった寮の一部屋で、薄い冊子を見ながら溜息を吐く人物が居た。
王国近衛隊隊長・カマンベールである。標準規格の机に小柄な体で向かっているカマンベールは、部下から渡された兵士の一覧に目を通していた。
「随分と減ったものだな・・・」
ここ数年、王国を守る兵士の数が減っている。理由は様々ではあるが、やはり魔物の影響が大きいだろうとカマンベールは考えている。
不特定の場所に、突然現れては村や町を襲う魔物達。その討伐も近衛隊の仕事である為、カマンベールは毎度駆り出されている。そして、多くの部下達が傷つけられていくのを何度も見て来た。毎日鍛錬を行っている部下達が弱いとはカマンベールは思わないが、魔物に対して非力であるのは認めざるを得ないと思っている。人間同士の戦いよりも遥かに傷付く人数が多い為、近衛隊全体を通しての人数が減ってしまっているのだ。今のところ、戦闘での死者は出ていないが、兵士として働くのは無理な傷を負った者達は少なくない。
「カマンベール様、そろそろ始まります」
「今行く」
カマンベールは薄い冊子を机に置くと、傍らに立てかけていた剣を腰に差した。
これより、兵士の選抜試験が始まるのである。
カマンベールが訓練場を見渡す二階の監督席に辿り着くと、既に座っている人物が居た。
「おーう、遅いぞ、ベル」
人間界の国の王様である。ちなみにカマンベールのことは「ベル」と愛称で呼んでいる。
「陛下、ご覧になるんですか」
「おう。気になるからな」
国王というよりは街でナンパしてる色男のような見た目だが、純然たる王は笑った。
「にしても、結構集まったよな。全員採用でよくね?」
「基本的には採用致しますが、適性を見る為の試験でもあります。後に振り分ける参考にもなりますし、時折無法者が腕試しに来たりもしますから」
「へー、あーいうやつ?」
王は長い指で訓練場の一角を指差した。カマンベールがそちらに視線を遣ると、やたらと土埃が立っている場所がある。小手調べとして兵士と一対一で打ち合いをしている筈であるが、何故かそこだけ多勢に無勢になっていた。
「お、強そうじゃん」
王はウキウキと砂埃が晴れていくのを見て言った。
砂埃から現れたのは、標準規格よりも大きな剣を持った、長身で体格のいい青年である。短い髪にバンダナを巻き、右耳の上辺りで結んでいる。その周りには、打ち合いでやられたと思しき兵士たちが腰を抜かしている。
「ヒュー♪やるねえ」
青年は周りの兵士達が掛かって来ないのを見ると、きょろきょろと辺りを見回した。そして気が付いたように上を見て、二階にある監督席に気が付いた。
「あーーーーっ!!!」
青年は大声を上げると、上を見たまま監督席のある壁の方へと歩き出した。手前まで来て立ち止まると、持っていた剣を持ち上げ、ピタリと監督席に向けた。
「てめえ、降りて来やがれ!」
「えっ、俺?」
王がきょとんとした顔で自分を指差すと、青年は声を荒げた。
「そこのチビ野郎!てめーだてめー!!」
自分のことじゃなかったらしい王は、隣に立っているカマンベールを見た。二人しか居なくて自分でないのなら、青年が指名しているのはカマンベールである。
「お知り合いさん?」
「いえ、全く」
首を振るカマンベールに、青年は尚も怒鳴る。
「俺と勝負しろカマンベール!!」
王は再びカマンベールを見た。
「めっちゃ名前呼んでますやん」
「いえ、知らぬ者です。うるさいので取り押さえましょう」
カマンベールが指を鳴らすと、打ち合いをしていた兵士達がこぞって青年を取り押さえに掛かった。大人数が突然後ろから押しかけて来た為、流石の青年も取り押さえられた。
「てめっ、ふざけんな!放せ!カマンベール!降りて来いっ!!」
地面にうつ伏せにされながらも、青年は上を向いて喚く。
「よっぽどお前に会いたいみたいだぞ、あいつ。降りてってあげれば?」
「致し方ないですね」
カマンベールは窓枠のレンガに足を掛けると、そのまま地上へ飛び降りた。
「ヒュー♪相変らずな身のこなし」
王は監督席から立つと、下へと続く階段へと歩き出した。三十路手前の王は無理をしない主義である。
「カマンベール様!」
「そのままでいい」
部下達が縄に掛けようとするのを制し、カマンベールはうつ伏せになっている青年と目が合う距離まで近づいた。
「カマンベール!俺と勝負しやがれ!」
「貴様は誰だ」
「えっ」
青年はキョトーンとした顔をした。
「まさか・・・覚えてねえ・・・とか」
青年が若干蒼褪めたように見えたので、カマンベールは今一度青年の顔を見た。一応記憶のネットワークに検索を掛けてみるが、ヒットどころか「もしかして:」も出て来ない。
「全く記憶にないが」
カマンベールが首を傾げると、青年はガクッと首を落とした。
「俺は・・・ずっとてめーを探してたっつーのに、・・・」
青年は地面と仲良くなりながらぶつくさと言って顔を上げた。
ふと、青年を押さえていた隊士の一人が声を上げた。
「あっ!隊長、こいつ、お尋ね者のオルヴァルですよ!盗賊の!」
隊士の言葉にカマンベールは数度瞬きをした。
「・・・投降しにきたのか?」
「ちげーよ!!!お前と勝負する為に来たの!!」
ぎゃーぎゃーと喚くオルヴァルにカマンベールが首を傾げていると、王が到着した。
「なになにー、お尋ね者?」
「陛下」
うきうきとした顔でやって来る王を一瞬目で諌め、カマンベールは立っていた場所から一歩引いた。オルヴァルの正面に、王が立つ。王は更に近づくと、しゃがみ込んでオルヴァルと目線を合わせた。
「オルヴァルだっけ?お前強そうだから兵士になんない?」
「ああ?」
王のにこやかなスカウトに、オルヴァルはそっぽを向いた。
「俺は国の飼い犬なんてごめんだぜ」
「貴様っ、陛下に何という口をっ・・・!」
激昂した兵士を片手を上げて諌め、王は立ち上がってカマンベールに向き直った。
「フラれちゃったー」
王はくるりと背を向けると、数歩下がってオルヴァルから離れた。カマンベールはオルヴァルを見た。正直お縄でいい気がした。しかし後ろの方から王の期待の眼差しがすごく刺さってくる。
「貴様に選択肢をやろう」
オルヴァルはカマンベールを見た。
「一つは、このまま捕縛され牢に入ること。それが嫌ならば、兵士として近衛隊に入れ」
カマンベールは一歩、オルヴァルに近づいた。視線を合わせたまま、見下ろして告げる。
「国の飼い犬が嫌なら、私の飼い犬になれ。私を満足させる武勲を立てられたならば、望み通り貴様と手合せしてやろう」
ただし、とカマンベールは付け加えた。
「私の命に背いた時は、その場で斬り捨てる」
オルヴァルは、カマンベールが自分を見下ろしているのを、数秒の間じっと睨んだ。
「・・・兵士になって手柄を立てれば、アンタと勝負出来るってわけだな」
「そうだ」
カマンベールはオルヴァルが睨んでくる視線を、微動だにせずに受け止めている。
「・・・いいぜ、」
オルヴァルは僅かに顎を引いた。
「やってやるよ。飼い犬だろうがなんだろうが、何だって」
と、いうやり取りを経て、王国近衛隊隊長・カマンベール直属の部下になったオルヴァル。
「―で」
ただいま、牢屋に繋がれていた。
「なんっで俺が投獄されてんだ!!!説明しやがれカマンベール!!!!!」
牢屋の柵を持ってぎゃーぎゃーと暴れるオルヴァルに目を遣り、入り口に立っているカマンベールはオルヴァルの方を向いた。
「騒ぐな喧しい。今、貴様の部屋を考えているところだ」
「部屋だぁ?」
オルヴァルはカマンベールをジト目で見た。
「そうだ。兵士は基本的に二人部屋だが、お尋ね者の貴様と同じ部屋になりたがる奴がいるかどうか」
「ぐっ」
「居なければ貴様の部屋は物置だ」
「何イ!?」
「牢でないだけ有り難いと思え」
牢の方が有り難いかもしれないとオルヴァルは思った。物置ってどのレベルの物置だ。寝られる幅あるのか。
「もうすぐ聞き込みも終わるだろう。大人しくしていろ」
カマンベールはオルヴァルから視線を離すと、手に持っていた書類を眺め始めた。オルヴァル納得いかない。
(大体てめーが試験もちゃんと合格して来いとか言うからトップで通過してやったのに、それについては何にも無しかよ!)
ドヤ顔で報告に行ったところ、そうかと言われただけだった。王様には褒められた。ちょっと嬉しかった。
(今だってこんなに近くにいるのに、ちっとも俺のこと見やがらねえ・・・)
オルヴァルがぎりぎりと歯ぎしりをしつつ恨めしそうな顔でカマンベールを見ていると、入り口の戸を叩く音がした。
「カマンベール様!リコッタです!」
「リコか。入れ」
カマンベールがドアから身を引くと、控え目に扉が開かれて、明るい茶髪の女性が顔を覗かせた。
「誰だそのおかっぱ」
オルヴァルが素朴な疑問を口にすると、リコと呼ばれた女性に物凄く汚いものを見るような目で見下ろされた。
「リコ、どうだった」
そしてカマンベールにもスルーされた。
「はい!ベル様」
虫でも見るような顔をしていたリコッタは、カマンベールにとろけるような笑顔で答えた。オルヴァル納得いかない。
「そこのけだも・・・オルヴァルと同室になってもいいという若者がいましたので、部屋を交換しておきました」
ケダモノって言い掛けた。今絶対言い掛けた。
「そうか。ではリコ、部屋まで連れて行ってやれ」
「「えっ」」
オルヴァルとリコッタは同時に声を上げた。
「お考え直しくださいカマンベール様!本当にこんなケダモノを近衛隊に入れるつもりなのですか!?」
「てめー、そこのおかっぱ女!さっきから聞いてりゃ好き勝手言いやがって!誰がケダモノだコラア!!!」
「お黙りなさい!!」
リコッタはオルヴァルに振り向くと怒鳴りつけた。
「いい?!このケダモノ!もしもベル様に何かしたらアンタの(自主規制)を(自主規制)して、(自主規制)してやるからね!!!」
「発言が過激だぞ、リコ」
「やだ私ったらはしたないっ・・・!」
きゃっと言いながらリコッタは自分の口元に指を添えた。
オルヴァルはリコッタの発言内容が怖すぎて怯んだ。ガタガタと震えながら股間を押さえている。
「では頼んだぞ、リコ」
「はいっ、ベル様!」
にこにことカマンベールを見送ると、リコッタはオルヴァルに振り返った。般若の顔をしていた。
「さっさと出て来なさいよこのケダモノ」
「鍵かかってんだよ!見て解れ!」
「ちっ、面倒くさいわね」
リコッタは入り口の机に置いてある鍵をとると、カチャリと回してオルヴァルの牢を開けた。
「着いてきなさい」
リコッタがさっさと行ってしまうので、オルヴァルは大股で歩いて距離を詰めた。
「ちょっと、あんまり近寄らないでくれる。ケダモノの臭いが移るから」
「あんだとてめー、さっきからケダモノケダモノ言いやがって!」
「アンタなんてケダモノで十分よ!どうしてベル様はこんな奴近衛隊に入れるのかしら」
ぶつぶつと文句を垂れるリコッタに、オルヴァルは口を尖らせた。
「選抜試験通ったんだから文句ねーだろーが」
「はあ?あのぐらい私だって出来るわよ。ぜんっぜん大したことないわ」
ぜんっぜん、の部分に力を入れつつ、リコッタは左右に首を振った。その力の入れようにオルヴァルは若干イラッと来た。
リコッタは通路を歩きつつ、曲がり角で足を止めた。視線の先には、先ほどの選抜試験で使用した丸太を縦に置いた柱が立っている。
「あれ切るだけでしょ。近衛隊なら誰でも出来るし、ベル様だったら一振りで十本以上切るわよ。アンタ何本切ったっけ?ああごめん、三本だったわね」
「知ってんなら訊くなよ!!」
心底馬鹿にした顔で鼻で笑われて、オルヴァルは些か凹んだ。剣術は専門ではないにしろ、強さにはそれなりに自信があったのだ。体格もいい方だし、力もあるほうだ。けれど、そんなものは全く関係ないのだと思い知らされた。
あの日見た小柄な姿を、今でも鮮明に覚えている。そして今再び、格の違いを思い知らされている。
「くそっ、カマンベールめ・・・」
「ベル様の悪口言うと夕飯抜きにするわよ」
リコッタにわき腹を容赦なくどつかれて、オルヴァルは若干むせた。げほげほとさせた張本人はさっさと宿舎のほうへと歩いていく。
(なんて女だ・・・)
カマンベールに対してはうっとりととろけそうな笑顔を向けるくせに、オルヴァルを見るときはまるでゴミでも見るかのような顔をする。オルヴァル納得いかない。
(カマンベールはちっとも俺のこと見やがらねえし、気に入らねえ!)
オルヴァルはわき腹を押さえつつ、振り向きもしないリコッタを追いかけた。
「ここがアンタの部屋よ」
宿舎の二階にある、端っこの部屋。日当たりが物凄く悪そうな部屋だった。
「ルームメイトはもう居る筈だから、問題起こすんじゃないわよ」
「わーってるよ。俺だってカマンベールと勝負するまでは追い出されるわけにはいかねえんだ」
「ベル様を呼び捨てにしたからアンタ今日ご飯抜きね」
「あぁ?」
「アンタねえ、ベル様をどなたと心得てるの?国王陛下直属の近衛隊の隊長様なのよ?間違ってもアンタみたいなけだ・・・一兵卒が呼び捨てになんかしていいお方じゃないのよ。そんなこと許されるのは陛下と王女様ぐらいだわ」
やれやれとため息を吐くリコッタに、オルヴァルは眉間に皺を寄せた。
「関係ねえよ。カマンベールはカマンベールだ。あいつが何処の誰だろうが、俺はあいつに勝つだけだ」
「二回呼び捨てにしたから明日の昼食まで抜きね」
「てめえ・・・」
「いいこと。これだけは言っておくけれど、ベル様の下に付いたからには、ベル様の評価を落とすようなことだけはするんじゃないわよ。アンタは陛下とベル様のご厚意によって首の皮一枚で繋がってるだけなんだからね。もしもご迷惑をお掛けするようなことがあったら」
リコは右手を体の前に出し、グワッシャアッ!と握った。
「握り潰すわよ」
顔があまりに本気だったので、オルヴァルは股間を押さえてガタガタと震えた。
「じゃ。細かいことは後で説明があると思うから。問題起こすんじゃないわよ」
ひらひらと手を振って歩いていくリコッタをジト目で見送ると、オルヴァルは目の前のドアをゆっくりと開けた。
中に居たのは、小柄というよりは貧弱な体の、眼鏡を掛けた気の弱そうな少年だった。少年はオルヴァルを見ると、びっくりしたように体を反らせた。
「うっ、わああああ」
その驚きっぷりに、逆にオルヴァルまで驚いた。少年は体を反らせすぎて後ろにてーんと倒れた。
「大丈夫かお前」
「う、うん。ごめんね。びっくりしちゃって・・・」
えへへ、と笑いながら、少年はずれた眼鏡を片手で直した。
「僕はペコリーノ。君はオルヴァル君だよね」
「ああ」
オルヴァルが手を貸すと、ペコリーノはその手を取って立ち上がった。
「僕、ずっと君にお礼が言いたかったんだ」
「お礼?」
「うん!」
ペコリーノは掴んだままのオルヴァルの手をぎゅっと握った。
「僕は、ハッカ村っていうところの出身なんだけど、オルヴァル君のおかげで、僕のお母さんは助かったんだ。本当にありがとう」
「ハッカ村・・・」
オルヴァルは首を傾げた。
「あ!小さい村だから!覚えてないかもしれないけどっ、」
「ああ、全く記憶にねえな」
「だよね・・・」
オルヴァルのさらりとした解答に、ペコリーノは目に見えてしょぼくれた。
「五年前、僕のお母さんは病気になったんだ。だけど、家も村も貧しくて、お医者さんに見せるどころか、薬を買うことも出来なかった。そんな時、妹がお金の入った袋を持ってきたんだ。義賊のオルヴァルがくれたって」
オルヴァルは黙ってペコリーノの話を聞いている。
「そのお金で、お医者さんに診せることが出来て、お母さんの病気は治ったんだ。だから、ずっとお礼が言いたくて」
ペコリーノはオルヴァルを見た。
「本当にありがとう。世間は盗賊だなんて言うけど、僕はオルヴァル君が、評判のよくないお金持ちから盗んだお金を貧しい人達に配ってるの知ってるよ!だから義賊だって、皆言ってるんだ」
「・・・俺は、そんな上等なもんじゃねえよ。ただのコソドロだ」
「そんなこと、」
「お前がそう言ってくれるのはありがてえが、世間じゃ鼻つまみもんだ。盗賊だろうが義賊だろうが、やってることは変わんねえよ」
「オルヴァル君・・・」
「けど、お前が俺と同じ部屋でいいっつってくれたから、俺は物置で寝なくて済んだ。ありがとな」
オルヴァルはニッと笑った。ペコリーノも、頷いて笑い返した。
「うん!これからよろしくね、オルヴァル君!」
「おう」
二人は握手を交わすと、ペコリーノが掻い摘んで近衛隊の説明をした。オルヴァルが牢に居て受けられなかった説明である。
「王様直属って言うけど、実際に指揮をしているのはカマンベール隊長なんだ。民が困っていたり、争いが起きていたりすると、いち早く情報を集めて向かうんだ。最近は魔物が街を襲うことがあるから、その時にも近衛隊が討伐していて、年中忙しいらしい。それで、今回の募集が行われたんだって」
「へえ。人手不足なわけか」
「そう。だから今回は、僕みたいな弱いやつでも雇って貰えたんだ。僕、運動はあまり得意じゃなくって・・・」
「何で近衛隊に入ったんだよ」
「近衛隊にも、事務的な仕事があって、僕はそっちの方面で役に立てたらいいなって思って入隊を希望したんだ。計算はちょっと自信があるから・・・」
「そんなこともやってんのか・・・」
「オルヴァル君は、カマンベール隊長と勝負したいんだよね。前にも勝負したことがあるの?」
「・・・いや、勝負って程でもねえ」
オルヴァルは苦々しいものを吐き出すように言った。
「俺が一方的に挑んで、一方的に負けたんだ」
オルヴァルの拳が僅かに震えているのを見て、ペコリーノは深入りし過ぎたかもと反省した。
「俺がまだ盗みをやってた時、王都に運ぶ荷台を襲ったことがあったんだ。それの護衛をしてたのがあの野郎だった」
「そうだったんだ・・・」
ペコリーノは納得したように頷いた。そこで恐らく圧倒的な力を見せつけられて、リベンジしたくなったのだろう。ペコリーノはそう解釈した。
「あ、そうだオルヴァル君。訓練は明日からだけど、施設は今日から使えるんだって!温泉があるらしいよ、行ってみない?」
ペコリーノはこれ以上触れないほうがいいと判断し、話題を切り替えた。
「・・・いや、俺はもっと遅くなってから行くぜ。一応お尋ね者だからな。誰もいない時間を狙っていくさ」
「そっか・・・」
「お前は行って来いよ。どんなんだったか聞かせてくれ」
「うん!じゃあ、ちょっと行ってくるね!」
ペコリーノがいそいそと風呂支度をして出ていくのを見送ると、オルヴァルは二つあるベッドの内、部屋の右側にあるベッドに横になった。
目を閉じると、あの日の光景が蘇る。
―カマンベール様、こいつお尋ね者ですよ。盗賊の。いかがいたしましょう
俺も終わりかと思った、あの瞬間。
『捨て置け。賊などに構っている暇はない』
自分を一閃で薙払った小柄な人間は、こちらに目をくれることも無く馬に乗って走り去っていった。
誇りが、あったのだ。
自分は盗賊であっても、己の欲望のままに盗みを働く奴等とは違うと。貧しい人々の役に立っているという自負があったのだ。
義賊だなんて呼ばれて、自惚れていたのだ。
賊だと切り捨てたそいつは、こちらを見もしなかった。
己がしていることは、所詮窃盗なのだと、そこらの盗賊達と変わらないのだと、思い知らされた。
人の役に立っていると思っていた自分が、取るに足らない存在だと、捕まえる価値も無いと、見向きもされなかったことで、ちっぽけな誇りは粉々に砕け散った。
絶望のような、落胆のような感情は、やがて全身の血が沸騰するような、激しい感情に変わった。
カマンベール。
その名を魂に刻み込んだ。
絶対に、俺のことをお前に認めさせてやるー・・・!!!!!
オルヴァルは目を開け、使い古された兵舎の天井を見据えた。
(ようやく、ここまで来たぜ)
探し続けていたあの背中が、手に届く位置まで来た。
(見てろよ、カマンベール・・・!)
オルヴァルは天井へと手を伸ばし、グッと拳を握った。
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