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11、帳面

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「やい、子分」

「へい、親分」

「腹が減った。ピザでも頼め」

「すんません、あいにく、スマホを家に忘れてきたんでさ。親分のスマホ、貸して下せえ」

「バアロウ、個人情報を気安く他人に渡せるか」

「じゃ、そこのパソコンで…」

「パソコンだって俺専用だ。やい子分、そこの引き出し開けて、電話帳でも探せ」

「まったく、やけにガードが堅いなあ。親分の個人情報なんざ、興味ないっつうに…」

「つべこべ言わずにとっとと探せ」

「へいへい…それにしても散らかった引き出しですねえ。ん?何だこれは。どれどれ…生徒手帳?親分、ここに載ってる証明写真、もしかして、若き日の親分ですかい?」

「んなわけねえだろうが。令和の大泥棒ともなれば、偽造の生徒手帳の一つや二つ、持っとくのが礼儀ってもんだ」

「偽造って。所持しても学生にはどうやっても見えませんがね。電話帳、電話帳、と…なんだこれ、幼稚園の連絡帳?登園したらシールを貼ってね!って…かわいいチューリップのシールが今日の日付の所に貼ってある」

「俺が、毎日貼ってんだ。明日は猫ちゃんのシールだ」

「…使う用途があったら逆に教えてほしいですわ。ええと、他にも、医師会名簿、過去帳。過去帳ってなんです?」

戒名かいみょうなんかが載ってる、寺の帳面だ」

「戒名知ってどうするんですか。米穀べいこく通帳?これは?」

「昔はなあ、米を食うときはこの通帳を出さなきゃいけなかったんだ」

「親分、実年齢いくつなんです?」

「だから個人情報は言えねえって言ってんだろうが。それより、電話帳はねえのか」

「電話帳はありません。どうしやす?」

「どうにかしろ。ピザだぞ、ピザ!頭使えってんだ」

「ええ~…。参ったなア、しょうがねえからここにある手帳やら名簿やらに載ってる電話番号に電話して、聞くしかねえか。まずは、医師会名簿だ。この病院に、患者のふりをして…」



トゥルルル、トゥルルル…

「はい、〇×病院です」

「あ、〇×病院さん?わしゃあ、そこによう通っとるもんじゃがのう、急にピザが食べとうなったんじゃ。ピザ屋の電話番号を教えてくれんかのう」

「あらまあ、佐藤さんとこのおじいちゃんじゃないの!糖尿病なのにピザなんか食べちゃだめよ!今どこにいるの?家じゃないの?勝手に外、出ちゃったの?娘さんに連絡しようか?」

(ガチャ、と受話器を置く)

「だめだこりゃ…。次は、幼稚園だ。声を高く、女っぽくっと…」



トゥルルル、トゥルルル…

「はい、〇×幼稚園です」

「いつもお世話になっております、ユウトの母でございます。先生、今度の秋のバザーで、保護者会でピザを作ろうかと思いまして。ピザ作りの講習会を開こうかと考えてるんですの。ピザ職人をお招きしたいんですが、どこかいいピザ屋がありましたら、電話番号を…」

「ユウトくんのお母様、ですか?先ほど保護者会会長のユミちゃんのお母様より、今年度は五平餅を作ることになったから味噌作りの講習会をするって連絡がありましたけど。ユミちゃんのお母様から連絡行ってませんか?」

(ガチャ、と受話器を置く)

「だめだこりゃ…。次は、米穀通帳。こりゃあ、どこの電話番号だ?」




トゥルルル、トゥルルル…

「はい、〇×米屋です」

(ガチャ、と受話器を置く)

「だめだ、米屋でピザ屋の電話番号は聞けねえ。次は、過去帳だ。ありがたいことに、生前の名前が書いてあらあ」




トゥルルル、トゥルルル…

「はい、〇×寺です」

「先日亡くなった、芳雄よしおの家内にございます。その節はお世話になりました。ご住職ですか。実はご住職にお願いがありまして。主人は生前、それはそれはピザが好きでしたの」
(しばらく住職の話を聞いてから、無言でガチャ、と受話器を置く)

「やい子分、どうだった」

「へい、精進料理でピザを出してるそうで。振舞ってやるから今から来いって言われやした…目の前に欲しいものがあるのに行けねえ、この辛さ」



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<過去帳>
過去帳(かこちょう)とは、仏具の1つで、故人の戒名(法号・法名)・俗名・死亡年月日・享年(行年)などを記しておく帳簿である。
寺院の過去帳は各家の累代の記録が記述された個人情報のデータベースともいえ、寺院によっては死因や身分、生前の事跡などが詳細に記述されている場合もある。その情報取得を目的に興信所職員が近親者を装って過去帳を閲覧し、身元調査をするという事件が幾度も発生した。このため現在では個人情報保護の観点から寺院の過去帳は閲覧禁止とする寺院が多い。(Wikipediaより抜粋)


<米穀配給通帳>
米穀配給通帳(べいこくはいきゅうつうちょう)とは、1942年4月1日から、日本において食糧管理制度の下で米の配給を受けるために発行されていた通帳であった。1981年(昭和56年)6月11日の食糧管理法の改正により廃止された。
第二次世界大戦の戦時中、及び終戦後しばらくは、レストランなどの飲食店でカレーライスなどのように米を使っている食事を注文するときや] 、旅行で旅館に宿泊し米飯の提供を受ける際などは、現物を持参するか旅行者用穀類購入通帳を提出しなければならなかった。例えば、山田風太郎の「人間臨終図巻」には、十五代市村羽左衛門が、1945年に疎開先で旅館に泊まった際に、日数分の米穀通帳を渡したという記載がある。(Wikipediaより抜粋)
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