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北へ
少年は旅に出た(絵有)
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ケヴィンが引っ張ってきた二頭立ての馬車を、ロムは二度見した。
「えっ……これですか?」
「ご不満かい?」
「まさか! 逆ですよ! こんな立派な……うわー……最新の懸架式だ……」
「なんだ、それ?」
ザラムが首を傾げている。目の見えない彼に説明するのは難しい。仕組みは端折って結果だけ言う事にした。
「要は、車体が揺れにくいんだ。高級馬車だよ」
「……盗賊、狙いそう」
「確かに……それは、あるかも……」
「君達二人なら、大丈夫だろう?」
「大丈夫だと思いますけど、時間の無駄です……」
ケヴィンは苦笑しながら、馬車のドアを開けた。
「彼らを寝かせる布団はしいてある。食料は君達の分だけ一週間分。無くなったら現地調達してくれたまえ。お金も十分入れてある。地図に馬宿の位置を記しておいたから、それを繋ぐように北上するんだよ」
「わかりました。何から何まで、すみません」
「……いや。トール様を頼むよ」
「はい」
返事をしてから、ロムは背中におぶった少女を見た。誰にも心配されない彼女が、少しだけ不憫だった。せめて自分だけは、彼女の目覚めを祈ろうと思う。
トールと少女を寝かせ、ロムはザラムと共に御者席に座った。
もう日が高く、出発には遅い時間だった。でも、いつ二人の命が消えてしまうかわからない。少しでも進んでおきたかった。
冬毛でふかふかの馬は、よく訓練され賢かった。特に御さなくても、道に沿って進んでくれる。ここ数日は雪も降ってないので、道も乾いていて通りやすい。
ロムは左手で手綱を軽く持ち、右手で地図を開いた。
「島の北に山はたくさんあるけど、どこなの?」
「銀の山」
「銀が取れるの? 鉱山があるところかな…」
「違う……」
目が見えず言葉も少ないザラムから、情報を引き出すのは苦労する。彼もなんと言えばいいか迷っているようだった。
よく考えたら、わざわざ彼が話しにくい言葉を使う必要はない。
「もう少し詳しく教えて」
シンの言葉で促すと、少し驚いた様子で目を見開いた。そして、流暢に話し始めた。
「銀の山は通称だ。本当の名前は知らない。とにかく北の山脈のどこかだ。馬宿の人ならわかるだろう」
「じゃあとにかく、今は北上すればいいね」
「どれくらいかかりそう?」
「なんで行った事あるのに、位置関係もよくわかってないの?」
「歩いて行ってないからな……」
「ああ、転移魔法で? 魔法がある時は、どこへでも飛べたの?」
「いや、地脈の強いところじゃないと無理だ。ニーナの転移装置と仕組みは同じ」
そう言われても、意味がよくわからない。詳しく聞いても無駄だろう。だから曖昧に頷くだけにしておいた。
「それで、どれくらいかかりそうだ?」
「あ、う~ん……順調にいけば、三~四日くらいかな。でも、そこから山に登るんだよね?」
「登らない。麓に亀裂のような洞窟がある。その先がアールヴヘイムに続いている」
二人を背負って登るかと思っていたから、少しホッとした。登山用具も持ってきていたが、無駄だった。支度をする時に、話を聞いておけばよかった。急いでいたから、仕方ないのだけど。
「アールヴヘイムの入り口はそこだけなの?」
「いや、世界各地にある。この島の中では、そこだけ」
「そうなんだ……そんなに珍しくはないんだね」
「あそこは死んだ魂が行く所だ。命はどこでだって失われるだろう?」
「生きた俺達が行けるの? 死なないと行けないって事はないよね?」
「オレが行った事があると言っただろう。オレはまだ死んでない」
「あ、そうだね……」
言葉が変わっても、ザラムの物言いは相変わらずぶっきらぼうだ。ロムは苦笑しながら前を向いた。
横から風が吹いてきて、ザラムが顔の向きを変えた。風を感じたいのかもしれない。ロムの方を向くような形になった。
間近にみる漆黒の目と髪が綺麗だった。
本当の彼は、どちらも白い。色を変えているのは『神の子』である事を隠すため。ロムは黒が好きだから、今の方が好ましかった。
「ザラムは、なんで髪と目を黒にしたの?」
「……黒?」
「色、わからない? 今のザラムの髪と目の色が、黒なんだけど……」
「わからない……元の状態以外なら何でもよかったから、誰かを真似たんだと思う。黒って、どんな感じなんだ?」
「う~ん……目を閉じた時の色なんだけど」
「わからない」
「だよねえ」
元々見えないなら、色という概念もないのかもしれない。
ロムは、自然の中にある黒を探した。黒といえば、夜空の色。夜といえば?
「眠ってる感じ、かな」
「眠ってる感じ……?」
「うん。そう……安らぐ感じ」
「そうか。いいな」
「うん。俺も、黒は好きだよ」
その日は、最初の馬宿まで辿り着かなかった。近くの川で馬に水を飲ませ、河原にわずかにあった常緑の木の葉を食べてもらった。足りない気がするから、明日は無理をさせないようにしよう。馬宿に着いたら、たっぷり飼葉をあげないと。
ザラムと見張りを交代し、ロムは馬車に乗り込んだ。暗闇の中で、トールと少女が静かに寝ていた。二人の脈を確認すると、今朝と同じくらいに弱かった。
そういえばこの二人は、一週間飲まず食わずだ。それなのに、やせ衰えていない。彼らの周りだけ、時の流れが遅くなっているような気がする。そう考えると、彼らの弱い呼吸も脈も、特に問題がないように思えてきた。
魔法みたいだと思った。それが無くなった今、誰がそんな事ができるだろう。少女は魔法使いだろうと聞いたけれど、今もそうなんだろうか。トールを連れて行くよう教えてくれた誰かは、彼女なんだろうか。
ロムは少女に全く見覚えがないが、どこか懐かしい感じがした。誰かに似ている? そう思って記憶を辿ったが、何も思い浮かばなかった。
「君は……誰なの……?」
答えが返ってくるはずのない問いを呟いた。静かに眠る少女の髪に、そっと手を触れた。そういえば、この少女も黒髪だった。そう思いながら、昔を思い出した。
昔は黒は嫌いだった。『人狼』の仕事服は全て黒だった。それに、夜も嫌いだった。夜になると、母がやって来るから。
いつから自分は、黒が好きになったんだろう。そこは思い出せなかった。
今は、夜も嫌いじゃない。闇に包まれるのは、なんだか心地いいとすら思う。きっと母が居ないからだ。
柔らかい黒髪が指にまとわりつき、ロムは悪い事をしている気持ちになった。恥ずかしくなって手を引っ込め、今は安らかに感じる闇の中で、そっと目を閉じた。
「えっ……これですか?」
「ご不満かい?」
「まさか! 逆ですよ! こんな立派な……うわー……最新の懸架式だ……」
「なんだ、それ?」
ザラムが首を傾げている。目の見えない彼に説明するのは難しい。仕組みは端折って結果だけ言う事にした。
「要は、車体が揺れにくいんだ。高級馬車だよ」
「……盗賊、狙いそう」
「確かに……それは、あるかも……」
「君達二人なら、大丈夫だろう?」
「大丈夫だと思いますけど、時間の無駄です……」
ケヴィンは苦笑しながら、馬車のドアを開けた。
「彼らを寝かせる布団はしいてある。食料は君達の分だけ一週間分。無くなったら現地調達してくれたまえ。お金も十分入れてある。地図に馬宿の位置を記しておいたから、それを繋ぐように北上するんだよ」
「わかりました。何から何まで、すみません」
「……いや。トール様を頼むよ」
「はい」
返事をしてから、ロムは背中におぶった少女を見た。誰にも心配されない彼女が、少しだけ不憫だった。せめて自分だけは、彼女の目覚めを祈ろうと思う。
トールと少女を寝かせ、ロムはザラムと共に御者席に座った。
もう日が高く、出発には遅い時間だった。でも、いつ二人の命が消えてしまうかわからない。少しでも進んでおきたかった。
冬毛でふかふかの馬は、よく訓練され賢かった。特に御さなくても、道に沿って進んでくれる。ここ数日は雪も降ってないので、道も乾いていて通りやすい。
ロムは左手で手綱を軽く持ち、右手で地図を開いた。
「島の北に山はたくさんあるけど、どこなの?」
「銀の山」
「銀が取れるの? 鉱山があるところかな…」
「違う……」
目が見えず言葉も少ないザラムから、情報を引き出すのは苦労する。彼もなんと言えばいいか迷っているようだった。
よく考えたら、わざわざ彼が話しにくい言葉を使う必要はない。
「もう少し詳しく教えて」
シンの言葉で促すと、少し驚いた様子で目を見開いた。そして、流暢に話し始めた。
「銀の山は通称だ。本当の名前は知らない。とにかく北の山脈のどこかだ。馬宿の人ならわかるだろう」
「じゃあとにかく、今は北上すればいいね」
「どれくらいかかりそう?」
「なんで行った事あるのに、位置関係もよくわかってないの?」
「歩いて行ってないからな……」
「ああ、転移魔法で? 魔法がある時は、どこへでも飛べたの?」
「いや、地脈の強いところじゃないと無理だ。ニーナの転移装置と仕組みは同じ」
そう言われても、意味がよくわからない。詳しく聞いても無駄だろう。だから曖昧に頷くだけにしておいた。
「それで、どれくらいかかりそうだ?」
「あ、う~ん……順調にいけば、三~四日くらいかな。でも、そこから山に登るんだよね?」
「登らない。麓に亀裂のような洞窟がある。その先がアールヴヘイムに続いている」
二人を背負って登るかと思っていたから、少しホッとした。登山用具も持ってきていたが、無駄だった。支度をする時に、話を聞いておけばよかった。急いでいたから、仕方ないのだけど。
「アールヴヘイムの入り口はそこだけなの?」
「いや、世界各地にある。この島の中では、そこだけ」
「そうなんだ……そんなに珍しくはないんだね」
「あそこは死んだ魂が行く所だ。命はどこでだって失われるだろう?」
「生きた俺達が行けるの? 死なないと行けないって事はないよね?」
「オレが行った事があると言っただろう。オレはまだ死んでない」
「あ、そうだね……」
言葉が変わっても、ザラムの物言いは相変わらずぶっきらぼうだ。ロムは苦笑しながら前を向いた。
横から風が吹いてきて、ザラムが顔の向きを変えた。風を感じたいのかもしれない。ロムの方を向くような形になった。
間近にみる漆黒の目と髪が綺麗だった。
本当の彼は、どちらも白い。色を変えているのは『神の子』である事を隠すため。ロムは黒が好きだから、今の方が好ましかった。
「ザラムは、なんで髪と目を黒にしたの?」
「……黒?」
「色、わからない? 今のザラムの髪と目の色が、黒なんだけど……」
「わからない……元の状態以外なら何でもよかったから、誰かを真似たんだと思う。黒って、どんな感じなんだ?」
「う~ん……目を閉じた時の色なんだけど」
「わからない」
「だよねえ」
元々見えないなら、色という概念もないのかもしれない。
ロムは、自然の中にある黒を探した。黒といえば、夜空の色。夜といえば?
「眠ってる感じ、かな」
「眠ってる感じ……?」
「うん。そう……安らぐ感じ」
「そうか。いいな」
「うん。俺も、黒は好きだよ」
その日は、最初の馬宿まで辿り着かなかった。近くの川で馬に水を飲ませ、河原にわずかにあった常緑の木の葉を食べてもらった。足りない気がするから、明日は無理をさせないようにしよう。馬宿に着いたら、たっぷり飼葉をあげないと。
ザラムと見張りを交代し、ロムは馬車に乗り込んだ。暗闇の中で、トールと少女が静かに寝ていた。二人の脈を確認すると、今朝と同じくらいに弱かった。
そういえばこの二人は、一週間飲まず食わずだ。それなのに、やせ衰えていない。彼らの周りだけ、時の流れが遅くなっているような気がする。そう考えると、彼らの弱い呼吸も脈も、特に問題がないように思えてきた。
魔法みたいだと思った。それが無くなった今、誰がそんな事ができるだろう。少女は魔法使いだろうと聞いたけれど、今もそうなんだろうか。トールを連れて行くよう教えてくれた誰かは、彼女なんだろうか。
ロムは少女に全く見覚えがないが、どこか懐かしい感じがした。誰かに似ている? そう思って記憶を辿ったが、何も思い浮かばなかった。
「君は……誰なの……?」
答えが返ってくるはずのない問いを呟いた。静かに眠る少女の髪に、そっと手を触れた。そういえば、この少女も黒髪だった。そう思いながら、昔を思い出した。
昔は黒は嫌いだった。『人狼』の仕事服は全て黒だった。それに、夜も嫌いだった。夜になると、母がやって来るから。
いつから自分は、黒が好きになったんだろう。そこは思い出せなかった。
今は、夜も嫌いじゃない。闇に包まれるのは、なんだか心地いいとすら思う。きっと母が居ないからだ。
柔らかい黒髪が指にまとわりつき、ロムは悪い事をしている気持ちになった。恥ずかしくなって手を引っ込め、今は安らかに感じる闇の中で、そっと目を閉じた。
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