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1 で、あなたが私に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?
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かつてこの地上を支配していたのは、純血の人間だったと言われている。人間達は争いを続けて数を減らし、いつしか絶滅の危機に瀕していた。
そんな人間達を哀れに思った神獣は使役する獣達を人の世に送り、人間達と番わせて数を増やす手助けをしてやったのだった。
そうして誕生したのが獣人で、現在は数多の種類の獣人達が存在する。
それも遠い昔の出来事で、今では言い伝えられている内容以上のことはわかっていない。残っている文献も多くはないので、詳細は不明だった。
とにかく人間達は獣と血が混ざり、無事に数は増やしたものの、争いごとが地上からなくなることはなかった。
獣の特徴を持つ獣人達は相変わらず縄張り争いを続け、戦や小競り合いは絶えず、現在に至る。
◇
「う、……ん」
ミカはゆっくりと目を開けると、何度か瞬きをした。
体を起こしてみると、見知らぬ寝台の上にいる。はて、何故自分はこんなところにいるのだろうかと首を傾げた。
(確か、私は……牢屋に入っていたはずだった、よな?)
両手を握ったり開いたりしながらそこに目を落とし、また反対側に首を傾げる。
そうだ。白い猫族の王子である自分は、献上品として鼠族に捧げられたのだった。ミカに言わせると、やらなくてもいいような戦を白い猫族が茶色鼠族に仕掛けたのだ。あんな溝鼠どもは駆逐してくれるわと兄王子達は張り切っていたが、鼠達はとても賢く、こちらは逆に領土を奪われる羽目になってしまった。
ミカはそもそも自国でほぼ幽閉されていたに等しい、使い物にならない王子であり、身内からも忌み嫌われている存在だったので、鼠達の中に放り込まれた。
そんな事情を鼠側もある程度知っていて、しかし猫の王子など暇つぶしにいたぶるにはもってこいだと受け取ったようだった。
(そうだ。私は鼠の国でも牢に入れられて、毎日小突かれて、馬鹿にされて……)
玩具にするのに飽きたら殺されるに違いない。白い猫族側へは病気で死んだとか、いくらでも嘘はつけるのだ。そもそも戦勝国側であるし、びくつく必要はない。
ミカには助かる道がないでもなかったのだが、それを実行する勇気がなくて、毎日膝を抱えて泣いていたのだった。
そう。そして、何故か兄が現れて、どこかへ連れていかれて――。
あの、世にも恐ろしい残忍な笑顔が頭に浮かび、ミカは恐怖で毛を逆立てた。
(いや待て、あれは夢かもしれない。いくらなんでも、天上の竜族が私の前に現れるはずがない)
と自分に言い聞かせるも、夢を見ていたのだとするとミカはいつもの冷たい牢の床の上で目を覚まさなければならないはずだ。
――ここは一体、どこなんだ?
竜帝とかいう幻のような存在に微笑みかけられたのが現実だとすると、牢の中にいるより怖い。どういう展開なのだかさっぱりわからないのだ。
周囲に視線を走らせ、自分の置かれている状況を確認しようとする。明らかに高貴な存在にあてがわれるような部屋。一級品の寝台。ミカは汚れた服は着替えさせられており、身も清められていた。
牢屋より心細い場所があるとは初めて知った。ミカは恐怖に震えながら、己の身を抱きしめる。体はどこも無事であり、耳も尻尾も欠けていない。痛むところもない。
寝台のそばにある台に何かが置いてあるのに気づいた。どうも手紙であるらしく、見覚えのある第二王子の兄の筆跡でミカへの宛名が記されている。
何もわからない中、何をするのも恐ろしいが、自分宛ての手紙を読むのはきっと構わないだろう。ミカは封を開けて怖々中に目を通した。それもやはり兄が綴ったものらしく、怒りで筆跡は乱れている。猫族が使う猫文字は丸っこくて愛らしい形が特徴なのだが、兄の綴るそれは刺々しかった。激しい怒りが感じられ、直接怒鳴られたわけではないがミカは怯えてぺたりと耳を倒した。
手紙には、竜帝がミカの身を預かることとなり、白い猫族の王家と茶色鼠族はそれを了承したこと、ミカ自身には拒否権がないということなどが書かれている。
竜帝がお前のような落ちこぼれを選ぶ理由がさっぱりわからない、と兄は怒り狂っているが、それはミカも不思議だった。『王子であるくせにまるで売女』だの『いつ色目をつかった』だの、ミカの知らない言葉がいくつかあったが、非難されているというのはなんとなく理解できた。
そして最後の方に書かれている文章に目をやり、ミカは息をのむ。
『とにかく、お前は竜帝におとなしく食われる身だ。せいぜい上手くやるのだな。』
他にも何やら書いてあったが目に入らない。ミカは目の前が真っ暗になるのを感じていた。
(食われる……? 私は、食べ物として竜帝陛下に引き取られたのか……)
獣人は皆、半分は獣で半分は人間だ。つまり、半人の同種族とも言える。通常、獣人は共食いをしない。しかし中には食べる種族もいると聞くし、遠く離れた天空で暮らす竜族の食事に関して、ミカは何の知識もなかった。
獣人の中でも最も強い力を持つ竜族だ。その食文化が地上の獣人と同じとは限らない。
(魚は魚を食べるし、鳥の猛禽は小鳥を食べる……。竜が猫を食べたって、別に不思議では、ない……)
ああ。ということは。
ついに自分の運命は決定してしまったのだ。
(い、いやだ……。私は、食べられたくなんてない……!)
ミカは手紙を握りしめたまま、よろよろと部屋の扉の方へと歩き始めた。裸足が毛足の長い絨毯を踏む。
何か策があったわけではなかった。ただ本能が、生きたいという気持ちがミカの足を動かしていて、頭の中はショックでほとんど空白だった。
扉の前まで来たところで、その向こうの部屋に誰かが入ってくる物音が聞こえ、ミカは体を強ばらせた。
「ミカ様が失神された理由は当然、あなたのお顔が怖すぎるからですよ……。どうにかなりませんか、その笑い方」
呆れたような男の声だ。それに他の誰かが返事をする。
「これでも以前よりは柔らかくなった方だ」
これは聞き覚えがある。竜帝セライナの声だ。ミカは息を詰めた。
「どこがですか。付き合いの長い私だってぞっとしますよ。いきなり竜帝だという男が現れて、強烈な微笑みを向けられたら、そりゃあ気も失いますって。どうして笑うかなぁ」
竜帝と言えば竜族の頂点に君臨する者のはずだが、その竜帝に対して男はやけに気安い様子で話しかけている。
「いろいろ焦らないでくださいよ? 即位の儀を終えてすぐに地上に降りるなんて、本当にせっかちな方だ」
「私はかなり待ったのだ」
「わかってます、前から聞いております。ですから、落ち着いて順序を踏んで……。でないとミカ様もお気の毒でしょう? くれぐれも、いきなりがっつくようなことはやめてくださいよ」
がっつく、という言葉を聞いたミカは真っ青になった。
竜帝が短い沈黙の後に口を開く。
「……味見くらいはいいだろうな?」
「いや、あなたの味見っていうのがどれくらいの行為を指してるのかわかりませんけど……。ほどほどにしてくださいよ。嫌われても知りませんからね」
間違いなく、自分は竜帝に食べられるために運ばれてきたのだ。ミカは後ずさり、震える手から手紙が落ちた。
下には絨毯が敷かれているし、音などほとんど立たなかったはずだった。
だが、隣の部屋での会話は途切れ、次の瞬間、こちらへの扉が開かれた。扉のすぐそばで話をしていたのではなかったはずだが、音を聞きつけてすぐ、竜帝ではない方の男が移動して扉に手をかけたらしい。
薄暗い部屋に、光が差し込む。
そこには、純白の長い髪をした美しい男が佇んでいた。
「これは、白い猫族の第五王子、ミカ殿下。お目覚めになられたようですね」
長身のその男は、優しげな微笑をミカへと向ける。ミカは呆然とその、竜族らしき男を見上げることしかできなかった。
(盗み聞きをしていたのがバレただろうか? 私はこの場で処刑されるのか? 勝手に寝台から離れるべきではなかったのかもしれない。寝たふりでもしていれば……)
何か言わなければと思うのに、声が出てこない。空っぽの頭からは何の台詞も見つけられない。
白い長髪の男は言葉を失って立ち尽くすミカの態度を不審に思った様子もなく、「お体の具合は悪くありませんか?」と尋ねてきた。のろのろとミカが頷くと、彼も頷き返す。
「世話係の者を連れてきますので、少々お待ちください」
そう言い置いて立ち去ろうとする。
ミカが男の向こうへと目をやると、気絶する前に対面した、あの竜帝が立っていた。白い竜人は部屋から出て行く前に、びしっとひとさし指を竜帝へ向けた。
「笑わないでくださいよ、陛下」
そんな注意を受けた竜帝セライナは、不服そうに目を細めて男を見送る。
そして、セライナはゆっくりとミカの方へと歩いてきた。一歩一歩に重みがある。そしてこの威圧感。
ミカは両目を大きく見開いてセライナを見つめていた。
腰までの黒い長髪。美しい彫刻のような顔立ち。背は高く体つきはたくましく、小さなミカとはまるきり違う生き物のようであった。
ミカは一応王族である。どういう理由で連れて来られたにしろ、何かしらの挨拶はするべきだ。
口を開こうとしたところ、しかし先に声を発したのはセライナの方だった。
「猫はミントが苦手だと聞いた。昔の私は知らなかったが」
思いの外静かな声で、柔らかく耳に届く。突然植物の名前が出て、ミカは混乱してしまった。確かに猫はミントを嫌っている。四つ足の獣の方の猫もそうであるし、獣人であってもそれは同じだ。
「ミント……ですか?」
「ああ。お前は兄弟達に、群生するミントの中へ放り込まれたりしたのだろう? 他にもたくさん、酷い仕打ちを受けたと聞いている」
幼い頃の記憶は曖昧な部分が多いのだが、ミカは昔から兄弟達には特に邪険にされ、いじめられてきた。ミント畑に放置されたり、ミントの香油を上からぶちまけられて始終その香りを漂わせて皆に避けられたり。
おかげでミントの香りには慣れてしまって、自分は平気になったのだが。
「私は、醜い猫ですから……。仕方ありません。王族の中にこのような者が生まれて、疎まれるのは当然です」
ミカがうつむくと、長い前髪が目にかかる。眼帯をつけるのは苦手なのだが、誰かに用意してもらえばよかったと後悔する。
すると、セライナがミカの顎をつかんで上を向かせた。
「お前は醜くなどない」
セライナはミカの前髪を払って黄金の目をあらわにさせた。とっさに身を引こうとしたが、考えてみればセライナの瞳は黒だ。今まで、周りと違う者は異様な存在で差別されるものだと思いこんでいたのだが、ここにいるのは竜人ばかり。ミカの片目の色が皆と同じ青でないことを嫌悪されたりはしないのかもしれない。
「お前は、世界で一番可愛い――愛らしい猫だ」
セライナはミカの頬に手をそえたまま、顔を近づけてきた。
(あ……えっ……? 食べられる……?!)
ミカの頭に唇を押しつけたセライナは、呆然とするミカをしばらく見つめ――ニイッと、控えめな微笑を浮かべた。
前の時よりかなりおさえた表情ではあったものの、やはり恐ろしいのは変わらない。獲物をしとめる直前だとか、好物を前にした時に浮かべるような笑みなのだ。だからだろうか、本能的に敗北を悟って体から力が抜けてしまう。
ミカがその場で崩れ落ちそうになるのを、すぐにセライナが支えた。
「どうした」
「その……、こっ、腰が……」
卒倒こそしないで済んだが、ミカは無様にも竜帝の前で腰を抜かしてしまったのだった。
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