猫が湯ざめをする前に

くさなぎ秋良

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風呂に粘度はいらぬ

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 世の中には『誰かに話してもなんのメリットもなく、むしろ敵を増やすだけだ』ということがある。

 だが、あえて言おう。くさなぎは世界で最も有名なネズミが率いる、あの夢の国が生み出す映像作品が苦手である。

 理由は『液体の描写が粘っこいから』だ。

 どうして夢の国の液体はあんなに粘るのか。「その涙やビールはスライムか」と訊きたくなるし、人間の仕草や表情まで粘っこく見えてくる。
 どんな料理や飲み物も、雨すらもなんだか不気味に見えてくるのだ。それらがどれも同じ粘度に見えて仕方ないのが、ますます不気味である。あんなに粘った水があるだろうか。

 昔、ある友人は「夢の国の作品は食べているシーンがどれも汚い」と苦言を呈した。びちゃびちゃと粘った食べ物が飛び散るシーンが多いというのだ。

 しかし考えてみよう。たとえば宮崎駿の作品にも食事シーンが数多く登場するが、お行儀のいい綺麗な場面ばかりではない。

 『天空の城ラピュタ』では男たちがシータの料理をものすごい勢いでかっこんでいるし、『千と千尋の神隠し』でも何度か食べるシーンがあるが、千はいずれもきちんと席についてお行儀よく食べているわけではない。席について食べた両親はあの有様である。ルパンと次元はスパゲッティを取り合い、ハウルの家ではマルクルがワイルドな食べっぷりを披露している。

 それなのに何故、くさなぎは宮崎作品に嫌悪感を抱かないのか。

 マナーの悪さがかえって「がむしゃらにかぶりつきたくなる美味さ」を想像させるし、映像の色彩の良さ、湯気や照りの力もある。『耳をすませば』の雫が鍋焼きうどんを食べるシーンは、すする鼻水が効果的である。
 なにより、粘度が絶妙なのだ。ハイジのチーズ、紅の豚のワイン、アシタカの粥、そういったものの描写が丁度いい。
 食べ物だけではない。ナウシカの浄化された世界に流れる水、トトロの田舎の小川、いろんな液体が必要以上に粘っこくない。

 テレビ関係の仕事をしていた友人は「食べ物を美味そうに撮るのは大変だ」と言っていた。断面を見せたり、湯気や照りにこだわったり、いい映像を撮るのは多くの労力と時間が必要らしい。
 同じ映像でもアニメの場合、粘度も大きな要素なのではないかと思う。

 と、こんなこだわりを熱く語る相手もいないので、くさなぎは今夜も湯船の中で湯を繰り返しすくいながら、ぼんやり考えているのだ。
 そういえば『あしながおじさん』でレモンゼリーのプールという一文が出てくるらしい。それはそれで素敵な空想ではあるが、やはり浸かるならサラッとしたお湯がいいとしみじみ思う湯船の国の人なのであった。

 ちなみに私も粘度のある湯船に入るより、またたび入り湯船につかってみたいのであった。

 さて、今宵はここらで風呂を出よう。

 猫が湯ざめをする前に。
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