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4章 ジャグラック デリュージョン!

【第20話】7月7日 23時50分

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「なんとなく、ほっといてはくれないと思ってたけどな」

俺と一緒に体を起こしたマリアが少し残念そうに笑いながら立ち上がる。初めてエデンに来た時にYシャツパジャマに白いパンツという刺激的な恰好だったが、立ち上がったマリアもズボンを脱いでしまったせいで似たような恰好になってしまっている。今回は薄水色のレースと小さなリボンが付いた可愛さに拍車のかかったパンツをお召だ。

「ちょ、ちょちょちょ!ズボンズボン!!なんつー恰好でおま…っ!」

「まだ現実逃避してるのか。そこに金成さんがいるつもりなのかな?」

火継にはマリアの姿が見えていないようで、相変わらず彼はマリアのあられもない姿に目もくれずに俺を見つめている。

「しかも、なんだかやらしい妄想を抱いているようだしな…多感な時期なのは分かるけど、それなら現実で好みのDVDでも買うといい。お小遣いなら用意するから」

「あーーっ!」

もうやだ!何も伝わらないし、自分が火継にめちゃくちゃ恥ずかしいことを言ってしまっていた事実に俺は頭をかきむしる。そのまま俺もベッドから立ち上がると、マリアの手を引いて窓を開く。

マリアを両腕で抱き上げる。咄嗟にいわゆるお姫様抱っこの状態になったのだが、腕の中のマリアが少し恥ずかしそうに視線をそらしながら首に腕を回してきた。

そのまま窓枠に足をかけ、外へと身を乗り出した。

「咲凪!逃げるな!はやく現実に帰れ!」

「うるせー!俺は楽しく自由に生きてえんだよ!」

そのまま窓から飛び降りる。ここは2階だから大した高さではない。マリアを抱えたまま地面に降り立ち、俺はマリアを抱えたまま走り出す。

「ちょ、咲凪!私自分で走れる…!」

「そんなパンツ丸出しで走られたら俺の気持ちが辛いから許さん!」

もう抱っこしている俺の手がマリアの尻にがっつり触れてて、それはそれで辛いが、目の端であの小さな水色がチラチラされるのも集中力が死にそうだ。みんなに見えていないという事実を今のではっきりと認識できたが、俺からは見えているのだからそうなっても仕方ないだろう。

背後で爆音がし、マリアの家が燃え上がる。熱風が追い風のように俺たちの背中を押す。

「なんでいつもいい子に出来ないんだよ」

火継が小さく溜息を吐くと、全速力で追いかけてくる。今まで兄弟で追いかけっこなんかしたことなかったが、思っていたより火継の足が早くてホラーゲームに負けないドキドキ感がある。

「お前、俺の一部なんだよな!?俺が空飛んだら一緒に飛べるか!?」

「えっ、そりゃまあ…」

「よし、じゃあ飛んで逃げるぞ!」

走りながら俺は身体を蛾の群れへと変貌させていく。足先からバラバラと散らばり、そのまま群れでマリアの身体を空へと押し上げていく。空中へと逃げていく俺を見て、火継は走るのを止めて俺たちを見上げた。

「どこ行くんだ!帰ってきなさい!」

あんな厄介な能力を持っているのだから、追いかけてくるものかと思っていたが、どうやら機動力は俺の能力に劣るらしい。それ以上、追いかけることをやめた火継を見ながら、俺はそのまま空を飛んで遠くのビル群へと向かった。

背の高いビルまで来ると、屋上でマリアを降ろして俺は蛾を集合させる。足から人の身体へと形を形成。俺は屋上の縁へと腰を降ろした。

「あー、危なかった」

「便利な力だなーそれ」

盛大な溜息を吐くと、マリアは感心したように残った数匹の蛾を目で追いかける。

俺の力は蛾にまつわるもの全般が使えるのだろうが、火継の能力は火葬にも勝る業火だ。俺の蛾を全て焼き払われてしまえば、俺の身体は再生しようがない。相性は最悪なんだろう。

エデンで死んでも俺は現実で目覚めるだけだった。つまり、殺されたところで現実の俺は死なないし、ここから追い出されるだけ。現実で俺に生きることを強要しようとする火継は、全力で俺を殺しに来るだろう。

「でも、マリアの部屋には急に入って来たくせに、どうして空はダメなんだろなアイツ」

俺が蛾を使ってテレポート出来るように、火継も何かしらのテレポートを持っていてもおかしくない。実際に結が美人局をしていた時に突然どこからともなく現れた。

「何か条件があるのかもな。火継さんの能力が炎なら、火にまつわることとか…」

真剣な表情で思考するマリアだが屋上は風が強く、Yシャツがなびくたびにパンツがチラチラと見えるのが非常に気になってしまって、つい目で追ってしまう。

「てか、ズボンなんとかせん…?」

「別にみんなに見えないし大丈夫だよ」

「俺には見えているのだが…」

少し恥ずかしそうに頬は染めるものの、あまり気にしていないといった様子のマリアに、俺は肩をがっくりと落す。

「非常事態以外でその恰好してたら襲うから覚悟しとけ?」

「なるほどね、襲われたい時のために覚えておく」

「だー!そういうこと言う!」

茶化したつもりがマリアの方が一枚上手だった。俺は赤くなる顔を背けて、屋上から下を見下ろす。

遠くまで逃げて来たつもりだったが、下はどうやら嫌な記憶が沢山つまった新宿の歓楽街のようで、ここはラブホテルの屋上らしい。とりあえず、マリアの家からは結構離れていることに変わりはない。俺はマリアの手を引いて、屋上の扉を開いた。先に広がっているのは味気ない薄汚れた階段だけが続いている。どうやら非常階段のようだった。

「なあ、マリアはラブホ好き?」

「あえ!?何、急に…」

「前に一緒に来た時は俺の妄想の産物だったし、なんならマリア燃やされて悲しい思い出しかないけど、せっかくまたラブホ来たんならデートの一つや二つしてく?って思って」

いつ火継が来るかも分からないが、俺がここにいる目的はマリアと一緒に過ごすのが主目的なわけなので、危ないからってデートしないってのもどうなのかと思うわけだ。

「前にSFっぽい部屋好きって、俺の頭の中では言ってたけど、どんなのが好きなのかなーとか。ロビー行って、改めて部屋買うのもいいんでね?」

「そ…そりゃまあ…デートしたい…私もあの辺はあんまり記憶ないし」

「よし、決まりだな」

照れたように視線を泳がせながら口ごもるマリアが可愛い。俺は彼女の手を引いて、そのまま階段を降りた。

階段を一階だけ降りると、ホテルの内部に入れそうな扉を見つける。全部階段で行くのも面倒なので、そこからホテルの廊下へと入ることにした。

中は薄暗く、西洋風のお洒落な照明が点々とつけられている。煌々と光る番号を掲げた部屋は使用中の合図。中世の城をモチーフに作られているらしい、テーマパークの一角にありそうな廊下をマリアは興味深そうにキョロキョロと眺めていた。

エレベーターを呼んで、二人でそれに乗り込む。俺たちはずっと手を繋いでいたが、気付いたら二人して手が熱くなっていて汗ばんでいた。緊急事態が過ぎ去った今の状況になって、また急に緊張してきたのかもしれない。

ロビーにたどり着く。きわどい恰好をしているマリアを連れてロビーに行くのは正直ちょっと他の人に見せるようで嫌なのだが、他には見えないらしいので妥協する。タッチパネルの前へと連れて来ると、マリアはテーマパークを前にした子供みたいに目を輝かせて空室リストを食い入るように見つめていた。

「どれにする?それとも他のホテル行く?」

「このアリスみたいな部屋もいいし、ここの天蓋付きベッドも捨てがたくて…!」

前に連れてきた時はSFとか男趣味なものを選んでいたが、今のマリアが悩んでいる部屋はどれも女の子らしい部屋ばかりだ。いかに自分の脳内で彼女を男扱いしていたかを思い知ると同時に、ギャップが凄くて心臓が痛い。可愛いがすぎると思う。

「じゃあ、ほら、こっちなんか人魚姫風のやつもあるぞ」

「ほ、ほんとだ!うわー!選べない!!」

「ジャンケンで決めるか?俺が勝ったらアリスで、お前が勝ったら人魚姫とかさ。天蓋のやつがいいか?」

「もうその時点で悩むんだが!詰んだかもしれん…」

面白いくらい真剣に悩んでいるマリアに俺は笑う。ここまで楽しんでくれるなら、提案して良かった。

そんなことをしていると、不意に背後の自動ドアが開いた。

チラと背後を振り返り、俺は驚愕で二度見する。そこに立っていたのは、やつれた中年男性の腕に巻きついている女性。栗色の綺麗な髪をした、ふわふわヒラヒラな彼女は俺を見て目を丸くした。

「さ、咲凪くん…?」

「うわ、マジか!結なんでここに…」

そこまで言ってから、俺は先日の出来事を思い出す。結はトラウマ克服のために美人局をやっている。つまり、新宿の歓楽街は彼女の絶好の狩場であり療養所のはずだ。

いくらホテルが多いとは言え、所詮は狭いホテル街での話。鉢合わせする可能性がそんなに低くないことくらい気付くべきだった。

「え、なに…?もしかして、美人局なんじゃ…」

中年男性がおずおずと結から離れる。そんな男性に脇目も振らず、結は鞄からスマホを取り出して素早くコールする。

「おい!やめろ!」

相手は絶対火継に決まっている。結を止めようと飛び掛かり、結とスマホの取り合いになる。

「ダメだよ!火継にこれ以上心配かけたらダメ!」

「知るかよ!俺は好きに生きてえだけなんだよ!」

手の中でスマホのコール音が鳴る。なんとか通話を切ろうとスマホを掴み上げるが、結も負けじと追いすがる。

3回のコール。そのままスピーカーから電話を取る音が聞こえる。

「もしもし?結?何があったの?」

スマホからはうっすらと火継の声が聞こえる。結と俺の手からスマホが滑るように飛び出す。そのまま地面へ落ち、カラカラとロビーの奥へと滑って行った。

「火継!咲凪くんがここに!」

スマホを追いかける結を、俺はブラウスを無理やり引っ張って引き留める。結はその場に転んで膝を折るが、それでも床を這うようにスマホへと向かう。

「火継ー!たすけてえ!!」

マリアが慌てて床に転がったスマホを取り上げて通話を切る。一連の流れを眺めていた中年男性は何か変な事件に巻き込まれたと思ったのか、走ってホテルから出ていった。

「助けてってなんだよ!変なことしてないだろ!」

「だって私のスマホに蛾が…!」

地面に座り込んだままマリアが拾ったスマホを半泣きで指さす。マリアは苦笑いで複雑そうだ。

前にエデンから追い出された時もそうだったが、どうやら他人から見るとマリアは蛾に見えるようだ。俺の身体の一部ってことなら、それで仕方ないのかもしれないが、こんな可愛い彼女を蛾呼ばわりされるのは正直微妙な気持ちになる。

「いや、火継呼ばないならスマホ返すから…」

マリアにスマホを返すよう手を出しながら言うと、不意に結がポケットからジッポライターを取り出す。

棺桶の模様が描かれた黒くて立派なジッポライター。見覚えがあって、嫌な予感がした。

「やめろ!」

俺の言葉も虚しく、結がジッポライターに火を灯す。火が着いたそれを俺に取られないように、結はすぐにそれをロビーへと可能な限り遠くへと投げた。

ジッポが地面に落ちる。その瞬間、そこから炎が巨大化するように大きくなり、人型を形成していく。

「火継ー!」

半泣きのまま結が炎から出てくる火継の名前を呼ぶ。その場に現れた火継はネクタイの位置を正してから、俺の元へと駆け込んでくる。

その表情はいつもの涼しい顔ではない。殺意が漏れ出す鬼気迫る表情だ。火継のその表情を俺は今まで見たことがない。色々勘違いさせているのだろうが、これは相当怒っているに違いない。

火継の拳が顔面に飛んでくる前に、俺の顔面を蛾にしてバラす。火継の拳が俺の顔をすり抜けたのを確認し、俺は膝蹴りで火継の腹にカウンターを入れた。

膝に手ごたえがあり、上手く膝が火継に腹に食い込んだ。火継の口から小さなうめき声と息が漏れる。それでも体勢を崩すことなく、彼は地面に踏ん張ると、前蹴りを繰り出した。

「もうその手は食らわねえぞ!」

俺はその場から霧散し、火継の背後を取る。そのまま彼の肘でヘッドロックを掛けると、火継はギリギリと俺の腕を掴んで引きはがそうと抵抗する。

「咲凪…結に何をした…」

「何もしてねえし!」

俺に首を締め上げられたままギリギリとこちらを振り返る火継に、俺は慌てて言い返す。

いや、ブラウス引っ張って転ばせたり、スマホ取り上げたりはしましたけども!そんなに怒られるようなことはしたつもりはない。

マリアも慌てて結にスマホを返そうと、小走りで彼女に近づく。

「いやー!!来ないで!!」

マリアが蛾に見えている結は、真っ青な顔で座ったまま後ずさるようにマリアから逃げていく。どうやら結は相当、虫が嫌いなようだった。

「その気持ちの悪い能力を引っ込めろ!」

火継が結の様子に声を荒げ、指先をジャケットで擦り上げた。火花がパチパチと空中に舞い、俺の腕が業火で燃え上がる。

「ぐぅ…!」

自分の腕だと認識していると、酷い痛みが走る。それをすぐに蛾に変えて神経を取り除くが、燃えた箇所は塵となって空気中に消え失せた。両腕とも肘から下を失ってしまったが、左腕の残りを右腕に移動させると、片腕分の質量にはなった。左腕を肩から失ったまま、俺は作り直した右手を閉じたり開いたりして動作を確認する。

咳き込みながら火継も立ち上がると、俺を睨みつけた。

「なんでお前はいつも僕の言うことを聞かないんだ…。僕はずっとお前を守ってきただろう?結も守りたい。みんなを守りたいだけなのに、言うことを聞かないどころか邪魔ばっかり…」

「こちとら守ってくれなんて一言も言ってねーんだわ!」

確かに俺は火継を親のように思っていた。守られてきたし、それで助かったことも多い。金銭面に至っては本当に頭が上がらない。

だけど、俺が全部やってくれって言ったんじゃない。火継が勝手にやっただけだ。

「結だって蛾が嫌いなだけだろ!そんな目くじら立てることじゃねーだろ!」

「結は心に傷を負ってるんだ!療養しているんだから、邪魔しないでくれって言ってるんだよ!」

「蛾ぐらい一人で叩き落とせるくらい強くなっといた方が生きやすいだろーが!蛾の一匹や二匹で死にそうになってたら、結も兄貴がいないと何も出来なくなっちまうだろ!」

火継がやっていることは、俺から見ると少し過保護すぎるんじゃないかと思う。マリアなら蛾でもゴキブリでも頑張れば一人で返り討ちできるだろ。

「僕はずっと結の傍から離れないからいいんだ」

火継が指先で手の甲を擦る。火花がチカチカと点滅し、俺の目の前が燃え上がる。

「お前もだ、咲凪。僕は大事な人を守るよ。本人が何と言おうと、それが僕の考えた幸せの形だ」

火花を食らった俺の身体が燃え上がる。メラメラと灼熱の炎で焼かれ、生皮を剥がされるような信じられない痛みが全身を覆っていく。息が苦しい。肺が焼け落ち、喉が開かれていく。

神経をそこで分断し、俺は蛾となってその場に霧散するが、それを追うようにさらに火花が飛び込んでくる。どんどんと俺を形成する蛾が減り、体積がなくなっていく。

「よく燃えるね、さすが虫だ」

火継がいつもの涼しい顔で俺を見る。文字通り虫けらを見るような顔だ。

その火継の背後からマリアが駆け込んでくる。すっかり油断していたのか、マリアの腕が火継の胸元へ回り込む。驚いたように火継はマリアに振り返ると、マリアは火継のことを不敵な笑みで見返して力いっぱい抱きしめた。

その瞬間、マリアの身体から無数の刺が飛び出す。その刺が火継を貫き、彼は口から血を吐き出した。

「火継!?」

この光景が結達にどのように見えているのかは分からないが、青い顔で悲鳴を上げ駆け寄ろうとする結を火継は手の平を突き出して止める。来るなという意味なのだろう。

「なんだ、その力…」

火継が歯を食いしばり、なんとかマリアの攻撃を耐えしのぐ。指の先を擦って火継が火を起こす。

「うっ…!ああああ!」

マリアの姿が業火にまみれ、彼女の苦しそうな声と共に塵になって空気中へ消えていく。名前を呼びたかったが、もう身体が残っていない俺に声帯はなかった。

マリアの姿が消失すると同時に俺の意識も朦朧としてくる。辛うじて空を飛んでいた蛾の翼が動かなくなり、俺は地面へと落下していった。

マリアと俺は一心同体。俺もマリアも消えれば、俺たちの意識は一緒になくなるのだろう。

「いいか…まっとうに生きるんだ、咲凪…」

身体中から血を流しながら、火継が地面に落ちる俺を見下ろした。

「もうここに来るな。何度でも僕はお前を追い返すよ。死んだ女のことは、早く諦めて日常に帰るんだ」

頭上から火継の靴底が迫る。真っ暗になった視界の中で、ブチブチと自分の身体が踏みちぎられる音が聞こえた。
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