9 / 17
9 それを私に譲ってくれないか
しおりを挟む
特別クラスの授業は全てが選択制であり、その課程は領地経営関連から政治経済、ダンスにテーブルマナーと実に幅広い。
「そのハンカチを譲ってくれないか?」
実は不器用で刺繍が苦手なクラレットに付き添い、キャナリィが刺繍の授業に臨んだ後、その作品を見たロベリーがそう言った。
ロベリーが留学してきてから何度目かの問題発言にようやく慣れたのか、今日は動きを止める者も、物を取り落とす者もいなかった。
この頃になると、語学の苦手な令嬢やロベリーの様子を見てこの国で婚約者を探す気はないのであろうと察した令嬢は、共にお茶を楽しむことはあっても以前のようにキャナリィを敵視することもなくなっていた。
やっと血統の良い自分こそがロベリーに相応しいと皆が認めたのだと思い込んでいるローズを除いては。
令嬢が一針一針刺した刺繍を異性に渡すのは家族や婚約者、恋人と言うのが暗黙の了解である。
流石にこんな人目のあるところで・・・ローズはそう思ったが、キャナリィは「どうぞ」と悩みもせずにハンカチを差し出したのだ。
キャナリィにとっては授業の課題で仕上げただけの、なんの思い入れもないハンカチである。傍目から見るとそれは十分に美しい仕上がりでキャナリィの練度の高さが窺われるのだが、キャナリィはこの程度の物をシアンにプレゼントをしたくはないし、持ち帰っても使用人にプレゼントするくらいなのでその行き先がロベリーになることに何の抵抗もなかった。軽い気持ちで渡しただけなのだが──。
ローズは震える手で、同じく授業の課題でロベリーのためだけに刺した刺繍入りのハンカチを握りしめた。
キャナリィのハンカチを笑顔で受けとるロベリーを見たローズは、居たたまれなくなって席を立ちそのまま戻ってはこなかった。
「お祖父様っ!」
オーキッド前公爵は先触れもなく突然やって来た孫娘に、ただ事ではない何かを感じていた。
幼い頃から学ぶことに貪欲で必ず結果を出してきたローズが、望む教育を受ける事が出来るように後押しをし、マナーなど貴族令嬢としての一般教養も優秀な講師に学べるように取り計らいもした。
努力の甲斐があり、ローズは学園では実力で特別クラス入りを果たし、どこに出しても恥ずかしくない令嬢へと成長した──そう、前公爵はこの時まで思っていた。
別邸とはいえ、伯爵令嬢の公爵家への先触れのない訪問。
しかも今の時間は学園で講義を受けている時間帯ではないのか。
前公爵がローズに会うことにしたのは、親族のよしみと何か有事かと思ったからだ。
しかし、らしからぬ剣幕の孫娘を前に前公爵は唖然とした。
ローズはシアンに「一般クラスに噂を流した人物への注意喚起」を頼まれたため、これ以上噂を流すことでキャナリィの非常識な行動を間接的に咎めることが出来ずにいた。
新たな噂が流れると、ローズの力が及ばなかったとシアンに思われてしまうからだ。
だからローズは別の方法で攻めるため、祖父のところにやってきたのだ。
「──と言うわけで、婚約者以外の方とそのようなことを平気で行い、自分に冤罪をかけた平民に適切な処分も出来ないウィスタリア侯爵令嬢は公爵夫人に相応しいとは思えませんの。お祖父様!何とかしてください!!」
何とかとは、他家の縁談に口を出せと言っているのだろうか。
しかもフロスティ公爵家の後継問題は一部の高位貴族の間では有名な話である。
例のパーティーの顛末も。
「ローズは例の祝賀パーティーには出席していたのだろう?」
なのに何故そのようなことが言えるのか。
「私、気分が優れず途中退席致しましたの」
前公爵はそれを聞いてなる程と思った。しかし、新たな疑問が生まれた。
「ローズは他家の令嬢とのお茶会で情報交換などは行わないのか?」
例え目にしていなくとも、お茶会であの日パーティーで何があったのか聞くことが出来ていれば、彼らの貴族らしい企みに振り回されたエボニーと噂を鵜呑みにして就職先を失った下位貴族の子女の末路を知ることが出来たであろう。
「最近のお茶会ではロベリー様と共にテーブルを囲むことが多くて、情報交換というよりロベリー様の留学中のお話を聞くことがほとんどでしたので──」
お祖父様は何を言っているのだろう。そんな話がしたくて来たわけではないのに。
ローズはそう思ったが、オーキッド前公爵の見当違いの質問に答えているうちに、少し冷静になった。
キャナリィは既に不貞ととられてもおかしくない行為を公衆の面前でいくつも重ねている。
ローズはここに愚痴を言いに来たわけではないのだ。
使える力を使い──公爵家の力で侯爵家経由でキャナリィに制裁を加えるためだ。
「そんなことより、お祖父様からウィスタリア侯爵家に抗議をして頂きたいのですわ」
「そのハンカチを譲ってくれないか?」
実は不器用で刺繍が苦手なクラレットに付き添い、キャナリィが刺繍の授業に臨んだ後、その作品を見たロベリーがそう言った。
ロベリーが留学してきてから何度目かの問題発言にようやく慣れたのか、今日は動きを止める者も、物を取り落とす者もいなかった。
この頃になると、語学の苦手な令嬢やロベリーの様子を見てこの国で婚約者を探す気はないのであろうと察した令嬢は、共にお茶を楽しむことはあっても以前のようにキャナリィを敵視することもなくなっていた。
やっと血統の良い自分こそがロベリーに相応しいと皆が認めたのだと思い込んでいるローズを除いては。
令嬢が一針一針刺した刺繍を異性に渡すのは家族や婚約者、恋人と言うのが暗黙の了解である。
流石にこんな人目のあるところで・・・ローズはそう思ったが、キャナリィは「どうぞ」と悩みもせずにハンカチを差し出したのだ。
キャナリィにとっては授業の課題で仕上げただけの、なんの思い入れもないハンカチである。傍目から見るとそれは十分に美しい仕上がりでキャナリィの練度の高さが窺われるのだが、キャナリィはこの程度の物をシアンにプレゼントをしたくはないし、持ち帰っても使用人にプレゼントするくらいなのでその行き先がロベリーになることに何の抵抗もなかった。軽い気持ちで渡しただけなのだが──。
ローズは震える手で、同じく授業の課題でロベリーのためだけに刺した刺繍入りのハンカチを握りしめた。
キャナリィのハンカチを笑顔で受けとるロベリーを見たローズは、居たたまれなくなって席を立ちそのまま戻ってはこなかった。
「お祖父様っ!」
オーキッド前公爵は先触れもなく突然やって来た孫娘に、ただ事ではない何かを感じていた。
幼い頃から学ぶことに貪欲で必ず結果を出してきたローズが、望む教育を受ける事が出来るように後押しをし、マナーなど貴族令嬢としての一般教養も優秀な講師に学べるように取り計らいもした。
努力の甲斐があり、ローズは学園では実力で特別クラス入りを果たし、どこに出しても恥ずかしくない令嬢へと成長した──そう、前公爵はこの時まで思っていた。
別邸とはいえ、伯爵令嬢の公爵家への先触れのない訪問。
しかも今の時間は学園で講義を受けている時間帯ではないのか。
前公爵がローズに会うことにしたのは、親族のよしみと何か有事かと思ったからだ。
しかし、らしからぬ剣幕の孫娘を前に前公爵は唖然とした。
ローズはシアンに「一般クラスに噂を流した人物への注意喚起」を頼まれたため、これ以上噂を流すことでキャナリィの非常識な行動を間接的に咎めることが出来ずにいた。
新たな噂が流れると、ローズの力が及ばなかったとシアンに思われてしまうからだ。
だからローズは別の方法で攻めるため、祖父のところにやってきたのだ。
「──と言うわけで、婚約者以外の方とそのようなことを平気で行い、自分に冤罪をかけた平民に適切な処分も出来ないウィスタリア侯爵令嬢は公爵夫人に相応しいとは思えませんの。お祖父様!何とかしてください!!」
何とかとは、他家の縁談に口を出せと言っているのだろうか。
しかもフロスティ公爵家の後継問題は一部の高位貴族の間では有名な話である。
例のパーティーの顛末も。
「ローズは例の祝賀パーティーには出席していたのだろう?」
なのに何故そのようなことが言えるのか。
「私、気分が優れず途中退席致しましたの」
前公爵はそれを聞いてなる程と思った。しかし、新たな疑問が生まれた。
「ローズは他家の令嬢とのお茶会で情報交換などは行わないのか?」
例え目にしていなくとも、お茶会であの日パーティーで何があったのか聞くことが出来ていれば、彼らの貴族らしい企みに振り回されたエボニーと噂を鵜呑みにして就職先を失った下位貴族の子女の末路を知ることが出来たであろう。
「最近のお茶会ではロベリー様と共にテーブルを囲むことが多くて、情報交換というよりロベリー様の留学中のお話を聞くことがほとんどでしたので──」
お祖父様は何を言っているのだろう。そんな話がしたくて来たわけではないのに。
ローズはそう思ったが、オーキッド前公爵の見当違いの質問に答えているうちに、少し冷静になった。
キャナリィは既に不貞ととられてもおかしくない行為を公衆の面前でいくつも重ねている。
ローズはここに愚痴を言いに来たわけではないのだ。
使える力を使い──公爵家の力で侯爵家経由でキャナリィに制裁を加えるためだ。
「そんなことより、お祖父様からウィスタリア侯爵家に抗議をして頂きたいのですわ」
1,086
あなたにおすすめの小説
堅実に働いてきた私を無能と切り捨てたのはあなた達ではありませんか。
木山楽斗
恋愛
聖女であるクレメリアは、謙虚な性格をしていた。
彼女は、自らの成果を誇示することもなく、淡々と仕事をこなしていたのだ。
そんな彼女を新たに国王となったアズガルトは軽んじていた。
彼女の能力は大したことはなく、何も成し遂げられない。そう判断して、彼はクレメリアをクビにした。
しかし、彼はすぐに実感することになる。クレメリアがどれ程重要だったのかを。彼女がいたからこそ、王国は成り立っていたのだ。
だが、気付いた時には既に遅かった。クレメリアは既に隣国に移っており、アズガルトからの要請など届かなかったのだ。
諦めていた自由を手に入れた令嬢
しゃーりん
恋愛
公爵令嬢シャーロットは婚約者であるニコルソン王太子殿下に好きな令嬢がいることを知っている。
これまで二度、婚約解消を申し入れても国王夫妻に許してもらえなかったが、王子と隣国の皇女の婚約話を知り、三度目に婚約解消が許された。
実家からも逃げたいシャーロットは平民になりたいと願い、学園を卒業と同時に一人暮らしをするはずが、実家に知られて連れ戻されないよう、結婚することになってしまう。
自由を手に入れて、幸せな結婚まで手にするシャーロットのお話です。
妹と王子殿下は両想いのようなので、私は身を引かせてもらいます。
木山楽斗
恋愛
侯爵令嬢であるラナシアは、第三王子との婚約を喜んでいた。
民を重んじるというラナシアの考えに彼は同調しており、良き夫婦になれると彼女は考えていたのだ。
しかしその期待は、呆気なく裏切られることになった。
第三王子は心の中では民を見下しており、ラナシアの妹と結託して侯爵家を手に入れようとしていたのである。
婚約者の本性を知ったラナシアは、二人の計画を止めるべく行動を開始した。
そこで彼女は、公爵と平民との間にできた妾の子の公爵令息ジオルトと出会う。
その出自故に第三王子と対立している彼は、ラナシアに協力を申し出てきた。
半ば強引なその申し出をラナシアが受け入れたことで、二人は協力関係となる。
二人は王家や公爵家、侯爵家の協力を取り付けながら、着々と準備を進めた。
その結果、妹と第三王子が計画を実行するよりも前に、ラナシアとジオルトの作戦が始まったのだった。
王家の面子のために私を振り回さないで下さい。
しゃーりん
恋愛
公爵令嬢ユリアナは王太子ルカリオに婚約破棄を言い渡されたが、王家によってその出来事はなかったことになり、結婚することになった。
愛する人と別れて王太子の婚約者にさせられたのに本人からは避けされ、それでも結婚させられる。
自分はどこまで王家に振り回されるのだろう。
国王にもルカリオにも呆れ果てたユリアナは、夫となるルカリオを蹴落として、自分が王太女になるために仕掛けた。
実は、ルカリオは王家の血筋ではなくユリアナの公爵家に正統性があるからである。
ユリアナとの結婚を理解していないルカリオを見限り、愛する人との結婚を企んだお話です。
七光りのわがまま聖女を支えるのは疲れました。私はやめさせていただきます。
木山楽斗
恋愛
幼少期から魔法使いとしての才覚を見せていたラムーナは、王国における魔法使い最高峰の役職である聖女に就任するはずだった。
しかし、王国が聖女に選んだのは第一王女であるロメリアであった。彼女は父親である国王から溺愛されており、親の七光りで聖女に就任したのである。
ラムーナは、そんなロメリアを支える聖女補佐を任せられた。それは実質的に聖女としての役割を彼女が担うということだった。ロメリアには魔法使いの才能などまったくなかったのである。
色々と腑に落ちないラムーナだったが、それでも好待遇ではあったためその話を受け入れた。補佐として聖女を支えていこう。彼女はそのように考えていたのだ。
だが、彼女はその考えをすぐに改めることになった。なぜなら、聖女となったロメリアはとてもわがままな女性だったからである。
彼女は、才覚がまったくないにも関わらず上から目線でラムーナに命令してきた。ラムーナに支えられなければ何もできないはずなのに、ロメリアはとても偉そうだったのだ。
そんな彼女の態度に辟易としたラムーナは、聖女補佐の役目を下りることにした。王国側は特に彼女を止めることもなかった。ラムーナの代わりはいくらでもいると考えていたからである。
しかし彼女が去ったことによって、王国は未曽有の危機に晒されることになった。聖女補佐としてのラムーナは、とても有能な人間だったのだ。
義兄のために私ができること
しゃーりん
恋愛
姉が亡くなった。出産時の失血が原因だった。
しかも、子供は義兄の子ではないと罪の告白をして。
入り婿である義兄はどこまで知っている?
姉の子を跡継ぎにすべきか、自分が跡継ぎになるべきか、義兄を解放すべきか。
伯爵家のために、義兄のために最善の道を考え悩む令嬢のお話です。
殿下が私を愛していないことは知っていますから。
木山楽斗
恋愛
エリーフェ→エリーファ・アーカンス公爵令嬢は、王国の第一王子であるナーゼル・フォルヴァインに妻として迎え入れられた。
しかし、結婚してからというもの彼女は王城の一室に軟禁されていた。
夫であるナーゼル殿下は、私のことを愛していない。
危険な存在である竜を宿した私のことを彼は軟禁しており、会いに来ることもなかった。
「……いつも会いに来られなくてすまないな」
そのためそんな彼が初めて部屋を訪ねてきた時の発言に耳を疑うことになった。
彼はまるで私に会いに来るつもりがあったようなことを言ってきたからだ。
「いいえ、殿下が私を愛していないことは知っていますから」
そんなナーゼル様に対して私は思わず嫌味のような言葉を返してしまった。
すると彼は、何故か悲しそうな表情をしてくる。
その反応によって、私は益々訳がわからなくなっていた。彼は確かに私を軟禁して会いに来なかった。それなのにどうしてそんな反応をするのだろうか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる