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嫉妬
少年は稽古をつけてもらった
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8月になり、日差しはますます眩しくなった。
あれからしばらくして、レヴィの工房には画商から依頼が来た。城に献上する絵らしい。ホークには一体どんなコネがあるのか。彼はただ笑うばかりで教えてくれなかった。
アイラスもその手伝いをしていた。そろそろ他の基礎教育を受けても良い頃だが、その依頼が終わるまで受けたくないと言って、最近は美術や読み書きの授業にすら出ていない。
トールも、たまにニーナに呼ばれる以外、ずっとアイラスと一緒に居る。保護区に居ても一人なので、ロムも音楽の授業が無い日は、朝から夕方まで工房に居た。時々、工房から冒険者ギルドに足を運ぶくらいだ。
手持ち無沙汰なので、弦楽器を持って来ていた。工房の外で歌うと人だかりができた。
前は一人でも平気だったのになと、おひねりを拾いながら考えていた。一体どうやって一人で過ごしていたんだろう。ほんの数ヶ月前の事なのに、よく思い出せない。保護区でダラダラ過ごしていたような気がする。今やロムの生活には、アイラスとトールが不可欠になっていた。
それにしても、こんなところでお金が入るとは思わなかった。レヴィに場所代と称して全部出したが、使い魔の餌代にしろとアイラスにそのまま渡していた。アイラスは受け取れないと言って、お金はまたロムの元に戻ってきた。
「お前最近全然稼いでないだろ? 保護区に持って帰っておけよ」
「別に稼ぎたいわけじゃないしなぁ……歌ってたらお金が降ってきただけだし……」
レヴィが丁寧語は気持ち悪いというので、ロムはすっかりタメ口になっていた。初日は揉めたけど、レヴィの気質はトールに似ていて裏表が無い。意外と面倒見が良くて、口が悪い割に優しい。アイラスを弟子だからと言ってこき使う事はなく、絵の事も丁寧に教えているようだ。ここは保護区よりずっと居心地がいいと思う。
「暇なのかよ。稽古でもつけてやろうか? アイラスが言ってたぞ。お前が稽古相手を欲しがってるって」
それは常々思っていたけれど、口に出した事は一度もない。どこでそう思われたんだろう。毎朝の鍛錬を見ていて気づいたんだろうか。アイラスは、トールよりずっと察しが良いと思った。
申し出自体は魅力的だ。レヴィは自分よりはるかに強い。画家があんなに強いなんて意味がわからない。
そういえば、ホークと同期と言っていた。まさかと思って聞いてみた。
「レヴィも、先生みたいに冒険者ギルドに通ってた?」
「まあな」
「ランクは?」
「んなこと聞いてどうすんだよ。画材を買う金が欲しくて、ちょろっと行っただけだぞ」
「ぶれないなぁ」
「んなことねーよ。お前くらいの歳には、人生について悩んだこともある」
「……想像もできない」
「やらねーなら俺は作業に戻るぞ」
「待って、一本だけお願い……します」
「とってつけたような丁寧語使うんじゃねぇよ」
レヴィは木刀を投げてよこした。馴染みある反りに適度な重さがある。
「お前には扱いやすいだろ」
レヴィの言葉に心臓が波打った。トールに見破られたように、レヴィも知っているのかもしれない。ちょっとだけ視界が揺れた。その端に、心配そうに立つアイラスが映っていた。
頭を振り、深呼吸して、アイラスと目を合わせた。大丈夫だよという風に笑って見せた。強がりだったけれど、それだけで不思議と心が落ち着いた。
「お願いします」
「おう」
そうは言ったが隙が全く無い。どこから打ち込んでいいかわからない。動かないロムを見て、レヴィは少し笑って構えを崩した。
作られた隙だ。本番なら罠だ。そう思ったけど、ロムは反射的に踏み込んでいた。
当然のように、振り下ろした一撃は受け止められ、乾いた音が響いた。ぐいと押され、ロムは体勢を崩した。
後ろに下がるとレヴィが追ってきて、木刀を横に構えて受け止めた。重い一撃に手がしびれ、木刀を落としそうになった。そこへまた、レヴィの一撃が振り下ろされた。
やられる、と思ったけれど、木刀は目の前で止まっていた。レヴィは腕を下ろし、背中を向けて元の位置に歩いていった。
——ああ、もう終わっちゃた。
ガッカリしていると、レヴィは向き直ってまた構えた。
——終わってない!
ロムは自分の口端が上がるのを感じた。
「お願いします!」
「いいから早く来いよ」
それから、数えきれないくらい稽古をつけてもらった。
「そろそろ俺も作業に戻りたいんだが?」
いつまで経ってもロムが諦めないので、レヴィがため息をつきながら言った。ロムは肩で息をしていて、動きも鈍くなっていた。
結局一本も取れなかった。そう簡単に取れるとは思ってなかったけど、実際に取れないと少し凹む。
「長い事、ごめん、ありがとう。……ございました」
「おう」
呼吸を整えながら、とぎれとぎれに礼を言った。レヴィは立ち上がれないロムから木刀を受け取って、工房に入っていった。入れ替わりで、コップを持ったアイラスが出てきた。
「オ水」
「ありがとう」
受け取って、一気に飲み干す。水は夏の暑さで生ぬるかったが、それでも乾いた咽喉にはおいしく感じられた。
工房に入ると、レヴィはすでにキャンバスに向かっていた。
「お前さ、右利きだよな? なのに、左も使ってたな?」
「一応、どちらでも扱えるように、訓……練習、してるから…」
「何のために?」
「……片手が使えなくなっても、もう片方の手で戦うために」
「さすが、実戦的だなぁ」
レヴィは一体どこまでわかってるんだろう。全部見抜かれているようで、ロムは背筋が凍る思いがした。
「まあいいや。短刀は持ってんのか?」
「持ってない」
「お前の長所は速さだ。重い長刀より軽い短刀の方がいいぞ。二刀流で攻守兼用するんだ」
そう言ってレヴィは、油絵用のパテを2本手に取った。
「持ち方はこう…逆手だ。そうすれば、軽い短刀でも力が乗せやすい。刀を振るうというより、徒手格闘に近くなる。獲物と持ち方が変わると最初は弱くなった気がするが、お前ならすぐ慣れるだろう。最終的にはそっちの方が楽なはずだ」
「短刀が……手に入るかな……」
ロムが持つ刀は、故郷から持ってきたもので、たった一振りしかない。同じ形の物を、クロンメルで見かけた事は無い。
「別に普通の短剣でもいいんだがな。刀という形に拘るなら、刀鍛冶も居るぞ。受注販売しかしてないから、一般には知られていない。口をきいてやろうか?」
「高そうだね……」
「値段はそんなに高くない。需要も低いし、半分趣味でやってるようなやつだからな。精々材料費に毛が生えたくらいだ。ただし、刀を打ってもらうには腕を見せる必要がある。腕の無い者には売りたくないらしい」
以前のロムなら、望むところだと思っただろう。でも今は、自分の腕に少し自信を無くしていた。昔より落ちている気もする。大人とは言え、女性のレヴィにも敵わないのだから。
「ま、お前なら十分と思うがな」
「それ、お世辞で言ってない?」
「お前の欠点は、その自信の無さだな。自己評価が低すぎる。お前は歳を考えたら強すぎる。神童かってところだ」
そう言われても、ロムには信じる事が出来なかった。
「まあ挑戦するくらいは、してもいいんじゃねえか? 失格になったところで、以降の挑戦権が無くなるわけじゃねえしな」
そう言われたら、少し気が楽になった。
戦い方を変えるなら、早い方がいい。早く、慣れた方がいい。討伐依頼に行くチャンスが訪れた時、ものになっていないと困る。
「じゃあ、お願いしようかな……」
「おう」
レヴィは新しい遊びを見つけた子供のようにニヤニヤしていた。それを見て、ちょっと早まったかもしれないと不安になった。
あれからしばらくして、レヴィの工房には画商から依頼が来た。城に献上する絵らしい。ホークには一体どんなコネがあるのか。彼はただ笑うばかりで教えてくれなかった。
アイラスもその手伝いをしていた。そろそろ他の基礎教育を受けても良い頃だが、その依頼が終わるまで受けたくないと言って、最近は美術や読み書きの授業にすら出ていない。
トールも、たまにニーナに呼ばれる以外、ずっとアイラスと一緒に居る。保護区に居ても一人なので、ロムも音楽の授業が無い日は、朝から夕方まで工房に居た。時々、工房から冒険者ギルドに足を運ぶくらいだ。
手持ち無沙汰なので、弦楽器を持って来ていた。工房の外で歌うと人だかりができた。
前は一人でも平気だったのになと、おひねりを拾いながら考えていた。一体どうやって一人で過ごしていたんだろう。ほんの数ヶ月前の事なのに、よく思い出せない。保護区でダラダラ過ごしていたような気がする。今やロムの生活には、アイラスとトールが不可欠になっていた。
それにしても、こんなところでお金が入るとは思わなかった。レヴィに場所代と称して全部出したが、使い魔の餌代にしろとアイラスにそのまま渡していた。アイラスは受け取れないと言って、お金はまたロムの元に戻ってきた。
「お前最近全然稼いでないだろ? 保護区に持って帰っておけよ」
「別に稼ぎたいわけじゃないしなぁ……歌ってたらお金が降ってきただけだし……」
レヴィが丁寧語は気持ち悪いというので、ロムはすっかりタメ口になっていた。初日は揉めたけど、レヴィの気質はトールに似ていて裏表が無い。意外と面倒見が良くて、口が悪い割に優しい。アイラスを弟子だからと言ってこき使う事はなく、絵の事も丁寧に教えているようだ。ここは保護区よりずっと居心地がいいと思う。
「暇なのかよ。稽古でもつけてやろうか? アイラスが言ってたぞ。お前が稽古相手を欲しがってるって」
それは常々思っていたけれど、口に出した事は一度もない。どこでそう思われたんだろう。毎朝の鍛錬を見ていて気づいたんだろうか。アイラスは、トールよりずっと察しが良いと思った。
申し出自体は魅力的だ。レヴィは自分よりはるかに強い。画家があんなに強いなんて意味がわからない。
そういえば、ホークと同期と言っていた。まさかと思って聞いてみた。
「レヴィも、先生みたいに冒険者ギルドに通ってた?」
「まあな」
「ランクは?」
「んなこと聞いてどうすんだよ。画材を買う金が欲しくて、ちょろっと行っただけだぞ」
「ぶれないなぁ」
「んなことねーよ。お前くらいの歳には、人生について悩んだこともある」
「……想像もできない」
「やらねーなら俺は作業に戻るぞ」
「待って、一本だけお願い……します」
「とってつけたような丁寧語使うんじゃねぇよ」
レヴィは木刀を投げてよこした。馴染みある反りに適度な重さがある。
「お前には扱いやすいだろ」
レヴィの言葉に心臓が波打った。トールに見破られたように、レヴィも知っているのかもしれない。ちょっとだけ視界が揺れた。その端に、心配そうに立つアイラスが映っていた。
頭を振り、深呼吸して、アイラスと目を合わせた。大丈夫だよという風に笑って見せた。強がりだったけれど、それだけで不思議と心が落ち着いた。
「お願いします」
「おう」
そうは言ったが隙が全く無い。どこから打ち込んでいいかわからない。動かないロムを見て、レヴィは少し笑って構えを崩した。
作られた隙だ。本番なら罠だ。そう思ったけど、ロムは反射的に踏み込んでいた。
当然のように、振り下ろした一撃は受け止められ、乾いた音が響いた。ぐいと押され、ロムは体勢を崩した。
後ろに下がるとレヴィが追ってきて、木刀を横に構えて受け止めた。重い一撃に手がしびれ、木刀を落としそうになった。そこへまた、レヴィの一撃が振り下ろされた。
やられる、と思ったけれど、木刀は目の前で止まっていた。レヴィは腕を下ろし、背中を向けて元の位置に歩いていった。
——ああ、もう終わっちゃた。
ガッカリしていると、レヴィは向き直ってまた構えた。
——終わってない!
ロムは自分の口端が上がるのを感じた。
「お願いします!」
「いいから早く来いよ」
それから、数えきれないくらい稽古をつけてもらった。
「そろそろ俺も作業に戻りたいんだが?」
いつまで経ってもロムが諦めないので、レヴィがため息をつきながら言った。ロムは肩で息をしていて、動きも鈍くなっていた。
結局一本も取れなかった。そう簡単に取れるとは思ってなかったけど、実際に取れないと少し凹む。
「長い事、ごめん、ありがとう。……ございました」
「おう」
呼吸を整えながら、とぎれとぎれに礼を言った。レヴィは立ち上がれないロムから木刀を受け取って、工房に入っていった。入れ替わりで、コップを持ったアイラスが出てきた。
「オ水」
「ありがとう」
受け取って、一気に飲み干す。水は夏の暑さで生ぬるかったが、それでも乾いた咽喉にはおいしく感じられた。
工房に入ると、レヴィはすでにキャンバスに向かっていた。
「お前さ、右利きだよな? なのに、左も使ってたな?」
「一応、どちらでも扱えるように、訓……練習、してるから…」
「何のために?」
「……片手が使えなくなっても、もう片方の手で戦うために」
「さすが、実戦的だなぁ」
レヴィは一体どこまでわかってるんだろう。全部見抜かれているようで、ロムは背筋が凍る思いがした。
「まあいいや。短刀は持ってんのか?」
「持ってない」
「お前の長所は速さだ。重い長刀より軽い短刀の方がいいぞ。二刀流で攻守兼用するんだ」
そう言ってレヴィは、油絵用のパテを2本手に取った。
「持ち方はこう…逆手だ。そうすれば、軽い短刀でも力が乗せやすい。刀を振るうというより、徒手格闘に近くなる。獲物と持ち方が変わると最初は弱くなった気がするが、お前ならすぐ慣れるだろう。最終的にはそっちの方が楽なはずだ」
「短刀が……手に入るかな……」
ロムが持つ刀は、故郷から持ってきたもので、たった一振りしかない。同じ形の物を、クロンメルで見かけた事は無い。
「別に普通の短剣でもいいんだがな。刀という形に拘るなら、刀鍛冶も居るぞ。受注販売しかしてないから、一般には知られていない。口をきいてやろうか?」
「高そうだね……」
「値段はそんなに高くない。需要も低いし、半分趣味でやってるようなやつだからな。精々材料費に毛が生えたくらいだ。ただし、刀を打ってもらうには腕を見せる必要がある。腕の無い者には売りたくないらしい」
以前のロムなら、望むところだと思っただろう。でも今は、自分の腕に少し自信を無くしていた。昔より落ちている気もする。大人とは言え、女性のレヴィにも敵わないのだから。
「ま、お前なら十分と思うがな」
「それ、お世辞で言ってない?」
「お前の欠点は、その自信の無さだな。自己評価が低すぎる。お前は歳を考えたら強すぎる。神童かってところだ」
そう言われても、ロムには信じる事が出来なかった。
「まあ挑戦するくらいは、してもいいんじゃねえか? 失格になったところで、以降の挑戦権が無くなるわけじゃねえしな」
そう言われたら、少し気が楽になった。
戦い方を変えるなら、早い方がいい。早く、慣れた方がいい。討伐依頼に行くチャンスが訪れた時、ものになっていないと困る。
「じゃあ、お願いしようかな……」
「おう」
レヴィは新しい遊びを見つけた子供のようにニヤニヤしていた。それを見て、ちょっと早まったかもしれないと不安になった。
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