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1章 最高にイカれた誕生日

【第7話】7月6日 22時55分

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工事跡に着くとあたりは静まり返っていて、やはり金成がカポエラを練習している時のような雰囲気はなかった。

最後の宛てまで外し、俺は途方にくれた気持ちで廃墟同然のその中で力なくしゃがみこんだ。

こんなに探しても、どこにもいないなんてことあるか?それとも、単純に俺の心配しすぎで、金成は実はしれっと家に帰ってたりする?そうであって欲しい。

仕方ない、一旦帰るか…。俺は大きな溜息を吐いてから立ち上がる。振り返ると、よたよたとおぼつかない足取りで歩く人影が目に入った。割れた天井の隙間から差し込む月明りに薄っすらと赤い髪が照らし出される。俺は目を細めてその人影によくよく焦点を合わせる。

「金成…?」

金成にしては、服が見慣れない色をしている。金成は薄いピンク色の女子っぽいパジャマを来ていて、一瞬あんな服持ってたのかと驚いたが、よく見るとズボンをはいておらず、白地に控え目なレースに縁どられたパンツがパジャマの裾から見え隠れしている。

「おっ!?ちょ、ちょちょちょ、お前ど…っ!?ズボンどうした!?何があったんだ!?」

もうパンツ丸出しの時点で事件の予感しかしない。金成の傍に駆け寄り、両肩を掴んで控え目にゆすった。

「さなぎ…?」

金成はまるで、今の今まで気づかなかったと言いた気な驚いた顔で俺を見る。いつも笑ってるかニヤけているかの二択で構成されているはずの金成の顔は、青とも白ともつかない色をしていて、濁った虹彩はゆらゆら揺れて定まらない。

俺を見ているようで何か別のものを見ているようなその目を細めて、金成は呂律の回らない口を開く。

「どう…した?こんな…とこで…」

「そりゃ俺の台詞だわ!大丈夫か?とりあえず帰ろう、歩けるか?おんぶするか?」

立っているだけなのに、ずっとユラユラしている金成に背を向けて俺はしゃがむ。こんな危ない状態で外は歩かせられない。

「ほれ、乗っとけ乗っとけ」

金成は俺の肩をするする撫でると、首にまとわりつくように腕をまわす。そのまま乗るのかと思いきや、金成の手は俺の首元から服の中へ滑り混むように侵入してきた。

鎖骨を撫でられ、俺は驚きで身体が跳ねる。な、なんか変だぞ…。おんぶでこんなに人から身体を撫でまわされることあるか?いや、ないだろ。

「お、おい、どうしたんだよ…早く乗っとけ?」

「咲凪…」

金成は相変わらず手で胸元を撫でながら俺の背中に身を寄せてきた。しかし、おんぶのためと言うよりはもたれ掛かるように体を密着させて、膝は地面に着いてしまっている。

首に回された金成の腕に力が込められると、柔らかいものが身体に当たる。

そんなもの金成にはないと思っていた。ないと思っていたかった。だけど、俺もさすがにここでその感触の正体にずっと気づかないほど馬鹿ではないらしく、無意識に身体が強ばった。

変な雰囲気を感じつつも、俺は全力でその思考に蓋をする。今の金成、ちょっとおかしいし、足元おぼつかないし、どっかで酒でも死ぬほど飲まされてきた可能性だってある。まあ、こんなこともあるある。背中から伝わってくる情報を俺は知らなかったことにする。

「咲凪…こっち見て…」

「なん…」

名前を呼ばれ、返事を返そうとした俺の首元に金成が顔を埋める。何事かと思いきや、金成が俺の首を食んだり舌を這わすのが分かって、全身から変な汗が噴き出した。

鎖骨辺りを撫でていた手はするすると奥へ入ってくる。胸の筋肉を指でなぞられ、いよいよ違和感が無視できなくなる。

「待て待て待て待て!ど、どうした!そんなとこ触らんくても乗れるだろ!」

服の中へと入ってくる金成の手を引き留め、無理やり外へと引っ張り出す。引っ張り出すが、負けじと金成の手は俺の手を払いのけ、再び中へと侵入してくる。肌を撫でられるたびに鳥肌が立って、身体がザワザワとした。

「だー!やめろって!」

全身に集まってくる熱のどうしようもなくなって、俺は思わず金成を払いのけて立ち上がる。ただでさえフラフラだった金成は、俺の勢いに負けてその場に尻もちを着いた。

しまった、フラフラだからおんぶするって話だったのに、俺が突き飛ばしてどうすんだ。俺は慌てて金成の前に膝をついた。

「わ、悪い…驚いてよ~…」

「逃げるほど嫌なの…?」

涙で潤んだ目と、赤くなった頬。金成と目が合って、思わず俺は息を呑む。今にも泣きそうな顔で俺を見上げる金成は明らかにいつもの金成ではなかった。

女の子だ、と思った。ずっと喧嘩ばかりしてきた男友達は、そこにはいない。

「私、咲凪のこと好き…ずっと好きだった」

震える声で目の前の女の子が言った。俺は口を中途半端に開けたまま、黙り込む。

なんでだか分からない。彼女に告白されている事に、俺はあまり驚いていなかった。むしろ、ついにこの時が来てしまったのかとすら思っていた。

フラフラとおぼつかない足取りで立ち上がり、そのまま倒れ込むように俺の体を抱きしめる。はだけたパジャマからは筋肉質なのに細くて丸みを帯びた肩が覗いていた。

金成の身体がこんなに柔らかくて暖かいなんて、知りたくなかったと心のどこかで思った。

「…ごめん」

金成の肩を掴み、俺は優しく自分の身体から引きはがす。金成の顔を見ると、ゆっくりと開いた瞳に俺を映した。

「なんていうか…俺は、お前と友達のままでいたい」

金成とはずっと友達だった。他の何にも変え難い戦友だ。だけど、彼氏とか彼女とかの枠組みに入ったら、その関係がなくなるかもしれない。

明確な言葉は出てこない。嫌だって気持ちだけは分かる。俺は金成とずっと今までの状態でいたいのだ。

「…知ってる」

金成の声は笑っているのに震えていた。声だけじゃない、金成の身体自体が震えている。

泣かせてしまったのだろうか。俺は金成が泣いてるとこを見たことがないから、困惑して口を結ぶ。

なんて慰めればいいんだろうか。さすがに今回の原因は俺だろ。

そうやって黙り込んでいると、金成が傍に落ちていたガラス片を拾い上げた。それを上にかざすと、俺に向かって勢いよく振り下ろした。

ブツッと胸元に嫌な生暖かさを感じて、俺は金成を見たまま目を見開く。

恐る恐る、胸元に手で触れた。自分の身体を見下ろすのが怖くて、先に触れた自分の手の平を確認した。

手の平にはべったりと粘り気のある赤い液体が付着している。その光景に少しずつ俺の呼吸は速くなり、手が震えた。

「か…んなり?これは…?」

俺は笑顔を引きつらせて、目の前の金成に問いかける。ジワジワと胸のあたりが痛み始める。まだ軽い痛みしか発さない俺の身体は、まだ事の重大さに気付いていないようだった。

「知ってる…咲凪が私の事、女だと思ってないのは」

笑ってるのか泣いてるのかわからない。せぐり上げる金成の体から、次から次へと巨大な針が生えて来ている。信じ難い光景に、俺はただ目を見開くことしか出来ない。

「咲凪…お願い…」

血の着いたガラス片を手に、針だらけの金成がフラフラと近づいてくる。どうしてこんな状況になっているのか理解が追い付かなかったが、とりあえずこのままではいけないと反射的に俺は立ち上がろうと床に手をつく。

ズルリと手の平に付着した大量の血液で手が地面を滑る。仰向けでひっくり返るように、強かに背中をうっているところに金成が跨り、俺を見下ろした。

「…受け…入れてよ」

金成は俺を見ているようで見ていない。それでも振り上げたガラス片が向かう先は容易に想像がつく。

「金成!」

細長いナイフのようなそのガラス片を手で受け止め、押しかえす。ガラスの淵が手の平に食い込み、鋭い痛みが走る。握らないと身体に刺さる。握ると手のひらに刺さる。どう転んでもそこには痛みしかない。

「やめろ、金成!お前も手ェ怪我すんだろ!」

突き刺そうとしてくる金成の手の平もズタズタだ。ガラスを伝って、金成の血が流れ落ちてくる。ただでさえ滑りやすいそのガラス片に互いの血が付着し、ますます滑る。

「ぐっ…!」

痛みに怯んでいたら終わらない。俺は全力でガラス片を握って、無理やり金成の手から奪い取る。血まみれのそれを床に投げた。

「どうして…認めてくれないの!」

金成は針だらけの両手で俺の首を締めようと手を伸ばす。すかさず俺はそれを自分の両手で迎え撃った。

互いの手を結ぶように取っ組み合う。金成の手の平にも刺が生えており、その針が俺の手を貫通する。互いの血液が混ざりあい、ぬるぬるとするのに、針で縫いつけられて離れることも出来なかった。

「結さんみたいな女の子になろうともした!でも咲凪は!!いや…そんなこともうどうだって…もうどうだっていい!!」

前髪の隙間から見えた金成の目は血のように赤黒く濁って焦点が合っていない。声を荒らげたかと思えば、尻すぼみに小さくなったりと明らかに様子がおかしかった。

この異常な行動と状況は、普通に暮らしているだけなら起こりえないはずだ。

「何言ってんのか分かんねえけど、いいから早くどけ!一緒に帰るぞ!」

無理やりにでも連行して、金成を病院に連れて行かないとだめだ。そしたら、警察に言って事情を説明しないと。

そう考えているうちに、今更のように身体が怪我の重大さを理解してきてしまったのか眩暈がしてくる。自分の呼吸が耳の中で反響して、ぜえぜえとうるさい。

身体が熱い。まるで風邪を引いた時みたいだ。全身に鳥肌が立って、夏なのに空気が寒くすら感じられた。

「いつかお前の隣が私じゃなくて、もっと可愛くて女の子らしい女の子が歩くんだって思ったらさ…耐えらんない…このままずっと咲凪の親友やっててもいつか奪われんだ…可愛くてふわふわひらひらの女の子に!!」

「なんで、そうなるんだよ…」

腹に跨っている金成の足が柔らかくて、暖かい。寒いから、もっとくっついていたいと思った。触れあっている手の平がジクジクと熱を持つ。

「そんなこと言うのは、金成らしくねえだろ…お前はそんなこと気にするような…奴じゃ…ないし…」

視界が小刻みに震える。焦点が定まらない。

なんだか凄く腹が減った気がする。あんなに沢山食べたのに、胃袋デカくなったんだろうか。

「私だって…女の子になりたい」

両手を繋いだまま金成の体がゆっくりと前に倒れる。金成の体から生えた針が腹や胸に刺さって痛いはずなのに、不思議と体が痛みを認識しない。

むしろ、金成と一体化するようなそれに安心感のようなものがある。心臓の鼓動が早くなっていく。

お腹が減った。何かを口に入れたい。全身が乾いて飢えていく。俺は金成の手を握って、もっと傍へと引き寄せた。

金成の身体に生えた針が、どんどんと奥へと入り込む。身体中に空いた穴から血が流れ出ていく。その傷口は確かに痛かったはずなのに、激痛に至る前に熱を発するような気持ちよさへと変化していった。

この全身に鳥肌が立つような、ゾワゾワとした快感はなんだろう。ランナーズハイとも違う。呼吸が上がって、頭がボーッとしてくる。このままでは死ぬと分かっていても、その状況に俺は妙な興奮を覚えていた。

「これ…このままだと、俺たち死ぬんじゃねえの…?」

朦朧とする意識の中で、辛うじて俺は言葉を発する。本当はもう少しこのままでもいいなと思ったが、一握りだけ残った理性がそうはさせてくれなかった。

「私は最初から死ぬつもりだったよ。でも咲凪が来てくれるなら一人より二人がいいな…一緒に死のうよ、咲凪」

金成は俺の手を離し、血まみれの手で首にしがみつく。金成の荒い息が暖かくて、やけに色っぽく感じた。

針で縫いつけられたままだった俺の手から針が抜け、手に自由が戻る。俺は仰向けに寝転がったまま、地面を撫でた。

指先が冷たい物に触れる。先程、金成から取り上げたガラス片がそこにあった。

「俺と死にたい?」

口から乾いた笑いが漏れた。上から金成が俺を見下ろして、恍惚とした笑みを浮かべる。

「咲凪とがいい」

「…そこまで言うなら、しゃーねえな…」

俺を殺せば金成は殺人犯だし、こんな様子の金成を残していくなんて、俺が心配で浮かばれない。

心中願いなら、もう受け入れる以外に選択肢はないだろう。そして、受け入れるからには俺も綺麗に金成の息を止める義務がある。

右手にガラス片を握り、俺は金成の身体を突き飛ばす。俺の上に乗っていた金成はあっさりと仰向けに倒れた。

重たい身体を引きずるように起き上がる。金成の上に覆いかぶさるように跨ると、期待するような笑みで両腕を広げた。

その様子が美味しそうだなあと思った。飢えて仕方がなかった何かを満たしたくて、俺は片手に握ったガラス片を振り上げる。

「地獄に行っても、また一緒に遊ぼうぜ」

笑う俺の下で金成は怯みもせず、両腕を広げたまま目を閉じた。

ガラス片で何度も何度も金成の身体を貫いた。身体を動かすたびに自分の身体から血液が漏れ出すたびに、痛みの代わりに頭が飽和しそうな快感が身体中に走る。

ガラス片がちゃんと金成の心臓に届くように、ちゃんと殺せるように、俺は場所を変え、深さや角度を変え、何度も繰り返し刺し続けた。

金成の体から生える鋭い針も絶えず体に突き刺さる。

時々苦しそうに呻いたり小さな悲鳴すら、食べているわけでもないのに美味そうだと思った。聞くたびにどんどん腹が減る。金成の薄い身体をガラス片で突き刺すと、その飢えが少しだけ満たされた。どんどんと滲んだ血液で金成のパジャマはピンクから真っ赤に染まっていく。

空腹が消えてなくなる頃になって、自分の身体から熱が引いていくのが分かった。俺はガラス片を床に放り、金成の横へと倒れこんだ。

金成は遠くを見たまま動かない。重たい身体を引きずって、俺は金成の身体を抱き寄せる。まだ暖かい金成と自分の身体の間で生暖かい血液が混ざり合い、地面に血だまりになって広がった。

気が遠くなっていく。酸欠で震える両手で金成の身体を抱きしめると、金成の身体の針がまた俺の身体を縫い繋ぐように全身に食い込んだ。

天井の隙間から赤い月が見える。どこからか現れた蝶が月の明かりに誘われるように空を舞う。赤い羽根が、金成の髪の毛みたいだと思った。

生暖かい血溜まりと、柔らかい金成の身体が気持ちよかった。目を閉じたら、まるで布団で眠るように意識がすぐに途切れた。
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