天底ノ箱庭 春告鳥

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2章 彼は暗闇に差す橙色の日差しが恋しくなりました

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このところ部屋でほどんど、眠るか本を読むかの生活だったのもあり久しぶりの外出は帰るころには足の筋肉が少し筋肉痛のような痛みを覚えていた。
「ただいまー…ってお前のほかに誰もいねえけどな」
先ほど買ったコーヒー豆や食事の後に立ち寄った店で買った生活必需品などが入った袋を持ってキッチンの方へ歩き出す明嵐について回る。…と言っても彼の手にさがったリードが繋がったままなので必然的について回らないといけないのだが、特に抵抗する理由もないので引っ張られないうちに大人しく歩く。
今日は相変わらずお仕置きなどと称した性的暴行に走られそうにもなったが、結局最後まで致されることもなく拒むとそれなりに聞き入れる。…かと思えばきつくしつけるような行為も交えるもんだから結局のところ明嵐という男の扱いはよくわかっていなかった。
俺の立場は性奴隷も当然であると、たかだか性奴隷に好むコーヒーを買ったり容姿を気にしたりするものなのか…。
購入したものを戸棚などにしまい終わった明嵐が思い出したようにリードを外した。
「あ、部屋戻ってていいよ。疲れたろ」
壁工事のリフォームが終わった所為か、屋敷を自由に動いても構わないと思っているのだろうか。明嵐は俺の頭をポンポンと軽く叩くと、今日一日分貯まっていた食器などを洗い始めた。
以前までならこの隙に逃げ出す方法を探したり、このだだっ広い屋敷の散策でも企てただろう。しかし酷い目にあった直後では今から脱走してやろうとも思えず俺は大人しく自分の部屋に向かう。
部屋に戻り胸ポケットから出かける前に持ち出したメモとペンを取り出す。
「今日はこれといった収穫なしか…」
紙には明嵐の隙を盗んで少しずつ書き足した街の地図。隙を盗めず描き損ねた空白を記憶をたどり埋めてから本に挟み棚に隠ししまう。
本や、人々の会話、街の光景…恐らく明嵐の言うここが地下世界であると言うのは信じがたいが事実なのだろう。そうであるなら自分がなぜ地上から地下に、それも奴隷同然の犬として連れてこられたのか、どうすれば帰れるのかを考える必要があった。
「そのためにはまず、地下世界の事をもっと調べないとな」
窓の外はすっかり夜…といっても天井の蛍光灯が消灯され明るさを失っているだけで、本当に夜なのかはわからない。いや、それは俺の暮らしていた地上も同じ事が言えるのだろうが…。
コンコンと扉をたたく音がして振り返る。ノックをしてくるような存在は一人しかいないし、そもそも屋敷にいるのは俺と明嵐だけらしいが。
「お、まだ起きてたん?」
最近妙に機嫌よくこうして毎日寝る前に訪ねてくる光景にも少し慣れ始めていた。
「今日は結構歩いたから疲れたっしょ。…あ、そうだ!グアテマラ飲む?」
とまで話してから明嵐は自分の言葉に苦笑いする。
「つって、寝る前にコーヒー飲んじゃ目ェ覚めちゃうからマズイか。グアテマラは明日だな」
ダージリンといいグアテマラといい、紅茶とコーヒーでもいいだろうに…覚えた単語を積極的に使ってみたい小学生のようだ。
「んじゃあ…夜更かしすんなよ、おやすみ!」
何かするでもなく本当に挨拶しに来るだけ。最初こそ過ごしづらく感じていたこの部屋も、気ままに過ごせれば本もたくさんあるし窓もあってまあまあ快適ではあった。
俺は明かりを消して布団に潜り込む。不自由していないとはいえいつまでもここで過ごすつもりはない。リードやら首輪やらは不愉快だし自由に喋ることができないのも納得いかない。何よりセクハラだ、アレが一番ゆるせない。今日試しに爪を立ててやったらあのざまだ。
思い出し怒りを覚えながら俺は徐々に眠りについた。

地下世界に来て何度目かの朝。ここの天井もだいぶ見慣れてしまったし、起きて夢じゃないかったと落胆することもすでになくなっていた。窓の外をみるとまだ少しほの暗いあたり、いつもより早く目が覚めたらしい。
ふと扉に目を向けると、わずかに扉に隙間があるのを見つける。昨日明嵐が出て行った際に締め忘れたのだろうか。
ドアを少し開くと人の気配はかんじられない、明嵐はまだ眠っているのだろう。
昨日、屋敷の中でリードを外し自由に歩き回れる状態にしたのもあり、あえて鍵をかけなかったのではという考えが頭をよぎる。
「屋敷内くらいは散歩したっていいだろう」
自分にはそう言い聞かせつつ、でもどこか恐れる気持ちもあり無意識に足音を忍ばせながら屋敷の中を歩いてみることにした。
2階にはほとんど犬のために作られたと思われる個室しかなかったし、向かいの廊下には明嵐の部屋らしき場所があった。見つかって怒られる可能性をあまり考えたくないが、一応考慮すれば散策すべきは1階からだ。
1階は昨日見て回って想像できる構造はキッチンとリビング、トイレと風呂にウォークインクローゼット。あと1つ部屋があるが、そこはまだ見たことがない。
俺はそっと開けたことのない部屋の扉を開く。中は暗く、遮光カーテンがしめきられている。埃が舞っていて俺は小さく咳き込む。
部屋の奥に入り、カーテンを開く。部屋の中はシンプルでワンポイントに百合の花があしらわれたような女性らしい家具が揃えられており、ベッドにはぬいぐるみがたくさん置かれている。
ベッドの脇に置かれた棚を見ると少量の本と部屋に似つかわしくない怪しげなものがいくつか飾られている。
それは教鞭によく似た短い鞭であったり、何かに入れて押し広げるために作られたゴツゴツした金属の器具、逆に何かをきつく締め上げる万力のような道具。
「拷問器具…?」
時々小説などで描写されるものと酷似する特徴を持ったそれらに多少の興味もなくはないが、ただの展示品というわけではなさそうな様子に恐怖と嫌悪感も同時に湧いた。
傍に置かれた本の背表紙には「犬を飼うプロ」「調教の正しいやりかた」など嫌なワードが並んでいる。
傍にあるタンスには伏せられた写真立てがあり、俺は少し迷ってからそれを立たせてみる。
「明嵐…?」
写真に並んでいるのは見知らぬ女性と髪が短い明嵐そっくりの顔立ちの男が正装して微笑んでいる。
男の首には首輪がはめられ、そこから伸びるリードは女性の手に握られていた。
男は明嵐にそっくりではあるが、明嵐より少し大人びているようにも見える。気になるものではあったが、あまり時間もないだろうと写真立を元に戻しその部屋を後にした。
俺は足音を忍ばせて階段を上がる。
後調べていない部屋といえば明嵐の部屋とその周辺くらいか…リビングの時計を見ると7時くらいだった。いつも明嵐は同じような時間に食事を持ってきているようではあるが、俺の部屋には時計が無いためそれが何時なのかまではわからない。
そろそろ部屋に戻るべきか少し悩んだが、様子を伺う意味も含め明嵐の部屋があるであろう2階の一角に向かうことにした。
2階のまだ調べていない部屋がある辺りに差し掛かる。以前入り込んだ時には知らなかったが、あそこが明嵐の私室らしい。
先に彼の部屋の隣の扉を開くと、暗がりの中に服やコートがズラリと並んでいる。
「なんだ、クローゼットか…」
さっと目を通すが、めぼしい物は見つからない。
俺は扉を閉じ、隣の部屋を見る。
「なら、次はここか…」
確かこの部屋にはベッドもあったし、明嵐が寝ているのはこの部屋だろう。
もしかしたら既に起きている可能性も加味して音を立てないようにそっと扉を開いた。
中を見ると遮光カーテンで薄暗いが、確かにそこにはシングルベッドがあり、人が丸まっているようなシルエットがある。
中にそっと入るが、人影は動かない。部屋を見渡すと、ベッドは俺の部屋の物より小さく、部屋自体がさっきのクローゼットより一回りだけ広いぐらいのサイズだ。ベッドの上には明嵐が毛布を抱え込むように丸まって寝ている。子供用のベッドなのか、丸まらないと足が落ちそうだからなのかもしれない。
枕元の目覚まし時計は9時にセットされていた。
俺は目覚まし時計の裏側にあるスイッチを切る。これで明嵐が起きる時間は少し引き伸ばせるだろう。
床には衣類が散乱し、本がベッドの下に適当に積み重ねられている。ベッド脇にある勉強机も資料をまとめた形跡があり、筆記用具が散らかったままだ。
勉強机を見るとあまり綺麗な字ではないが、ノートに細かく書き込まれている。内容を読むと犬をいかに従順にさせるか、いかに手懐けるかについてまとめてある。
「(悪趣味だな…でも随分と熱心に勉強してるな…内容が内容だけに、感心はしないが…)」
ノートをパラパラとめくり、机の脇に避けると机が何かで削られたような文字がある。
しかし部屋が暗いだけに読めない。今カーテンを開けるわけにもいかないので避けたノートで蓋をする。
あとは残ったクローゼットだが、前にも1度服を取った時に確認した。一応再度中を調べるが、服が沢山かけられているだけだ。
部屋を出ようとして扉の足元を見てふと気付く。何か金属のようなものが床から飛び出している。
それは鉄棒状のものを無理矢理折ったように先が尖っていて、左右に均等に埋め込まれている。
「(これは俺の部屋にもあった檻の…?)」
なぜこんな所に、それになぜ折られているのか。
部屋を出て再度入口から部屋全体を見渡す。
明嵐の年齢や体格に見合わぬベッドや勉強机、こんなに部屋がありあまってるのにやけに狭い自室。
壁には何かを描こうとしたのか、絵の具が滴ったような跡がある。それは虹のつもりだったのか、7色の色がそれぞれに混ざりあって本来の美しさを失っている。
どこか妙ではあるが、これ以上調べても何かわかるかといえばそうも思えない。
俺は音を立てないように扉を閉じ、自室へ戻った。
自室でサイドテーブルのメモに屋敷の間取りとめぼしい情報をまとめる。
といっても先日のリフォームで屋敷の脱走経路に使えそうな部分は修理されてしまったし、所々壁を補強したような跡も見られた。
恐らく脆くなっていた箇所もまとめて直したのだろう。
「これで振り出しか」
情報をまとめたメモを街の地図と一緒に本に挟んで棚にしまった。特にすることも無くなってしまったので俺は読みかけの本を手にベッドに横になった。
読みかけていた本が読み終わり、窓を見ると外はすっかり明るくなっていた。
小説が思っていたより面白かったので忘れていたが、そういえば腹が減った。
ちょうどその時、廊下から足音が聞こえる。足音の主は明嵐しかいないが、彼はいつものように部屋をトントンとノックして開ける。
眠そうな顔にボサボサの頭で欠伸をしながら明嵐はぼそぼそと口を開いた。
「悪ぃ、寝坊した…。飯食う?」
…そういえば彼の部屋の目覚まし時計を止めたままにしていた。
寝坊したのはそのせいだろうに気づいていないのだろうか。
「ああ…」
返事をしてから、話すのはダメだと言うルールとやらを思い出す。
眠そうな顔でもそれを聞き逃さなかったのか、彼は口元だけでにまーと笑った。
「喋ったな?」
寝ぼけてるからスルーしてくれないかと思ったが…見逃す気はないようだ。
それに対して俺はしれっと首を横に振ってみせた。
「あれ?誤魔化すんだ?正直に言った方がいいよ?」
それでも明嵐は騙されてくれない。
頭も寝起きも悪そうなのに妙に疑り深くて面倒な奴だな…。
俺は明嵐の顔をじっと見つめてからこくりと1度頷いた。
「じゃあこっち来て」
俺の仕草を見て、明嵐は笑顔のままちょいちょいと部屋の入り口の方へ手招きする。
こいつろくな事考えて無さそうだな、なんて思いつつ歯向かうと更に面倒だろうとしぶしぶベッドから明嵐の方へと向かう。
目の前まで来た俺を見下ろして、明嵐は少し首を横に傾げて見せた。
「名前呼んでくれたらなかったことにする」
何をする気かと警戒して来てみれば随分と拍子抜けな要求だ。
ぽかんと彼を見やると「もしかして名前忘れた
?」と怪訝な表情をする。
「…明嵐 幸樹」
呟くように名前を呼ぶと明嵐はまた嬉しそうに笑って、俺の腕を取った。
「んじゃ、リビングで飯にしよ」
リビングで食事に誘われたのは初めてだったし予想していなかったので少し戸惑うが、行動範囲が広がるのはありがたい。俺は上機嫌に歩き出す明嵐に続いてリビングに向かった。
リビングに着くと、明嵐はキッチンへ向かう。手持ち無沙汰なので一緒について行くと、明嵐は冷蔵庫の中身とにらめっこしていた。
「この食材だと…チャーハンかオムライスかな」
そう言ってまた両手を差し出す。
「右手がチャーハンで左手がオムライス!どっちだ!」
この選択方式にも慣れてきた、俺は左手のオムライスを選ぶ。それを確認すると、明嵐は冷蔵庫から卵を取り出して俺に渡す。
「持ってて」
明嵐はポケットから出したヘアゴムで髪を束ねると、エビとケチャップを冷蔵庫から取り出し、肩で冷蔵庫のドアを閉めた。
手慣れた風に着々と料理の手順を進める。思ってたより家事をしっかりこなしている。見かけによらずだが、一人暮らしともなればそういうもんなんだろうか。
ケチャップライスに焼いたオムレツを乗せて包丁で切ると、とろとろのオムライスが仕上がった。
「はい、これ持ってって」
オムライスの乗った皿を2枚とも渡される。明嵐は冷蔵庫から麦茶をだすと、2人分のコップに注ぎ始めた。俺はとりあえずテーブルにオムライスを運ぶことにした。
4人がけのテーブルに斜めになるように皿を並べる。あまり距離が近くていいこともないだろう。
明嵐が後からコップを両手にやって来ると、1つを俺に渡して向かい側へと向かう。
「座っていいよ」
明嵐に言われて自分のオムライスの前に座ると、明嵐は俺の向かいの席に座って隣のオムライスの皿を自分の場所に引っ張った。
「じゃ、いただきます」
両手を合わせて明嵐が言う。
俺のささやかな抵抗をしれっと潰されたようで若干腹が立ったが、全く気にしていない様子を見るに本当に大して気に止めなかったのだろう。
俺も心の中でいただきますと言いオムライスを食べ始めた。
見た目もさながらとろりとした卵もふっくらした感触を失ってないケチャップライスも美味しい。
目の前の凶悪な男の手から生まれたとは想像しがたいが、本当に人は見かけによらないなと感じた。
「…今日から屋敷の中は好きに歩いていいよ」
オムライスを食べながら明嵐が不意に喋る。
「トイレも好きにしたらいいし、いい子にしてるんなら体罰もしない。外出したけりゃ付き合うしさ」
俺は特に反応を返すでもなく、ただ話を聞いているという意味で明嵐をじっと見つめる。
しかし内心は思わぬ転機にチャンスとおもっていた。
部屋に居なくても怪しまれることがないのは都合がいい。
無駄に広い屋敷だ、部屋に居ないところですぐに脱走は疑われないだろう。
この屋敷から出る方法と、地上までの道のりを切り抜ける方法が見つかればすぐにでも地上帰れる…。
「俺、結構お前のこと気に入ってるからさ」
明嵐は笑いながら俺を真っ直ぐに見つめる。
「だから、裏切らないでくれよ」
明嵐の言葉に一瞬思考が凍る。まさか見抜いてる訳ではないだろうが…釘を刺されたようで嫌な汗が流れる。
「じゃ、お互い食い終わったみたいだし、自由行動しますか」
オムライスの皿とコップを重ねて「洗うのはクリフやって」と食器を差し出す。 
「俺ちょっと仕事入っちゃったから自室で電話してくるわ」
食器を受け取りこくこくと頷く。明嵐はその様子に満足そうに笑って俺の頭を撫でてから、2階の私室へと背中を向けた。
それを見送り、俺はシンクに向かう。キッチンの窓は開かないか、換気口など外に繋がりそうな経路が無いか気にしつつ食器を洗う。生ゴミを捨てようとゴミ箱に目をやると、ゴミ箱の裏に銀色の小さな扉が隠れているようにみえた。
ゴミ箱をどかし見てみるどうやらダストシュートらしいが今は使われていないのか金具て扉は閉ざされている。
小説なんかで読む怪盗や脱獄犯がダストシュートを使って…なんて展開はよく見るが…。
金具はしっかりと固定されており扉は開きそうにないが、ドライバーのようなものがあれば開けることは出来そうだ。
洗い終わった皿を感想棚に置き、ドライバーかその代わりになる何かないか周りを見渡す。
「食器の中に使えそうなものがないだろうか…」
食器棚の引き出しを開きフォークやスプーン、ナイフなどの食器を手当り次第に金具のネジに差し込み試す。
スプーンの先をネジにあてがい回してみると少し回しづらさはあるもののネジを緩め金具を外すことができた。
ダストシュートを開き中を覗くと緩やかに下るダクトが繋がっており、ひとまず外には出られそうに見える。子供1人ようやく通れるくらいの狭さで、複雑な気持ちだが俺くらいの体格なら無理すれば通れないこともなさそうだ。
「これがどこに続いてるか…だな…」
中も暗いしそこから外に出られなければ意味が無い。俺は外した金具を元に戻す。もちろんネジは素手で外せる程度に緩く締めた。
屋敷の外に通じる道は見つかった。あとは庭にあるであろう焼却炉と地上に通じる道がわかれば…。
それらを調べるには積極的に出かけるのがいいだろう。
俺は明嵐に外に連れて行って貰おうと彼の自室に向かった。
彼の部屋の前に行くとまだ仕事とやらの話をしているのか話し声が聞こえる。
俺は明嵐に気づかれないように扉に忍び寄り、聞き耳を立てた。
「それは大変でしたね。ちょっとキツめの仕置きを入れといたほうがいいかもしれません」
仕置き?一体何の話を…仕事の話じゃないのか?
「あ、でも野外は出来たんですか!良かったっすね~!息子さんの大きさに彼女驚いてたんじゃないですか?」
部屋の隙間から見ると明嵐は腕時計を耳に当ててウロウロと勉強机の前を行ったり来たりしていた。
「いや、俺実はちょっとあの時お見かけしてたんですよ。人めっちゃ集まってましたね!街の真ん中で公開セックスとかパネエっすわ」
公開セックスだの野外だの…頭の中でこの屋敷に来る時に見かけた犬を強いられていた女性のことを思い出す。
「はい…はい…なるほど。じゃあ媚薬お譲りしましょうか。お宅までお伺いして、効果的な使用方法お伝えします。俺がやるより、飼い主さんがやった方が本当は効果的ですしね」
明嵐はベッドに座り、しばらく応答を繰り返す。
「分かりました。じゃあ5日後にお伺いします。よろしくお願いいたします」
今のが本当に仕事の話なのならろくでもない…いや仕事じゃなかったとしてもとんでもない話だ。
あの悲しげな女性に仕置きをしたり、媚薬を使うことを提案するなんてまともな人間のすることか。
きっとあの彼女も俺と同じように性欲処理用の犬としてどこからが連れてこられ、望まぬ性行為などを強いられているのだろう。
俺は今は比較的自由に行動しているが、ここに来た初日のことを思えばいつまた、あのように使われたっておかしくなかった。
「(5日後…)」
今の話を聞いていると、恐らく明嵐は5日後に電話の相手の元を訪れるため家を離れる。
それまでに作戦をきめよう。可能な限り信頼度を勝ち取り、この屋敷に1人になれる状況を作れれば…逃げ出せるかもしれない。
再び部屋を覗くと明嵐はあのままベッドに横になったようだ。
遠慮がちに戸を開くと明嵐は寝転んだまま首だけをこちらに向け俺を見る。
「んお…?」
バッと起き上がると明嵐は何故かちょっと気まずそうにベッドの前に立つ。部屋の中を見られるのが照れくさいようで、俺から部屋を隠すように早足でどんどん近づいてくる。
「ど、どした?」
外に…と言いたいところだが紙とペンを持って来るのを忘れてしまい肝心なことが伝えられないことに気づく。
少し考えてからふとあることを思いつき不思議そうな顔をしてる明嵐に近づきポケットをまさぐる。
「え?なに?なに?」
驚いてばかりの彼のポケットの中からリードを引っ張り出して手渡す。明嵐は少し呆気に取られたような顔をしたが、笑って俺の肩を掴んでうなじの方へと身体を回す。
「外出か。まだ昼だし遊び行こう」
リードを首輪に付けてもらい、少し明嵐を引っ張るように玄関へと向かう。脱出経路の目処は着いたが、あの厳重そうな扉はどうやって開けているのか知っておいて無駄ではないだろう。
明嵐は玄関まで行くと何やらパスワードを入れ、更に手のひらをスキャナーに当てて認証させる。
パスワードはともかく、指紋認証式なのは厄介だ…やっぱり出るとしたらあのダストシュートか。
庭に出ると明嵐は「今日はどこに行く?」と俺に聞いてくるが今日の目的は街ではない。
庭の散策と焼却炉を調べたいところだがこのリードで繋がれた状態でどう調べたものか…。
悩んでいると明嵐は「あ!」と何かを思いついたのか俺の手を引いてガレージの方へ歩き出す。
ガレージのシャッターをスイッチで開けると、中から赤いスポーツカーと黒い大型バイクが姿を見せる。
明嵐はスポーツカーの頭を軽く叩いて俺に笑って見せる。
「行く宛てないならクリフの新しい服買おうぜ!ちょっと遠いから乗りなよ」
今日は街より庭を調べたいというのに…しかしここで拒むのも不自然だし、庭を調べるいい口実も思いつかない。
仕方ない、今日は庭は諦めて地上に繋がる道を探そう。明嵐の言うまま俺はスポーツカーの助手席に乗り込んだ。
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