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刀剣が持つ魔性

第12話『魚沼宿の刀屋』

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 桶狭間の昔より、道々には様々な店舗が栄えていた。人通りあるところには必ず飯屋と宿があったのはいうまでもなく、現代の常識を越えて当時の人間が逞しく銭を稼いでいたことを実感する。
 北国を旅した僧侶が行く先々で使った銭をメモしていた書物が残っている。『永禄六年北国下り遣足帳』という。旅籠一泊四〇文、昼休みに酒を含めて四八文と、細かく記されている。
 無論、刀屋とて各地に存在した。当然である。刀刃槍矛、武具の類いを扱う店がなければ武士の面目が成り立たないからだ。

 宗章が案内された店も、そのうちのひとつだ。
 屋号は『筧屋』とある。老舗の様相である。店の上がりかまちに腰を掛けながら、老爺と――隠居した店主と話している。

「馬は裏に繋いでありますよ」
「かたじけない」
「真田さまには図々しい御仁であると伺っておりましたが」
「伝わるのが早いな」
「鳩を知っておいでかな」

 真田が古くより鳩の帰巣本能を利用し伝書を駆使していたのは有名な話である。宗章は知らなかったが、漆手衆が飼い慣らしている猛禽の類いは決してその鳩を襲わないという。

「一宿一飯のご提供というわけではあるまい」
「もちろんでございます」

 店主は行灯の明かりを増し、箪笥からいく振りかの白鞘を出し、並べ始める。「実は見て貰いたいものもございまして」と、灯りをひとつ手元へと持ってくる。宗章からちょうどよい距離と角度である。
 何に都合がよいかといえば、刀の鑑賞にである。

「嫌な顔をしてくれますな」
「本阿弥光徳に同じようなことをされてな」
「なんと僥倖な。一生の宝ですぞ」
「弟に仏像をひたすら見せられたことがあるが、あれに勝る苦痛だったぞ」
「興味のあるなしは、まあ、あるでしょうな」

 店主が「これを」とひと振りの太刀を差し出してくる。いや、少し短い。反りはそこそこ、宗章好みの姿である。

ぶで、この姿か」
「左様で」

 生ぶとは、打ち上がって研ぎを済ませたばかりの未使用品という意味である。通常、この時代ならばもう少し長い。柄もやや短くするだろう。

「戦乱の世はもう過去のもの。当世ものはみな短めの双手使い用ですよ」

 八世紀から一二世紀、平安末期から鎌倉初期にかけて、反り深く、柄も湾曲した片手使いの太刀が多かった。一四世紀、後醍醐天皇と光明天皇のふたつの朝廷が並立した南北朝といわれる時代には、戦乱婆娑羅の気風から、もの凄く柄が長く、刃長も四尺を越えるものが多く作られていたというが、扱いにくさからすぐに姿を消したという。
 一五世紀。室町時代、広義でいう戦国時代、世が落ち着くと婉曲した柄の片手使いの太刀に戻る。
 そして今、戦国末期に差し掛かる昨今、太刀は佩くものから差すものへと姿を変えつつあった。打刀拵えが下級武士だけではなく大名にも浸透し、現代でいう日本刀という姿が生まれつつある。

「室町期の刀刃に明智拵えという組み合わせが、俺には都合がいいよ」
「ナカゴ長めの、ですな。腰の物は。――」
「兼定」
「会津の」とは、四代目が昨今招聘されたからであろう。
「いや初代」
「さだめし業物ですな」

 宗章は刀身を観る。打刀の姿。思わず嘆息が出る。耳からだ。

「湯村の刀か」
「如何様」
「沸、荒沸。よくいったものだ。まるで噴煙、いや蒸気のようだ。いかにもなわざとらしい荒々しさではない。品のある、益荒男のような姿だ」

 刃は、真っ直ぐ伸びる直刃。やや湾れているが、広く伸びる直刃であった。遠き海原を思わせるような白に、その濃淡に、心を奪われる。

「鉄が、熱く、熱く灼熱したとき、どぷりと刀身を冷やし焼きを入れまする。焼入やきいれと申します。鉄を焼いて入れるのではなく、冷えた灼熱の鉄氷を焼き入れるから焼入やきいれと申します」

 店主は続ける。

「鉄は冷えると白く凍りまする。それが、匂いや沸、刃紋と呼ばれるものです。地鉄を奔る肌も、何もかも、冷えて作られます」

 鉄が摂氏七六〇℃を越えていることが、この鉄の氷――マルテンサイトという刃紋等を作り出す変鉄――を生じさせるための絶対条件であり、どの程度まで一気に冷やすかは秘中の秘、という。
 灼熱の刀身を沸点一〇〇℃の水に沈める焼入れもあれば、沸点がさらに高い油に沈める油焼入れもある。水にしろ油にしろ、沈める前の温度でさえ刀工による秘中の術であるという。
 温度差を加減するために棟側には粘土を厚めに塗る。反りと併せ、刀を決定づける要である。

「映りはないか」
「ご無体な。古刀とくらぶれば、そのう」
「すまんすまん。……で、これらを俺に見せてなんとする。買ってくれというなら銭はないぞ」
「使ってくれと思う手も、間に合っている様子。難しいですな」
「何がだ。いや、いや、小早川を湯村の後ろ盾にしようと。――」
「羽柴秀俊さまの守刀をと」
「やめてくれ。いや、やめぬともよいが、いまはやめてくれ」
「ご迷惑でしたか」
「難しい話はいやなんだがな」
「嫌でございますか」

 そういうことかと、宗章は肩をすくめた。疵物にしたら買い取りを盾に押しつけられかねない。

「では、話はこのあたりで切り替えましょう」

 刀を返し、「どうせそんなことだろうと思ってた」と宗章は側にあった拭い紙を手に、自分の太刀と脇差しの手入れを始める。

「真田の思惑について、少し」
「どっちだ。昌幸どのか信繁どのの思惑か」
「信繁さまのよ」

 居住まいを正す筧屋の店主。
 背筋が伸びた姿だが、老舗の隠居店主というより、武人のそれである。若いときは槍を担いでいた可能性もありそうだ。
 このような手合いは強かだ。
 宗章は頭を掻く。

「件の鍛治師を保護して頂きたい」
「件の鍛治師といわれても、俺は何も知らんからなあ」

 ほんとに知らないのだ。
 一期一振、その偽物を打った希代の鍛治師というが、その姿も形も知らない。

「保護というからには、何か狙いが在るので在ろう。ああ、いやいや、わかる。わかったぞ。うちの殿へ仕えさせるのか。本阿弥家のように」
「ご慧眼」
「何の得が」
「技の継承でございます。武家なら家の存続でございましょう。しかし我らは、この技術の流布が目的でございます」
「命知らずな。独占しようとする者らが知れば。――」

(それで、小早川家おれか)

「左様でございます」
「刀匠の意地か」
「柳生さま、技術は失われるものです。遺す努力がなければ、いつ立ち消えてもおかしくはないのです」

 これよりのちの一五九〇年、一大ブランドである備前長船の里が吉井川の大洪水で壊滅することを考えれば、継承という危機感は当然であろう。戦国の気風久しい昨今であっても、火種はそこかしこであることをよく知る者にとっては背中と尻に火がついているのと同じことである。

「俺は本阿弥どのに技術を聞いてこいと言われておってな、作りかけの刀の欠片でもあったらそれを土産に持って帰るくらいでよかったのだ。それをなんだ、鍛治師その者を連れて帰れだというのか。漆手衆がひしめくこの越後を行って帰って抜けて行けと。無茶な」
「柳生どの」
「なんだ」
「そこに大殿の手勢が加わります。決して生かしては逃がしますまい」
「あの酒樽、おもったより太い奴だな」
「私もそう思いまする。しかし、あなた様ならもしやと」
「酒樽がか」
「信繁さまが」
「あのやろう。――」

 がしがしと頭を掻く。
 受けぬとも善い話だ。しかし、確かに太閤らが望む大正解は鍛治師の身柄だ。彼が仕える殿が時代豊家を担う箔もつくだろう。ただし、鍛治師が太閤に丸め込まれなければの話だが、そこは宗章が裏で暗闘をするほかはない。

「その男を連れて、漆手衆と追っ手を切り抜けて谷川岳を越えろと」
「ちがいます」
「なんだと」
「女でございます。鍛治師の名はお藤。五太郎の娘であり、天賦の才を持つ日の本の宝でございます」
「女。――」
「十四でございます」
「ガキんちょではないか。――」

 潜入行と、逃走戦線。
 受けるや否や、腕を組んで考える。

「おっと、これを忘れてました」
「引き受けよう」

 金の重みを感じる袖の下に思わず返事をしてしまった。
 まあ面白そうだし、いいか。
 これも修行である。

「ご自身の魂を納得させる嘘も必須でございます」
「なんのことやら」


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