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*
ロジェは今晩の宿に入り、ほっと息を吐く。
視察は滞りなく進み、陽が落ちる前には全工程を終了することが出来た。ルキウスはアンリールが用意した迎賓館に宿泊するので、今晩は呼び出されることもないだろう。
ロジェに宛てられた宿は、迎賓館の近くにある官舎だった。
質素な寝台があるだけだが、有難いことに個室で、共有浴場はかなり広い。ゆっくりと湯に浸かっていると、もう夜は更けていた。
寝台へと倒れ込むと、だるさを纏った身体は溶けて行きそうになる。閉じかけた瞼の奥が鈍く痛んで、ロジェは眉をぎゅっと寄せた。
(……さすがにきついな……。明日まで持つか?)
このまま眠ってしまいたいのを堪えて、ロジェはのっそりと身体を起こした。
サイドテーブルに置いてあった鞄に手を伸ばし、中から薬瓶を取り出す。薬を口に流し込んで飲み下し、また力なく寝台に倒れ込んだ。
ルキウスの下で働き始めてから、ロジェの労働時間は二倍以上になった。
空いた時間で身体を休めているが、圧倒的に足りていないのだろう。疲れがどんどん蓄積されていく。
ロジェも今年でもう34歳だ。いくら長命の半魔とはいえ、多少の衰えは感じ始めていた。
そろそろ休みを取らないと、さすがに限界がくるかもしれない。
(……明日には帰れる。報告書を作ったら、次の日は半日休みを貰おう。……昼から出勤して、それ、から……)
重くなっていく瞼に抗えず、ロジェは意識を沈めた。
*
翌日は、雲一つないほどの晴天だった。ゆっくり眠れたお陰か、ロジェはいくらかマシになった身体をぐっと伸ばす。
今日の公務は特に無く、ルキウスが娘のノレイアと街を散策するだけだ。昼食を取ったら王都への帰路に就くことになっていた。
ロジェも散策に同行することになり、ゆっくりと街中を進む馬車の後ろを歩く。側近二人も今日は馬に乗らず、馬車の周りを囲うように歩いていた。
馬車を見上げると、窓には小さな影が映っている。ノレイアだろう。先ほどロジェも挨拶を済ませたが、彼女は香り立つほどの美少女だった。
アンリール元妃も美しい人だと聞いていたので、ルキウスとアンリールはまさにお似合いの夫婦だっただろう。
今は別れてしまったが、こうして娘とも交流できているところを見ると、今の関係は悪くないのかもしれない。
ロジェは前を進むザザドへ声を掛けた。
「アンリール元妃のご実家で、閣下のデレはさく裂していましたか?」
「ははは、アースター様は甘いなぁ。殿下のデレはそうそう発動しませんよ」
「……まぁそうですよね。それにあんな辛辣デレ、デレとは言いませんもん」
ザザドだけではなく、ルトルクも掠れ声を揺らして笑う。彼らもルキウスのデレがデレとして成り立っていない事を理解しているのだろう。
(……あいつ、娘の前ではどんな顔するんだろうな。……優しい顔をするのかな? 元奥さんの前ではどうなんだろう……)
____ ルキウスが結婚する。
ちょうど12年前。その話題が世間に広まった頃、ロジェは武官試験に向けて準備を進めていたところだった。
王座に一番近いといわれる皇子の結婚に、国中が湧きに湧く。しかしロジェにとっては、耐え難い心痛に襲われる日々だった。
あの時の心の痛みは、そうそう忘れられない。しかし一方で、ルキウスの幸せを祈る気持ちは強かった。誰より強いと、今でも自信を持って言える。
そして、彼が離婚したと聞いた時は、もっと心が痛かったのを覚えている。
世の中はルキウスの批判で溢れていたが、ロジェは彼が心配でならなかった。隣にいて話を聞いてやりたいと、願わずにはいられなかったのだ。
あの日、深酒をするルキウスへ言った言葉は、まさにロジェが抱いていた想いの全てだった。
思わず言いたかった事を並べ立ててしまったが、少しでも心の隅に置いていてくれると嬉しい。
ルキウスの根本は、きっと昔と変わっていない。あえて冷酷な皮を被っているのは、いつも誰かを庇うためのものだとロジェは知っている。
「_____だれか……っ! 火が!!」
「……っ⁉」
思考の奥に沈んでいた意識が、耳に届いた悲鳴でぐっと引き戻された。
剣に手を掛けて周囲を警戒すれば、近くにあった露店から火の手が上がっているのが見える。
空を見上げると、無数の火球が黒煙を纏いながらゆらゆらと浮かんでいた。
「魔法攻撃だ! 逃げろ!」
ロジェが注意喚起すると同時に火球が降り注ぎ、穏やかだった街中は混乱へと陥った。あちこちで火の手が上がり、灼熱の空気が周囲を支配し始める。
街中に潜んでいた護衛たちが、ルキウスがいる馬車を守るように囲む。やはり護衛は二人だけじゃなかったかと、ロジェはほっと胸を撫でおろした。
しかし安堵するには早かった。逃げ惑う民衆の中から、襲撃者たちが飛び出して来たのだ。
ロジェは今晩の宿に入り、ほっと息を吐く。
視察は滞りなく進み、陽が落ちる前には全工程を終了することが出来た。ルキウスはアンリールが用意した迎賓館に宿泊するので、今晩は呼び出されることもないだろう。
ロジェに宛てられた宿は、迎賓館の近くにある官舎だった。
質素な寝台があるだけだが、有難いことに個室で、共有浴場はかなり広い。ゆっくりと湯に浸かっていると、もう夜は更けていた。
寝台へと倒れ込むと、だるさを纏った身体は溶けて行きそうになる。閉じかけた瞼の奥が鈍く痛んで、ロジェは眉をぎゅっと寄せた。
(……さすがにきついな……。明日まで持つか?)
このまま眠ってしまいたいのを堪えて、ロジェはのっそりと身体を起こした。
サイドテーブルに置いてあった鞄に手を伸ばし、中から薬瓶を取り出す。薬を口に流し込んで飲み下し、また力なく寝台に倒れ込んだ。
ルキウスの下で働き始めてから、ロジェの労働時間は二倍以上になった。
空いた時間で身体を休めているが、圧倒的に足りていないのだろう。疲れがどんどん蓄積されていく。
ロジェも今年でもう34歳だ。いくら長命の半魔とはいえ、多少の衰えは感じ始めていた。
そろそろ休みを取らないと、さすがに限界がくるかもしれない。
(……明日には帰れる。報告書を作ったら、次の日は半日休みを貰おう。……昼から出勤して、それ、から……)
重くなっていく瞼に抗えず、ロジェは意識を沈めた。
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翌日は、雲一つないほどの晴天だった。ゆっくり眠れたお陰か、ロジェはいくらかマシになった身体をぐっと伸ばす。
今日の公務は特に無く、ルキウスが娘のノレイアと街を散策するだけだ。昼食を取ったら王都への帰路に就くことになっていた。
ロジェも散策に同行することになり、ゆっくりと街中を進む馬車の後ろを歩く。側近二人も今日は馬に乗らず、馬車の周りを囲うように歩いていた。
馬車を見上げると、窓には小さな影が映っている。ノレイアだろう。先ほどロジェも挨拶を済ませたが、彼女は香り立つほどの美少女だった。
アンリール元妃も美しい人だと聞いていたので、ルキウスとアンリールはまさにお似合いの夫婦だっただろう。
今は別れてしまったが、こうして娘とも交流できているところを見ると、今の関係は悪くないのかもしれない。
ロジェは前を進むザザドへ声を掛けた。
「アンリール元妃のご実家で、閣下のデレはさく裂していましたか?」
「ははは、アースター様は甘いなぁ。殿下のデレはそうそう発動しませんよ」
「……まぁそうですよね。それにあんな辛辣デレ、デレとは言いませんもん」
ザザドだけではなく、ルトルクも掠れ声を揺らして笑う。彼らもルキウスのデレがデレとして成り立っていない事を理解しているのだろう。
(……あいつ、娘の前ではどんな顔するんだろうな。……優しい顔をするのかな? 元奥さんの前ではどうなんだろう……)
____ ルキウスが結婚する。
ちょうど12年前。その話題が世間に広まった頃、ロジェは武官試験に向けて準備を進めていたところだった。
王座に一番近いといわれる皇子の結婚に、国中が湧きに湧く。しかしロジェにとっては、耐え難い心痛に襲われる日々だった。
あの時の心の痛みは、そうそう忘れられない。しかし一方で、ルキウスの幸せを祈る気持ちは強かった。誰より強いと、今でも自信を持って言える。
そして、彼が離婚したと聞いた時は、もっと心が痛かったのを覚えている。
世の中はルキウスの批判で溢れていたが、ロジェは彼が心配でならなかった。隣にいて話を聞いてやりたいと、願わずにはいられなかったのだ。
あの日、深酒をするルキウスへ言った言葉は、まさにロジェが抱いていた想いの全てだった。
思わず言いたかった事を並べ立ててしまったが、少しでも心の隅に置いていてくれると嬉しい。
ルキウスの根本は、きっと昔と変わっていない。あえて冷酷な皮を被っているのは、いつも誰かを庇うためのものだとロジェは知っている。
「_____だれか……っ! 火が!!」
「……っ⁉」
思考の奥に沈んでいた意識が、耳に届いた悲鳴でぐっと引き戻された。
剣に手を掛けて周囲を警戒すれば、近くにあった露店から火の手が上がっているのが見える。
空を見上げると、無数の火球が黒煙を纏いながらゆらゆらと浮かんでいた。
「魔法攻撃だ! 逃げろ!」
ロジェが注意喚起すると同時に火球が降り注ぎ、穏やかだった街中は混乱へと陥った。あちこちで火の手が上がり、灼熱の空気が周囲を支配し始める。
街中に潜んでいた護衛たちが、ルキウスがいる馬車を守るように囲む。やはり護衛は二人だけじゃなかったかと、ロジェはほっと胸を撫でおろした。
しかし安堵するには早かった。逃げ惑う民衆の中から、襲撃者たちが飛び出して来たのだ。
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----------
追記:読んでくださった皆さま、本当にどうもありがとうございました!!
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詳しい更新日まだ未定ですが、もしよろしかったらゼヒまた覗いてやってくださいねー!