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十四
しおりを挟む西軍の軍勢が大津に到着すると、城下はすでに焦土と化していた。
琵琶湖の湖畔にある大津は、古くから交易で栄え、商いの人々でごった返しているのだと、竹早はかつて松の丸殿から聞いた。
焼け焦げた柱ばかりが残る町には、人々の営みの痕さえ残っていない。京極勢は籠城を決めると自ら城下に火をつけて、人々を遠くへ追いやった。
大津城は守りが弱い。湖と陸の両面から攻められたら、早くに落城することは必至であった。
京極勢は籠城を決めた段階で、即座に舟で大量の兵糧を詰め込み、琵琶湖の船頭らに西軍の手助けは決してするなと脅しをかけた。さらに、家屋を盾とさせぬよう、城下の家々を早々に焼き払ったのである。
―本当にわからぬお人じゃ。何ゆえここまでされるのか。守りの弱い城で援軍も望めず、多勢の西軍に囲まれればどうなるか、目に見えておるのに。
京極高次の思いを、石川も計りかねていた。
高次の妻である初は淀殿の妹にあたる。すなわち、高次の妹と妻が、豊家と縁づいている。京極家が城を持てたのも、豊家との姻戚関係のおかげだと揶揄され、京極家は蛍大名とも呼ばれていた。その恩があるからこそ、京極家は西軍につくものだと、豊家の誰もが思っていた。
一方で京極家は、内府とも姻戚であった。初の妹の江は、内府の嫡男、徳川秀忠に嫁いでいる。
難しい立場ゆえ、苦渋の決断で東軍についたに違いなく、強く説き伏せれば必ずや離反を覆すことができる。石川はそう思っていた。しかし、焼け野原となった大津の町を見ると、高次の後に引かない強い意志を感じずにはいられなかった。
近くの寺に本陣を構え、軍勢を少し休ませた後、大将の毛利元康は竹早を呼び出し、使者の証である赤い母衣を掲げさせた。
―母上様を取り戻せと、天におられる太閤様も願っておられますぞ。必ずや、ご無事にお戻りになられますよう。
使者を切り捨て、遺骸で送り返すことなどざらにある。
元康は竹早を太閤の子だと信じてはいなかったが、その勇気だけは買っていた。
元康から赤母衣を受け取ると、竹早は逆立に跨がり石川と共に城の大手門へと駆けていった。赤母衣を掲げ疾走する竹早を見て、軍勢は歓声を上げた。
―竹早様、
―ご無事で、
―ご武運を。
軍勢の数多の声を聞きながら、竹早は悟った。不思議と死は怖くない。既に自分には、武家の心が染みついている。
琵琶湖の水を取水して、大津城の周りには堀が何重にも巡らされている。橋の先にある、固く閉ざされた大手門の前で、竹早は大津城を見上げた。戦が始まればこの橋も落とされるのだろう。
門の奥にある櫓から、槍を持つ男がこちらをじっと睨んでいる。
竹早は背に掲げた赤母衣を男に見せ、大声で呼びかけた。
―某は京極竜子殿の子、竹早である。豊家の使者として、ご城主、それから竜子殿と話がしたい。
しばし待たれよ、と男は言い、櫓を降りて城へと向かった。
騎乗のまま沙汰を待つ竹早が城内に案内されたのは、それから四半刻ののちであった。
三の丸の広間に通された竹早は、入り口で腰の刀を没収され、用心深く襖の奥の気配を探りながら広間の中央に腰を降ろした。
やがて坊主が現れ、ほどなく当主が参りますと言い置いて襖を閉めた。当主と直々に話せることはほとんどなく、大抵は家老辺りがやってくると石川から聞いていた竹早は、少しの驚きと同時に、当惑した。松の丸殿の兄とはいえ、恩を仇で返し、負け必定の籠城を決め込む当主が、まともだとは思えない。
深く身を屈めて待つ中、高次が姿を現すと、竹早は今までの当惑が一気に消え去るような気分であった。
目の前にいる高次は、いつぞや秀頼公と共に描いた、松の丸殿の画そのものなのである。
ふくよかな輪郭、垂れ下がった目尻、ただ異なるのは髷がある所である。
不覚にも、竹早は頬を上げた。
―お主が竹早か。
高次が話し始める。声は高圧的である。竹早ははっ、と答えて身を屈めた。
―竜子(松の丸殿)から聞いておる。なんでもお主は軽業師だそうな。
竹早は頷き、母を返してもらいたい、と即座に用件を言った。
高次は返事をせず、代わりに襖に向けて声をかけた。おもむろに襖が開き、その先には松の丸殿の姿があった。
―母上!
高次に背を向け竹早が松の丸殿に駆け寄ると、松の丸殿も畳の縁を踏み付けて広間の中へと駆け寄った。
―竜子は連れていくがよい。言っておくが、竜子はお主の母ではない。のう、竜子?
高次の唐突な物言いに、竹早の心は乱れた。そんなことはどうでもよい。竹早の願いは聞き入れられ、あとは松の丸殿と城を出るだけである。
―お主は誓願寺の孤児であろうが。ようもぬけぬけと豊家に入り込み、竜子の子に成り代わったものよ。竜子がそなたを豊家の跡継ぎにと推しておった。わしに後見になれとまで申した。それゆえそなたの顔を一目見たいと思うたが、どうと言うこともない、ただの青二才じゃな。
どう言えば相手を打ち負かせるかと考えながら言葉を連ねる高次には、その見た目とは裏腹に、粘着した嫌らしさがあった。
―母上は下賎な私の面倒を見て、育てて下さいました。私は誠の母上だと思うておりまする。
―そうか。ならば母と呼べ。もう竜子はいらぬ。
その物言いに、竹早は頭に血が上った。だが松の丸殿がぎゅっと竹早の手を握る。何も言うなと言うのである。
ーかつて我らは竜子を捨て、御家を存続させた。賎しき豊家が天下を治めるのも一代限りだと耐えておったが、まさか竜子が軽業師を子と騙り豊家の存続を願うなど、笑止千万。豊家が竜子を狂わせた。京極の血を穢す女子など、人質にする価値もない。
源氏の血を引く京極家にとって、血筋というのは何にも代え難い。不利だと知りながらも内府に付いたのは、京極家の矜持そのものであった。
―高次様、我ら西軍の兵は一万五千を超えております。内府様が江戸を発ったばかりの今、京極勢の負けは必定。ご内室の初殿は淀殿の妹御でもあられます。どうか、戦の前に城を明け渡して下さいませ。
―ならぬ。
笑いながら言う高次に、竹早はぞっとした。
―やるならやってみろ。内府は必ず勝つ。例え我らが滅びたとて、豊家が生き延びることはないわ。
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